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プロフィール

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雪見姐さんの思い出ブエノスと日本
ブログ紹介
JICA日系社会シニア・ボランティア(出版・就職情報会社からの現職参加)として、アルゼンチンで日本舞踊指導を07年9月までしていた姐さん。任期終了後2009年までブエノスで暮らし、日本舞踊の指導を継続。帰国後日本の歴史や文化、習慣に今まで以上に興味がわき、アルゼンチンでの生活を思い出しながら、日本の春夏秋冬を綴ってみた。そして。2017年JICA短期シニアボランティアとして再びアルゼンチンで日本舞踊の指導。姐さんのお師匠さまは故水木流東京水木会名誉理事長の水木歌峰先生。名取名水木紅鳳(みずき・こうほう)

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最愛の息子(婿)を亡くして1カ月……。娘、孫の様子に心うたれる

2017/12/06 21:54
 収穫作業中に亡くなった婿。今日12月6日は、婿が亡くなって1カ月です。
姐さんは今、ブエノスに戻っています。前のように毎日日本舞踊を教え、活動を再開しています。

 娘は葬儀のあとに、「私は大丈夫だから、ママはミッションに戻って」言いました。しかし私は残された娘と四人の孫のことを考えると、アルゼンチンに戻ることに躊躇していました。
 そんな私の背中を押してくれたのは、「娘を信じよう」というツレアイの一言です。

 婿がこの世にいないなんて信じられなくて、日本に帰ったら「お母ちゃん、お帰り! 1年なんてすぐだったじゃないですか。ピザ食べましたか?」なんて、声をかけてくれる、待っていてくれていることしか考えられないのです。

 詳しい状況は知りませんが、アッという間の事故で婿は亡くなり、彼自身が自分の死をいちばんびっくりしていると思います。

 日本では身内の、しかも自分の子どもの自慢をするのは嫌味にとられますが、私は自分の娘と孫たちを胸をはって自慢します。娘は地域の人に助けられ、後退したり、留まることなく、前に進んでいます。娘はしっかりと子どもたちを支え、子どもたちは協力してお母さんを助けています。以前と同じ明るい笑顔で。葬儀のあとに「東京に戻る?」と聞いた私に、「東京には戻らない、子どもたちをここで育てる」と、娘ははっきり言いました。 
 立派な態度だと思います。スゴイと思います。今度会ったときは娘も孫も思いっきり抱きしめて「偉いね!」って言います。

 今、私たち家族は嗚咽をこらえて、前に進むしかありません。
それができるのは、年寄りも子どもも家族全員が、自分のやるべきことをそれぞれが果たしていることがわかるから。離れていてもそんな家族の姿が見えるから、家族のだれもが自分だけへこたれることはできないのです。

 でも、地域の農業、ひいては日本の農業の生き残りをかけて新事業を立ち上げた婿、農水省や農協から何度も受賞した婿、協力隊時代のパラグアイでの夢もいっぱいあった婿、実直で働き者で、家族を大切にしてきた婿のことを思えば辛く、辛くて、ひとりになるとだれでもとめどない涙を流していると思います。

 明日のことはわかりません。でも今日は子どもや人前で涙を見せずに、足を踏ん張って前に進んでいます。それが家族の今の姿です。

Sobre mi yerno
    
    Hoy 6 de diciembre se cumple un mes de la muerte de mi yerno.
    Creo que mi hija es muy valiente porque pudo seguir con su vida como antes sin desmoronarse,
    Mi hija y mis nietos, mi esposo y yo, cada uno de la familia sabe que el otro esta cunpliendo con sus deberes con responsabilidad.

Poreso no podemos estar tristes y sin hacer nada. Pero, en soledad, cada uno de nosotros recuerda a mi yerno y lo extranamos pero soportanos eso y seguimos cada uno con su tarea.

En Japon, no se estila alabar a la familia, pero yo admiro a mi hija y a mis nietos. Cuando los vuelva a ver, los voy a abrazar muy fuerte.

Esta es nuestra situacion al cumplirse esta mes.
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悲しい知らせです

2017/11/22 11:48
岩手県奥中山の婿さんが、11月6日月曜日に収穫作業中の事故で亡くなりました。38歳でした。姐さんは即日緊急帰国させていただきました。葬儀も終わり、残された娘は職場に戻り、孫たちは小学校、保育所に戻りましたので、姐さんも本日アルゼンチンに帰任します。青年海外協力隊員としてパラグアイで活動し、南米をこよなく愛した息子でした。
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活動のあいまのリフレッシュは、スカイプでお太鼓のお稽古と……

2017/11/06 22:17
 ほぼ毎日、出稽古に出かけ、週に2日は家にお弟子さんが来ます。稽古の時間は3時間前後ですが、郊外の移住地までは片道2時間から3時間はかかり、往復4〜6時間になります。体力使い果たしてのご帰還。夕食の途中で睡魔に襲われることもある今日この頃です。

 そんな中でのリフレッシュは月に2回の締太鼓の稽古。これは東京の藤舎円秀師匠の稽古場とブエノスアイレスの姐さんの家をスカイプで結んでの稽古、すごい時代だな、距離感が失せたな、と思います。とはいえ、画像と音の伝達が微妙に遅れ、「なんか変?」状態が続いたり、せっかく師匠にお稽古の時間を作っていただいたのに、こちらのネットの状態が悪く、ドタキャンになることも少なくありません。

 しかし、ブエノスに来ても師匠から手習いが受けられるなんて、考えてもみませんでした。ダメもとでやってみよう、と始めたスカイプでのお稽古、「芸事は続けてこそ身に着く」と思っている姐さんにとっては貴重な、貴重な時間です。それに、円秀師匠とのやりとりで、踊りの指導に役立つこと、見えてくることがちょこちょことあるのです。

 例えば、「お稽古中はとっても幸せな時間です。無心になれますから」「先生とのお稽古の時間はセラピーですね。精神的にとってもよいです」と言ってくれるお弟子さんたちがいます。最高の誉め言葉ですよね? 姐さんにとってお太鼓のお稽古の時間は、ブエノスでの生活で辛いことや、価値観の違いで悩んでしまうことを忘れさせてくれる時間でもあります。そして、日本でのお稽古のある日、「うーん、僕たち(プロは)はこのように打つけど、まぁ姐さんはそれでいいんじゃない。姐さんの個性だと思うよ」と独走する(苦笑)姐さんに師匠が言いました。今、姐さんはこの地でお弟子さんの踊りを見て、「個性」だとだれでも認める踊りが踊れるよう指導したいと思っているのです。個性を出せるには、下地がしっかり築かれていなければいけません。姐さんのお太鼓もしかりです。

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(画像上)まず師匠に譜面と、お手本の動画をメールしていただく。それをもとにひとりでお稽古。そしてスカイプでの稽古となる。パソコン画面に太鼓とバチを上げ下げする手が入るか、いちばん苦労するところ。スカイプのお稽古は日本時間の夜9時。アルゼンチン時間の朝の9時。パソコンの画面の右下に、バチを打つ姐さんの姿が小さく

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(画像上)こちらの部屋の明かりは日本に比べかなり暗いうえに、iphoneなどの文字に接している時間が長いので、視力がどんどん悪くなる。師匠にも「譜面の位置を変えたり、大きな文字に書く直すなどしたら?」と目を泳がせながらお稽古している姿がわかってしまったので、ここでのお稽古の環境を整えることも必要

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(画像上)娘から送られてくるまあちゃんや孫たちの画像で、一日の疲れが癒される。最近毎日のように見ているのが、奥中山小学校の運動会の動画。となりの校舎の支援学校の生徒たちをサポートする4年生。まあちゃんのお兄ちゃんのえい坊もまあちゃんのことをサポートしている。「ありがとう、えい坊、まあちゃん」と声を出していると、おかずがしょっぱくなっていく
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アルゼンチンと日本、同時選挙。姐さん、大事な一票を逃す

2017/10/18 22:26
 久しぶりのブログ再開です。ほぼ毎日のお稽古で帰宅すればすぐに睡魔に襲われ、パソコンを開くに至らず、残念至極の状態ではありますが、お稽古は楽しく充実した時間を持てる幸せを感じます。

◆選挙の前夜から投票終了時間まで集会は禁止、アルコール類は買えない
 さて、奇しくも今週の日曜日22日にアルゼンチンと日本が同日選挙となりました。アルゼンチンも議員選挙(上院3分の1議席の24名、下院2分の1議席の127名)。8月に行われた予備選挙(候補者を選ぶ選挙)では、現大統領マクリ率いるカンビエモスが優勢でした。
 アルゼンチンの政権について語れる材料は何一つ持っていない姐さんですが、選挙に対する国の姿勢はこの目で見ることができました。まず、選挙の前日20時から投票終了の21時まで、スーパーでもコンビニでもアルコール類は売ってくれません。レストランでも選挙法上は飲めません。8月の選挙のときに、姐さんはいつものように近くのコンビニにワインを買いに行って、売ってくれないことがわかり、がっかりしたものです。なぜアルコールが買えないか。それは選挙を神聖なことと考えるのか、喧嘩になるのを防ぐのか、と意見がわかれます。集会も禁止されています。

◆投票は国民の義務。行かなければ罰金
 アルゼンチンでは選挙権のある国民のうち、18歳〜70歳未満のアルゼンチン国籍の人が投票に行かないと、罰金を払わなくてはいけません。50ペソ(約350円)ぐらいだそうです。

◆個室での記述
 投票は小学校や中学校の校舎で行われます。日本と違うのは政党や立候補者の名前を書くのではなく、すでにこれらが印刷された紙の中から1枚とって、与えられた封筒に入れ、しっかり封をして所定の箱に入れるのです。それもひとり一部屋の空間で。合理的で記述まちがいによる無効票はでなさそうですね。でも、紙代がかかり過ぎるからと不評とか。ネット投票は不正が出るので当分はないらしいです。

◆選挙日を前に、集会やストが多発。予告なしに電車が止まる
 日本人にとって不思議な現象も起こります(苦笑)。投票日を控え、政府関係の建物が多い地域での集会は多発しています。集会があると、道路が混み、バスが路線通りに走らないことがあります。1週間ほど前はエセイサという国際空港で突然ストがあり、ほとんどの飛行機が終日飛ばなかったそうです。こちらはどうやら賃上げ要求のストだそうでした。数日前の月曜日、姐さんは直接被害にあいました。お稽古に行こうと列車の駅に行きました。プラットホームが10ほどある大きな駅です。でも、一台も列車の姿はなく、改札も開いていません。そのうち何か動きがあるだろうと、姐さんは駅前のマクドナルドでアイスクリーム(15ペソ)をのんきにペロペロしていました。そうしたら、駅に入る入口のシャッターがゴォーと音をたて、下り始めたのです。JICAからは自分の勘を信じて行動しろ、と常に言われています。「これって、変!」と思い、お稽古先の代表者に電話連絡し、ひとまず家に帰る地下鉄に走りました。あとで、列車が止まった理由を聞くと、現大統領と反対勢力の集会が2つ先の駅の地域で行われたので、そこに<行かせないため>に列車を止めたとか。こんなことがまかり通るのが不思議でしょ? ストや集会は言論の自由の範疇とは思いますが、予告なしや長時間は困ったちゃんです。

日本…投票するには「在留届」だけではダメ。「在外選挙認証」が必要
 さて、ところ変わって日本。姐さんはアルゼンチンに到着後速やかに、当地で在留届を在亜日本国大使館に提出しました。これで、在外選挙も参加できる、と思ったのは浅はか。在留届とは別に「在外選挙認証」申請を申請しなくてはいけません。この申請をすると、大使館は国内に照会をします。姐さんは日本を出国するとき、「年金や保険の手続きもあるので、1年ぐらいなら転出届を出さなくてもいい」という区役所のアドバイスもあり、転出届を出しませんでした。その結果書類上、姐さんは日本に住んでいることになり、該当区の選挙人名簿に載っています。ということで、そちらでの選挙はできません。どうしても選挙したいなら、一時帰国してするしかありません。

◆「在留届」は緊急の際に、大使館に保護を求める権利
今回の選挙、姐さんは日本が核戦争への道へと積極的に組み込まれてしまうのを、結果次第で決定づけるものだと思います。だからこそ、姐さんは自分の一票を大事にしたかったのに残念!
 ちなみに在外届とは、一時滞在(つまり日本で転出届を出していなくても)でも、何かあった場合に大使館に保護を求めることが可能な権利です。

 いずれにしても、在外選挙の手続きは複雑で、時間もかかり、投票所の大使館まで遠い道のりの人がほとんどです。投票できる期間も少ないです。組織票ではないので、保守陣営は力を入れないのでしょうが、考えものです。


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(画像上)8月の投票日の近所の小学校の風景。張り出された用紙で自分の投票の教室を確認

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(画像上)いつもは混雑する地下鉄のターミナル駅Onse。予備選挙の日は不気味なほど人がいなかった
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ブエノスも雨、日本も雨。風雨なれど逞しく、楽しく、美味しく(笑)

2017/08/12 07:41
 日本のニュースを見ると、ゲリラ的豪雨や台風……、自然災害が人々を苦しめていますね。
 こちらブエノスも雨の日が多いです。日本の地表を掘って、掘ってまた掘って(炭坑節?)到着するのがアルゼンチン。だからでもないけど、日本が雨の日はアルゼンチンも雨模様です。こちらの人は少々の雨でも傘をささず、闊歩しています。仕事で行ったニュージーランドでもオーストラリアでもそうでした。雨を雨とも思わないのは南半球の習性?

 さて、アルゼンチンは2週間の冬休みが終わりました。日本は夏休みたけなわですね。日本の娘から孫のれおくんが今年も地元岩手県二戸郡の青年会議所が主催する「カシオペア100キロ徒歩の旅」に参加した旨、連絡がありました。この旅は小学校の高学年を対象に、岩手県北二戸郡を中心にした自分たちの住んでいる地域を4泊5日で100キロ歩くのです。山あり谷あり、おとなでもかなりきついコースになります。れおくんは今年3回目、ということは300キロ徒歩を制覇した(する)ことになります。姐さんは胸をはって自分の孫を誉めます。

 2歳で弟が生まれ、4歳でさらに弟が生まれ、7歳で今度は妹が生まれ、甘える間もなかった彼は、姐さんの心配をよそに、まっすぐ、逞しく、弟や妹、特にまあちゃんには優しい眼差しを向けて育っています。優しいだけではなく、厳しさもあり、勝手な振る舞いや我儘な人にはきちんと注意します。「100キロ」の旅はそんなれおくんの心の筋肉を、鍛える助けになっていると思います。根性試しではない、困難を体験しながら、人として前向きに生きる力を身に着ける機会だと、と姐さんは思います。とっても大事なことですね。団長はじめボランティアの大学生のサポートも彼らにとって、<信頼>とか<尊敬>とか感じるられる身近な存在になっているはずですから。

 去年は姐さんも到着地点で出迎えました。「ソーレ!」「ソーレ!」「ソーレ!」と、あたりの木々が昼寝から目をさますようなかけ声をかけながら、ゴールの神社の階段を昇ってくる子どもたちの姿は、100キロの苦行をものともしない逞しく、凛々しくそしてかわいい愛しい姿でした。去年のブログ(2016年8月)を、よかったら見てくださいね。そして、今年の様子は下記のサイトです。
http://w-100km.blog.so-net.ne.jp/

 さて、姐さんですが毎日のようにお稽古。お稽古のあいだをぬって、先日はサルミエントのお弟子さんに誘われ日本語学校のバザーに行ってきました。学校運営のための資金集めのバザーです。大盛況で楽しかったです。サルミエントは花弁関係の移住者が多い地域。鉢植えの花がキラキラと笑顔を浮かべ、春遠からじとささやきあっていました。


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(画像上)雨の日の<出勤>姿。稽古着や小道具が入っているリックが濡れないように、ゴミ袋をかけていく。自称「カルトネーロ雪見」。カルトネーロとは辻々にあるごみ箱からお金になるものや、食べ物をあさっている人々。「その姿だとだれもスリをしようとは思いませんよ。逆に恵んでくれるんじゃないですか?」とお弟子さん。広いアルゼンチンで<カルトネーロ>の日本人はまず姐さんだけだろう


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(画像上)バザーの会場入り口には鉢植えの花が並ぶ。サルミエント校の名物は<うどん>。具がいっぱいのって、醤油の香りが日本人の心を温める。丼に「サルミエント日会(日本人会)」の文字

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(画像上)バザーで買った草餅。機械ではなく父兄が本格的についた餅。日本の餅より柔らかく食べやすい。同期ボランティアに配って歩いた。右はアンコが入った草だんご

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(画像上)お餅はネギとルッコラを入れて、お雑煮にして何回も食べた。まあちゃんの顔をみながら

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「ソース」まみれの食事で、日本食との大きな違いを知る

2017/07/28 08:43
 姐さんのボランティア生活も何とか3分の1が過ぎて、やれやれ。早々任期満了で帰国した同期も現れました。このままいくと、姐さんが感じているより早く任期の11カ月が過ぎるかも、と思えてきました。お稽古以外、帰国までにやりたいことがまだ見えてこない姐さんですが、とりあえず姐さんの住んでいるレコレッタ地域の気になるレストランで、呑んだり食べたりしてみることにしました。同期からは「へぇー、ひとりで行くの?」とか、「姐さんの行動力って凄いですね」とか、言われますが、おひとり様のレストラン巡りでも、気持ち的には大丈夫です。現職のときのように取材だと思えば、へっちゃらです。東京でも、まあちゃんのいる岩手でも、ひとりで呑みに行くのはしょっちゅうでしたから。ひとりで行動することに慣れていて、ほんとうに助かっています。

 6月、7月にランチしたレストランです。いずれもお天気が悪かったです。5軒中3軒は大外れでした。でも、体験することは人生にとっていちばんいい勉強です。アルゼンチンの料理のし好や、日本の料理との決定的な違いが少しずつわかってきました。


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(画像上)レコレッタ公園が見渡せる大きなレストランLA BIELA(住所Quintana 600)。皿の上にデーンとBife de Chorizo(ステーキ)が鎮座。添えられているのは愛想のないトマト(苦笑)。硬いし、味がないし、その上ナイフの切れが悪く、ゴシゴシ切っている様はビーフと姐さんの力競べ、根競べ。隣の席に飛んで行ってしまいそうな意地悪なステーキだった。アルコールなし。コーヒー、デザート(ブラウニー)、チップ込みで483ペソ(約4000円)。ショック

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(画像上)雨が続いた日の休日、家に閉じこもっていてはいかん、と思いレコレッタ公園近くのカフェへ。手始め(?)に“Picada”(おつまみ)とワインを注文。食べたのは3分の1程度。量が多いのと、ハム類、オリーブがしょっぱい! アルゼンチンでは数年前からテーブルにあるべき調味料(塩、コショウ、砂糖など)の中から塩が消えている店が多いとのこと。理由は国をあげての高血圧予防策とか。料金はおつまみ150ペソ、ワイン、食後のコーヒー(長居をしたかったので)、チップを入れて295ペソ(約2100円)。こりゃあ、贅沢しとる!!

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(画像上)姐さんの家の近所Callao通りにあるSOMMO。カジュアルな雰囲気で前菜、メイン、サラダ、コーヒー付きで125ペソ(約875円)に魅かれるのか、ランチタイムはいつも混んでいる。時間をずらして昼過ぎに入った。日替わりランチはおまかせ料理。ラッキーだった。まずはバケットパンにアボカドをベースにしたペースト状のソースがのった前菜。そしてメインは“Plato de Verde”。サラダの中に見え隠れするみどり野菜のパスタが、健康を約束してくれそうだ。ドレッシングもあっさり系で満足。あ〜来てよかった、と思ったのはそこまで。125+50(ワイン)=175ペソ(約1230円)だったので、200ペソをmozo(ウエイター)に渡した。お釣りが当然来ると思って。でもお釣りは来なかった。そのままチップとしてとられた。チップはチップとして渡すつもりだった姐さん、常識知らずに思われた(チップはくれない客)のかと思い、がっかり。料理は健康的なのでまた行くつもり、今度はクレジットカードを使ってみよう

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(画像上)この店の前を通るたびに、ハンバーガーの絵の横に「KOBE BEEF」と書かれた文字が気になっていた。隠れ家のようにこじんまりとしているのも気に入っていた。そこで一歩足を踏み出し、まだお客がひとりもいない時間に入ってみた。スペイン語が流暢に出てこない姐さんに、髭ずらの若者が愛想笑いとも軽蔑笑いともとれる笑みを浮かべながら、英語で対応してくれた。ランチメニューは豚肉、鶏肉、パスタ料理の3つから選ぶ。「4時間以上煮込んだ」と若者が力説するので、姐さんは豚肉の煮込みを頼んだ“Bondilo Braseada 4hs en Aceto”。飲み物込みで170ペソ。飲み物はワイン、ビール、レモネードの中から選べる。それならば、と白ワインを選ぶ。かなりの飲みごたえ。若者の言っていた通り、じっくりと煮込んだ肉は柔らかく「うん、おいしい」とひとりごち。だけどソースが甘ったるくて、姐さんはテーブルの上にあったマスタードをたっぷりソースに加えて食べた。添え物のベイクドポテトにフォークとナイフを入れると、中からトロリと溶けたチーズ。おいしくても全部はお腹に入らない

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(画像上)場所は姐さんお気に入りの道Rodriguez Penaに面している“PASADENA”。いつも店の前を通るとオープンテラスでお年寄りが語り合っている。そのお年寄りの姿に魅かれて入り、注文したのがRavioles de Salmon con Salsa de Camorone。ほぐしたサーモンをパスタで包み、チーズ+牛乳のソースの中に泳がせ、まわりを小エビで飾り付けた一品。アルゼンチンのカフェではおそらく定番。つくづく思う、日本のように素材を生かした料理はないのかな、って。水込みで料金188ペソ(約1320円)。お勘定を頼んでクレジットカードと身分証明書を出したら、クレジットカードはダメ、現金のみと怖い顔で言われた。現金を持っていてよかった! 店のどこかに書いておいてほしい。重ったるいソースとmozo(ウエイター)の一言も災いして、胃がもたれ深夜まで苦しかった


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(画像上)最近気にいっている食材は<ルッコラ>。味噌汁、お吸い物、煮物もちろんサラダに利用。三つ葉感覚で使っていたら、ほんとうに香りまで三つ葉になってきた。豆腐とルッコラの日本食。このシンプルさがたまらない! 満足

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(画像上)一昨日は60代、70代3人の方のお稽古。今は3人だが、来月からは6、7人になるとか。ひとりの方が庭に咲いていた沖縄桜の花が散ったから、と集めてきてくださった(左上)。おひとり様の夕食を少しでも鮮やかに、と思い並んだお皿に加えてみた。食べられないけど、塩をまぶして<さくら茶>を作るつもりだ。夕食はすべて一昨日のお弟子さんが持参してくれた品。アルゼンチン名物であるチーズのエンパナーダ(左下)、手作りのまあ〜るいカマボコ。娘から届いたまあちゃんの動画を見ながら幸せタイム。お兄ちゃんにおんぶされているまあちゃん。お兄ちゃんの頭に手をしっかりあてて、キャッキャと声をあげて笑っている。ふたりともいい子だ。子どもの笑顔あってこそのマイスイートホーム。ありがとう!!!
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治安悪化。まったく気が抜けない。スリは「スリ大学(?)卒」のプロだから

2017/07/23 00:08
 テロはないけど、アルゼンチン特にブエノスアイレスの治安はどんどん悪くなっていく気がします。インフレが進み、物価が高騰し、貧乏な人はどんどん生活苦になっていきスリや置き引き、強盗が横行する。
 数日前には公用旅券(JICAボランティアは一般旅券ではなく、公用旅券)を盗まれた隊員が出て、事務所から全ボランティアに注意勧告が出てしまいました。

 「子どもを連れてきたので油断してドアを開けたら、さっと数人がなだれ込んできてお客さんと従業員の財布、店の売り上げを全部盗られた」「臨月に近いお腹をしていた客が、突然痛いと言い出し『夫が近くで待っているから呼んでいいか』と聞かれ、もちろんと言って、入ってきた夫は強盗。彼女のお腹のふくらみは偽物だった」と、お店をやっている友人の話。だから、小さな店やレストランは入口にカギをかけているところも少なくありません。

 歩行者が歩道と車道のギリギリを歩きながら携帯電話を使っていると、バイクがフルスピードで寄ってきて取り上げる。これは日常的。

 以前、友人の家に行こうと初めての道をキョロキョロしたり、携帯で友人に道を聞いていた。すると、女子高校生数人が「ワァー、チャーミング。あなたは日本人? 中国人? 写真一緒に撮ってくださーい」と寄ってきた。姐さんがチャーミングであるわけがない(笑)、怪しいと直感し「私、スペイン語話せないの、なに?」と言いながら、その場を離れた。今思えば、彼女たちは姐さんが携帯電話をしまった場所(コートのファスナー付きポケット)を知っただろうから、一緒に写真を撮る女子、携帯を盗む女子の役割が決まっての行動だった思う。あぁー、クワバラ、クワバラ。

 仲良し同期も、数日前に地下鉄でスリにやられた。海外生活も長く、JICAボランティアも一度や二度ではないベテランさん。冷静沈着な彼女がなぜ? というほどプロの技は巧です。ひとりではなく、子どもも使って数人で、あたかも自然に「獲物(苦笑)」をとり囲んでくるから怖い。ひとりがニッコリして「獲物」の気をひき、ひとりがその間にバッグのファスナーを開け、財布などを盗む。盗んだ金や品はすぐにほかの仲間に渡す。個人主義的人種といわれるアルゼンチン人も悪さをするときはサッカープレイヤー並みのチームプレイ(苦笑)。事を起こす前に、バッグのどこに財布やiphone、ipad などの小型高級通信機器をしまったか見ていて、忍び寄ってくるので油断も隙もないです。

 スリにあった同期は姐さんの家に泊まろうと何度もSMS(ショートメール)したけど、姐さんはすでに夢の中。まだ19時半ごろなので寝てるはずはないと思い、姐さんのことが心配になったとは翌日の電話での会話。「メールにも電話にも出ないから、ワイン飲み過ぎて部屋で倒れているのかと思って、みんなで心配したよぉ〜!!」。ちなみ彼女は同期が泊まっているアパートメントホテルに行ったとか。
 心配してくれる友だちがいてありがたい。昨日は“FELIZ DIA DEL AMIGO”(友だちの日)だったので、「スリのショックから立ち直った? 今度レストランでおごるから元気出してね」とメールしました。


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(画像上)カフェでリラックス、とはいかない。以前、あるカフェでお弟子さんと話し込んでいたとき、椅子にぶら下げていた彼女のバッグの中の財布がいつの間にか盗まれた。カフェやレストランで椅子にバッグを置くということは、盗まれて当然の行為。姐さんはいつも足のあいだに挟んで、バッグの紐をしっかり踏んでいる。お守りさん(これは長野・善光寺さん)を離したことはない

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(画像上)郊外のグループは各日本人会館でお稽古。キャピタルのグループの中には独自の稽古場を持たない場合がある。そのことを見込んで姐さんは自己負担(JICAの家賃補助の上限は決まっている)で、広いアパートを借りている。ツレアイにはたいへんな負担になってしまっているけど、時間を気にせずお稽古できるスペースがあるのはありがたい。毎週火曜日と水曜日はリビングの家具を片付けて、お稽古のスペースを作る。水曜日は今が旬の若手グループのお稽古、『四季の彩』。何とか任期中に『鶯宿梅』『舌だし三番叟』をお教えしたい

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(画像上)お稽古のあとは、いつもの通りみんなで夕食。いろいろな料理を覚えてNovio(恋人)に食べさせてあげてほしい。みんなでの食事は姐さんにとって、お稽古と同じように楽しい時間。この日のメニューは<ヒジキ、油揚げ、焼き鮭の炊き込みご飯><ピーマン、ニンジン、タマネギ、肉団子の中華炒め><ダイコン、イカ、ワカメの煮つけ>。みんなおかわり。ほめてくれた言葉は「センセー、料理のレパートリー広いですね!」

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(画像上)水曜日のお弟子さんがくださった<シクラメン>。翌日は「友だちの日」だからくれたのだ。<シクラメン>はアルゼンチンでは“Violeta de Los Alpes”(アルプスのすみれ)と呼ばれている。ステキな名前だ
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お弟子さんからいただくエネルギーと食材に感謝。仲間にお裾分け…

2017/07/17 17:01
 暗黒の時が過ぎ、お稽古が順調に進むようになりました。ほとんど毎日お稽古。お弟子さんのモチベーションの高さには頭が下がります。

 雨が降り続いた10日間。不思議ですが、日本が雨だとこちらも雨になることが多いです。そんなあるお稽古日。バス停まで行こうと、傘をさして家を出た途端、風雨で傘がオチョコに。一本しか持っていない傘が全壊。こりゃ行かれないと思い、グループの責任者に電話。
 「傘が壊れ、すごい風雨なので今日は行かれないです。別の日にしていいですか?」と姐さん。と、責任者は「では、今からタクシーで迎えに行きます。みんな楽しみにしていますから」。
 すごいです。お稽古に行けば「もうお稽古終わりの時間ですか? 短く感じるねぇ」。1時間半踊っているのですが(苦笑)。

 足の手術を3カ所もして、ステンレスやボルトでつなぎ合わせ、杖をついて1時間以上かけてお稽古にいらっしゃる70代のお弟子さんもいます。お稽古のときは、杖はついていません。左右長さが少し違う足で、『川の流れのように』をきれいに踊ろうと必死です。仲間と変わらない動きで、覚えも早く、気持ちのこもった踊りを見せてくださいます。

 お弟子さんからはエネルギーと、踊りの楽しさと、人間のふれあいと、役に立っている喜びと……いろいろいただいています。おまけに予想だにしない食材もそうです。食は人と人をつなげる。そしてお弟子さんからのごちそうは、元気もごちそうしてくださいます。姐さんの踊りがお弟子さんにとって、元気の助けでありたい。


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(画像上)貴重な男性のお弟子さん2人のうちのひとり。このグループは全部で10人以上。2グループに分け、3時間少々のお稽古。お遊びで日本から持ってきたゴム製の<町娘>のかつらに大喜び。「センセー、アリガトウ! ボクイッショウケンメイ」。姐さんも一生懸命に『羽根のかむろ』で、日本舞踊の所作の基本を指導。“La espalda esta torcida.”(背中曲がっていますよ)“Cuantos anos tenes? Seguro mas joven que yo!”(あなた何歳? 私より若いでしょ!)“Doblar mas la rodilla”(もっと膝を折る)などなど。今週からは『奴さん』も指導予定。音頭は2曲覚えてくれた

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(画像上)自宅でのお稽古で大活躍は、娘が買ってくれたBOSEの小型のスピーカー(画像左)。姐さんがお弟子さんにメールでお稽古用の音楽を送信し、お弟子さんはそれを自分の携帯に入れて、Bluetoothで再生する。姐さんが小さいときは、歌峰先生がお三味線をひいてお稽古をつけてくださった。今の姐さんを歌峰先生はどんな思いで天国から見ていてくださるのでしょうか……。お稽古は『四季の彩』(大和楽)

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(画像上)バスに揺られ揺られて2時間。着いた先でのお稽古は10代から80代まで2グループ。お嬢さんたちには『藤娘』。お母様、おばあ様たちには演歌『鳥取砂丘』。『鳥取砂丘』は、赴任直前に同門姉弟子の薫先生に教えていただいた。不思議だ、『藤娘』を踊って何十年もたつのに体が覚えている。『鳥取砂丘』の稽古中にネコが出没。舞台の下からお弟子さんの踊りを見ていた犬派の姐さんは「キャー!!!!!」。まさか、お犬様ならあの電信柱にすりよってのマーキングの行為? 違いました、よかった

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(画像上)昼間我が家でお稽古するグループのお弟子さんは、何かしら手作りのお菓子や料理を持ってきてくれる。お稽古のあとに、それをいただきながらおしゃべり。この日は初めて食する<Pionono>。ツナ、パルミトをマヨネーズであえて、市販のカステラのような生地に包む。レストランではpicada(おつまみ)のひとつとして出る

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(画像上)コンニャクと味噌。両方ともお弟子さんの手作り。アルゼンチンでこうした日本の食材が手に入るのは、移住され日本の食文化を守り子孫に伝えてきた先輩たちのおかげ。コンニャクは柔らかく、臭みも強くなく刺身でも食べられるほど。味噌は絶品。米と大豆の絶妙なコーポレーション。日本ではお目にかかれない優れもの

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(画像上)『四季の彩』のお稽古が終わったあと、いつものようにお弟子さんと夕食。コンニャク、里芋、豆腐、ニンジンなどが入った味噌汁、豚肉ソティーのトマトソース添えそして炊き込みご飯。味噌は上記の味噌。おいしくできて、みんな満足

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(画像上)こちらもお弟子さんからのいただきもの。なんと、手作り奈良漬! もう、美味しいのなんのって。香りで一杯、小さく切ったひとかけで一杯、また一杯……。ご飯が、お酒(ワイン)が進むこと! 金庫に入れておきたいほどの貴重品

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(画像上)コンニャクを独り占めしては罰があたると思い、里芋、イカ、ダイコン、ルッコラと煮て同期ボランティアに。彼女たちが住むアパートメントホテルに行くと長居しそうだから、途中で待ち合わせ。「いつもすみません。これ私たちからのおみやげです。姐さん喜んでくれると思って」と渡されたのは、貯めておいてくれたトイレットペーパー、石鹸、シャンプー、リンス(苦笑)。帰宅後すぐにメールがあり「入れ物を開けてすぐにつまみ食いしてしまいました。味が染みてすごく美味しかったです!」と喜んでくれた。姐さんも「使用頻度の高いトイレットペーパーありがとう! 助かります」と返信
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お弟子さん一周忌。再亜できたのは黄泉の国からお弟子さんが呼んでくれた

2017/07/09 22:20
 アルゼンチンの踊りのお弟子さんの70パーセントは、最初のJICAボランティアのときのお弟子さんです。だからお稽古しながら、12年という月日の流れが嘘のように、タイムスリップしています 
 
 細々とではありますが、踊りを続け、踊りだけでは不十分と思い太鼓のお稽古も始めたのは、今にして思えばいつかまたアルゼンチンで踊りのお稽古ができる、との予感があったから。
 とは言えJICAボランティアへの道は、姐さんにとって決して安易なことではありませんでした。語学の試験はあるわ、要請内容に沿った専門知識、実績を問う書類選考、対面選考があるわ、そしてシニアにとっていちばん厳しい健康チェックがあります。健康チェックでは持病があっては厳しく、健康診断の数値が基準範囲より低くても高くても、はねられる可能性が大です。また、シニアが長いこと家を空けるには、介護や病人の世話があったら不可能でしょう。

 人には<めぐり合わせ><与えられた時機>がある、とつくづく思います。この例えがいいか、悪いかわかりませんが、スロットマシンで全部揃って「ビンゴ!」となって、初めてJICAボランティアに参加できる(姐さんはスロットはやったことありませんが)。今回、姐さんは自分にとって、いちばんいい時機だった、めぐり合わせがあった、と思うようにしています。まあちゃんが小学校に入り、手厚い教育を受け、環境に慣れたことは「スロット」の最初に出たステキな絵柄でした。

 そしてこの12年のあいだに浄土へと旅立たれたお弟子さんたちが、呼んでくださったのだと痛感しています。
7月2日一周忌を迎えた大庭きく先生もそのおひとりです。大庭先生は琉球舞踊の師匠でもありました。そのうえで姐さんのお弟子さんにもなってくださいました。「日本舞踊の立ち振る舞いは素晴らしい」と、何度言ってくださったことか……。
 
 一周忌は大庭先生のお宅で行われました。一周忌にお参りできたのは、先生が姐さんを呼んでくださったから。そして先生のお家まで連れて行ってくださったのは、大庭先生のいちばん弟子でもあり、姐さんのお弟子さんでもあるT子さんでした。改めてご冥福をお祈りいたします。合掌。享年79歳。

 
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(画像上)大庭先生は沖縄生まれの沖縄育ち。ご両親は戦前にアルゼンチンへ。おばあさんの下で育った大庭先生は15歳から琉球舞踊をはじめられた。「写真花嫁」で22歳のときにアルゼンチンへ。1989年には一時帰国し、4年間日本で生活。この4年間は先生にとって琉舞に磨きをかけた日々でもある。そして1992年には琉球舞踊の新人賞受賞の栄に輝く。お仏壇の横には表彰状とにこやかな先生の写真が飾られていた。アルゼンチンに来て15年間はサルミエントで花卉の仕事、その後はブエノス市内で洗濯屋。「言葉もわからず、花の仕事は天候に左右され、すべてを失ったときもある。苦しいときもやってこれたのは、努力する気持ちを失わなかったから」と、朗らかな空気をまといながら姐さんにつぶやいたのが、つい昨日のよう。上の画像は一周忌のときに、振舞われたごちそう。整体治療師の娘さん、寿司職人の息子さん、80歳を超えたお姉さんが、次から次へ手作りのお料理を出してくださった。大庭先生のお人柄が偲ばれるあたたかい一周忌。姐さんは大庭先生のご主人の横に座り、亡き人の思い出話に夢中になり、街灯が点るのも気付かなかった。そして思い出話をするほどに御馳走は次第に塩気を増していった

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(画像上)2006年に行われた日本舞踊発表会で「縁かいな」を踊る大庭先生。姐さんのつたない指導+ご自分のキャリアを生かし、いつも形にも気をくばり優雅な踊りを見せてくださった。「さすが!」と姐さんも勉強になった。姐さんが舞台に出るときは、髪を結い、化粧にも人一倍気を使ってくださった(画像が悪くてスミマセン)

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(画像上)任期を終え、帰国してからも人を介しては大好きなハチミツを送ってくれた。アルゼンチンのハチミツは種類も多く、濃くて最上級品。ハチミツの贈り物はもちろんうれしかったけど、いつも感心させられたのは、自分で縫った袋に丁寧に包装して届けてくださったこと。一事が万事、心のこもった対応をしてくださった。日本に住む日本人すら忘れかけている思いやりの気持ちは、まわりに平和と安らぎを届けていた。それ程情けの深い方だった


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(画像上)先週の水曜日は、姐さんの自宅で、『四季の彩』(大和楽)のお稽古4回目。若手のお弟子さん5人のグループ。この日はひとり欠席で4人が約2時間半のお稽古をした。手順を覚えるのは早いので、どんどん先に進むことができるが、一つひとつの形、手の動き、目の動きを徹底的にお稽古。「ドキドキ、ドキドキ。センセー、コワーイ」とも。何を言われ、思われようと、いい舞踊家に育ってほしい。「この人がいるから、お稽古のしがいがある。楽しい」ってお互いに思われる関係でありたい。21時過ぎにお稽古が終わってから、姐さんの手作り料理をみんなに振舞った。というより、一緒に食べてもらった。酢豚、里芋とイカの煮つけ、そしてボランティア仲間からもらった貴重品タイ産「トム・ヤム」で作ったスープ。「トム・ヤム」はトム・ヤム・クンの素。辛みがたまらない。スープの具はエビ、長ネギ、シイタケ。「おいしい、おいしい。先生に踊りのほかにお料理も習わなくては」と言ってくれた。食べてくれる人がいるから、料理は作り甲斐がある
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体重ではなくて、「目方」を計った気分。アルゼンチンのスグレもの

2017/07/03 02:30
 JICAの試験に備えて健康管理を始めたのは、季節が春から夏に移った去年の今ごろ。そして、その結果ピーク時より8キロ減量できました。アルゼンチンに到着してから、活動が進まなかったり、安全面での緊張が続いたりで精神的に「まいったちゃん」になった時期がありました。要するにストレスと重度のホームシック(苦笑・友人曰く)ですね。自分としては一日1万歩を歩くよう心掛け精神面はともかく、健康管理には十分注意したつもりです。朝は玄米に味噌汁、夜もせっせと自炊。ストレスと健康管理(?)で、日本にいたときより痩せた、と実感したものです。
 そこで6月のある日、同期が活動している病院で体重と血圧を測らせてもらいました。体重は学生時代に戻ったように減っていました。わずかですが50キロを割ったのですから。血圧は高低の差は少ないものの許容範囲でした。健康的にはまったく問題ないと自覚できよかったです。

 姐さんより、日本にいるツレアイや娘が病気になったり、腰を痛めたりで心配です。そんな中、数カ月毎に盛岡の大学病院で肺のエコー検査を受けるまあちゃんは、<肺高血圧>ぎみであるものの家でも学校でも、放課後の施設でも元気いっぱい、絶好調との知らせに安堵している姐さんです。まあちゃんは現在小2。1年のときの担任の先生が持ち上がってくださったと聞いたときは、ホッとしました。日本にいるとき、過保護ばあちゃんと思われたと思いますが、何度もまあちゃんの学校訪問をしました。まあちゃんの学校のどの先生も教育者として、きちんと児童に接してくれて安心したものです。信頼できる先生にお世話になって、まあちゃんは幸せ。きっと学校生活を楽しんでいるでしょう。忙しい娘からは画像も動画も来なくて、想像ですが(苦笑)……。


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(画像上)「えっ、私これに載るのですか?」と思わず言ってしまった体重計。そう言えば姐さんが小さいときはこんな感じでした。自分の指で秤のような(?)ものを動かし、調整して体重を確認。デジタルの世界で、こんなアナログに出会うとホッとする。素晴らしきアルゼンチンの一品

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(画像上)画像データをやり取りするのに、USBを買いに行った。出された商品は画像の上のもの。下の日本製とはずいぶん違い、不安になってほんとうにこれが使えるか何度も確認。日本の品は見栄えもよく作られているのだ。アルゼンチンのはシンプル。合理的といえば合理的。4GBで175 ペソ(約1200円)。家に帰ってパソコンに差し込んだら、ちゃんと使えた(笑)

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(画像上)1年生の終わりに、1年間の活動アルバムを学校からもらう。まあちゃんは姐さんと競うように、何度も何度も自分の写真を見ては、声を出して笑っていた。まだ時折雪が降る奥中山に、まあちゃんの笑い声がいくつもの山や丘を越えて、木霊した。春の訪れを予感させる澄んだ笑い声と、可憐な花を思わせる笑顔だ。今はきっと農家が活気ずく種蒔きの季節。濃い緑の精気の中で遊ぶまあちゃんの姿をいつも想像

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(画像上)1週間ほど前、お弟子さん一家とパリージャに行った。正確には招待された。パリージャとはアルゼンチン料理の最高峰、炭火で焼いた牛肉を食べさせるレストランのこと。上の画像は山盛りの焼き肉(アサード)を見て、思わず歓声をあげる姐さん。下の画像はかねがね食べてみたいと思ったこれまたアルゼンチン名物のデザート<Dulce de Batata y Queso>。これは芋羊羹にそっくりな甘いお菓子(さつま芋を使っている)とチーズを一緒に食べるデザート。赤いのはメンブリージョという果物とチーズ。チーズとのミックスが絶妙。アルゼンチンの乳製品は確かに美味しい。お土産に持って帰り、婿殿にごちそうしよう。もちろんまあちゃんにも食べてもらおう。楽しみ。早くその日がこないかなぁ〜!!! 風よ、月日をどんどん流して〜
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郊外に出稽古で夜明け前に出発。南半球、太陽が出るのは東?西?

2017/06/27 11:35
 今朝は4時半に起き、Jose C Pazという郊外の日本人移住地に出稽古に行きました。ブエノスの中心地にあるRetiro駅から列車で約1時間15分かかります。
 今日は最初のお稽古日だったのでJose C PazからRetiro駅まで、お弟子さんがわざわざ迎えに来てくれました。ありがたいことです。
 お稽古場はJose C Pazの駅から歩いて15分ほどのサルミエント日本人会館です。ここには日本語学校があり、平日の3日間と土曜日に日本語の授業が行われます。平日の生徒は現在10人以下ということで、先生の数と同じぐらい。マンツーマンに近く、きっと充実した授業が行われていることでしょう。

 日本舞踊のお弟子さんは、この日本語学校の先生がほとんどです。70代から20代までの8人。今日は2時間たっぷり『天竜下れば』をお教えしてきました。2005年のボランティア以来最初のお稽古日でしたが、緊張感もなく、なんとも和気藹々で楽しい時間でした。若い人は覚えるのが早いですね。予定の倍も進んでしまいました。帰国までに二曲教える予定ですが、一曲増やしたほうがよさそうです。「手順を覚えるだけではダメ、形よくね。役になりきって」と自分のことは横に置いて、お弟子さんに力説してきました(苦笑)。

 アルゼンチンに来て、どうも理解できないのが「南半球は太陽はどっちから出るの? 東? 西?」ということ。夕方歩いていると、日本と沈む位置が違うように感じるのです。ツレアイに聞くと「東から出て、西に沈む。日本と違うのは太陽の周り方。日本は南向きの部屋が温かいけど、アルゼンチンは太陽の通り道の北向きの部屋が温かい」と説明してくれたけど、イマイチよくわからないのです。これは帰国までに納得できるよう観察しなければ。渦は日本と反対で時計まわりですよ。


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(画像上)アルゼンチンは今、初冬。夜明けは7時半ごろです。朝食を作り、洗濯をして、夕飯の下ごしらえをして、メールをチェックして、自分のお稽古をして、家を出たのは7時15分。まだ夜明け前の暗闇。大通りの向こうのラプラタ川あたりから夜が明けてきた。ということは東の空が明るくなったってこと!?

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(画像上)Jose C Pazはいわばベッドタウン。郊外の町では仕事がなく、セントロ(都心)まで仕事に出る人たちで通勤時間は満員となる。ディーゼルで走り、つい最近までドアは空きっぱなし、乗客はドアの部分に座ったり、屋根に座ったりもしたらしい。ちなみにJose c Paz(ホセ・セ・パス)とは人の名前。Retiro駅を出ると右側にはVillaと呼ばれるスラム街が続く。一種独特な佇まいと雰囲気で直視していいものか、わからない

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(画像上)通勤の緊張と2時間の踊りづめで少々疲れ気味。夕食はBife de Chorizo(サーロインステーキ)。100g約160円。画像は約150gだから240円のステーキ。<いきなりステーキ>よりはるかに安く、美味しい! 肉につけて(のせて)食べるソースのSalsa Criolla(またの名をChimichuri)も今朝作っておいた(画像、お肉の手前左側)。材料はニンニク、トマト、タマネギ、アボカドのオリーブオイル漬けで、初めて作ったわりにはなかなか美味しく、満足。おひとり様夕食の寂しさを解放してくれるのは、まあちゃんの動画。そして同期ボランティアが教えてくれた<Key Hole TV>。<Key hole TV>は年間80ドル払えば、日本のテレビ各局、ラジオ(FMも)とCNNをパソコン上でライブで見ることができる。NHK大河ドラマもこれでオッケー
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インフルエンザ大流行。マスク姿で出稽古に。子どもは奇異の眼差し

2017/06/25 09:44
 お稽古はほぼ毎日行われます。火曜日だけ姐さんの家でお稽古。ほかの日は各グループのけいこ場まで出稽古にでかけます。

 月曜日のグループには『日本晴れ』(音頭)、『浅草詣り』(端唄)、『江戸風流』(大和楽)
 火曜日のグループには『川の流れのように』
 水曜日のグループには『四季の彩』(大和楽)
 木曜日のグループには『天竜くだれば』(新民謡)
 金曜日のグループには『さくら音頭』(音頭)、『羽根のかむろ』(長唄)
 土曜日のグループには『花笠日和』(舞踊小曲)
 日曜日のグループには『風薫る』(端唄)、『潮来出島』(小唄)、『元禄花見踊』(長唄)
を指導しています(予定も入っている)。

 日本舞踊って、不思議です。踊れば踊るほど、お稽古している踊りが好きになるのですから。お弟子さんたちが「楽しいです。難しいけど、ほんとうに楽しいです」って、言ってくれるが何よりの励みになります

 ブエノスは今、インフルエンザが大流行。お弟子さんもボランティア仲間も寝込んでいる人が少なくありません。発熱、身体の痛み、吐き気、下痢と全身にわたって苦痛があるようです。おかげさまで、ほんとうにおかげさまで、姐さんは風邪もひいていません。睡眠を充分とって、手洗いとうがい、消毒の効果でしょう。多少活動に影響があっても、疲れたら休息をとり、無理せず、病気せず、でいようと誓っている姐さんです。


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(画像上)出稽古風景。マスクをしてバスや地下鉄に。マスクをしている人なんて一人もいない(苦笑)。大人はマスクの存在を知っているようだが、子どもは姐さんのマスク姿を見て、奇異な眼差しを。でも気にしていられない。自分の身は自分流に自分で守らなければ。画像は鏡に向かっての自撮り。稽古着や小道具をつめたリックは重い

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(画像上)姐さんのアルゼンチン生活に欠かせないのが消毒用のウエットティッシュ(Toallas Humedas Antibacteriales)。薬局で2×3など(2個買えば3個つく)の安売りにまとめ買い。安いときは1個(50枚入り)150円ぐらい。この消毒ティッシュは手をふくだけではなく、床掃除やテーブル拭きなどにもよく使う

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(画像上)水曜日の出稽古前に今は休んでいるけど、古いお弟子さんが姐さんのひとり暮らしの様子を見に来てくれた。どんなものを食べて生活しているか、試食してもらった。<昆布の酢の物><ナスの煮びたしほうれん草添え><野菜たっぷりの白和え>。昆布の酢の物にかぶせてあるのは、ペットボトルの頭の部分を切ったもの。もともと作り置きのだし汁やお茶の「じょうご」に使っていた。しかし、同期が泊まっていったとき「なにこれ? じょうご? 私は料理の残り物の蓋がわりにしてる」と聞いてから、姐さんも利用の範囲が広がった。ナスの煮びたしとほうれん草は、同期の家にお呼ばれしたときのパクリ(苦笑)。こちらのナス(大きな米ナス)は美味。お弟子さんたちは「どれもこれもいい味です。健康的な食事ですね」と満点をくださった。昼からワインを少々

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(画像上)20日の火曜日はアルゼンチンの国旗の制定者ベルグラード将軍の死去した日「国旗の日」で祝日だった。同期の派遣先に<ろくろ>を食べにお呼ばれ。そこの重鎮から何と梅酒を頂いた。梅のエキスを吸ったあまーい香りが心の奥までしみ込んだ。翌日には焼酎(こちらのお酒)に漬けこんだ梅まで頂いた。育ちのよさを感じる梅の香り。また、水曜日のお稽古日にはお弟子さんからタケノコと手作りの味噌を頂いた。タケノコは灰汁をとり、水煮になっていた。味噌は米と大豆から作った天然ものの白味噌。この味噌が戦前戦後アルゼンチンに移住し、開拓、開墾に寝る間も惜しんで身を削ってきた日本人の命を救う糧だったと思うと、自分にとっても元気の源になるはずだ。一粒たりともおろそかにできない。日本人の知恵の結晶の貴重な一品だ。数日前に受けた屈辱的な言葉に流した涙から、心あるお弟子さんたちから受けた親切で、うれし涙へと変わっていった

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(画像上)頂いたタケノコでちらし寿司を作り、同期に配って歩いた。気の合う同期はありがたい。「お弁当ごちそうさま」と、渡されたビニール袋には石鹸やシャンプーがいっぱい入っていた。アパートメントホテル住まいの彼女たちは、自分たちは使わないで(?)姐さんにまわしてくれる(苦笑)

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(画像上)昨日の週末は同期3人で珍しくレストランに行った。日本食レストラン。集合したのは午後8時過ぎ。三人とも活動の帰りだ。場所は最近頻繁に行われるデモの集合場所<五月広場>の近く。土日の日中にはバザーが開かれ、人気カフェが集まる通りは賑やかだけど、一歩路地に入れば真っ暗。ホームレスもいるし、気勢をあげている若者集団もいる。そんな中、集合場所を探すのはかなり勇気がいった。「今日はお腹いっぱい食べよう! 飲み物は自分が持つからたくさん飲んでください」の同期の一言で、エビフライ、揚げ出し豆腐、刺身、寿司、餃子、豚キムチなど盆と正月がいっぺんに来たようなテーブルだった。食事代はきちんと割り勘で払ったのは覚えている。帰りはタクシーの相乗りで帰宅。深夜のドライブの如く、質(たち)の悪い運転手にかなり回された。姐さんが最初に下車したけど、最後の同期はいくら払わされたのだろう。食事代より高くついたかも。今日は怖くて財布の中身も見られなかったし、タクシー代がいくらだったのかも怖くて、同期にSMSできなかった。明日はちゃんと連絡してタクシー代もきちんと割り勘にしてもらおう。みんな同じように少ない日当で生活しているのだから 
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やっと近郊のお弟子さんたちにも会えた!うれしい、感謝の一言

2017/06/19 00:56
  この1週間以上、インターネットが不通でした。モデムの不具合で今日やっと、工事の人が来てくれて開通しました。最初に設置してくれたエンジニアがチョンボをやらかしたみたいです。あっち向いても、こっち向いても、何かしらチョンボされるのがアルゼンチン。3カ月も暮らしてみるともう慣れました。

 ブログがアップできない日々でしたが、この間にうれしいことが、とってもうれしいことがありました。それは、巡回指導でまわるブエノス市外の移住地のお弟子さんに会えたからです。

 2005年の最初のボランティアのときは、着任早々配属先主催でお弟子さんたちとの顔合わせ会がありました。各代表者や当日出席できる方たちとの賑やかな食事会でした。皆さんの顔を見て、安心したり緊張したりだったのがつい先日のようです。

 今回来たら顔合わせをしていただく様子がないまま、1カ月、2カ月が過ぎ、もったない日々が去っていきました。「要請かけられたのに、私って歓迎されていない?」と疑心暗鬼なっていた今日この頃。<しらゆり会>のメンバーが、発表会の反省会と懇親会の名目でティーパーティーを開き、姐さんをそこに呼んでくれたのです。お弟子さんたちは忙しいので全員とはいきませんが、2005年のボランティアのときのお弟子さんもたくさんいらして、タイムスリップしたようです。10年以上たっても変わらない、若い! これは踊りを続けているからにほかなりません。
 日本舞踊の主催団体であり、配属先でもある団体の関係者はだれも来ない、というのがとっても不思議でしたが、幸せな、幸せな時間でした。ありがとう! お弟子さん、しらゆり会のお嬢様たち! 移住地のお弟子さん、バリバリお稽古しましょうね!

 そうそう、このブログの前の「いのちのケア」の記事は4桁に届きそうな、この何十年の中で最高のアクセス数でした。やっぱり、命のケア、そのための行動力大事だよね。


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(画像上)テーブルにのりきれないほどのお料理が次から次へ。アルゼンチン名物手作りのエンパナーダ、サンドイッチ、巻き寿司、お饅頭、カステラ、そして蒲鉾。蒲鉾も手作り。メルルーサ(鱈の一種)をミキサーにかけて作るそうです。美味しくて、美味しくて「晩酌のつまみに頂いて帰っていいですか?」と思わず言ってしまった

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(画像上)5月に行われた発表会(これはそのうちアップします)の引き出物。<しらゆり会>のメンバーの手作りの手ぬぐい。日本でも歌舞伎の襲名披露や初舞台のときに、役者さんが舞台から投げてお客さんに配られますね。上品な藍色のユリの花が瑞々しく薫っていた。彼女たちのセンスが生きている。一生ものの記念品

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(画像上)お弟子さんたちとの顔合わせが行われたのは、毎週月曜日に行っている稽古場。その稽古場には姐さんのアパートから地下鉄で行く。週末には多くの駅や地下鉄の車内で生演奏が行われている。素晴らしいと思った人は、楽器入れなどに小銭やペソを投げ入れる。この日はトランぺッターがムードミュージックを演奏していた。かなり古いが姐さんが学生時代よく聞いたアンディーウイリアムスの(苦笑)。「顔合わせ」と帰りの駅でのムード音楽。アルゼンチンに来てよかった、と思った

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(画像上)地下鉄H線は2005年にはなかった。新しい線でとてもきれいだ。エスカレーターもエレベータも完備され、障がい者にも年寄りにもやさしい。豆電球が人恋し気に点灯している。線路の向こうをたどて行けばまあちゃんのいる奥中山に続いているなら、何日かけてでも歩いていこうと思った。まあちゃんに会いたい、会いたい! 人の悪口を言わず、損得を考えず、欲望のない、純な気持ちのまあちゃんに

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(画像上)この日の夕食は、前日に友人宅で持たせてくれた<すき焼き>と自作の<昆布の中華風酢の物>。すき焼きにはうどんも入っていた。娘がメールで送ってくれたまあちゃんの笑顔の動画を何十回も見ながら、いつものように寂しいおひとり様夕食
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大家さんからストーブが届く。「寒い・暑い」より大切なのは命のケア

2017/06/11 06:43
 5度以下の気温の中で暖房はなく、シャワーを浴びればお湯から水への急転直下。最初の数週間はこれは水行だな、とまあちゃんの健康を祈って、ゴシゴシと日本と同じように朝シャンしていました。でもさすがの姐さんも体調に影響を及ぼし、契約時にお世話になった不動産屋に連絡しました。『「暖房がいつ入るのでしょうか? このままなら私は体が悪くなるので、ここを出て行きます」と大家さんに伝えてほしい』と。

 それから2日後に、アパートの管理人と大家さんの友人(英語が話せて、姐さんとコミュニケーションができる)が大小2台の電気ストーブを抱えて、我が家にやってきました。電気代がかかりそうなストーブでしたが、スイッチを入れっぱなしで寝ると、汗をかくほどの迫力です。これで、寒さに震えることはないでしょう。

 日本人なら穏やかに交渉することができることでも、ここではしてほしいこと、守ってほしいことなどは、確約を取るまで言わなくてはなりません。疲れる社会です。かくいう姐さんも、自己主張の強い女性と思われているかもしれません。ある社会においては……。

 寒いのすったもんだはちょっと時間はかかったけど、これで解決。ストーブが届いて寒かった辛さは、少しずつ薄れる。でも、命にかかわる問題が生じたら、すぐに忘れるなんてできないです。そして命にかかわる問題が生じたときこそ、人となりがわかりますね、つくづく、しみじみ、と。

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(画像上)これでどうだ、と半端ではない大きなストーブ。早くスチームが動けば、そのほうが安全だ。スチームはいつ動くのだろう。大家さんからは「安全性に問題があり、まだ当分動かない」とのこと。「安全性」の一言に今、敏感な姐さん

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(画像上)最近のお話。ブエノスに暮らす友人が災難にあった。さぞ心細い一夜を過ごしただろうと思うと、可哀そうになる。災難にあったのはたまたま友人で、姐さんだったかも知れない。姐さんならすぐに飛んできてほしい人がいる。それはやっぱり「頼りにしている人」。家族? 恋人? もし、家族とか恋人がすぐに来られない状況なら、やっぱり所属組織の担当者や上司、長だよね? 姐さんができることは顔を出すこと、お腹を満たしてもらうこと。かけつけたときのお弁当は、材料は限られてもやっぱり日本食。それもノリ弁。ツレアイから届いたDVD「のんちゃん のり弁」(小西真奈美、岸部一穂、番倍賞美津子主演)を観た影響かも。ポテトサラダ、豚肉の生姜焼き、ダイコンとワカメとシイタケの煮物、鮭入りのり弁、そしてほうじ茶。2日目はお弟子さんから頂いた竹輪とワカメの煮物、2段重ねののり弁。災難にあったのは姐さんだと、勘違いした知人とお弟子さんなどから、お見舞いのメールや電話がすぐにあった。さすが狭い日系社会。口に戸は立てられない。

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(画像上)自分も食べたくて、12年前によく行った<Dos Escudos>のプチケーキもお土産に1個10.50ペソ(約75円)。美味しい

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(画像上)今日はこれからツレアイの友人宅にお呼ばれ。こちらの夕食は8時から始まるのが常。お土産代わりに手作り料理を用意した。リクエストに応えてちらし寿司。これに最近凝っている昆布と野菜の中華風酢の物。昆布は中国産。ここでは中国産は嫌だ、なんて言っていられない。焼き豚も作ってみた。香菜と一緒に食べてもらおう。夜道歩いて1時間。大丈夫かナ、ちょっと不安。帰りは夜中になるからタクシーに乗ろう
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ボランティアは活動してこそハッピー。寒さにも耐えられる

2017/06/04 01:18
 思うように進行しない今回の活動です。でも、何とかお弟子さんたちに喜ばれる活動への見込みが見えてきたので、ホッとしました。

 先日はボランティア仲間の要請でイレギュラーなグループへ指導に行きました。珍しく男性のお弟子さんが2名も入門。日本舞踊ははじめてというみなさんですが、お稽古することは憧れだったとかでモチベーションは高く、2つのグループ、それぞれ1時間半のお稽古の集中力はすごかったです。
 まずは日本舞踊をお稽古する心得、あいさつの意味、仕方の講義、そして日本舞踊の基本の歩き方、肩のおとし方、手の形などを実習。「羽根のかむろ」の一部を基礎実習としてお稽古しました。「はねのまぐろ」なんて間違って言う人や自分の歩き方の姿を見て笑う人など、和気あいあいの雰囲気。みんな苦心して形を作っていましたが、楽しいって言ってくれました。姐さんに要請をかけてくれたボランティア仲間も一緒に帰りながら、「ありがとう。私自身も基礎からお稽古ができるなんて幸せ!」って言ってくれました。

 何語で教えるかって? 日本語とスペイン語のバイリンガルのお弟子さんがいるので、日本語です。

 みんな「楽しい」って心から言ってくれたので、とってもうれしかったです。自分でやってこそ、みなさんは日本舞踊の難しさがわかるし、姐さんは初心者の方を見ていて、ほんとうに日本舞踊ってたいへんなんだな、と思えました。ここまでこれたのはひとえに、歌峰先生のご指導のおかげ。そして同門先輩たちのサポートのおかげです。

 お稽古しているあいだは、ここ何週間の迷いが消えました。やはりボランティアは活動してこそ、です。そのために来たのですもの。

 姐さんは配属先の意向ファーストで出稽古に行くのはもちろんですが、時間が許す限り日本舞踊を習いたい人たちにお教えしたいです。


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(画像上)お稽古に使うCDやテープを荷物の重量制限のために持ってこれなかったので、邦楽や映像はすべてパソコンに入れてきた。必要な邦楽を各お稽古のグループにメールで送り、CDなどにコピーしてもらう。それができないときは、携帯に音を入れ稽古場でブルーツースでスピーカーに飛ばすことになる。コンパクトスピーカーは、こんなときのためにと娘が買ってくれた。ブエノスでは多くの人がスマートホンを使っている。でも、盗まれることも多いとか。歩きながら話していたら、バイクに乗った盗人にあっという間にとられたとか、バスの窓際に座って話していたら、外から手が伸びてきて盗られたとか……。当たり前に横行していることが怖い。絶対に外で使わないようにしている。どうしても使わなくてはならないときは、カフェに入るか、四方八方ぐるりと見渡し、だれもいないことを確認して使っている

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(画像上)姐さんの「通勤風景」。リックに着物、小道具を濡れないように詰めて出稽古(師匠が稽古場までいくこと)に。歩ける距離(片道1時間ぐらい)は歩くようにしている

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(画像上)昨日はお天気も良く、暖かったので過ごしやすかった。それにいいことがいくつかあった。ブログを見て「なんか寂しそうだったから、大丈夫ですか?」「JICAのお手当てだけでは苦しそうですね、この際、慎ましい食生活で健康な体を作りましょう」と、最初のボランティア時代にサポートしてくれた恩人やボランティア仲間から電話やメールをもらったこと、先の見えない地域への活動が具体化してきたこと、そしてお稽古を心から喜んでくれる新しいお弟子さんと出会ったこと。でも、家に戻りがっくり。インタ^ネット会社から請求書が届いていたことだ。もうお金の話はやめようと思ったけど、請求金額約1,960ペソ(1万3,720円!)。明細をみるとこれから毎月約7,000円必要になる。頭の中が真っ白。パソコンなしでは生活できないから。サービスアパートメント組は宿泊料込みで自己負担なし。賃貸組の中にも家賃に含まれている仲間もいる。要注意ポイントだった! アホの姐さん
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貧乏は決して恥ではないけれど、お弟子さんにおねだりするのは恥

2017/06/02 05:56
 アルゼンチンは今日から6月。日に日に寒くなります。街路を埋め尽くした枯れ葉も、冷風に舞いながらどこかに飛んで行ってしまいました。
 人生の黄昏時を迎えた姐さんが今ごろこんなことに気が付くなんて笑われますが、この時期にブエノスにこなかったら、きっと<当たり前>と受け流していたかもしれません。それはお金の苦労なく今まで来られた<シアワセ>のことです。

 実家が倒産の憂き目に合う前に結婚したので、結婚前は大学に行かせてもらい、踊りも習って人並み以上の生活をさせてもらえていました。結婚後もサラリーマンとはいえ経済力(稼ぎがいいのではなく、お金の貯め方を知っている力)のあるツレアイなので、姐さんが財テクの心配をすることなく好きな仕事を続けられました。そして婿さんがこれまた働き者で、気前が良く、人柄もいいので姐さんの「人財産」は増え、年金とわずかなバイトでも豊かな生活をおくることができています。

 貧乏は決して恥ではない、しかし「捨てるようなタオルがあったら頂戴」「使わなくなったマフラー、セーターがあたら貸して」なんて、お弟子さんにお願いしている(おねだりしている)自分が今は情けない、恥だと思います。ツレアイからは毎日のように「あなたには、ケチケチ人生は似合いません。私がチャリンチャリンしているので(チャリンチャリンとは、仕事をして貯金箱に入れる意)、お金のことは心配しないで布団でもセーターでも買ってください! 栄養もつけて」とメールがきます。でも、無理して言っているのは見え見えなんです。これからお互い何年生きるかわからなし、いつまでも働けるわけではない。正直厳しいですが年金以上のお金を引き出すことないよう、努力しまス!お金の話はもうやめまス。


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(画像上)重量も決まっているので、着物主体で洋服、それも重い冬物まで持ってこられなかった。膝かけもスリッパもマフラーもセーターもお弟子さんからの借り物、頂き物。おねだりした後自己嫌悪に陥ったけど、これらがなかったら凍えていた。ありがたい。みんなの心に報いるのはただひとつ、きちんと踊りをお教えすること

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(画像上)今朝も寒かった。指がかじかむほど。部屋の中では洋服4段重ね(笑)に毛布をかぶっている。毛布は引越しのときに寝具がなかったのを気にして、不動産屋の営業ウーマンが新品をプレゼントしてくれた。軽く温かい。絶対に日本に持って帰る! まあちゃんと寝るときに使おう

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(画像上)昨日はあまりの寒さに耐えきれず、体調も下降気味だったので、火灯しごろ往復歩いて6キロの大型スーパーに行き、布団を買ってきた。599ペソ(約4200円)。日当パァー! 羽根布団ではないけど、こちらも軽くて温かい。日本に持って帰ろう! 一枚重ねただけで前日とは雲泥の差。温かいって幸せだ。カーテンのあいだにあるスチームに湯が巡回するのはいつだろう。ほんとうに暖房になるのかしらん。お飾りだったらここを出て行こう。しかしこの寒さに耐えられるんだから、奥中山でも大丈夫。でも、奥中山のまあちゃんの家は床暖房で、冬でも半袖だった

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(画像上)緊急時には使っていい、とツレアイから言われているシティーバンクのカードがある。アルゼンチンのシティーバンクはSantander Rioという銀行に買収されたばかり。1カ月ほど前に同期ボランティアに付き添ってもらって実験はしたけど、姐さんのアパートから離れたところだったので、今日は近くのSantanderに再度実験的に行ってみた。200ペソ(約1400円)おろすのに、手数料はおろすお金の約半分93.60ペソ。おろせるのはわかったから尻尾をまいて家にもどった。何度もおろしたら手数料だけでたいへんな金額になる。しかし手数料もったいなさに、家に大金を置いておくのは危険だ。どうしたらいいのだ!? そうそう500ペソの紙幣があるのにビックリ。最初のボランティア2005年では、100ペソ遣いきるのにずいぶん時間がかかった。今では500ペソ紙幣が枯れ葉のように消えていく
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家探しは困難A 足が冷たいのは一人寝のせい? 暖房のチェックも

2017/06/01 01:58
 シャワーのお湯が急に出なくなったり、停電が起こったり、インターネットが使えなくなったりはこちらでは当たり前。最近ではアタフタしなくなった姐さんですが、パソコンと携帯のどちらかが繋がらなくなったら、とても不安になります。何といってもいざという時の命綱ですから。先日も急に携帯のメールが使えなくなり、同期のドクトールエンジニアのお世話になりました。

 借りているアパートを出るときは、大家によって厳重なチェックがあります。契約書には皿は何枚、スプーン何本とA42枚にわたって、提供された家具や食器のコンディションが明記され、出るときに無くなっていたり、壊れていたりしたら前納している1カ月分の家賃(保証金)全額が戻ってこないどころか、追加金を払わされる恐れがあります。もう、住んでいてもヒヤヒヤ。コップは使わず、スーパーで紙コップを買って使っていたり、入居したときについていた椅子のシミは画像にとっておき、ガラスのテーブルにはカバーをして、傷がつかないようにしています。

 今最大の悩みは10度にならないと、暖房が入らないこと。朝晩の気温は11度〜13度で寒いです。ブクブクに着込んでいます。

 家を借りるときは、水、お湯の出具合、トイレの水の流れ具合、家具の傷の確認、壊れやすいものはあらかじめ引き取ってもらう、冷暖房の確認など、しっかり起動させて細かいことに注意しないとダメですね。契約の社会だから、こちらも負けずに主張、確認しないと。早く任期の11カ月経過しないかなぁ〜。


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(画像上)必要ない椅子はシミや傷を増やさないように、カバーをしてベッドルームに。ソファーも同様にお弟子さんが貸してくれた防寒布を敷いている

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(画像上)古い家なので隙間風が入る。エアコンの隅間からは冷たい風とハトの臭い。耐えられなくてスーパーで床拭きぞうきんを買いカバーにした。風が入らなくなり、我ながらいいアイデア
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(画像上)ベッドの中にペッドボトルが2つ。なぜ? 寒くて、足が冷えて、ベッドの中でもガクガクと震えている夜の防寒グッズ。その名も<ペッドボトル湯たんぽ>。日本の友人、人生の先輩が「寒い日はね、姐さんがくれた綿入れ半纏を着て出かけ、夜はペッドボトルの湯たんぽ入れるの」と言っていたのを思い出してやってみた。かなり効果的。でも、薬缶からペットボトルにお湯を注ぐとき、注意しないとアルゼンチンのペットボトルは歪んで、つぶれていく。クオリティの差は大きい。お茶の代わりにショウガとハチミツで生姜湯を作って、体の中から温めている。こちらの効果はわからないが……


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(画像上)一日日当2560円(光熱費、食費、交通費などすべて)の身、節約節約生活で外食などもってのほか。ランチで日当が消えてしまう。はっきり言って、日本の方が物価が安い。そんな身ながら、昨日はお稽古用の電源やパソコン、CDプレーヤーに必要な延長コードと、いつ起こるかわからない停電に備えて懐中電灯を買ってしまった。単4電池5つを含めて426ペソ(約3000円)。電気屋の近くに新鮮な八百屋さんがあったので、ほうれん草とトマト2個、ショウガ1パックで89ペソ(約630円)。これだけで、有に日当が消えた(涙)
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日本から小包届かず初めて泣く。日本とは違う生き方、考え方の数々

2017/05/26 13:58
 ところ変わればすべての暮らし方が変わるのは当たり前です。そして、12年前にはスムーズに運んだ出来事が、時がたてば困難になるのも、これあり得ること、とわかっていてもここ数週間の気苦労で、姐さんは正直まいってしまいました。

 それは先日21日に行われた<日本舞踊発表会>に続いて、6月の初めに別な大きな舞台出演を頼まれていました。その舞台の会場は同期ボランティアが配属され、活動しているところです。同期からの協力要請とあれば、万障繰り合わせて協力したいと思います。ボランティアに必要な条件Bボランティア同士は協力し合ってこその活動(持論です。あくまでも)ですから。
 ところが、そんな大舞台に出るとは思わなかったので、着物の持ち合わせがありません。そこでツレアイにいちばん豪華な着物を送ってもらいました。確か、出発前に読んだアルゼンチン情報では2キロまでの荷物(EMSの航空便。一般郵便船便システムはアルゼンチンー日本間はない)なら、JICA事務所に届くと記載されていた気がしたのです。だからツレアイには着物を頼み、従姉妹には長襦袢の発送を頼みました。両方ひとつの箱だと2キロは超えてしまうので。

 過去の経験からEMS(書留航空便)は日本を出て5日でブエノスの受取人住所に到着するのです。ところが今回は待てど暮らせど、到着しません。ツレアイからは「届いた?」と心配そうなメール。姐さんも届いた、と早く知らせたかったのですが、まったくその兆しなし。1週間、2週間……。自分の気は焦るし、仕事が忙しく、しかも送ってくれた当時は病気で通院していた夫のことを考えると、申し訳なくてスカイプ(無料映像電話)しながら「せっかく送ってくれたのに、お金も使わせて、迷惑ばかりかけてスミマセン」と言いながら、泣いてしまいました。娘からは「ママって泣かない人だよね」と、以前はよく言われたものですが……。

 そんなある日JICAの事務所に姐さん宛ての手紙が一通。ブエノスの郵便局からでした。「日本からの荷物を保管しているから、税関に取りにくるように」と。事務所の方に翻訳してもらって、スペイン語と日本語のわかるお弟子さんに付き添ってもらって、税関と国際郵便局(場所は一緒)へ。そこは人、人、人の長蛇の列。手続きに4時間並びました。そして税関に取りに行き、いろいろなことが判明しました。

 @税関に届いていた荷物は、3つのうち最後に従姉妹が送ってくれた長襦袢
 Aその前にツレアイが送った2つの荷物は、アルゼンチン郵便局職員(?)の転記ミスで、保管通知がほかのところに配達されていた(画像下)。
 B以前は受取人のところまで配達されていた。しかし、<保管料(基本1個100ペソ)>を収入源とするようになり、配達をやめた。保管料は昨年の倍になったとか

 結局1回ではことが済まずに、2回目はひとりで。「手続きの方法がわかって、スペイン語でちゃんとできるようになったなら、これからも必要なものは送ってあげるから」とツレアイ。もちろん丁重に断りました。届いたのが奇跡のような気がしたからです。日本からの郵便物を受け取るのは、非常にリスクがある国であることは確かです。しかも、郵便局がどんどん閉鎖され、ポストもない。切手も扱っていない郵便局がある。メールの世界なんです、ここは。行間で相手の気持ちに心を動かされる、便箋と封筒のセンスに和み、貼られた切手に季節やお国柄、思いやりを感じる、そんな情感は不要なのでしょうか? 姐さんは大事にしたいな。ちなみにハガキ、封書の日本までの代金は37ペソ(約260円)。高くない? 

 
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(画像上)働く人の仕事に対するモチベーションの違い? JICA事務所の住所はMAIPU1300。配達先として記載されている住所は、ひとつはMAIPU16、もうひとつはMAIPU1350。これじゃあ、届くわけない。税関での手続き中も係員同士、私語はひんぱん、席を離れること多し、転記ミスを訴えても悪びる様子なし。日本との違いを見るのがおもしろくなってきた(苦笑)

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(画像上)従姉妹からの荷物には長襦袢のほかにリクエストした中華料理の素と海苔。そして気を利かせてお煎餅も。ツレアイからの荷物には待ちに待った一張羅の江戸褄とテレビのDVD。「おんな城主直虎」を一気に5回分見る。浅草の自宅の自治会長からのワカメも箱の隅に。遠慮がちに入っていたワカメの磯の香りが、忘れかけていた元気も運んできてくれた。日本にいれば何気なく食するワカメだが、存在感があるなぁと感心

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(画像上)今日5月25日はアルゼンチンの憲法記念日(通称25 de Maya)で休日。この日はLocro(ロクロ)という料理を食べるのが習慣とか。昼食時に同期ボランティアの配属先に呼ばれて、ワインと一緒にごちそうになった。楽しかった。美味しかった。ロクロはトウモロコシをベースにした煮込み料理。野菜、肉などいっぱい入っている。4時間煮込んだとか。行きはバスで行き、帰りは同期と歩いて帰ってきた。彼女は私のアパートより遠いところに住んでいるのに往復歩き。今日の歩数を見ると約5,000歩。目標は毎日1万なので明日はもっと歩こう

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家探しは困難@ ベッドはあっても布団なし。皿はあっても鍋はなし

2017/05/21 02:51
 ボランティアがホテルに滞在する期間は、スペイン語研修終了後1週間から10日間。その間はホテル代はJICAが負担してくれます。ですから到着後約3週間のあいだに家を探し、契約、引越しのスケジュールになります。
 姐さんは12年前の経験から絶対条件を2つ決めていました。ひとつは治安のいい地域。できれば慣れている12年前に住んでいたアパートの近く。もうひとつはお稽古のスペースがあることです。

 JICAがサポート(家賃負担)してくれる額は、アルゼンチン人の平均からすれば決して安くはありません。しかし、安全優先と金額を突き合わせると選べる物件は少ないのです。特に家具付きでないと生活できませんから。

 姐さんがJICA御用達の不動産屋さんと内覧が始まったのは、まだ到着して間もない3月30日から。結局5日間で9物件を内覧。その中で姐さんの希望に100パーセント近く叶っていた物件がひとつありました。以前住んでいた家のすぐ近くで、ブエノスでは最高級ホテルの隣のため、警官が始終巡回し、治安的にはまったく問題なく、広さも2ベッドルーム。お稽古ができるスペースも十分、という「奇跡的」な物件で、すぐに値段交渉に入り、US$150値下げしてもらいました。しかしJICAの家賃サポートでは足りず、ツレアイに相談したら「家は納得したところに住むのがいい。自己負担分は大丈夫だから」と言ってくれたので、契約。その日の日記に「見てきた物件は素晴らしい!」と一言書いてありました……(今は自分の浅はかさを笑える一言)。

 人生ってほんとうにいいことばかりではありませんね。住んでみたら、椅子は壊れている、台所にある洗濯機の配管が詰まって、台所中水浸し、寒い、大家に聞いたら10度にならないと暖房は入らない(凍死する!)、トイレの蛇口が自然に1ミリ、2ミリと動きお湯がチョロチョロ出っ放し、戸棚に最低限のお皿は揃っていても煮炊きの鍋、薬缶はひとつもないなどなど。

 今となっては該当物件(予算と治安の問題)が見つからずに、キッチン付きアパートメントホテルを、JICAから提供された姐さん以外の多数のボランティアがうらやましい。ホテルなら朝食付き、光熱費は不要、掃除も、ベッドメイキングもしてもらえるで、いいことずくめ。しかも仲間がいて寂しくない。経済的、精神的負担はかなり違う。アパートメントホテルという選択肢があることを最初から知っていたら、説明してくれていたら、絶対にそっちにしていたかも(ただし、1年以上の契約は無理のようだから長期ボランティアはダメ。短期ボランティア向き。姐さんは11カ月の短期ボランティア)。

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(画像上)配属先の役員と秘書に手伝って頂いて引越し。床はピッカピッカ、ひとりで寝るのがさみしいほどの広い部屋に大きなベッド。当然シーツも毛布もあるでしょう、と思ってベッドカバーを上げたら、丸裸のマット。ショックでめまいが。たまたま、大家さんがいるときに、お弟子さんたちが来て、寝具の全部の必要を訴えてくれた。しかし、大家さんは聞いてないし、契約に入っていないと。お弟子さんたちが一生懸命に訴えてくれたので、シーツと掛け布団カバーは持ってきてくれても、肝心の毛布や布団が……。良く調べるとバスタオルもない! お弟子さんたちがベッドカバーを二重にしてくれて「毛布は明日家にあるのを持ってきますから、今夜はこれで寝てください。寒くないですから」と。姐さんは思わずお弟子さんたちに叫んだ。「帰らないでぇ〜、泊まってぇ〜」

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(画像上)引越しをして姐さんがまずやったことは、出入口のドアに「どんなときでも落着いて。まあちゃんを見習うコト!」と外出時の注意事項を貼った。まあちゃんはいつも慌てず、冷静。ステキな笑顔で対応。まあちゃんは姐さんの人生の指南役。まあちゃんの存在はほんとうにありがたい、あたたかい

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(画像上)アパートから歩いて5分のところに、週末はバザールでにぎわうレコレッタ公園がある。市民の憩いの地。暖かい日はカップルが芝生の上で愛を育んでいる。ブエノスで一番古い栗の木もある。ある休日、カップルを撮影しようと芝生に……。その芝生に乗った途端、足に無数の電気が走る。「痛っぁ!!」と思って、スパッツに触ってみると、虫の大群。数えきれないほどの蚊がビシャーとはりついて、姐さんの血を吸うこと、吸うこと。すぐアパートに戻り、症状を確認。薬屋に走り、蚊除けスプレーとかゆみ止めを買う。今年は蚊が大量発生し、雨のあとには水と緑を住処に、血を吸ってまだ生息中。アルゼンチンの蚊は日本の何倍も大きく、刺されて痛い。強烈だ


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(画像上)明日の21日日曜日は毎年恒例の日本舞踊発表会。姐さんは着任したばかりで全グループの指導もしていないので、あまり実感がない。だけど1カ月半で2グループの踊りを振り付け、筋のいいお弟子さんはみごとに覚え、踊ってくれている。明日が楽しみ(姐さんも踊るけど)。発表会前の最後のお稽古で17日水曜日には、若手のグループが我が家で21時過ぎまで稽古して、仕上げ。終わってから姐さんが朝から煮込んだ<カレーライス(シーフード入り)><カボチャとレタスのサラダ>を振舞った。ワインもちょっぴり

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(画像上)翌18日は日本庭園で今週2回目の舞台。夜は郊外の大学で教えている同期ボランティアが泊まった。近くの同期ボランティアも加わり姐さん宅で夕食。苦楽を共にしている同期、話題には事欠かない。「へぇー、セントロってそうなの?!」と、からかい半分の話題に大笑いと感心と。夕食のメニューは日本庭園からお土産にといただいた<お刺身盛合せ><餃子>。姐さん手作りの<ナスのオリーブオイル焼き甘味噌添え><イカとピーマンの中華炒め><まぐろの煮つけ>。飲み物は5人でワイン1本とビール2缶。夜8時にはお開き。姐さんと友人はそれぞれの部屋へ。翌日の朝食は<キャベツの味噌汁><白米><梅干し><カボチャとワカメの煮つけ><焼きサケのダイコン下し添え>。「来てよかったぁ〜! 美味しかったぁ〜! お世話さま」と友人は用事を済ませて予定通り午後、郊外の都市に帰っていった
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日本から持ってきてよかったものは、まずiPhone とお守りと虫メガネと……

2017/05/17 08:49
 アルゼンチンに来たのは4回目とは言え、3カ月以上も暮らすのは約10年振りです。緊張のしっぱなしと言っても過言ではありません。南米の中でいちばん文化的な国とは思いますが、治安は悪いです。事実、同期のボランティアの中でもホテル滞在の3週間のあいだにモノを盗まれ、ケッチャップ強盗の被害(かけられて被害寸断で逃げた)にもあっていますから。
 アルゼンチン生まれの日系の友だちでさえ「日本に親戚に会いに行ったり、仕事で行ったりしてアルゼンチンに戻るとき、憂鬱な気分になりますよ。またあの気が抜けない生活に戻るのか、って。ストレスが多い国です」と。

 言葉、お金、治安や危険に対する不安を常に抱えている中で、姐さんがほんとうに今婿殿に感謝していることがあります。それは出発の数週間前にスマホ<iPhone>をプレゼントしてくれたことです。何かあったときの連絡ツールは携帯に頼るしかありません。パソコンをいつも持ち歩くなんて危険きわまりなりないですから。写真を撮るときもカメラやビデオを持っていく必要がないので、とても楽です。それと共にこれまた出発寸前にツレアイが「あなたは『要らない。もったいない』って言うとは思ったけど、いざという時に絶対に役に立つから」と持たせてくれたiPhoneの充電器。そう言えば3.11のとき乾電池式の充電器を買いまくったものです。不安解消用具のひとつに違いません。

 ただし、婿殿が買ってくれた最新式の高〜いiPhoneでもWiFiが飛んでないところでは使えません。日本の通信会社と契約していないので。アルゼンチンでSIMカードを入れれば日本にいるときと同じように、どこでも通話が
可能なようですが、日本の通信会社(docomo、au、ソフトバンク)と事前にSIMを使う契約をしなければ使えないとか。

 ほかに持ってきてほんとうによかったと思ているのは<お守りさん>。常に使うリックとバッグ、和装バッグにもお守りさんがついているから守られているのです、姐さんは。

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(画像上)<お守りさん>は長野の友人が御開帳の最中にわざわざ行ってくださった善光寺の健康守、奈良の春日大社、そして集会仲間の徘徊さんからの四国・金剛福寺のお守り(遍路中の貴重な品とか)。いずれも思い出の場所であったり、送ってくれた方の気持ちが込められているのがわかるからありがたい。送ってくださった方々は姐さんよりひと回りも二回りも年上の方。「姐さんが帰るまで、私ももう1年は頑張るつもりだから」の手紙を添えて。ほんとうに嬉しい、そんな思いで待っていてくれる人がいることが。そうだ、iPhoneには最初に自分でお守りさんをつけた。壱岐の「月読神社」でツレアイが姐さんには<金>自分には<銀>を買ったきれいな音の鈴のお守りさんを。<虫メガネ>もとても役に立っている。これがなければ地図は見れない。スマホのおかげで(?)視力がどんどん落ちていく中、100円ショップの虫メガネにほんとうにお世話になっている。シニアには必需品!

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(画像上)踊りの小道具は追加で箱ひとつにはなったものの、夏冬の着物、洋服を含め約1年の滞在に必要な品をスーツケース3つに収めるのはかなり無理。候補から落とすのは食器類。そこで、絶対持っていくぞーとスーツケースに入れたのが、孫のれおくんからの誕生プレゼント、ミッキーマウスのマグカップ。これは彼が10歳のとき生まれて初めて誰かのためにプレゼントをしたい、と思って自ら選び、貯めたお小遣いで購入した品! スゴイ品でしょ! いつも使っていた木製のお椀。大きめなので何かと便利。お箸と箸置き。箸置きもあるとなぜか心落ち着けて豊かな気持ちで食べられる。大根おろし器。これはボランティア仲間に褒められた。ご飯はやっぱりしゃもじでよそいたいよね。落し蓋も便利。あ〜よかった持ってきて! いずれもブエノスで買えるけど値段は日本の倍以上で、クオリティは選べない

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(画像上)空港のターンテーブルには同じようなスーツケースが並ぶ。そこで速やかに自分のものであることを見つけるには何かしら目印を。しかも途中(どこで???)で盗まれないような商品価値のないものを。姐さんは旅慣れているツレアイにお伺いをたてて、お太鼓椅子の布の端きれををつけた。大成功

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(画像上)昨夜の日本庭園の舞台が終わり、今日は衣装の片ずけ、スペイン語のレッスンに追われた。昼過近くになって散歩がてら、近くに住む同期ボランティアに聞いて、魚屋、八百屋の並ぶ通り(Las HerasとRodriguez Pena)を偵察。同じ通りにある大型スーパーに吸い込まれる。そこには日本のカボチャ(Zapallo Japones)があり、思わず買ってしまう。大きなカボチャが半分で70円。帰宅後すぐにお弟子さんから頂いた干し柿と日本から持ってきた乾燥ワカメで煮る。干し柿の甘さが日本カボチャに溶け込んで美味しい! 夕食はこの<日本カボチャの干し柿煮>と数日前に作った<ビーフとピーマンのトマト煮>の残りをチンして食べる。ビーフはビーフシチュー用のpalomita(1キロ当たり約1,000円)。ピーマンも柔らかくてなかなかのもの。「美味しい、美味しい」と自画自賛しながら、今宵もおひとり様夕食。<無料動画ニュース連続>の画面では共謀罪反対集会のニュースが。あ〜ぁ 












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ホテル生活約3週間。キッチン擬(もど)きでボランティアは食事の工夫に

2017/05/15 19:50
 滞在ホテルは町の中心地、JICA事務所からも近く便利な場所でした。部屋も広くて、12人の長短期シニア、ジュニア(短期のみ)は同じホテル。と言っても階はバランバラで適度な距離を置いて、の配置でしたから滞在3週間、姐さんはまったく嫌な思いはしませんでした。

 最初の1週間、というより30数時間かけて到着した日から終日オリエンテーション。手続き関係、安全対策、換金方法、地下鉄の乗り方など内容はもりだくさん。最終日には、翌週から1週間行われるスペイン語のクラス分け試験も(ウンザリ)。

 ボランティアによって違いますが、基本的には個人行動です。朝7時からホテルのレストランがオープンするので、姐さんはその時間に合わせて朝食。オリエンテーションのときは会場の別のホテルまでひとりでテクテク。スペイン語はホテルから地下鉄を乗り換え20分ほどの五月広場近く。姐さんは健康のため毎日約45分かけて歩いて通いました(歩数にして8,000歩程度)。スペイン語学校では午前中の4時間は6〜7人のグループレッスン、午後の2時間半は一対一のマンツーマン(キツイ!)。休み時間もほんのわずか。でも、ボランティアのためにJICAは(国は)すごくお金をかけているいることを痛感しました。

 朝食は毎日、感心するほどオートマティックに同じ(苦笑)。一緒のテーブルで食べる仲間もほぼ毎日一緒。毎日同じ献立でも3週間楽しめたのは、この朝食を通して気の合う仲間ができたことです。

 昼食は適当に、だけどなぜかホテルの朝食に似たものが多かった。理由はそのうち(苦笑)。

 夕食はホテルの裏の道にある量り売りの「おかず屋さん」(スペイン語でここではComida por peso)で買い、自室で食べることがほとんど。日給3,200円、1か月後には慣れたろうから(生活費も抑えられるだろう、という想像で。物価上昇率年間40パーセントのこの国で!)と2,880円まで下がるので、カフェでなんて考えられない。ましてやレストランに行くなんて。ふつうのカフェでも一品300ペソはするのです(2,100円)。料理と一緒に水やビール、ワインなども注文すれば、軽く日当は超え赤字。その点、量り売りは日本のホカ弁のようなもので、20種類ぐらいのできあい料理を10g1ペソ<7円>で買えます。

 ホテルの部屋には小さな台所擬きがついていて、ガス台はなくても電子レンジとパイレックスの鍋がひとつありました。ボランティアの中には、電子レンジを使ってポテトサラダを作ったり、お米も炊いていましたね。どうも男性のほうがマメに自炊しているようでした。そこでボランティアの条件Aは、食べ物の環境も受入れ、限られた食材で健康管理のために自炊ができること。男女問わずです。


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(画像上)ホテルの朝食はパン、ハム、チーズ、ヨーグルト、フルーツ、コーヒーのビッフェスタイル。いつも一緒に食べていたMさんは、サラダ菜をスーパーで購入し分けてくれた。「毎日同じものを出す方も出す方だけど、食べる方も食べるほうだよね」なんて、冗談言いながら、美味しく、楽しい朝食だった。お皿に盛りすぎたパンやチーズ、ハムは戻すわけにいかず(?)、昼用にお持ち帰り。節約、節約! 朝食前後にスカイプ(無料の画像付き電話)で夫と娘に電話の毎日

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(画像上)「おかず屋」さんは中国人の店が多い。いつもパックに入れるのは茹で昆布(Ensalada de Algas)、豆腐と貝の炒め物(Tofu con neritas)。たまにエビの天ぷらも。量り売りなので目方を考え買う。80〜120ペソ(800円前後)。ワインは安い品で1本90ペソ(630円)、水が2リットルボトルで22ペソ前後(約160)。水にも味や中身が違い、ツレアイからの「美味しいと思った水飲みなさいよね」の言葉に甘えて、塩分のない少し高めの水<GLACIAR>を毎日4リットル購入。ワインは1本2〜3日で消える。健康のため欠かせないレモンを買って、この日、昼食抜きで交通費を入れて2,500円で収まった! 夕食時の楽しみはパソコンに保存してきたまあちゃんの動画を見ること。でも会いたくなって、おかずにドンドン塩気が増していく(涙)……

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(画像上)「おかず屋」さんの食事に飽きると、ホテルの前のスーパーで出来合いのおかずを買う。これも毎回同じ大豆ハンバーグをパン粉で揚げたMillanesa de Soja40ペソ(280円)とクノールスープ。温かいスープでこんなに癒さるなんて!

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(画像上)たまらなく日本食が食べたくなると、スーツケースに潜めてきた海苔とコンビニつまみを出す。海苔に朝食のあまりの(?)とろけるチーズを巻いて食べる。これも最高!

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(画像上)ひとり暮らしとなった今思えば、ホテル暮らしは恵まれていた。温かいし、朝食は出るし、ロビーに行けばボランティア仲間の誰かしらいたし。そんなホテル暮らしで格別感激したのは、同じ配属先の先輩ボランティアが「お赤飯炊いたから」とお弁当を持ってきてくれたり、ツレアイの友人が「妻が作ったから」と梅干と一緒に大きなおにぎりを持ってきてくれたこと。望んではいけないけど、日本食って美味しいなぁー。梅干しひとつで感激。同じシニアボランティアで奥様随伴の男性が「女房が米を炊いて、昆布茶の素をふりかけて食べてみたんです。もうおいしくてねぇ〜。昆布茶とお米がこんなに合うなんて、考えてもいませんでしたよ」



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米国入国時に「御用」。腹巻銀行(財布?)が誤解を

2017/05/14 01:23
 日本を発ちアルゼンチンに来て2週間。スペイン語ではLlegue a la Argentina hace 2 semanas des de Japon.とでも言うのでしょうか? 実際には2カ月になる勢いですが、最初の2週間で起こったこと、感じたことをアップしますね。

 思い出してもヒヤヒヤしたのは、アトランタで米国の入国検査を受けたときのこと。米国に1万ドル(約100万円)以上を持ち込むには申告が必要です。まさか、姐さんはそんな大金は持っていきませんでしたが、JICAからのアドバイスによれば、家賃は現金、しかも米ドルで払わなくてはならない、そして円からアルゼンチンペソに換金できないので、食費などの日々の生活費も米ドルで持ってくるようにとのことでした(アルゼンチンで銀行口座を開くのは手続きに手間がかかり、12カ月以下の短期ボランティアにはそぐわない)。しかも家を借りるのに不動産屋への支払いや家主への補償金(最後に清算)が必要で、家賃と生活費それぞれ3か月分は持参したほうが安心とのこと。

 そこで、姐さんは市販の腹巻のような財布に厚みのある米ドルを入れ、その上にインナーとワンピース、ジーンズを着ていました。入国審査で「いくら持ってきた?」と聞かれたので「2500ドル」と答えました(実際にはその倍以上)。そのほかは帰国の日を聞かれたぐらいです。無事通過、と思いきや入国の最終審査、体と手荷物のエックス線によるチェックが税関で。チェックが終わりベルトコンベアーの手荷物を取ろうとしたら、係員の女性からお腹まわりを触られ「ちょっと、ちょっと何を持っているの? 洋服上げて見せて」。所持金2500ドルと言った手前、一瞬ドキリ。嘘がばれたと。

 「ここでは恥ずかしいから個室に連れて行ってください」と姐さん。女性の係官二人と個室へ。そこで、洋服を脱ぎ、腹巻も外してジーンズとブラジャーに。ひとりの係官は姐さんをジッと見、ひとりはジーンズの上から下までガーガー機械でチェック。「あー、長時間の飛行だったからマッサージが気持ちいい」と英語で姐さん。
 あとで、ボランティア仲間に話したら「お腹が異常に膨らんでいたので(なぜ?!!)、自爆テロのチェックをしていたんですよ。アメリカはテロ対策が厳しいから」。
 腹巻や首から財布もどきを下げている場合、恐れず手荷物と一緒にベルトコンベアーに載せたほうがいいようです。


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(画像上)スーツケース3つに箱1つ(規定では3つまで。1つは自己負担)。ブエノスの空港でターンテーブルから降ろすときはポーター(職名は不明)に頼んでしまった。さすがプロ。カートが引きやすいように、手で引くところとブレーキの部分をテープで止めていた。このおかげで、無駄な力をかけることなく荷物をバス乗り場まで持っていけた

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(画像上)世界でも最大レベルの広さを持つブエノスアイレスのメイン通り<9 de Julio>の街路樹ボラッチョが赤い花をつけていた。年に2度花を咲かせる珍しい木だ。懐かしい風景。ブエノスにまた来れたんだ、と胸がつまる。ボラッチョとは酔っ払いの木の意味。樹木の幹がビール腹のようだからとか、ビール樽の形に由来する。ブラジル、アルゼンチン、パラグアイなど南米が原産

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(画像上)ホテルに到着すると、12年前の最初のボランティア時代のお弟子さんが花束を抱えて「先生、お帰りなさい」と出迎えてくれた。みんな職場を抜け出して来てくれたのだ。アルゼンチンに知り合いがいて、町の様子にも慣れている姐さんは、アルゼンチンが初めてというほかのボランティアに比べるとはるかに不安が少ない、と思う
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JICAボランティアで再びアルゼンチン。ボランティアに必要なことは?

2017/05/10 22:20
 今、私はアルゼンチン・ブエノスアイレスにいます。JICAボランティアとして2度目の派遣。
 成田を発ったのは3月27日の午後4時半ごろ。アトランタ経由(乗り換え)でブエノスアイレスに到着したのは日本時間で、翌28日の夜9時半ごろ。実に飛行時間(トランジットを含め)は29時間。浅草の家を出た時間やブエノス市内のホテルに到着した時間を含めれば、36時間ぐらいでしょうか。ながーい、ながーい、旅。「遠くまで来てしまったな」と思いながらも、予想したほど疲れもなく、ただ、ただ現実を受入れていた、受入れようとした、それだけ、そんな気がします。

 JICAボランティアに再び挑戦しようと思い、派遣申請(受験)したのは確か2016年の春ごろのこと。結果は<不合格>。一時選考の不合格者に対しては、合否通知に選考漏れした理由が記載してあります。姐さんの場合は「健康診断」でした。確かに、このときに提出した健康診断書はBMIの数値は高く、γ-GT、コレステロールの数値も最悪でした。正直、「やっぱりナ、まだ行く時期ではないのだな」程度の想いでした。しかし、健康に対する自己管理の甘さを痛感、猛省していました。
 そして、機会があれば再び応募しようと健康管理に努めたのです。落ちたのが悔しかったから。そして「合格」を目標に体重減量と健康管理をしたかったのです。体重減量、健康管理を目的にするのではなく、何か具体的な、しかも夢のあることを目的に健康管理に努め、自分の可能性を試したかったのです。
 はじめたのは晩酌にはノンアルコールを、仕事がない日はほぼ毎日ジム通い。奥中山に行っている時も、アルコールを控え、階段の昇り降りに相勤めました。
 
 そして9月に再び公募があり申請。この時点でピーク時より体重は8キロ減っていました。区の検診のときは医者に「相撲とりだったら80キロ減らしたようなものだ」とも言われました。健康診断の結果、数値もすべて平均値内に。血圧も安定。語学の統一試験(英語かスペイン語)は3月の時点でJICAから求められた点数をクリアしていました。

 申請から約3か月後の12月24日、れおくんとまあちゃんの誕生日のお祝いに、姐さんより一週間遅れて東京から来たツレアイが、JICAからの封筒を持って奥中山に到着しました。そっと渡された封筒は3月に手にした封筒よりもずっと厚く、重みがありました。


 これから派遣期間の11カ月、JICAボランティア合否の所感、アルゼンチンの様子、ボランティア活動の情報をお伝えします。姐さんにとってたいせつな、たいせつな奥中山の孫たちのようすも綾どりながら。


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(画像上)出発当日、いつものようにジムに行き帰ってきた途端、岩手から予告なしで娘と三人の孫が玄関に。びっくり。京成で成田まで一緒に。中南米に散らばるボランティア約35人の中で、家族が見送りに来ていたのは姐さんだけ。乳離れしていないような気もするが、この日を迎えるまで背中を押し、物心両面全面協力してくれた「家族」と私は行くのだ、いつも一緒と自分に言い聞かせ、不安と寂しさ、断ちがたいまあちゃんへの想いを抱えた心を落ち着かせていた。お見送りありがとう!

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(画像上)アトランタに到着したのは現地時間で27日午後3時前(日本時間28日午前4時ごろ)。ブエノスアイレス行きが出発するまで約7時間、空港で足止め。姐さんたちアルゼンチン行ボランティア14名(内随伴家族2名)は、それぞれ自由に過ごしたが、姐さんは大学で日本語を教えるシニアのMさん、青年ボランティア(女性)2名と行動。空港内の大きなソファーを見つけ、人目もはばからずひたすら睡眠。防犯用に仲間と頭をつき合わせ貴重品は枕に。下の画像はマスクと目隠し帽で横になっている青年ボ(素顔はすごくチャーミング)。そこで、ボランティアに必要な条件@いつでも、どこでも寝られること(苦笑)。

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(画像上)出発直前の3月、2週間ほど奥中山へ。東京へ戻る前の日、えい坊が突然「ぼく、コロッケ作りたい」と。「じゃあ、みんなで一緒に作ろう」と3人の孫とキッチンへ。地元の美味しいジャガイモを茹でてつぶして、それぞれが丸めて、パン粉をまぶして……、みんなで分担。姐さんは4つずつ揚げ物用の鍋に。姐さんを見守るまあちゃんも含めた4人の素直さ、けなげな心、やさしさにくるまれた個性的な形のコロッケ4つが、油の中でくっついたり、離れたりしながらはしゃいでいた。まあちゃんはいつも姐さんと一緒。片づけている台所で「ぼくも手伝おうっと」
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シンポジウムと展示「震災遺産とふくしまの経験」

2017/03/12 16:48
 今日は6年目の3.11。この日を迎えるにあたって、さまざまな団体が講演会や集会を行ってきました。これからも行っていくでしょう。姐さんが福島関係で参加したのは2つのシンポジュウム。ひとつは「若い世代の放射能被曝を軽減するため、福島事故の収束作業にシニアの力を」と、2011年4月に発足した<福島原発行動隊>主催のシンポジウム『放射線被ばくに備えよう』。この<行動隊>には姐さんは発足当初から会員になり、毎月1回行われる集会に参加するほか原稿おこしやイベントのサポートボランティアをしています。

 そしてもうひとつは、<ふくしま震災遺産保全プロジェクト実行委員会>が主催した『震災遺産とふくしまの経験』と題した遺産展とシンポジュウム。同プロジェクトは福島県立博物館や福島県内の歴史民俗資料館が中心となって、東日本大震災を歴史として位置づけ、共有し、未来に伝えることを目指して活動しているグループだ。

 1月末に行われた東京(明治大学博物館)でのシンポジュウムは、基調講演に震災5日後に国立大学では初めて校舎を避難所として開放した、福島大学の鈴木典夫教授による「大学が避難所になるとき」、富岡町語り部グループ代表の「伝えたい富岡町3.11を語る」、アーカイブ活動代表の「震災アーカイブ活動から見えるもの」そして、実行委員会事務局代表による「震災遺産を保全する」というテーマで3つ。その後パネルディスカッションが福島県立博物館館長の赤坂憲雄さんの司会で行われました。
 民俗学者であり、東北学を提唱し、東北の歴史、中央との関係、東北の置かれた立場に独自の取材、研究から真摯に取り組んでいる赤坂憲雄さんは、「津波や原発の被害にあったさまざまな物品を残し、後世に伝えるとともに、人との繋がりをもった震災遺産の収集を行っていきたい。語りを落として単に物品だけ集めたのでは、限りなくゴミに近づいていく、それは私の歴史観、記憶から切り離されたものになる」とプロジェクトへの思いを語って終了した。東北関係の著書は多く、いずれもとても興味深い。東北に住んでいる人にはぜひ読んでもらいたいです。

 シンポジウムに連動して約1カ月間行われた「震災遺産展」では、約85の展示物が公開。エンジンをかけた状態のカギがついたままの流されたパトカー、一日避難所に残された安否確認メモ、3月11日の新聞が入ったままの新聞自動販売機、桜まつりのポスターなど、突然人が消えてしまった、生活の場が断ち切られた不気味な空間が残された感じでした。

 どこまで真実が報道されるか疑問ですが、これから双葉郡の5つの高校のように、無くなってしまう学校や町が出てくるのでしょうね。悲しいことです。

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(画像上)「震災遺産展」の会場は明治大学博物館特別展示室。その入口には富岡町駅前にあった郵便ポストが展示されていた。このポストが見つかった場所は本来の設置場所から2キロほど離れた中華料理店内。そしてその店内に3年以上放置されていた。男性4人でやっと持ち上げられるほどの重さだが、いとも簡単に津波に流されてしまった。使う人もいない郵便ポストに封印が。富岡町は福島第2原発の所在地である

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(画像上)右の展示物は県立富岡高校の体育館に設置され、地震で落下した照明器具。バトミントンの強豪校として有名で、国体に向け練習中に18基が落下。このため高校は危険で避難所にはならなかった。左は富岡町「ミチ美容室」の看板時計。時刻は地震のあった時間で止まったまま

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(画像上)<角部内>(かくべない)と地名の入った「通い徳利」(民俗学的名称)の一部。通い徳利とは酒は量り売りだった江戸時代に盛んに使われていた徳利の名称。「角部内」は南相馬市小高区にある集落。集落は海の前の地域だったため壊滅状態に。その集落を調べるために行った学芸員が、砂の中からたまたま名入りの徳利を発見した。角部内は大蛇伝説にからむ伝統的な名前。集落は壊滅していておそらく誰も戻らないと思われている。そのため集落の存続が危ぶまれ、「角部内」という名が残るのはこの徳利だけかもしれない、と学芸員がつぶやいた

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(画像上)浪江町の「鈴木新聞販売店」にあった束のままの新聞。日付は3月12日。印刷所からのトラックが、道路事情で進めないことがわかると、店主が自分が配達すると請け負った。しかし、配達予定の集落が津波でなくなったり、道路が遮断されたりして配達は不可能だった。また配達の途中で「原子力発電所が危ないから、避難しろ」という広報車とすれ違い、慌てて避難の緊急状況だったとか

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(画像上)新聞広告。広告は時代を象徴している。地デジ始まると盛んに言われていたころで、ところどころにエコポイントの文字。3月で新生活、春をイメージした広告がたくさん出ている
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『まあちゃんとゆかいなかぞく』の3部作

2017/02/10 13:23
 2月に入り、瞬く間に一日が過ぎていきます。カレンダーを見るのが怖いぐらい……。姐さんの家に掲げられたカレンダー、それは世界にひとつしかないカレンダー。なぜなら姐さんの手作りだから。題して『まあちゃんとゆかいなかぞくカレンダー』です。

 初孫、れおくんが生まれたのが2005年。JICAボランティアで最初にアルゼンチンに行った年です。それからトータル4年間、日本を留守にしました。アルゼンチン滞在中に生まれたのがれおくんとえい坊。帰国後すぐにまあちゃんが生まれ、それからは毎月のように奥中山を訪問。奥中山に行くたびに孫たちを撮影し、画像がどんどん増えていきました。一枚一枚の画像には必ず親の思い、じいさん、ばあさんの思い、孫たちの語りが巻きついています。それらを忘れないうちに整理しておこう、と思って作ったのが最初の本 『まあちゃんと ゆかいなかぞく』です。画像、日記の整理をはじめたら、出版の仕事をしていた現役時代の自分がよみがえり手が抜けなくなり、トータル226頁の大作になってしまいました。表紙の裏には広告も入れて!

 この本は素人離れした立派な本です。それはDTP(デスクトップパブリッシング)のプロがアンカーを務めてくれて、印刷も製本もそれぞれの会社が担当してくれたからです。アンカーを務めてくれたのは、JICAの青年ボランティアとして姐さんと同じ団体に派遣され、ともに活動したKくん。帰国後もDTPデザイナーとして就職していました。

 2014年に作ったこの本が病みつき(?)になって、2015年に最初のカレンダー、2016年のまーやの誕生日には『まーやの本』を制作しプレゼント、私的(わたくしてき)にはこれらを三部作と称しています(苦笑)。

 制作をしながら思ったことは、自分は娘の家族が喜んでくれることを期待してやっているのではなく、いわば自分の趣味で徹夜もいとわず作っている。でも現職時代はデザイナーさんや印刷会社さんにとっては、きついスケジュールと料金で対応してしてもらって、悪かったなということ。DTPはともかくミリ単位の細かい作業。思っているより何倍も時間のかかる作業。手品のようにはいかない。みんなのおかげで今がある。


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(画像上)リビングのボードに掲げているカレンダー。1年たった孫たちの成長がわかるように、去年の該当の月の出来事を編集。基本フォーマットの制作はツレアイが担当。吹き出しを使って子どもの思いを。孫たちの好きなキャラクターを使って、孫たちに励ましの言葉を。キャプションで画像の説明を

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(画像上)『まあちゃんとゆかいなかぞく』、そして『誕生日に贈る まーやの本』。まーやの本はまーやが3歳の誕生日に贈った。全34頁。付録として動画のCD付き

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(画像上)『まあちゃんとゆかいなかぞく』の目次。巻頭グラビアには四人の孫の生活イベント、2010年〜2013年の各年で章だて。各年度のあいだには、れおくんの小さいとき、えい坊の小さいとき、まあちゃんの笑顔、スーパーモデル(三人の男の子がモデルのようなポーズを作った画像)そして、2014年の出来事を少し。目次のあとに<はじめに>。このページには「このほんは、岩手県・中山の牧場に住む、まあちゃんとその家族、あなたたちの成長の記録です……」と始まり、「まあちゃんの成長とともに、お父さん、お母さんは人として強くなり、愛情を増していきます。そして、まあちゃんのそばにはいつも、まあちゃんを自分たちのかけがえのない仲間として可愛がり、サポートする妹とお兄ちゃんがいます。まあちゃんはこんな温かい、ゆかいな家族を栄養にして、成長しています。そしてこれからもまあちゃんは、みんなの愛情に応えるかのように、一生懸命に生きていきます……」と姐さんの思いが

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(画像上)P137は<まあちゃんの笑顔>のページの最後。P138は扉で2012年の出来事が始まる

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(画像上)各年度の扉から始まる年度別の成長の記録は、画像一枚と文章で。この頁のタイトルは「おいしそ〜 まあちゃんの すなおな かお」「お父さんすわりが さまになって」

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(画像上)正直、パソコンに向かい泣き笑いしながら作ったこの本。自分のお気に入りの頁は、<3コマ写真でみるまあちゃん気持ち>。最初のストーリーはお父さんが休んでいる布団に潜り込んでご機嫌に遊んでいたまあちゃん、そこへまーやが二人のいる部屋へ。気が付いたお父さん、まーやに「おいで、おいで」。喜んでお父さんにところに行くまーや。お父さんはまーやを抱っこ。それを見たまあちゃん、手に頭をあてショック(ヤキモチ?)を隠せないまあちゃん(笑)。次のストーリーは、まあちゃんが小さいときに使っていた椅子に座るまーや。それを見て、まーやの手をひっぱり「どいて」ポーズのまあちゃん。お兄さんには勝てないと、しぶしぶ椅子から降りるまーや。誇らしげに椅子に座るまあちゃん、悔しそうにまあちゃんを見るまーや
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67歳厳しい就活を経て得たお仕事を、昨日1月末で退職。最後に踊る

2017/02/02 02:13
 アッという間に1月は過ぎ、もう2月。昨日の1月末で姐さんはバイト先を依願退職しました。職場は0歳児から3歳児までの保育園です。姐さんは保育園と直の契約ではなく、派遣会社に<シッター>として登録。派遣会社から要請のあった保育所や個人宅で子どもの世話をします。

 派遣会社に登録したのは昨年の4月末。約3カ月の就活を経てようやく決まったお仕事でした。65歳を過ぎるとフルタイムでもパートタイムでも、仕事を得るのはほんとうに厳しいです。職安の求人票に<年齢不問>と記載されていても、履歴書の送付や面接の確認をしてもらうと、
 職安担当者「はい、エクセル、ワード、マックもできる方です。編集経験も豊富です」
 ここまでは、相手が丁寧に対応しているのが伝わってきます。でも、年齢を聞かれ答えた途端「66歳ですか、厳しいですね」と、相手が言っているのがわかります。
 これで3社ぐらは履歴書すら出せませんでした。そのほか、履歴書を送っても期日内に返事がないなど不誠実な対応の会社、面接時詳しく聞いてみると、実際に仕事があるのは月に数度の客次第(外国人相手の日本料理と日本舞踊の実演)だったりで、がっくりの連続。

 定年後の仕事探しは、現職時にいかにネットワークを築くかにかかってくると思います。職安の担当者にも言われました「姐さん、これまでの人間関係で仕事探した方がいいんじゃない」って。それができれていれば、ハローワークに来ませんよ!

 結局ハローワークで7社ほど紹介してもらい、最後に書類審査合格、面接までこぎつけたひとつが福祉関係の派遣会社L社。新宿のファンシーな通りのビルに本社があり、きちんとした担当者の会社でした。研修も徹底していました(もちろん研修は無料。交通費支給)。

 今思えば、6社ほど縁がなかったけど、L社と出会ってよかった、ほんとうによかったと思います。最大のメリットは派遣会社なので自分の出勤希望日と時間にかなった勤務ができることです。だから奥中山のまああちゃんに月に10日会えたり、踊りやお太鼓の稽古も十分できました。古代史の勉強会にも毎月行けました。

 最初の2カ月は個人宅。夏頃から保育所勤務になりました。個人宅ではびっくりすることもたびたび。両親とも日本の司法を担う超エリート家では、姐さんが面倒ををみる部屋には防犯カメラが設置。ディベートやクイズ好きで、上から目線の子ども(国立小)には手を焼かされました。祖父母と上下で同居している公務員夫婦の幼児は、姐さんよりおばあちゃんがいいらしくて、姐さんとの遊びに飽きると大声で泣いて、おばあちゃんが階下から「あらあら」と言いながら、毎回飛んできました。

 個人宅では災難(?)続きの姐さんも、保育所では嫌な思いは一度もしなかった奇跡。その理由は人間関係が風通しのいい園だったこと。派遣会社の担当者と園長のマネージングのよさ、コミュニケーションのよさ、さらに保母はみんな20代、30代で姐さんの娘より若い女性だったけど、姐さんを特別扱い(ばあさんとか年上でやりずらいとか)せず、仲間として受け入れてくれたことが大きいと思います。

 今更ながらの教訓ですが、大きな声ではっきり挨拶、笑顔、相手の眼を見て間のいい会話、報告(トイレやほかの保育室行くときなど)、オバさん私語をしない(子供や孫、夫の話)、命令系統を理解し確認をとる(年齢関係なく上司への確認)、経験者ぶらないなど、大切だと思った次第です。これはやっぱり姐さんの定年までの社会経験とJICAボランティア時代に培った生きる知恵でしょうか。

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(画像上)最終日、サプライズで園児と保母全員でお別れ会を開いてくれた。お遊戯もみせてくれた。クラスごとの子どもたちの画像と絵のカード、保母仲間からのメッセージ。週に3日しか来ない派遣パートなのに……。何も用意していない姐さん、ユニホームのエプロン姿で<さくらさくら>をお礼代わりに踊った。歌は保母たちが歌ってくれた。子どもたちはジッととしてみてくれた。おさるのかごや、ひな祭りも見せてあげたかったな。いい出会いだった。さっそく自分の部屋に活けたプレゼントの花束は、子どもたち一人ひとりの顔に見え、うれしそうに春の日差しの中で輝いた
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奥中山から帰京の翌日、「ちいら、ちいら」の新年会

2017/01/24 11:50
 1月中旬、奥中山から東京に戻った姐さん、帰京の翌日は「ちいら会」の新年会(会場:上野公園内グリーンパーク旦妃楼飯店)でした。
 「ちいら会」というのは日本と中国がまだ国交を回復していない、1965年から1972年(毎年1回、計8回)に中国を訪問した学生友好参観団の名称です。

 今では浅草雷門を歩いていて聞こえるのはほとんどが中国語。在中国の日本人はアメリカ合衆国に次いで2番目の約15万人、日系進出企業も3,300社にのぼります(外務省発表)。好き、嫌いは別に両国の交流は無視できません。

 しかし、「ちいら会」が発足した当初、両国は「法的には戦争状態にあった」(下記書籍『斉了! ちいら!』内、斉了会通史 井垣清明著)ので、外務省とのビザの発給交渉、「中国はアカだ。赤い国へ行くと就職に障る」という世間からの風当たりなどがあり、参加者は一種の行動力と覚悟が必要だったようです。そのあたりの話がメンバーによって、画像下の2冊の書籍には克明に記載され、国交回復45年になった現在では貴重な資料となっています。

 姐さんは中国に行ったのは国交回復後に仕事で行っただけで、「ちいら会」のメンバーではありません。大学時代の友人T君がメンバーで、彼からの依頼で書籍の編集をさせて頂いたのが縁となり、以来、呑み会には呼んでいただいています(笑)。
 T君とは学部も部活も違い、いわば当時の「運動(活動)」仲間でした。1968、9年のことです。学内外の集会ではよく顔を合わせましたが、デートなどする仲ではありませんでした。だから卒業後も一度も会ったことがありません。卒業から30年近くたったある日「ぼく、大学で一緒だったTです。頼みたいことがあるんだ」と職場に電話がありました。とっさにはT君のことが思い出せませんでした。なんと言っても30年(!)の歳月が流れていたのですから。どうやって、私のことを探したのか、どうして私が出版関係の仕事をしているのを知っていたのか、いまだに不明です(苦笑)。

 「ちいら会」のメンバーはいずれも<中国ツー>として、書家としてあるいは、大学や研究機関、マスコミ、貿易会社などで活躍し、定年後の今でも中国とのネットワークを保っています。だから、新年会は学生時代の訪中の話から現在の中国の状況で、歴史、政治、漢方などの医療分野と幅広く、姐さんは目新しい、刺激的な話の洪水の中に身を置くことができました。
 印象に残った内容は、
 ・現在、中国に旅行している日本人観光客はひじょうに少なくなった。理由は日中関係の現状と、大気汚染の酷さ。
 ・中国も格差社会。国内を旅行する中国人が増え、チベットなどの奥地も観光地化されている。
 ・学生友好参観団で参加したとき、毛沢東や周恩来が同席し、歓迎してくれたのはびっくりした。
 ・中国の学生と交流のとき、中国人学生の歌声は迫力があり、しかも見事に揃っていたけど、返礼の僕たちみんなが歌えるのは<インターナショナル>ぐらいで困った。2次参観団からは<さくら>なども練習したようだ。
 ・一人っ子政策からふたりっ子になったが、人民の本音は教育にお金がかかるので一人っ子で十分だと。

 会の最後には長い間商社の駐在員をして、定年退職した現在でも上海に住み情報発信しているIさんが、1928年に毛沢東が発表した革命詩「西江月 井岡山セイコウゲツ チンカンザン」を高らかに歌い、閉会となりました。参加者のひとりから「漢方薬の話や病気の話は出たけど、まだ葬式や墓の話が出なくてよかった」とのつぶやきが。確かに。納得。
 ちなみに「ちいら(斉了/正式には<斉>は横の2本棒がない)」とは「そろいました」という中国語だそうです。


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(画像上)上から素材は野菜が主の<五品冷菜盛合せ>、けっこう辛めの<むきエビのチリソース>、パンに挟んで食べる<豚肉の味噌炒め>、ほどよい塩味の<生ホタテと白ネギの塩炒め>、アイデア料理(?)の<あんかけチャーハン>。このほかにとても飲みやすく美味だった<山イモ入りフカヒレの煮込みスープ>、<小松菜の炒め物>デザートなど。お酒は12人でビール3本と紹興酒3本

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(画像上)「ちいら会」の面々が中国を旅したのは50年前。みんな大学生で若かった! 画像の中で姐さんを挟んでの両側男(旅行者の方)女(「ちいら会」メンバーの娘さん)は、まだ若い

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(画像上)右、姐さんが現職時代仕事として編集制作を請負った『斉了! ちいら!』(2002年刊/全466頁)。左、姐さんがボランティアで編集に参加した『斉了会の50年』(2015年刊/全240頁)。『斉了! ちいら!』は今でもときどき目を通すが、編集メンバーの制作に対する迫力はすごく、その熱意に押された姐さんとしても、我ながらよくできた書籍だと思える。いい仕事をさせてもらった

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(画像上)新年会がお開きになり、自宅近くまで帰ったらスカイツリーのとなりにまんまるい大きなお月様。満月は2日前だったが、まだまだ大きく輝き生きとし生けるものを照らしていた
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帰京日、奥中山は大雪、大寒波。孫たちは雪と戯れ、吹雪の中で犬の散歩

2017/01/15 06:02
 昨13日夕、盛岡経由で東京に戻りました。東京から奥中山に来た8日は盛岡にはまったく雪がなく、奥中山では雪はあるものの、ところどころに土が見え、例年とは違う風景にびっくりしたものです。正直「よかった、雪がなくて」。
 ところが、娘の家族が東京ディズニーランドから帰ってきた日から、シンシン、サクサクと降り積もり、一夜であたり一帯に純白の毛布を敷きつめました。早朝から除雪車が出るほどです。

 喜んだのは孫たち。一気にスキー場と化したマイナス11度の屋外で、雪にまみれ、戯れ、寒さをモノともしない大活躍。本来の子どもの姿でしょうが、強いな〜と思います。

 寒さに弱い姐さんは、雪の中に5分もいられず、そそくさと奥中山をあとにしました。原因がわからない湿疹にみまわれたまあちゃんを残して後ろ髪をひかれる思いですが、仕事は休めません。それに来週は姐さんにとってたいせつな二次試験が控えています。気持ちを集中させなくては……。


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(画像上)今日のノルマの宿題が終わった途端、外に飛び出しえい坊はソリ遊び。まーやもえい坊のあとを追う。昨年度は県北の数々のスキー大会で入賞を競ったれおくんとえい坊にとって、スキーができない冬休みは考えられないようだ。やっと地元のスキー場にも雪が積もり、コンディションがよくなり、れおくんはさっそく山のゲレンデへ。お母さんは子どもたちのお稽古事以外にスキー場の送り迎えが加わり、時間のやりくりはたいへん。身体がふたつあっても足りない。遊んだあとえい坊は、ワンちゃんの三郎くんを1時間以上散歩に連れていった。遭難しないか心配な姐さん、三郎を引いて、引かれて高台に姿を現したえい坊を見つけ「え・い・ぼぉー!!!!!!」。澄んだ空気の中、こだまが氷雪をかぶって返ってきた。冬本番はこれからだ

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(画像上)ソリ遊びの次は<かまくら>を作る。<かまくら>は神様の居室の<神座(かみくら)>からきた言葉とか。確かに<かまくら>の中は、真っ白で、静寂で、気持ちがしゃきっとし、神社の雰囲気に似ている

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(画像上)姐さんが奥中山に着いた日、まあちゃんもお母さんとソリ遊び。「『キャーっ、ウォーっ』って大きな声あげるのよ」とお母さん。まあちゃんは外遊びは大好きだが、ソリはまだ慣れないせいかイマイチのよう。まあちゃんが好きなのはウッドデッキから、眼下に広がる畑を見ること

 雪の中
 ソリには乗れても
 気分は乗れず(ウマイ!? 座布団5枚!)。


湿疹、大事に至らなければいいが……
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家族でディズニーランドへ。まあちゃんは姐さんとお留守番。だれもいない夜に、まあちゃん落ち着かず

2017/01/11 14:27
 雪国の冬休みはほかの地域よりも1週間ほど長いです。三学期を目前に、れおくん、えい坊、まーやを連れてお父さん、お母さんは東京ディズニーランドへ行きました。二泊三日の旅です。まあちゃんは酸素の必要もあり、姐さんとお留守番。今回姐さんはそのために奥中山に来たのです。5日間だけのお約束で。

 みんなが出かけた日まあちゃんは、ディサービスのグループホーム<ゆいまぁる>へ行きました。帰宅したのは午後4時。いつもと同じように一階と二階を行ったり来たり、夕食は5時半ごろで姐さん特製の<ビーフシチュー、キュウリのサラダ、ヨーグルト>を完食。6時半ごろふたりでお風呂に入りました。姐さんに手でバシャバシャお湯をかけてはキャッキャ言って喜んでいました。お風呂から出たら、何か異変を感じたようです。
 いつもなら、「だれかがどなり、だれかが泣いて、だれかが勉強をして、だれかが走り回っているのに、変だ! だれもいない!???」と。何やら落ち着かない夜でした。


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(画像上)お風呂から出てからは、姐さんがいるところにお気に入りの椅子を運び、そばから離れようとしないまあちゃん

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(画像上)絶対に変だと、だれもいないリビングをじっと見ている。「ぼくだけ置いて、どこへ行っちゃたの???」

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(画像上)大あくびしながらも、「おかしい! みんないないなんて」と不安そうに、家族が出入りする勝手口をジッとみているまあちゃん

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(画像上)まあちゃんのお母さんにこの状態をメールしたら「電気消して寝ちゃってください。あきらめるから」とのこと。30分後、姐さんが狸寝入りをしていたら、隣に潜り込み気持ちよさそうに寝息を立て始めた。明日はどうなるのかな……。コードは寝るときにつける酸素
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正月料理、作り、作られ、食べさせ、食べて、元の木阿弥B お太鼓の師匠のお宅で新年会

2017/01/10 11:37
 この回でお正月シリーズは終了します。最後は豪華なおせちが登場です。

 3日の夕方、お太鼓の師匠のお宅で運よく新年会となりました。姐さんが師匠に急用があり訪ねたところに、姉弟子がおせちを持って来るということで、幸運にもご相伴にあずかったわけです。

 この姉弟子、フレンチ料理の修行を積み、プロの料理職人としてと東奔西走。正月料理のオーダーを熟(こな)すのに徹夜状態が続いたとか。師匠の下では鼓を中心に和楽器の稽古、ほかに小唄の師匠のところにも通っているとか。シングルマザーで男子を育て、その子も結婚し仕事とお稽古を楽しんでいるようです。50代、女性の底力を感じさせてくれます。

 女性の底力といえば、もうひとり姐弟子の中にいました。12月30日、姐さんが岩手から帰った日です。その日も夕方から師匠の家に行きました。「1月から香港に転勤になるお弟子さんのために『越後獅子』を三味線、長唄と合わせて最後の稽古をしてあげるから、聞きに来てもいいよ」と、言われていました。もちろん、岩手からの荷物をほどきもせず師匠の家に飛んでいきました。その姐弟子は姐さんの娘より若いです。30代前半でしょう。国の金融機関で働いています。むかし流に言えばエリートキャリアウーマンですよね(苦笑)。香港に転勤だそうです。

 姐さんのまわりでは、女性の海外赴任は珍しくありません。みんないわゆる適齢期(むかし風に言えば、ですよ)の女性たちです。<結婚で幸せになろう、なんて甘い>ことが、この頃の若い女性は十分承知なんですね! でも、「私ね、若いときは料理は自分のためにする、食いしん坊だったから余計そう思ったの。でも最近は、人のためにもなるんだって、思えてきたの。食べてくれる人の顔を見るとね。そしたら余計に腕を磨きたくなった」と、しみじみと言っていた料理人の姐弟子の言葉が印象的でしたね。喜んで食べてくれる人がいるから、料理を作る。作れる。仕事や趣味にも通じますね。自分のためだけに、ではなくね。

 料理がきれいに撮れたのは、姐弟子のセンスのおかげ。料理(藝術作品)をいかに美しく見せるか、大切ですものね。ちなみに飲み物は、姐さん持参のアルゼンチンワイン。ブエノスからの友人がお土産にくださった品で、産地はメンドーサ、ブドウの種類はマルベック。とても好評でした。美味しい特別なお料理にワイン。太らないわけありませんよね。4キロ増を1週間で戻せるでしょうか?


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(画像上)画像一番上、パイ生地に小エビや海苔を混ぜて焼いたもの、ピスタチオ、マカデミアンナッツ。画像2番め、イクラとなます。画像3番め、肉巻きゴボウ、カニ入りポテトサラダ、子牛肉のソティーとミモレットチーズ

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(画像上)画像一番上、黒豆、チラシ寿司の卵巻き、カブの柚酢漬け。画像2番め、カラスミとクリームチーズのムース。画像3番め、紅白かまぼこ、クルミの飴かけ。最後の画像はさまざまなフランス菓子と菓子パン。金塊の形をした<フィナンシャ>は焦がしバターの上澄みにアーモンドの粉を混ぜて作る手の込んだもの。<パンシュトーレン>はクリスマスに食べるドイツの伝統菓子パンとか。いくつでも食べられそうで困った
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正月料理、作り、作られ、食べさせ、食べて、元の木阿弥A 大晦日と二日は自宅で新年会

2017/01/08 07:56
 今年のお正月は東京のお天気と同じように、姐さんも穏やかに過ごせました。いつもは朝酒、昼酒でダラダラ呑んで食べて……、あるいはベッドに本を積み上げて読んでは、ウトウト、ウトウトしては読んでの繰り返し。いずれにしても健康的とは言えませんね。今年は1日ハイキング、2日我が家で新年会、3日お太鼓の師匠の家で新年会、4日はバイト先の仕事始めでしたから、深酒することなく、適度な緊張で楽しく三が日を過ごすことができました。有意義な日々に感謝ではありますが、体重計に乗るのが、とっても不安。

 さて、奥中山のご婦人方が協力して作ったお餅は、東京に到着するやアッという間に友だちの口に入ってしまいました。わずかに残った数切れは、今月末に我が家に遊びに来てくれるはずの友人夫婦に振舞う予定で、冷凍庫という金庫にしまってあります。

 
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(画像上)大晦日に浅草の老舗花屋さんで椿を購入。自慢の自在鉤から吊るした花籠に活けた。お太鼓とのハーモニーで、日本のお正月の雰囲気が出せてうれしい

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(画像上)大晦日はアルゼンチンで日本食レストランを経営し、リタイアした現在は日本に暮らしているご夫婦が材料持ち込みで、姐さんの家の台所に立ってオードブルを作ってくれた。黒豆、カボチャ煮などの日本料理のほか、アルゼンチンのレストランではポピュラーな生ハムとメロン(jamon y melon)。さすが元板前さん、手早く包丁の手さばきがきれいだった。ブエノスではショッピングセンターやスーパーにハム専門店が必ずあったことを思い出しながらいただいた。メロンは種類によってはアルゼンチンに移住した日本人が現地に持ち込み、普及したとか。この日のメイン料理は焼肉

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(画像上)奥中山のお餅! 柔らかくて、とろけるような触感。お餅だけでも十分ごちそう。元旦の朝は浅草海苔で贅沢に包んで<磯辺焼き>でひとつ、娘が持たせてくれた<ねりくるみ>をたっぷりつけてひとつ。どちらもほっぺたが落ちるほど美味しい。日本の知恵の結晶、つきたてのお餅

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(画像上)二日は姐さんが定年までお世話になった会社の会長さん一家を招待し、我が家で新年会。会長一家との新年会がここ数年の恒例となっている。会長との出会いなくして、今の姐さんは存在しない。会長が姐さんの仕事ぶりをみて、評価してくれて<現職参加>という身分も報酬も保留のままJICAボランティアに参加させてくれた。その後も現職時代と変わりなく、いやそれ以上に気にかけてくれている。さて、この日の献立は先付け<カジキマグロの味噌漬け、京野菜の白和え、千枚漬けとハムの合わせ>、おせち料理<野菜煮、伊達巻、紅白なます、昆布巻き>、刺身盛合せ<本マグロ、茹でタコ、イカのシソ巻き>、姐さんが渾身の力を振り絞った<ローストビーフ>、そしてマグロとネギ、シイタケ、三つ葉、揚げをたっぷり入れた<ネギま鍋>で、最後にお餅を入れて締めた。お酒はビール、焼酎、日本酒……。デザートはアイスクリーム。写真は数点撮れただけ。食卓に料理を出した途端、あれよと言う間に一品、ニ品が口の中……。シャッターを押す間がなかった。画像は後日忘れないようにセットしたもの(お皿は当日と違う)。この日の姐さんの「気配り」は、正月にちなんだ凧揚げを連想して、お膳に折り紙で奴さんを置き、お皿に椿の葉を散らしたこと。千枚漬けにハムを挟んだ一品は夫の実家の「十八番(おはこ)」。お酒ととてもあう
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正月料理、作り、作られ、食べさせ、食べて、元の木阿弥@ 奥中山でお餅つき

2017/01/05 11:51
 今日は5日。姐さんは昨日が仕事初めでした。仕事の前にスポーツジムに行きましたが、初日から遅刻もないだろうと思い、何もせず引き返しました。スポーツジムは「がんばって、正月に増えた贅肉落とすわよ!」と姐さんと同じ目的のおばさま、あばあさまの熱気に溢れていました(苦笑)。

 姐さんは暮れの12月30日に奥中山から帰京しました。帰京にあたっては婿さんのご両親が長イモ、ニンジン、ジャガイモ、ダイコン、ゴボウなど箱一杯お土産に持たせてくれました。自分のところの野菜が足りなくなるぐらい……。

 「縄文人の末裔と考えられる東北の山の民には、『きのこが3本あったら、一本は山の神のために、一本は動物のために残し、一本だけいただくという教えがある』」という一文(『蝦夷エミシ・アテルイの戦い』久慈力著)を思い出しました。

 野菜のほかに2升分のつきたてのお餅もお土産にもらいました。豊かな大地で心を込めて育てられた野菜たち、そして新年の食卓には欠かせないお餅。
 岩手出身のあの方にもわけてあげよう、バツイチひとり暮らしのあの男性にも3切れだけ分けてあげよう、「重い野菜は持てない。買い物難民になっている」と日ごろ愚痴をこぼしているあの先輩夫婦にも分けてあげよう、なんてみんなの喜ぶ顔や年越し31日と新年の2日、3日と続く新年会用の料理のことを楽しく思い描きながら、2016年最後の奥中山を後にしました。


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(画像上)28日の餅つきの日は、前夜からの雪が積もって白銀の世界に。姐さんは膝上までの長靴を履き、雪の上をそろりソロリと歩き、滑らずに無事に餅つき会場の集会所に到着。画像は集会場近くから、歩いてきた牛舎を臨む

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(画像上)この日の餅つきのメンバーは3人。みなさん3日前から準備を始めている。まずはもち米を研ぎ、笊にあげておく。研いだもち米は3斗。1斗は100合なので300合。キロにすると45キロ分。3日前といえば、姐さんと孫たちはカラオケにうつつをぬかしていましたっけ……。

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(画像上)蒸篭で30分ほど蒸かし、餅つき機へ。蒸かし加減が大切。硬すぎてはだめで気が抜けない。いちどに4升分餅つき機へ

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(画像上)30分ほどでお餅が完成。熱いうちにのばす。いい具合な柔らかさ。途中で水分補給したりの<企業秘密>があるとか。「ここまで来るのに何年もかけたからね。もち米選びから、おいしい餅にするためのコツ、形のいい熨斗餅作りなど研究したからね」と苦笑いし、再び作業に集中

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(画像上)熱を冷まして、切り餅作りに。働き者の手がさっさ、さっさと2升の餅を切っていく。完成した熨斗餅、切り餅は地域の産直でも売られる。もち米100パーセント、赤ちゃんの頬っぺたのように柔らかくて、作った人の心が詰まっているお餅。食べるのがとっても楽しみ

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(画像上)地域の集会場は立派な一軒家。台所と大広間、控えの間などで構成されている。祭りや子供会、葬式などの準備も行うらしい
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穏やかな元旦は「トトロの森」へハイキング

2017/01/03 23:35
 元旦はお天気に恵まれ、実に穏やかな佳き日でした。夫は大晦日から実家に帰り、姐さんはアルゼンチンで一緒だった友だち夫妻を家に招き、彼らが持参してくれた料理に舌鼓し、元旦は始発バスに乗って東村山の八国山(標高89.4m)を目指しました。

 八国山は狭山丘陵の一角にあり、宮崎駿監督のアニメ『となりのトトロ』のモデルになったところです。緑多く野鳥が遊びハイキングコースとして親しまれ、都心とは趣を異にした自然豊かな住宅地です。そんな場所で元旦を過ごすことができ、美味しい、きれいな空気を胸いっぱい吸って新年をスタート。今年の健康管理を祈り、誓うには絶好の場所でした。


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(画像上)元旦、朝6時過ぎ自宅のテラスからの空

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(画像上)西武線<東村山>駅で下車、八国山に行く途中には神社やお寺が点在する。まずは<猿田彦神社>に参拝。ご神体は石の庚申塔。辻にあった庚申塔を地区の守り神としてお祀り(1895年)。庚申塔は1759年に村民たちが建てたとか。<猿田彦(さるたひこ)>は、天照大神(あまてらすおおかみ)に遣わされた孫の天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を、道案内した神。『古事記』では猿田毘古神・猿田毘古大神・猿田毘古之男神、『日本書紀』では猿田彦命と表記する。中世には庚申信仰や道祖神と結びついた

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(画像上)<諏訪神社>では甘酒、ミカンを振舞っていただいた

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(画像上)八国山に登り始めたのは8時30分ごろ。枯れ葉に水滴があり滑らないように注意しながら登った。木々のあいだから木漏れ日がキラキラして、生き生きしている若葉とのハーモニーにしばし見とれる。気温はドンドン上がり、昼近くになると、歩くたびに枯れ葉がサクサクと音をたてた

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(画像上)たまに歩いてきた道を振り返ると、進んで歩いているときとはまったく違う風景でおもしろい

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(画像上)「突き当りまでまっすぐ歩いてごらんなさい」と、すれ違ったハイキング仲間から素晴らしいプレゼントを。それは<八国山・正福寺さんぽみち>の西武園側の正面から、突然現れた堂々の富士山

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(画像上)お寿司屋さん(たまこ寿司)おススメの場所、多摩湖からの富士山。思わず手を合わせてしまうのが、富士山の富士山たる所以

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(画像上)約1万5000歩歩いて、帰路につたところで見つけたお寿司屋(たまこ寿司・西武園駅前)さん。まずは生ビールの大。そして注文しないのに「どうぞ」と目の前のカウンターを飾るのは、煮物、特上寿司、けんちん汁、沢庵、和菓子……。恐る恐る「ごちそうさまでした。お愛想お願いします」「ありがとうございました1600円いただきます」にびっくり。もちろん特別料金。おかみさんも、大将の人柄、そして料金に癒された。実にいい元旦
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れおくんとまあちゃんの誕生会A お料理

2016/12/31 20:10
 誕生会の日は娘が夫とえい坊、まーやを連れて盛岡郊外の鶯宿温泉に行きました。れおくん、まあちゃんは姐さんとお留守番です。みんなが出かけているあいだに、パーティの飾り付けと料理をしました。誕生日のお祝いをされるふたりが誕生会の準備ですから、ちょっと変ですかネ?(苦笑)。


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(画像上)30代のロサンゼルスから帰国して国立に住んでいたころ、出会ったソーセージ専門店<ノイフランク>の「お取り寄せ」のソーセージ、ハムとスモークサーモン、オリーブのオードブル

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(画像上)ポテトサラダとトマト。地元産のポテトとニンジンは甘くて絶品

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(画像上)夫の好きなひき肉料理も加えて。肉団子と野菜の酢豚風味付け

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(画像上)メインは盛岡駅フェザン店<清次郎>のお寿司10人前

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(画像上)誕生ケーキは盛岡のナンチャラ店(店名不明)の特製ケーキ。イチゴ、メロン、バナナのフルーツが三段でぎっしり

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(画像上)肉団子作りを手伝うれおくん。誕生会の主役なのに悪いねぇ〜。飾り付けもれおくんのおかげで完成
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れおくんとまあちゃんの誕生会@ 恒例の仮装カラオケ大会で爆発

2016/12/31 07:12
 一年を締めくくる大イベント、と言うより姐さんにとってはこの日のために一年間健康に気を付け、コツコツまじめに(!)生きているようなもの。その大イベント、れおくんとまあちゃんの誕生日がきました。昨年に続きツレアイも二泊三日で東京からかけつけ、婿さんの家族を中心に総勢11名のファミリーパーティです。

 今年の最大の喜びはまあちゃんが一度も入院しなかったこと。体力がついた理由は、れおくんとえい坊の通う市立小学校の隣にある県立の支援学校に通うようになり、そこで手厚い教育を受けるようになったことが大きいでしょう。まあちゃんのお母さん(姐さんの娘)からときどき見せてもらう学校生活の写真には「えっ? こんなところにも連れて行ってもらったの」と、いわて銀河鉄道に乗って盛岡のアミューズメント施設「ランドワン」や室内プール「ゆぴあす」で、笑顔がはじけているまあちゃんの姿があります。引率の先生方にはほんとうに頭が下がりますね。

 さて、誕生パーティーが始まったのは婿さんのご両親と婿さんの仕事(牛舎)の関係で夜10時からでしたが、前哨戦でカラオケが始まり、マイクの奪い合い、歌声は3夜に亘って響くことに相成りました。若者との付き合いは体力勝負也。

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(画像上)誕生プレゼントは風船。毎年、歓声をあげて遊んでいる。7歳の誕生日を無事に迎えられたことは、夢のよう

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(画像上)仮装が恒例に。ノリノリのまーや

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(画像上)ケーキを前に孫四人。姐さんの願いは四人仲良く、力を合わせて。踊りのスポンサーでもあり、姐さんのことを可愛がってくれていた今は亡き祖父は、結婚してからの姐さんに会うたびに「旦那さんと仲良く暮らすんだよ」といつも、涙目で言っていた。その意味が最近よくわかる。自分が大事だとわかっていても、いろいろな事情でできなかったことを孫の姐さんに託したのだ。姐さんもまた……

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(画像上)えい坊はパーティに欠かせない人財。モノマネや芝居も上手。日舞の素養もあるかも(笑)。創造力が豊かで、何よりおもしろい。親は心配な面もあるらしいが……

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(画像上)れおくんの歌は性格そのもので正統派。点数もグーンと上がっていく

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(画像上)姐さんはといえば、昨年よりバージョンアップのコスチューム。浅草の外国人向けの店で衣装を買ったとき、お店の人が「お客さんが着るんですか? どんなときに着るんですか?」
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日比谷公園での集会で思わぬ<紅葉狩り>の機会に恵まれて

2016/12/29 10:24
 12月の初め、東京に戻ると秒刻みの忙しさでした。週3〜4日は夜7時過ぎまでのバイトに追われ、毎日の踊りとお太鼓のお稽古、ジム通い、月に数度は歴史関係の研究会へ……。紅葉の便りを聞いても、都内の名所でも足を運べない状況でした。

 そんな中、沖縄基地反対集会が日比谷公園で行われ、短い時間でしたが姐さんも集会に参加しました。<参加した>などおこがましいです。実際は集会に参加したのはほんのわずかな時間で、久しぶりに仲間と日比谷図書館のカフェでお茶をした時間の方が多かったのですから。

 銀座から日比谷公園まで歩き、公園に入ってみると入口付近に一塊の人垣ができていました。鮮やかな紅葉に目を奪われ、立ち止まっている人たちでした。秋の光が金粉のように、色とりどりの葉の間に降り注いでいました。姐さんもいつしかその幸福な光の中に引き込まれていました。

 沖縄でのオスプレイの墜落事故があったのはこの集会のすぐあとでした。

 友人が元共同通信のデスクのコメントを送ってくれたので、ここに掲載します。


「きょうの各紙が当たり前のように小さく報じている。
国会はきょう12月17日、2回の延長を経て、83日間の会期を終え閉会すると。
通常国会は1月下旬のになる見通しである、と。
政治は長い正月休みに入るというわけだ。
しかし、国会開会中に、二つの重大な出来事が起きた。
一つはオスプレイの墜落事故だ。
もう一つは北方領土を問題をめぐる歴史的な安倍・プーチン首脳会談だ。
そのいずれも国民にとってこれ以上ない大きな政治問題である。
オスプレイの墜落事故は、もはや沖縄だけの問題ではない。
全国中に飛び回るオスプレイはどこで墜落してもおかしくない事が証明された。
横田で墜落事故が起きたら逃げ場がない。大惨事になるだろう。
犠牲者を出さなかったパイロットを英雄視し、感謝しろと暴言を吐いた在日海兵隊責任者の更迭と、オスプレイの配備見直しの二つは、国会が安倍政権に実現させる最低限の政治要求だ。
一方の北方領土問題は、誰もが目撃した安倍外交の失敗だ。
国会ではなく、やたらにテレビに出てそれをごまかす安倍首相の発言は、誰が聞いても虚偽だ。
野党は今こそ共闘し、オスプレイの墜落事故と北方領土問題に関する安倍・プーチン合意について、国会延長を求めるべきだ。国会で追及すべきだ。
自公両党は、いやしくも政権政党であるならば、野党の追及を堂々と受けて立つべきだ。
ところが、国会延長という声は、どこからも出て来ない。
それどころか、国会会期中に起きたというのに、この二つの歴史的大問題について、国会でただの一度もまともな議論が行われた形跡はない。
カジノ法案ばかりが政局になっている。
こんな馬鹿な国会があるか。
次の国会まで、長い正月休みに入り、次の国会が始まる頃には、遠い昔の事のように、すべて忘れ去られるに違いない。これが国会だ。これがいまの日本政治だ。
与党の政治家はもちろん、野党の政治家たちも一人残らず税金泥棒だ。
解散・総選挙の事ばかり大騒ぎし、選挙でどうしたら議席を増やすか、生き残るか、その事しか関心のない政治屋ばかりだ。
東京都には都民ファーストを掲げる政党が動き出そうとしている。
日本の政治には、国民ファーストを実践する政党が何としてでも出て来なければいけない(了)

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(画像上)都内の喧騒を忘れさせてくれる風景

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(画像上)野外音楽堂を埋め尽くした<基地反対集会>
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身がいっぱいのあまーいタラバガニをご相伴(しょうばん)! カニの美味しさにも勝るまあちゃんの笑顔

2016/12/04 18:56
 昨夜の夕食は足のながーい、ながーいタラバガニでした。水産会社に勤務する婿さんのお友だちからの到来品だそうです。姐さんの東京の住まいの2階には<かに道楽>が入っていて数回行ったことがありますが、カニを注文した覚えはないのです(笑) 

 カニと言えば、10年ほど前にJICAボランティアの日系社会青年ボランティアで同じ組織に派遣されていたMちゃんを訪ねて奥中山から北海道に行ったとき、彼女がボーンとお土産に毛ガニを持たせてくれました。Mちゃんは介護関係のボランティアとして日系社会のおじいちゃん、おばあちゃんたちのために積極的に活動していました。そして、今度「〇〇の施設行きますが、一緒に行きますか?」「今週末〇〇を見に行きますが、どうですか空いていますか?」と、福祉施設で日本舞踊を見てもらう機会を作ってくれて、活動の場を広げてくれたり、遊んで(姐さんを介護?)くれたりしました。いちばん印象に残っているのはあいさつの大切さです。お年寄りの前でいつも笑顔で、大きな声で「こんにちは」とあいさつしていました。当たり前のことですが、改めてあいさつの大切さを娘の歳のような彼女から学びました。今でも、忘れたころに北海道の美味しい、珍しいお菓子を送ってくれて感謝、感謝のボランティア仲間です。

 そのMちゃんのカニを奥中山で食べたとき、れおくんは2歳。えい坊はまだ生まれていませんでした。その頃両手でカニの形を作って遊んでいたれおくん。本物のカニを見て「ガニ、ガニ」って言っていたのが、昨日のことのように思い出されます。


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(画像上)ロシア産か日本産か気にする人がいるようだが、どっちでも捕れるところは日本海、オホーツク海、北極海あたり。海はひとつでつながっている。味に大差はないだろう

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(画像上)説明書を読みながら茹で、食卓に。カニ汁も作ってカニ尽くし。あまーい身がたっぷり入って「美味しい!」の一言。寿命が10年伸びたかも。贅沢を言ってしまえば、殻を切り、食べやすくするのがたいへん。娘は指を痛めながら一生懸命だった。カニ切り専門のハサミやフォークにお金がかかったとか……

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(画像上)茹でたり、料理をしているあいだ、まあちゃんはえい坊が、まーやはれお君が遊んでくれていた。まあちゃんは高い高いをしてもらったり、抱っこして揺らしてもらったり、おんぶして走ってもらったりの<運動系>が大好き。まあちゃんのうれしそうな顔を見ると、一日の疲れが癒される。カニの美味しさに勝るとも劣らないまあちゃんの笑顔。カニの美味しさは一瞬。まあちゃんの笑顔は一生

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(画像上)お母さんが3人の子どもたちを連れて盛岡に買い物に行っている間、まあちゃんは姐さんとお留守番。天気がよかったので、さっさと靴を履いて外に出る準備のまあちゃん。まあちゃんが履いている半ズボンは姐さんからのプレゼント。履きやすいだろうと思って買った女性用の……。
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奥中山は雪。新雪を踏んで、夜明け前のお散歩

2016/12/02 20:56
 姐さんが奥中山に着いた日には雪はなく、ホッとしたものです。しかし、数日前から降っては止み、止んでは降るで、とうとう今朝カーテンを開けたら、外は真っ白。雪が積もり土は見えませんでした。

 そんな中、えい坊と犬の散歩に行きました。ワンちゃんの名前は三郎。今年家族の一員になりました。真っ白で紀州犬のようですが、北海道出身だそうです。毎朝、学校へ行く前と、帰宅後にれおくんとえい坊が交代で散歩に連れて行きます。自分たちが飼いたいと言ったので、責任もって世話をするのは当たり前ですが、毎朝5時半に起きて30分以上散歩させるのは、正直たいへんだと思います。特に冬は。でも頑張っているふたり。心も体も強くなって、きっといいことあるよ。

 それにしても自分が雪の中を歩くなんて、金属製の滑り止め付きの長靴を履いても、去年までとても怖くて出来ませんでした。でも、今は少しの距離なら寒さにも耐えられるし、怖がらずに歩ける。スポーツジムに通い始めたおかげかな? 体力、筋力がついたからかしら? それともこの地に慣れた? えっ、それは怖い、怖い、ダメ、ダメ(笑)


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(画像上)6時前の冬の朝。吐く息も凍ってしまうほど。県道に出たら姐さんは「いってらしゃ〜い。気を付けてねぇ」。だって、雪道は滑って怖いから。昨日の朝はレオ君が当番。夕方のお散歩はえい坊。スクールバスの停留所<すずらん>脇ににある明かりが三郎とれお君の寄り添う姿を映し、それは姐さんの歩みを止めるほど幻想的な風景だった

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(画像上)今朝はえい坊がお当番。えい坊は寝起きが悪くて、姐さんはえい坊を起こすのは苦手。まず自分の支度をして「えい坊、お散歩行くよ! 起きて!」。まだ外は真っ暗。雪の白さと三郎の白さが重なっている

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(画像上)新雪の朝。轍(わだち)を挟んで人間様とお犬様の足跡

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(画像上)三郎のお家は牛舎の前で、まあちゃんのおじいちゃん、おばあちゃんの家を守っている

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(画像上)週に3日、まあちゃんはお母さんが仕事を終えて、迎えにくるまでの放課後「ゆいまぁる」というグループホームで過ごす。姐さんも中を見せていただいたけど、二間続きの窓が大きな明るい、広いプレイルール(居間)と、個室が3つほどある一軒家。2011年に開所したとか。とてもきれいで、姐さんも住みたくなった。ここで5〜6人のお友だちと先生3人で時間まで過ごす。授業が終わってすぐに帰る週に2日は、学校から家まで送迎サービスをしてくれる。夕方4時を過ぎると気温はぐっと低くなり、お母さんもまあちゃんも滑りそう。お母さんがまあちゃんの手をグッと握る

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(画像上)「ゆいまぁる」は<カナンの園>という福祉法人が母体の<指定児童ディサービス>施設。一軒家が数棟あり、家庭の事情によって寄宿できる施設でもあり、親の緊急時には学校に行く時間以外を24時間体制で(たぶん)お世話してもらえる。「平気なへいさん」を装っても、夫婦にしかわからない、愚痴りたくても人には言えない、言いたくない気苦労はあるはずだ、そんな親にとって、いざという時に安心して預けられる施設は心強い存在に違いない
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まあちゃん、元気で思わず微笑んでしまうほど力持ち

2016/11/30 21:28
 奥中山のまあちゃんのお家に1カ月と2週間振りに来ました。雪はなくても、骨の髄まで冷え込む寒さです。そんな寒さでもまあちゃんは、とっても元気でした。凄いことです! しかも、家に入って「まあちゃん」って言いながら、まあちゃんの肩をトントンしたら、すぐに微笑んで、姐さんに飛びついて抱っこされ、手を握って2階で遊ぼうね、2階にいっしょに行こうね、のサインで、姐さんを引っ張っていくのですから。かわいい、かわいいまあちゃんです。
 姐さんは東京にいるときは、講演録やシンポジュウムのライティングの仕事をしたり、広く言えば教育関係の施設でアルバイトをしています(夕方から夜間)。対象は健常児です。福祉専門の派遣会社に登録し、姐さんは教育分野に派遣されています。派遣会社の担当者とも派遣先の仲間ともいい関係で、老体に鞭打ってではありますが、楽しく仕事をしています。でも、最低限のスタッフ(正職員+パート)で子どもたちを看るのですから、たいへんな仕事だな、先生たちは長時間勤務で病気にもなれないな、と同情してしまいます。そして、管理職であればあるほど「教育的指導」という大義名分で子どもたちをよく怒るのです。しかも感情的に(姐さんにはそう感じる)、罰を与えるのです。もちろん体罰ではありません。管理職(主任とか)がそうなら、部下も主任に右へ習えとなるようですね。姐さんは子どもとは生きている、元気で遊んでいるだけで十分なのに、って思ってしまうのですが……。
 おとなしい子は自己主張ができない分、損かしら? 怒られっぱなしで、反論ができなくて。おとなしい子の心の声を聴くことこそ、教育者だと思いますが。 いじめの<巣>って、幼少期から始まるのですね……。<巣>を作るのは大人。大人によって傷ついた心を持った子どもが、そのままいじめっ子のいいなりになって、自分の殻に閉じこもり、それがエスカレートすれば自虐行為に走り。片やいじめっこは、いじめることで優越感を高めていく。もし家庭に居場所がなければ、他人をいじめることによって、自分の心の空洞を埋めていく。いつの時代も子どもの世界は大人の縮図、子どもの心も大人の心も一緒。


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(画像上)座っている姐さんを両手で引っ張って、2階に連れて行こうとするまあちゃん。その調子でたくましく生きてほしい、楽しく生きてほしい

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(画像上)肩車してあげた姐さんに、もっと、と大喜びのまあちゃん。まあちゃんのお母さんは「腰や肩がいたくなるから、よしなよ」と言うけど、まあちゃんの笑顔を見たい! キャッキャと喜んでいる声が聴きたい。ピースサインは姐さん えい坊が撮影

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(画像上)まあちゃん用に作った冬の外出用のロンパ。でもサイズミスで大きすぎ。まーやが面白がって着てくれた

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(画像上)姐さんと一緒に寝ているれおくん。窓から入る冷たい風が心配で、まあちゃん用のロンパをかけたらいい具合。暖房設備が行き渡っていなかったころ、よく使われていた<かいまき布団>みたいだ
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煮沸(しゃふつ)の効果は凄い! タオルが買ったときのように!

2016/11/25 21:54
 姐さんはタオルやフキンの臭いが物凄く気になるタイプです。誰でもそうでしょうが。宇都宮の友だちが姐さんの家に泊まりに来たときに、何気なくその話をしたら「煮沸するといい」と教えてくれました。

 そこで試しにやってみたら、生乾きのときのいや〜な臭いも老臭(!?)も完全に消えに、その上タオルは買ったときのようにフワフワになったのです。岩手に行くと3カ月に一度は盛岡のデパートで必ずタオルを買うぐらい、きれいなタオルに目がない姐さんです。なぜ東京で買わないで、盛岡なのか? それはお値段です。盛岡のデパートのタオル売り場はいつもバーゲンの品があります。肌触りのいいタオルが東京で買うより格安で手に入るのです。

 明日から岩手。でも今回はタオルは買わなくて済みそうです。古いタオルも煮沸のおけげで、新品同様になりましたから。


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(画像上)今日はタオルの煮沸日。最近では夫の枕カバーも煮沸する。ある日夫が「あなたそのうち、パンツも煮沸するんじゃない? 煮沸用の鍋を買わなくちゃいけないね」。我が家の台所はシステムキッチンなんていうお洒落なものではない。URお仕着せの小さなガス台だ。でも、これがスグレモノであることを入居3年にもなる先日、夫が発見。自動で火加減調節してくれてお粥が炊ける、使用時間の設定ができる(時間が過ぎると自動的に消える)などだ

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(画像上)昨日は11月なのに東京に雪。54年振りの珍事とか。一夜明けた今日は打って変わって秋晴れ。煮沸したタオルをお日様がベランダを照らし始めたと同時に干した。外に洗濯物を干せるなんて幸せ。洗濯物で一人暮らしがわかってしまったり、不届き者がいたりで外に干せない人がけっこういるみたいだ。景観の問題もあり外干しを禁じているマンションもある。アルゼンチンではそうだった。洗濯物はキッチンの側のスチームの入った小部屋に入れて干していた。けっこう不便だったこと今思い出した

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(画像上)日差しが暖かく、空気が乾いていたので、和ダンスの引き出しを開け着物に風を入れた。防虫剤は楠木からとった樟脳。粉状なので着物の余り地で小袋を作り、その中に和紙で包んだ樟脳を入れている。着物は好きだけど手入れには手間暇がかかる。軽くて、洗えて、着やすい化繊の着物が若者だけではなく、全世代で人気な理由がよくわかる

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(画像上)あまりにもきれいだったので朝焼けの空をパチリ。起床時(毎朝4時半)の静かな漆黒の空には、手が届きそうな位置に下弦の月。お月様のすぐ下の木星がダイヤのように輝いていた。いくら高さで競いでも、いくらライトアップで目立たせようとしても、自然の持つ美、威力にはかなわない。東の空がオレンジ色に染まり始める頃には、お月様はスカイツリーからも私からも離れ、どんどん手の届かない遠くへ行ってしまった。そして、夜が明けた6時にはその姿を消してしまった。姿を消す直前のお月様は大きな空の中で、唇の端を曲げポパイ顔して笑っていた
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外食・内食。週2日の休肝日から禁酒へ。体重はピーク時から8キロ減

2016/11/24 14:19
 自慢にはならないけど、姐さんはけっこう酒豪で通ってきました。現職時代は上司が呑んべいだったので、一日の仕事の終わりをアルコールで締めたものです。お酒に目がなかったのは父親譲り。しかも日本酒がいちばん好き、なので酔いはまわるし、肥満や血圧の注意ランプがいつ点滅をはじめてもおかしくない段階に入っていたかもしれません、今年の春までは。

 晩酌にストップがかかったのは、小3の孫のえい坊の「バーバラ、お酒飲まない日を作ったら?」の一言。翌日からは休肝日を週に2日作ることを誓い、決行しました。

 すると、体重も少しずつ減ってきました。そこで、2カ月後には「呑み会以外は飲まない」を心に決め、今ではほぼ毎日休肝日状態になっています。同時に食材にも気を使い、カロリーに気を使い、塩分も減らし、野菜中心のメニュー。お酒を呑まないので、自然<アテ>を作る必要もなく、極めて健康的な生活です。夫がとなりで呑んでいても、ぜ〜ん、ぜん平気。友だちに誘われて、数カ月前からスポーツジムにも通い始めたのが功を発して、体重は半年で5キロ減。数年前のピーク時に比べ8キロ減。ウエストはマイナス13センチ。もうスラックスがブカブカ。区の無料健康診断に行ったら、コレステロールや肝臓系の数値も下がり、すべてが基準値内でした。

 毎晩飲んでいる、しかも赤提灯でタバコを吸いながらという友人から「お酒もタバコもやめたら、人生の楽しみがなくなっちゃう。雪見さんはつまらなくありませんか?」と聞かれ、「ほかに人生の楽しみを作ればいいじゃない。私はお酒以外に楽しみ作ったから大丈夫ですよ」。これ本音です。「なんとかなるさ」では、なんとかならない。健康に自己管理が必要な年齢に完全に入ってしまった……。まだ間に合う……。


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(画像上)「呑まない」と宣言しつつも、たまには……。1カ月ほど前に、バイト先の近くで気になっていた店があり、友だちに付き合ってもらった。店に名は「一文」、場所はお酉様で有名な浅草長國寺そば。この店、一文が100円の木札で商っている。タイムスリップした感覚。この店の名物は<江戸ねぎま鍋>。江戸時代の江戸では鍋物が庶民のあいだで好まれたそうだ。その理由は日に何度も火を使うより、鍋だと一度に具も汁も食べられ火事のリスクが少なくなるから。そして今では高級なネギま鍋も江戸時代は庶民の味だったとか。冷蔵庫のない時代傷みやすいトロは捨てていた。そのトロを利用したのがネギま鍋の由来。熱くした鉄なべに季節の野菜をちょいっと入れて、筒切りにした長ネギとマグロを加える。旨味のある出汁と醤油の芳しい香りにうっとり。程よく味の染みた柔らかいマグロはやさしい味だ。2人前36文(3600円)、画像の一品料理は小肌〆で6文(600円)。アルコールはビールが7文、日本酒が5文〜

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(画像上)朝食(いちばん上)は毎日同じ献立(苦笑)。基本は玄米茶椀に軽く一杯、納豆、めかぶ、味噌汁の一汁ニ菜(!?)。この日は友人手作りの<柚子胡椒>を味噌汁に入れてみた。初めての試み。確かに柚子胡椒の辛さが、味噌の甘さを引き立て美味しい! 前夜の残りの豆腐、ゴボウ、人参の炒めサラダとシラス干しも加わり豪華。夫は白米を就寝前に自分で仕掛けている。おかずは姐さんと同じ。ちなみに昼食はハト麦をポップした<ハト麦ポン>をアーモンド飲料とともに電子レンジで温め、切ったリンゴときな粉を加えて食べる

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(画像上)お茶で夕食は寂しいので、ノンアルコールのビールを愛用。呑んべいだった姐さんがきっぱり酒を止めて、かわいそうに思ったのか夫がいろいろな種類のノンアルコールビールを調達してきてくれる。献立はキムチ、手作りニラ饅頭、白身魚の野菜あんかけ、シラス、キュウリ、トマトのサラダを特製の薬味で。ニラ饅頭はひき肉の脂を落とすために、蒸籠で。<特製の薬味>はシソの葉、細ネギ、オクラ、ミョウガ、キザミ昆布、柔らか大豆を酢と白出汁で混ぜたもの。画像下は下しダイコンとレモンたっぷりのサンマの塩焼き、昆布とコンニャク、ニンジンの煮物、エビシュウマイ。シュウマイは夫用。米は食べない。<特製薬味>は魚、肉料理にも合うスグレもの。話題の書『やせるおかず作りおき』(柳澤英子著/小学館)を参考にした
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東京藝大で創立130年記念の邦楽の演奏会。巧みな解説にも感銘

2016/11/20 20:45
 12日土曜日に東京藝術大学の校内にある奏楽堂で、東京藝大創立130年記念の演奏会が行われました。姐さんの太鼓の師匠、藤舎円秀先生が教え子の学生たちと演奏するということで、チケットを譲って頂き、行ってきました。

 第一部は日本の邦楽の歴史(流れ)がわかる、雅楽、能、日本舞踊、筝曲の演奏と踊り(舞い……能は踊るとは言わない)。テーマは<日本の海>です。第二部は邦楽では珍しいオーケストラ仕立てや尺八だけで鶴の鳴き声を演奏したり、能の囃子とは別な<邦楽囃子>というジャンルが披露されたりと、新しい邦楽の可能性を探った演奏会でした。

 第一部、第二部合計約6時間! 好きな人じゃないと座っていられませんね、きっと。

 舞台に立ったのは円秀先生のような藝大で教鞭をとっている一流のプロの方と学生さん、卒業生たちで100人以上。演奏はもちろん楽しめましたが、勉強になったのは幕間に行われた日本の伝統芸能と演目についての解説です。

 解説をしたのは葛西誠司さん。さすが元NHKのエグゼクティブアナウンサーで「仕舞入門」「芸能花舞台」など、古典芸能の番組を数々手がけていらした実力派。声はよく通り、面白く、わかりやすく、そしてお囃子と同じように間の取り方が絶妙なんです、話と笑いの間の取り方が。

 例えば「東京藝大は日本でいちばん人気があり、日本でいちばん倍率の高い大学です。そして変人の多いことでも有名です。まだ音楽学部は変人は少ないようですが、美術学部に至っては卒業生の半分は行方不明とか……(笑)」
 「日本の箏(こと)は十三絃、中国は二十五絃。お隣韓国の箏は十二絃。韓国+日本=中国……(笑)」
 「能の舞台で使う笛、大鼓、小鼓、太鼓。この四つを<四拍子>と呼びます。では、みなさんコツヅミと言ってみましょう。さぁ、イチ、ニのサン。ちがいますよ、コヅツミは郵便言葉ですよ」など(笑)。

 1887年に創立され、来年130年目を迎える東京藝大。最初は西洋音楽の知識を教え、広めるための大学だったそうです。その頃の日本は邦楽はいたるところに溢れていたので、教える必要はなかったとか。しかし、西欧文化の急速な普及によって伝統芸術の重要性が見直され、音楽部の中に邦楽科が誕生しました。今から約80年前の1936(昭和11)年のことです。そして現在700以上ある日本の大学の中で、邦楽科があるのは東京藝大だけだそうです。


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(画像上)<奏楽堂>はさすが素晴らしい舞台、音響設備だ。トイレはひとつだけど、個室の数が多いのも好感。但し、地下なので少々面倒。エレベーターも無さそう……。最初の演奏は金屏風の前で雅楽。次は柱が立ち、敷物が敷かれ能舞台に変わった。能舞台には老松の絵が欠かせない。これは<鏡板(かがみいた)>と呼ばれ、向かいにある(と想像して)松を映したものとされる。松には神様が降り立つ。能は松に降り立った神様にご覧いただき、観客は神様と一緒に鑑賞する。金屏風といえばブエノスアイレスでの踊りの発表会のときに、日系団体の会長さんが何日も徹夜状態で大きな板にペンキを塗り重ね、工作し、金屏風を作ってくださったことを思い出した。10年たった今でも重宝されているとか

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(画像上)一部と二部のわずかな空き時間を利用して、上野桜木にある<上野桜木あたり>へ。ここは昭和13年に建てられた三軒木造家屋の内部を改築して、イベントスーペースやビヤホール、パン屋さんに変わった谷中の観光名所。当時の面影を残すように井戸がある。姐さんはアルゼンチンに行くまでの約15年、この地区に住んでいたので懐かしい。1964年の東京オリンピックの頃から東京の街の内側も外側もすっかり変わってしまった。大家族から核家族へ。50年前なら当たり前だった木造家屋から鉄筋のマンションへ。オリンピックを挟んだ過去の時代の姿は、その年月よりもずっと長く、遠い、遠い夢の世界のよう。今度のオリンピックを目前に、54年前よりもっと激しく東京は変わっていく。古典芸能のあり方も変わるのだろうか? 姐さんは<あたり>のいちばん奥にある<カヤバベーカリー>に入り、ミルクロール(100円)と大葉ハーブソーセージ(270円)のパンを買い、ベンチに座って一息つきながらこんなことを考えていた

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(画像上)藝大に続く道にある老舗和菓子屋さん。この辺りは老舗の和菓子屋さんが多い。お寺も多いのでお供えとして、お茶請けとして重宝されるのだろう。明治33年創業、現在四代目の<岡埜栄泉おかのえいせん>さんの二階の瓦、板塀、窓は<昭和のお宝>に匹敵する作りだ

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(画像上)舞台がはねた(終わって)のは午後8時近く。上野公園を通って浅草までのバス停へ。公園内の桜並木は桜の花に代わって淡いピンクのライトのアーチで楚々としていた。ホームレスで有名な上野公園だったが、今はきれいなものだ。ホームレスたちはどこへ行ってしまったのか? 冬本番が近づいているけど……
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締太鼓のお稽古。心を無にして撥を上げ下げ

2016/11/07 08:27
 姐さんが今いちばん楽しい時間は締太鼓のお稽古。お稽古をはじめたきっかけは、アルゼンチンから帰国し日本舞踊だけできても、日本文化にかかわっているとは言えないな、と思い邦楽に挑戦しようと思ったこと。日本の楽器が何かひとつでもできるようになれば、日本舞踊にも役立つと思ったことです。

 そして稽古場をいろいろ探しているうちに東京藝術大学で集中講座が開講されていることを知りました(毎年3日間開講。一日6時間の授業で長唄、唱歌、民謡など3曲を「いきなり実技」で習得し、3日めの最終日に演奏会)。

 そのときの師匠(指導教官)が今、姐さんが個人的に指導を仰いでいる藤舎円秀(とうしゃ・えんしゅう)先生です。藝大で3年ほど受講したあと、円秀師匠の弟子にして頂こうとメールや手紙でお願いしましたが、師匠は多忙でなかなか返事が頂けませんでした。芸事のお稽古には、自分にとって理解しやすい教え方をなさっているか、邦楽や弟子に対する姿勢はどうか、お金はどのくらい必要かなど師匠との相性があります。姐さんは自分の師匠には円秀師匠しか考えられませんでした。だから何カ月でも入門の許可を待ちました。そして、去年から門下生にして頂けたわけです。

 稽古場は花街神楽坂近く。師匠は藝大でも毎週何時間か指導し、そのうえ北海道から九州まで公演があるので基本的に師匠のスケジュールの空いている日、月に3回のお稽古ですが、姐さんも忙しいので2回にしています。

 右手と左手を間違いて打つことはなくなりましたが、姐さんにとって今の難問は譜面通りの音が出ないこと。強弱がでないことです。昨日のお稽古でも「左の撥は上げない!」「右の撥はもっと高く!」「譜面ばかり見て打たないで、私の打ち方を見ながら続けて!」「えっ? 撥は直角に下すのかって? 直角ではありません。でもそんなことはまだ考えなくていいです。あれも、これも直せって言っても、頭が混乱するだけでしょ」などなどの厳しい叱責。でも、いつか、いつかきっと……!


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(画像上)姐さんの稽古場はマンション1階のカフェ。1杯の紅茶やコーヒーで2〜3時間粘ることも。撥の代わりに指で太鼓替わりのテーブルを打って、覚える

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(画像上)譜面は西洋音楽とは違う。大きく打つ<天>、太鼓に撥をつけるだけの<ツ>など漢字とカタカナで書かれている。いつも譜面に注意書きや唄も書き、毎日持ち歩くのでボロボロ。お稽古の曲は初めのころは師匠が決めていたが、最近は「次は何をしたい?」と聞いてくださる。姐さんが教えていただいた曲はほとんど踊った曲やアルゼンチンで弟子に教えた踊りの曲。この譜面も弟子に教えてきた『元禄花見踊り』

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(画像上)自宅の稽古室……、なんてあるわけない。畳一畳に座ってお稽古。寝るときはベッドになる。自在鉤でつるした一輪挿しには、この季節の和花<木苺>と<りんどう>

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(画像上)今の花屋さんは洋花ばかりで、和花を探すのは容易でない。寂聴さんやこの度紫綬褒章受賞が決まった、姐さんの大好きな小説家の伊集院静さんの小説やエッセイを読むと、和花が文章のところどころに散らされ、登場人物の心を代弁したり、場面の雰囲気の効果を高める。和花の奥ゆかしさ、文学的な存在に心を奪われ、花を買うなら和花と決めている。幸い浅草は江戸歌舞伎の隆盛を極めた場所で、お茶屋さん(芸妓の管理や花街の運営にあたる)が多く、明治末期から大正時代には、芸子さんが呼ばれる料理屋(料亭)が50軒近くあった。その料亭に欠かせないのが生け花。姐さんお気に入りの花屋さんは浅草伝通院通りにある「花粂」さん。明治25年に創業で浅草の花柳界とともに歩み、歴史の生き証人であり、華やかな世界の表も裏も知っている。おかみに勧められた<木苺>、日がたつにつれ黄色に赤みがさし、美しく、奥深い。無機質なマンションの一室に、原生林の精が舞い降り、一期一会の季節を楽しませてくれている

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(画像上)今お稽古しているのは「種蒔き三番叟(別名舌出し三番叟」。「次は何する?」と師匠に聞かれ「かっぽれ」と姐さん。「今後、だれかの前で太鼓を打つことあると思う?」と師匠。「さぁ〜????」と姐さん。「同じお稽古するなら打って楽しく、お客さんや立方(囃し方に対して舞台で踊る人)も楽しいほうがいいから、大太鼓と絞太鼓のふたつ使いましょう」と、両方の太鼓を打ちながら、さらさらと譜を書いてくださった。次回からふたつの太鼓で演奏。できるかなぁ〜

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(画像上)今年八月に神楽坂の劇場で行われた円秀師匠会主の「東京邦楽の集い」の下ざらい(リハーサル)風景。姐さんは出演しないけど、勉強になると特別見学を許可された。囃しはあくまでも踊りに合わせる。下ざらいはその確認でもある。踊りには<後見(こうけん>さんの存在は大きい。振りの必要に応じて、踊りの邪魔にならないように、傘をわたしたり、花を渡したり、ときには立方さんの汗を客席に目立たないようにふいてくれたり。「大丈夫。落ち着いてね」と声もかけてくれる。この下ざらいの翌日は、姐さんの所属する水木流東京水木会会長が会主をなさっている「水扇会」が国立劇場で開かれた。そのときの囃し方として円秀師匠が出演した

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(画像上)踊りを踊る前に囃し方さん、後見さんに「よろしくお願いします」と挨拶するのが、この世界の習わし。後見さんは一曲おわるごとに、変更事項や大切なことをメモしておく。後見さんはほとんど男性。日本舞踊すべての踊りを覚えている。だから、各流派でお抱えの後見さんがいる。元歌舞伎の役者さんだったり、世襲だったりする場合が多い。もちろん名取だ

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(画像上)私たち円秀師匠の弟子ばかりでなく、師匠に縁のある邦楽関係者や舞踊家が集まる「東京邦楽のつどい」。会に出演したほうが上達することはわかっていても、経済的な問題やこれまで半世紀以上の日本舞踊の舞台出演で燃え尽きてしまったので(お金も)、受付を担当している。日本舞踊の会と同じように邦楽関係の発表会でも、見に来てくださった方へのお礼の記念品「巻物(まきもの)」やお弁当を出演者は用意するのが慣例(1000〜2000円)。ともかくお金がかかる。お金がかかることが日本舞踊や邦楽の敷居を高くしている原因でもある。必要悪か? いや、お金はかからないほうがいい。もっと門戸を広くしないと後継者が育たない

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(画像上)上のふたつの画像はアルゼンチンでの日本舞踊発表会。若手が踊った「元禄花見踊り」。下はベテランの弟子が踊った「神田祭」。「神田祭」は自分流にかなりアレンジしてしまった。歌峰先生ごめんなさ。外国人が見ていて楽しく、また踊る人が無理することないよう(膝が痛くてまがらないとか、座れないとか)考慮することも、日本舞踊のJICAボランティアは求められる。だから臨機応変に振り付けもできることが大切。そうだ! まだお太鼓で「神田祭」のお稽古はしていない。今度師匠にお願いしよう!
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10月半ば過ぎ、霜を踏み踏み、奥中山をあとに帰京。まあちゃんの純な眼差しに後押しされて家族は前へ進む

2016/11/02 09:54
 文化祭や学習発表会など、秋は何かと学校行事が多く子どもも親も、先生もたいへんですね。今振り返れば、中学高校の思春期から退職するまで、イヤ、親を葬る(おくる)までは綱渡りのような人生でした。すべて実家の問題。不条理な仕打ちに口惜しさと、情けなさと、恨みと……。乗り越えなくてはならないことが次々起きてきて。

 でも憎しみからは何も生まれず、解決できないことを教えられ、心が死なずにここまでこれたのはツレアイ、娘の家族、友人、踊りのおかげ。それらを含めて<運>と言えるかもしれません。そして今はこれから迎える老いの寂しさの前のほんのわずかな平安でしょうか。それはまあちゃんの純粋なまなざしに守られた<平安>です。そして、まあちゃんの家族も、姐さんたちもまあちゃんのまなざしに後押しされて、これからも前に進むのです。

 そのまあちゃんを学校に送っていきながら、姐さんは10月半ばを過ぎたころ仕事が待っている東京に戻りました(ツレアイも待っている?)。奥中山はデントコーンの収穫もほぼ終わり、秋から冬へと一気に季節が動き始めた忙しい日でした。


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(画像上)かなり体力負けしている姐さんと伸び盛りのまあまちゃん。まあちゃんは背がどんどん伸びている

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(画像上)学校の門が開くまで、まあちゃんは自分の好きな場所で待機。たまにまあちゃんは突然顔つきを変え、一瞬空(くう)を見つめるときがある。それはまあちゃんならではの「宇宙」との交信時間。エネルギーを蓄えている瞬間に思える。数秒の交信が終われば元のかわいい顔に。「まあちゃん、戻ってきてくれたの。ありがとう!」と、まあちゃんの手を握って頭をなでると、まあちゃんは姐さんのほうをしっかり見てニッコリ。場所でも、遊びでも、人でもなんでもいい、好きなこといっぱいみつけてほしい。まあちゃんの笑顔が家族のビタミン

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(画像上)まあちゃんの通う支援学校は、お兄ちゃんたちの小学校に隣接。一緒に勉強やスポーツ、文化活動をするなど両校の交流はさかん。保育所時代に一緒だった仲間が、まあちゃんに会うと必ず「まあちゃ〜ん」と声をかけてくれる。今まあちゃんのクラスメイトは3人。担任の先生も3人。そのほかに学年の垣根を超えて先生方が順番にサポート。先生方の指導、対応には頭が下がる。体力と忍耐もいるお仕事。学校は寒そうだけど入学時から身体を鍛えたから、きっとまあちゃんは今冬も乗り越えられるよね!

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(画像上)駅や保育所、小中校に続く県道沿いにあるゲートボール場の木々は10月初めには朝日を浴びて赤、黄と輝いていた。奥中山高原駅の待合所にはすでにストーブの炎が赤々と勢いよく踊る。この温かさは旅人にとって心まで温まる忘れられないぬ・く・も・り

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(画像上)金粉のような秋の光の帳の向こうには、向日葵とデントコーン畑が広がる。今年は向日葵のシーズンは雨が多かったみたい。でも無事にみんなを楽しませ、すっかり刈り取られた舞台は来年の出番に備える。デントコーンは収穫真っ只中。農家のチームワークが力を発揮

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(画像上)帰京の日には霜が降り、れおくん、えい坊は「霜だ、霜だ!」とサクサクしながらスクールバスの停留所へ。そして姐さんも幼子のようにサクサク。足が幼いころの感覚を覚えていた

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(画像上)帰京する数日前、台所で夕食の準備をしていた姐さんのところにまーやが走ってきて「バーバラ、にじ、にじ!」と自分の体より大きな声で教えてくれた。ほんの一瞬で消えてしまったけど、渡ってみたくなるほど立派な虹だった。若いとき取材中にハワイで見た虹のように
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奥中山で気になっていた場所、<聖徳皇太子堂>を訪ねる

2016/11/01 13:02
 姐さんが奥中山に足を運ぶようになって早6年の月日が流れます。この6年間気になっていながら、なかなか行くチャンスがなかった場所、しかも雪や雨が降らなければ自転車で行ける場所なのに。それは<奥中山高原駅>から徒歩約10分、娘の嫁ぎ先から自転車を飛ばして約40分のところにある<聖徳皇太子堂>です。この<太子堂>は毎年8月7日がお祭りで、山車や神輿が出て太子堂から駅に続く道を練り歩きます。地元中学の吹奏楽団の演奏や神楽の舞も行われ、たいそう賑やかで子どもたちの夏休み中の楽しい一日となっているようです。

 ご創建はいつか、神社なのかお寺なのかなど知りたいことがあり、この地の情報に長けている涼しげな目の先輩と役場の担当者の方に聞いたら、古社ではなく明治時代に地域の篤志家によって建造されたということでした。

 なぜ創建されたのか? それは現在の<いわて銀河鉄道>、昔の東北本線の開通に関係するようです。東北本線の盛岡〜青森が開通したのは1891年(明治24年)で、<奥中山高原駅>は当時は<中山駅>という名称で同年9月に開所されました。この駅は標高427メートルあり、東北本線の中でももっとも高いところだそうです。森林を開拓してそれは、それは大変な作業で全国から作業員を集めたようですが、犠牲になられた方も多かったとか。その方々の供養のために、地元の方が土地を提供し創建されたのがこの<太子堂>です。

 ではなぜ<聖徳皇太子>なのでしょう? 十七条の憲法、十二階の官位を制定するなど聖徳太子の行実や事跡はいろいろありますが、法隆寺や四天王寺など大型の建造物を建立しました。 大工さんの必需品、というかこれさえあれば大工さんは仕事ができるといわれている<曲尺(サシガネ、カネシャク)>も、聖徳太子が百済から持ち込んだとの伝説があります。このことから太子没後に大工さんなどの間から守護神として祀られるようになったのです。太子が建立した四天王寺には曲尺を持った太子像があるそうです。

 余談ですが、日本最古の伝記とも言われる『上宮聖徳法王定説』(略して『定説』)という聖徳太子の伝記があります。岩手に行く前にたまたまこの『定説』を読む古代史の研究会がありました。『定説』は平安中期〜後期に相慶という法隆寺にいたお坊さんによって書写され、現在京都の知恩院に所蔵されています(巻子本として)。誰が執筆し、編集したのか不明です。

 聖徳太子とは没後つけられた名前(諡号しごう)で、本名は厩戸皇子(うまやどのみこ)。『定説』によると厩戸皇子には妻は3人いて、子供は14人! 厩戸皇子の第一王子山背大兄王(やましろのおうえのおう)は、推古天皇の後継争いによって蘇我氏(入鹿)に追い詰められ自害し、上宮王家(聖徳太子の一家)は滅亡します。


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(画像上)階段左の石碑には「南無妙法蓮華経」「南無阿弥陀仏」と仏教の違う宗派の唱え言葉が、しかも顔を上げれば神道のシンボル鳥居が。神仏習合のお社? 日本の神さま八百万(八百万もいらっしゃる)。すべてを受け入れてくださる。ちなみ神社に鳥居ができたのは仏教の影響を受けてのことで、奈良時代とか。約20段の階段を上ると……

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(画像上)境内からは奥中山の牧草地や畑が一望できる。石碑が3つ。その中のひとつに鉄道建設にかかわった業社さんの名前らしきものが彫られていたが、風雨にさらされよく読めなかった。鳥居近くにはひとつは口を開け、ひとつは口を閉じた鬼、金剛力士(ニ王)像と親子三匹とみられるお狐さんの像が。二王が抱えているのは大工道具か?

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(画像上)高木の向こうに趣のあるお堂。お堂の後ろに囲いがないので、境内も広く感じる。ビルの谷間に何とかお社だけでも残しておこうという都内の神社仏閣と違い、村を一望している神社なら地域の人もこの杜に守られていると感じるだろう

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(画像上)姐さんが<太子堂>を訪ねたのは10月の初旬。すでに色づいた葉が人気のない神社の階段に舞っていた。今日11月1日、奥中山に雪が積もり始めているとか……
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奥中山の公民館で文化祭。伝統芸能の継承が困難な中、「中山神楽」の力強さに未来を信じて

2016/10/22 21:08
 深まりゆく秋の奥中山で<奥中山公民館文化祭>が10月16日に開かれました。姐さんはれおくんが独唱で出演する下級生のピアノ伴奏をするというので、秋晴れの田園風景の中を自転車で公民館に向かいました。

 会場の中には地域の小学生や障がい者の作った作品が展示され、舞台では地元の保育所園児のダンス、小学生の独唱、中学生の吹奏楽、カラオケ、踊り、寸劇などが行われましたが、ひときわ観客の目をひいたのは<中山神楽>だったように思います(古典芸能好きな姐さんだけかも……)。

 岩手県では神楽はさかんで、奥中山の<中山神楽>のほかに盆舞で有名な小友神楽(小鳥谷)など複数の神楽があります。<中山神楽>は200年ぐらいの歴史があるとか。以前は演目も40を数えたそうですが、現在稽古しているのは15演目ほどらしいです。披露するところは地元神社(太子堂)のお祭りや公民館、県内・県外の神楽祭。そして老人ホームでの慰問だそうです。御多分に漏れず奥中山も過疎が進み、少子化で子供の数は減るうえ、貴重な子どもはスポーツや勉強に忙しく、神楽にはなかなか興味を持ってくれないとか。子ども本人もさることながら、親が興味ないと芸事ってなかなか続きませんよね。地元にこんな素晴らしい古典芸能があるのにもったいない。神楽って、日本でもっとも古い芸能、そしてもともとは神様(日本は一神教ではなく自然崇拝)に感謝し、喜んでいただくための舞なのです。日本人のルーツがあるのですけどねぇ〜!! かく言う姐さんの孫たちも神楽のお稽古をしているわけではないけど、丘の上の家に戻ってから「バーバラ(姐さんのこと。おばあちゃんの俗語? 尊敬語?)、神楽よかったね」とれおくんが言ったのが救い、でした。


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(画像上)伴奏を担当したれおくんが弾いたのは「紅葉(もみじ)」。毎朝練習していたれおくんのピアノに合わせて、姐さんも♪秋の夕日に……♪と何度も歌った。とてもいい歌。独唱した女生徒の澄んだ声に場内はシーン。ふたりはこの日より1週間前には一戸町の独唱コンクールに学校代表で参加していた。だからこの日は余裕だったようだ

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(画像上)障がい者支援施設<ぶなの風>の職員さんによる寸劇に、観客は大笑い。思わず激励の言の葉とご祝儀を手に役者さんのもとへ行く観客。出演者と観客が一体になった和気あいあいの文化祭

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(画像上)「三宝荒神」は小学校2年生の男子三人が棒を巧みに操り舞う。1メートル近くある棒を離さず三人が複雑に入れ替わる様は見事

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(画像上)「鞍馬」は天狗から剣術を教えられた牛若丸が成長して、弁慶と戦う迫力のある舞。日本舞踊にもあり、姐さんも祖父と踊ったことがある。もちろん姐さんが牛若丸役。今回牛若丸は久しぶりに舞台に立ったという中学生が舞って、弁慶は中山神楽の継承に力を注いでいる土橋氏の息子さん。社会人の息子さんたまたま休みがとれて、出演の運びとなったとか。牛若丸の中学生はていねいな舞い方で力強さもあり、将来が楽しみ。土橋さんは小さい時からおじいさんの神楽を見て育ったとかで、迫力と神楽に対する真剣さが感じられた。ふたりとも男前だし、かっこいい!

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(画像上)会場では婦人部によるカレーライスや地元名物ひっつみ定食の販売も。姐さんは醤油の香ばしいにおいに鼻だけではなく、身体ごととられてコンニャク煮(100円)を購入。会場隅の和室でお茶と一緒に頂いた。丸いコンニャクの真ん中までしっかりと醤油の味が染み込んで、ちょっぴりピリリとした一味唐辛子が素朴なコンニャクをまったく別な味に仕上げている。日本のお母さんって凄い
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食欲の秋。食は元気の源。まあちゃんも食欲旺盛で、鼻水出しても大病には至らず

2016/10/17 13:15
 今年の四月から小学校(県立支援学校)に行き始めたまあちゃん。とても手厚い教育環境の中で目に見える成長を遂げています。<目に見える>というのは、知的な面だけを指しているわけではありません。まあちゃんにとって、大切な<体力面>での成長です。3歳ぐらいまでは毎月のように入院したり、保育所を卒園するまではすぐに風邪をひいたりして、よく休んでいました。3時間毎にしていた吸入器も今ではうっすらと埃が……。寝るときだけは酸素をしています。

 それがどうでしょう! 今では鼻水が出ても、熱を出すこともなく元気にしています。支援学校では体力をつけることにも力を入れているようです。学校に着いたらジャージに着替えます。そして毎日30分ぐらい全校生徒(小学校、中学校)が速足で歩きます。天気のいい日は校庭で、風の冷たい日や真夏の暑い日は体育館で先生に付き添われた生徒たちが、ワッセワッセと歩いています。まあちゃんも先生と手をつないで一生懸命です。肺の弱いまあちゃんはついていかれるかな、と心配しましたが、まったく問題ないようです。むしろこのワッセワッセ(笑)のおかげで体力がつき、病気もしなくなった気がします。さすが子どもたちの状況をよく理解している先生方が考えての教育プログラム。体力をつけさせ、繰り返しの動作で日常生活に必要なことを身に着ける、どれもこれも理にかなっているなと感心してしまいます。

 食欲の秋。体力がつき、規則正しい生活を送っているまあちゃんの食は、モリモリと増しています。一食食べれば体力は2倍になっている気がします。背丈もグーンと伸びました。姐さんが体力負けするのはもうすぐ。時間の問題です。

 まあちゃんは「2階に行きたい」「お腹すいた」など自分がしたいことは、姐さんの手を引いて一緒に2階に行こうとか、食事の椅子が置いてあるところに姐さんを連れて行って意思表示をします。そのほか「お風呂に入るよ」とマカトンでサインをおくれば、お風呂場に自分からトコトコ行きます。日常生活で最低限必要な意思表示はできるし、まわりもわかってあげられますが、問題はこれからですね。今よりもっとまあちゃんのやりたいこと、やりたくないことが出てくるはずです。自分のことわかって欲しいはずです。「なぜ?」「こうだからよ」、英語で言えば“Why?”“Because”のコミュニケーションの基本ともいえる、問答ができにくいまあちゃんとの信頼関係、意思の疎通はこれからが正念場です。やさしいようで難しいですよね。でも親子って不思議。他人がたいへんだな、と思っていることでもやりとげるのですから。父さんと母さん、兄弟たちそして先生はきっとまあちゃんの気持ちがわかるはずです。もちろん姐さんもツレアイも、お父さんのご両親も精一杯まあちゃんに寄り添うから。


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(画像上)ある日の夕食。栗(お父さんが拾ってきた)とシメジのご飯、おでん、串カツ(画像にはないけど)、茶碗蒸し(市販のもの)。シメジはおくゆかしい。炊き込みご飯にぴったりで、栗共々うっとりすほど芳しい香り。食前には大好きなヨーグルト。ヨーグルトには喘息の薬のアレロックをトッピングし、だましだまし薬を。ご飯はおかわりすることが多い。「食とは命をつなぐもの」「食欲は健康のバロメータ」とはほんとうだ

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(画像上)学校が休みの日、10時と3時のおやつの時間になると食品庫に自分で入り、隠しておいてたロールパンを見つけ、姐さんの前に突き出す。そしてキッチンの椅子に座り「開けて、食べさせて」の仕草。袋を開けてあげると目が「うれしい!」って答えていた

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(画像上)新鮮な秋刀魚を盛岡まで行って10匹調達。炭火で焼いて夕食の食卓に。まあちゃんは残念ながら先に寝てしまった。脂がのった秋刀魚の煙は家の周りをぐるりとまわって、天高く上がっていった。お月さまの鼻がピクピクしている様子がわかり可笑しかった。東京ではめったにお目にかかれない辛めのダイコン下ろしは、脂ののった秋刀魚の美味しさを引き立てていた。せっかくのご馳走だからと地酒鷲の尾を、その晩は二合

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(画像上)最近、動画に興味を持ったまあちゃん。アンパンマンのコンピュータが好きになったらしい。姐さんがスイッチをoffにして消すと、姐さんの指をスイッチに持っていき「まだ消さないで。スイッチ入れて!」と、かわいい指で訴える

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(画像上)学校に行くときは肌着にTシャツとズボン。またはジャージの上下。家に帰ればまだロンパ―を着てる。まあちゃんの頭の中の不思議なスイッチが入ってしまうと、ズボンとパンツを脱いでしまうからだ。ロンパ―を着ていると脱ぎにくくなっている。しかし、まあちゃんが着られるような大きなロンパ―はない。そこで姐さんの苦肉の策。既成のロンパ―を買い、お腹のあたりを切って布を足して丈を長くした。既製服のように快適に、とはいかないが今のところいい感じで着てくれている
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まあちゃんもおにいちゃんたちとレストランへ。姐さんはれおくんから大目玉を

2016/10/14 20:08
 10日ほど前の10月5日に奥中山に来ました。まあちゃんに会いたくて。まあちゃんはとても元気に姐さんを迎えてくれました。

 体育の日の三連休はえい坊の野球の試合で応援のれおくん共々、夜明けとともに家を出て行きました。忙しいです、今の子どもたちは。おかげさまでえい坊のチームは優勝したそうです。県内一位? 県北一位?

 連休の最終日、何年振りかのまあちゃんの外食。お父さんは仕事でしたが兄妹、お母さん、姐さん6人でインド料理のレストランに行きました。最初は、まあちゃんと姐さんは留守番しようかとも思いましたが、れおくんがまあちゃんも連れて行きたい、と言ったので姐さんも賛成。だって、姐さんがいるときでないとまあちゃんはおにんちゃんたちのように、レストランなんて行けませんもの。お兄ちゃんたちが出かける仕度して靴を履きだしたら、まあちゃんも玄関ですっかりその気になって、姐さんが手を引くのをじっと待っていました。出かける寸前まで連れて行こうか迷っていましたが、まあちゃんのこんな姿を見たら「バーバラ(姐さんのこと)と待っていてね」なんてだれが言えましょうか。

 インド料理のレストランは、家から車で20分ほどの御堂という地域にあります。見渡せば、この地域にはレストランは2軒。暗闇の中でポッと明るい光を放ち、人恋しい心が吸い込まれていくようです。レストランの名前は「タージマハル」。このレストランはインド人のシェフが料理する本場(?)インド料理です。従業員の方はみんなインド人でした。よくこんな寒い地域に、暑いインドから移住してくれたものです。ありがたくカレーを頂戴しました。


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(画像上)れおくんが行きたいと言っていた念願の店。まあちゃんもれおくんのように真剣にメニューをみている

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(画像上)まあちゃんが(? お母さんが?)オーダーしたのは<お子様カレ->(500円)。ペロッと完食。もっと欲しそうで、お母さんのカレーにも手をつけた

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(画像上)えい坊はナンの大きさに満足。「美味しいねぇ〜」を繰り返していた。優勝したし、カレーの美味しさもひと際。いい連休だったね

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(画像上)まあちゃんは美味しそうに食べていた。連れてきてほんとうによかった。お兄ちゃんたちと同じように、いろいろな体験してほしい

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(画像上)姐さんが食べたのは<レディースセット>(760円)。ソフトドリンク、カレー2種、サラダ、タンドリーチキン。カレーは何種類かの中から選ぶ。姐さんはシーフードと野菜。ご飯とソフトドリンクを残したられおくんからものすごく怒られた。「そんなこと(残すこと)する人いるの? 飲み物だけでも全部飲まなくてダメだよ」。作ってくれた人(農家の人、レストランの人)のことを考えたら、残せないでしょ、と大剣幕。彼にとってはご飯を残すのは信じられない、許せないことだそうだ。もちろんそうだけど、最近小食で胃が小さくなって……
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アニメはきれいだけどプピュアな気持ちがないと……。ドキュメンタリー映画は奥が深い

2016/10/12 17:04
 夏から秋にかけてけっこう映画館に通いました。「シンゴジラ」「ルドルフとイッパイアッテナ」「君の名は」「パコ・デ・ルシア」「ソング・オブ・ラホール」「エイミー」「EL CLAN」の7作。最初の3作は孫と、残りは友だちとあるいはひとりで。「シンゴジラ」も「君の名は」も大ヒットでしたね。

 「君の名は」の映像はとてもきれいで新鮮でした。でも主人公の男女がよく入れ替わってのストリーなので、場面の展開を考えこんでしまう姐さんには難しかったです。たぶん、ピュアな気持ちで見ないと素直にストリーが受け入れられないのかも知れません。この映画、盛岡でれおくんと観ましたが、れおくんはとてもよかったと満足そうでした。

 「パコ・デ・ルシア」はスペインの天才フラメンコギタリストのドキュメンタリー。「ソング・オブ・ラホール」はパキスタンの伝統楽器の職人たちが生活の糧にと立ち上がり、有名なスタンダードナンバー『テイク・ファイブ』をネット上で流し、一躍有名に。ニューヨークでも認められるまでのドキュメンタリーで、両者ともストリーを楽しむというより、目をつぶって音楽を聞いていました。

 最近観た7作の中で一番心を、魂を奪われたのは「エイミー」。姐さんは3回も観に行ってしまいました!! この映画は前記2作と同じようにドキュメンタリー映画です。主人公はご存知の方も多いイギリスのジャズシンガーのエイミー・ワインハウス。彼女は2003年に20歳でデビュー。翌年には最優秀コンテンポラリー・ソング賞を受賞、セカンドアルバム“Back to Black”はすぐに全英チャート1位に上がり、瞬く間に全英、全米でヒットチャートのトップにおどりでます。同アルバムの“Rehab”は世界的にも大ヒットとなり、2008年25歳のときには最優秀新人賞、最優秀楽曲賞などグラミー賞の5部門を受賞しました。しかし、2011年7月27歳の若さで死亡。死因はアルコールと薬物による心臓発作。何とも悲しい人生ではないでしょうか!

 彼女が薬物と酒に溺れるようになったのは恋人との別れ。その恋人と結局別れられず結婚することになりますが、彼の勧めでコカイン、ヘロインへの深みにどんどんはまっていきます。ライブのステージではウイスキーの瓶を離さず、らりって、歩けないほど。傍から見ても完全におかしくなっていきます。

 一方アルゼンチン映画「El CLAN」は1980年代の軍事政権から民主政権に移行したものの、フォークランド戦争の敗戦で国内が荒れ、財政赤字や対外債務問題、インフレなど多くの問題を抱えた時代のノンフクション映画です。軍事政権時代には諜報員だった父親が、息子と妻など一家を巻き込んで誘拐、身代金強奪、殺人を繰り返すのです。近所の人はこの家族を仲の良い、経済的にも恵まれたうらやましい家族と見て、何の疑いも持ちません。苦しみながらも父親に共犯にさせられている長男は、地域のラグビークラブの有能な選手でもあります。父親と共に逮捕された彼は、最後は警官の拘束を払いのけ飛び降り……。

 「エイミー」と「EL CLAN」は時代的背景も内容もまったく違いますが、子どもを私物化する親、親の呪縛から逃げられない子どもという共通性を感じます。エイミーの父親、夫そして音楽関係者から結果的にエイミーは食い物にされる姿が露骨に感じられます。日本の芸能界も大なり小なりこんなことがあるでしょうが(本人の希望する音楽活動とは別の方向に進まされる)、道義的に、またドラッグは違法ですからここまで子どもを放置しないでしょう。

 虐待とは身体に傷を負わせることではなく、心に傷を負わせたリ、干渉束縛し、子どもの自立を押さえつけること。親やまわりの大人が子どもの将来を奪うこと。直接手を下すことはなくとも、最悪の場合は子どもの命までも奪ってしまうこと……。
 

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(画像上)澄んだ、パンチのきいた歌声。そして彼女が歌う歌のすべては、彼女の日記そのもの

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(画像上)アルゼンチンの一面がうかがわれる映画。石造りの建物、道路などの町並みは懐かしかったけど、不気味さにドキドキしながら観ていた
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思わぬサービスやお料理は慰められ、元気もご馳走してくれる

2016/10/05 09:20
 最近はとんと外で呑;む機会が減ってしまった姐さん。その理由は年金暮らしの経済的なこと、そして呑み友だちが自身の病、親やツレアイさんの介護、Uターンで地方に戻ってしまったなどで、最近一挙に少なくなってしまったことです。だから、姐さんにとって今でも一緒に呑める友は貴重な間柄。せめて姐さんが呑めなくなるまで誘いあっていきたいものです。

 9月下旬〜10月上旬は東京で4回外食の機会がありました。1度は南米仲間3人と。1度は大学時代からの親友と<女子会>。そして1度は親せきと定例会。もう1度はひとりでラーメン屋さん。どれもこれも、おしゃべりに花が咲き、帰宅の電車の中でひとり思い出し笑いに更けてしまいました。

 話の内容は呑む相手によって違いますが、最近の話題は女子力の凄さ(政治から結婚の形態、犯罪まで)、フクシマ、政治、仕事、孫のことなどで、話題にならないのがツレアイのこと(笑)。特に問題がないので話題にならないのね、きっと(苦笑)。名称「さくら互助会」の<女子会>でメンバーのベティちゃんが「よき師、よき友、よき書との出会いが人生最大の幸せ」と言っていました。3つとも手に入れた姐さんは幸せ者だぁ!!


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(画像上)南米の仲間3人で門前仲町の創作居酒屋「たつや」へ。最初に注文したのがカンパチ、シマアジ、カツオの<刺身3点盛>(980円)。きょーこさんの「おいしぃ〜!!」に思わず笑ってしまった。それを見たきょーこさん「だって、カツオ食べておいし〜って言えるのは、ほんとうに新鮮なものだけよ」と。新鮮だけではなく、刺身の切り口でこの店の自信のほどが窺える。最近家の近所のデパートで刺身を買うと、薄造りではないのに向こうが透けてみえる悲しさ。この店と同じ値段、むしろデパートのほうが高い。盛り土ならぬ、盛りつま(千切りダイコン)。<カンパチのカマ煮焼き>(680円)は煮てから焼くとか、初めてお目にかかった一品。煮汁が身にもよくしみ込み、照りが一層食に目がない女心をそそる。「戦後のある時期まで自分の故郷の茨城では、女の子が誕生すると自宅に桐の木を植えます。その子がお嫁に行くころになると、ちょうど箪笥1竿分の桐に成長するので嫁入り仕度ができるのです」と、男性のせいさん。いい話だ。この桐の花、ブエノスアイレスの街を紫一色にするハカランダの花にそっくりとか。呑むほどに酔うほどに話は弾み「おふたりと呑みに行く、と女房に言うと『行ってらっしゃい、若い(!!)女性と呑んだり、話したりするのは健康によいから』と快く送り出してくれるのです」と。それを聞いたきょーこさん「それは私たちには悲しいですね。少しは焼き餅焼いてもらわなくちゃ(笑)、ねぇ〜雪見さん」

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(画像上)大学時代からの親友との<女子会>は年に3〜4回。最近の会場は新橋の「美登利寿司」。ここは1時間待ちは当たり前の超人気店。人気の秘密は料理の質の高さの割りに値段がお安いこと。まずは<白子ポン酢>(600円)と<赤貝のヒモ>(500円)、これだけでいかに酒飲みの仲間かわかる。毎度、毎度会わなかった数ヵ月の出来事をまくしたてるので、常に口が動いている状態。<女子会>に男性? この男性は元々姐さんたちの隣りの席でひとり酒盛りをなさっていた方。姐さんたちの会話をつまみに……。「にぎやかですね! だいぶ進んでいる(お酒が)のではないですか?」と声がかかったので、「こちらにいらっしゃいませんか? 一緒に呑みましょう」とお誘いした(ナンパ?)。「イヤ、イヤ、けっこうですよ。ここで」と言いながら醤油皿とお箸がお引越し。お酒は人の垣根をグーンと低くする。この方、数年前に奥さまを亡くされ、この日は有明コロシアムにテニスのチャンピオンシップの観戦に来た帰りとか。同世代のにおい(苦笑)で話がはずみ、巻物とお酒も追加(してくださった)。清算が終わって伝票を見たら、追加の巻物とお酒以外に女子会メンバーで呑んだ日本酒のお代も払ってくれたようだ。いい人! これぞジェントルマンだ。もう20年以上前の若かりし(バカかりし)頃だが、姐さんたちは2次会の御徒町のスナックで逆のことをやられた(二言、三言言葉を交わした男性の酒代が、姐さんたちの伝票に加算されていた)、ツレアイには言えない話だけど……(苦笑)。だから、心底このテニスの男性はジャンとルマンだと思った(笑)。彼岸にいらっしゃる奥さまは、婆ちゃん3人に揶揄られている旦那さまを見て、笑っていたことだろう。姐さんたち3人ともチャーミングな女性だけど、人畜無害の婆さんだからお許しくださいね、奥さま

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(画像上)こちらは両国の「江戸博物館」で行われた古代史講演会に行ったときに、偶然ひとりで立ち寄ったラーメン屋「大宣」。場所は江戸博の斜め前あたりの小さな店。入口が2つあるのもユニークながら、感激したのは食べ終わるのを見計らったように、「冷たくしてありますから」と出してくれたおしぼり。食べる前は熱いおしぼりで、食べ終わったら冷たいおしぼり。予想外のおもてなし、しかもお店を後にする直前の心のこもった振舞いには、実に慰められた。どこにでもあるラーメンが格別においしいラーメンになった
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