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プロフィール

ブログ名
雪見姐さん、ブエノス
ブログ紹介
JICA日系社会シニア・ボランティアとして、アルゼンチンで日本舞踊指導を07年9月までしていた姐さん。任期終了後もブエノスで暮らして、日本舞踊の指導も継続。2009年に日本へ帰国。帰国後すぐに大病が発覚し手術と治療で、おとなしく過ごした2010年。2011年は娘の嫁ぎ先の岩手県奥中山、夫の住む浅草そしてブエノスの三重生活になるのかな????名取名:水木紅鳳(みずき・こうほう)

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モーさんも見た! 5月21日の部分日蝕

2012/05/23 17:33
 西日本も東京も曇りで、部分日蝕や金環日食をはっきり見ることができなかったようですね。
 奥中山ではバッチリ見ることができました。
 始まったのは6時半近く。娘の家族はみんな早起きで、娘と夫のじゅんじゅんさんは5時起き。子ども達(孫)は5時半〜6時には起きています。だから、日蝕が始まった6時半にはじゅんじゅんさんは牛舎で仕事の真っ最中、子ども達は朝食も終わり、娘が1500円で買った専用メガネを手にスタンバイ状態でした。姐さんもワクワクしながら孫の後について玄関を出ました。
 すごかったですねぇー、5分後、10分後……時間が経過する度に太陽が欠け、形が変わっていくんです。そして、あたりが暗くなり、寒くなっていくんです。太陽ってありがたいなぁ〜ってつくづく思いました。変わり行く様に感激しました。
 じゅんじゅんさんと彼のご両親は牛舎で仕事中でしたが、れおくんが気を利かせてメガネを持って牛舎に走っていってくれたので、ほんの一瞬でもジジとババも部分日蝕を見ることができて、とっても喜んでいました。れおくん、いいことをしたね。ありがとう。
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(画像上)家族以外に新聞配達のおばさん、お兄さんそして、テラス近くの牛乳置きのモーさんも見た、丘の上の家からの部分日蝕。7時43分、左上が眉毛の形できれいなオレンジの光を放っていた
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まあちゃんは歯磨き大好き! 

2012/05/23 15:35
 連休明けから岩手県・奥中山高原に家事育児サポート(家政婦)の出稼ぎ(?)に来ています。
 2歳半ゆっくり、ゆっくり成長のまあちゃんですが、前回出来なかったことがいくつかできるようになり、足がしっかりしてきたことが、目に見えてわかります。凄いな〜って、立派だな〜って思います。
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(画像上)これも成長の証ですよね、「人見知り」。姐さんが丘の上の家に到着した日、まっさきにまあちゃんのいる部屋に行ったのに、姐さんと顔を合わせようとはせず、ずっと下を向いていたまあちゃん(苦笑)。たまに顔を横にして、チラッと姐さんを見ても、すぐ顔を布団につけてしまう。「ま・あ・ちゃん!」って声かけながら、背中をトントンしても、「ウー」って拒否の言葉を発しながら、5分ぐらい下を向いたまま。でも15分もしたら、まあちゃんから抱きついてきた
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(画像上)なんとまぁ〜、2週間の不在のあいだに、道具を使って好きなことをする知恵もついていた。椅子の上にのって、つま先立ちで何かを物色中
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(画像上)洗面所でほしかったのは歯ブラシ。朝食後、昼食後には「あれぇー、まあちゃんどこへ行ったの?」って、姐さんが慌てるほどの早さで洗面所目指しハイハイし、歯ブラシをゲット。好きな場所でゴシゴシしている。でも、でも……大抵まあちゃんの歯ブラシではなく、お父さんかお母さんの歯ブラシ。「バイ菌が移ったらどうすの!」と、見つかったら姐さんがお母さんに怒られそう……
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深川江戸資料館/みごとな江戸の町並

2012/05/11 14:32
 姐さんの新しい住まいは隅田川沿いにあります。住所は新大橋。このマンションの区域は江東区と墨田区に所属します。隅田川の向こう側は中央区です。
 なんかやっかいな場所みたいですが、各区微妙に雰囲気が違い、その日の気分で買い物先や散歩先、使う駅を決めている姐さんです。ブラジルに転勤中の友人が大家さんで、彼らから破格の家賃でお借りしています。ありがたいことです。帰国までという限られた期間、この地域を中心に東京の再発見をしてみようと思っています。
 連休明けに行ったのは最寄り駅森下から1つめ、清澄白河駅下車徒歩5分の<深川江戸資料館>です。
 常設展示室、江戸の町並み再現コーナーに入って、姐さんは思わず「あぁー」「おぉー」って、叫んでしまいました。前日まで半村良の時代小説を読んでいたので、その世界に入り込んでしまったのかしら?っとほっぺをつねってみるぐらいの、ある意味カルチャーショックです。
 ともかくスゴイ。表通りの<お店(たな)>、船宿が並ぶ<掘割>そして庶民の生活圏<長屋>。どれもこれも、当時の生活が十分偲ばれる原寸大の展示、いや町です。私が、あなたが、ずっと昔に住んでいたかもしれない……。
 歴史好きではない人でも、ディズニーランドより感動するかもしれません。一見の価値ありです。姐さんは毎日でも行ってみたくなりました。入場料は300円。アルゼンチンや日本のお友だちが訪ねてきたら、必ずご案内したい場所、みっ〜けた!。
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(画像上)展示室に入った途端、一瞬のうちに江戸時代(天保末期1840年ごろ)の深川にタイムスリップ。「おぉーッ」と呻ってしまった。小さく画像に写っているが、長屋の屋根に小太りのネコちゃん。これが時々背中伸ばして、ミャーン
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(画像上)左手には干鰯魚(ほしか)〆粕(しめかす)・魚油問屋<多田屋又兵衛>の大店が堂々と。右手は表店の八百屋(青物屋)、つき米屋。大店にはほかの店にはない看板、日よけのれん、天水桶。八百屋の<八百新>には、ニンジン、ダイコン、ゴボウ、ネギが並ぶ。どれも今よりはこぶり。つき米屋<上総屋>は、玄米を注文に応じて精米して売っている。時は5月、屋根の上には魔よけの菖蒲一輪が。遠くに写っている人物は見学者
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(画像上)裏店には長屋が並ぶ。中は土間と畳の部屋が一間。土間には釜や水瓶、掃除道具。畳の部屋には神棚、仏壇がどこの家にもあった。一軒一軒雰囲気が違い、住民の息づかいが聞こえる思い。靴を脱いで中に入ってゴロンも可
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(画像上)長屋の一角には井戸(右)、便所(左)、ゴミ箱が。江戸の井戸は掘り井戸ではなく、「水道の水で産湯をつかった」の言葉通り水道水とか。便所を覗くとちゃんと汲み取り式になっていた。便所の隣には水桶。ほんとうに楽しい!
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映画フラメンコ フラメンコFlamenco Flamencoを見る

2012/05/08 12:25
 シニアになって得したのは映画が1,000円で見られること。連休前にスペイン語を昔勉強したという友人に誘われ、スペイン映画<フラメンコフラメンコ>を見に行きました。
 監督は数々の国際映画賞を獲得したカルロス・サウラ。フラメンコの普及にも貢献したことで高く評価されています。
 映画の構成は歌と踊りで、まるで舞台実録を見ているようでした。姐さんはオープニングの<緑を愛しているYo te quiero verde>に心臓が高鳴ってしまいました。この曲は1898年スペインで生まれた詩人、ガルシア・ロルカの詩をルンバにのせています。キューバの音楽はいいですよねぇ〜。さすがです! ロルカはスペイン内戦で38歳のときに銃殺されたそうです。なんで彼が? スペインの歴史を勉強したくなります。
 フラメンコって情熱的ですねぇ〜。男も女もあからさまに自分の存在やセクシーさをアピールしますよね。アピールしているつもりではないかも知れませんが、踊っている姿だけでなく、リズムをとっている指の動きだけでも人の心を動かします。
 日本舞踊も色香を観客に感じさせることは大切だと姐さんは思います。でも、フラメンコのように直接的、挑発的ではありません、ひとつの仕草からではなく、全体を通してじわじわと観客に感じさせることがたいせつですから、そこが難しくもあり、挑戦ですよね。
 姐さんはこの映画で群舞にも感動しました。一人ひとりをよく見ると顔も背丈も太さも違うのですが、まったく同じに見えるほど揃っているのです。手を横に伸ばした長さ、指の曲げ方、足の上げ方と高さなど、タイミングも姿形もきれに揃っているのです。日本舞踊であそこまで揃っていることは、姐さんはまだ見たことがありません。お扇子など小道具を使うと微妙に形がずれてしまうのですよね。
 ブエノスに住んでいたときにAvilaというフラメンコレストランに行ったことがありました。NataliaさんはまだAvilaのステージに立っているかしら……。
 
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(画像上)この画像は映画のHPからパクリました
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スーパーランチにスーパームーンそして原発ゼロの子どもの日

2012/05/06 08:41
 昨日のランチはふきちゃんのところでごちそうになりました。
 ふきちゃんは姐さんがロサンゼルスで最初にお友達なり、アメリカ人宅の女中さんのアルバイトを紹介してくれたり、通訳をしてくれたりで、決して足を向けては寝られない、と思っている(苦笑)友人です。
 ふきちゃんに会ったのは、ハリウッド地区にあった移民者のための無料の英語学校(アダルトスクール)。ポケーッと教室の入口に立っていた姐さんに、「日本人?」と席からすっ飛んで来て声をかけてくれたふきちゃん。あのときの姿形(体形)も雰囲気もそのままに、30年以上もお付き合いしています。
 ふきちゃんは数年前に、障碍者のグループホームをNPO組織で立ち上げ、24時間気が抜けないお仕事しているうえに、60歳(?)なんのそので、ヨガの先生もしているシニア女性の鏡です。学生時代は水泳の国体選手で、今でも1時間ほどランニングするバケモノ、いやネバーギブアップ、努力の女性。歯ぎしりするほどうらやましいけど、真似できません。
 まあちゃんの障碍も話しました。そして上京したまあちゃんに会いにきてくれたときには、「姐さん、大丈夫だよ。見てごらん、まあちゃんはしっかり私たちの目を見て、コミュケーションしようとしているから」と具体的な言葉、ふきちゃんならではの言葉で力づけてくれました。
 昨日は5月5日のこどもの日。ふきちゃんの家から大きなお月様に夜道を照らしてもらって家に着いたとき、仲良したえちゃんから「今日はスーパームーン。いつもより14%大きく、30%明るいとか。東南の空を見てね」とメール。
一緒に見て欲しい友だちや娘にさっそく転送してしまいました。
 5日の深夜には北海道の泊原発が止まり(だじゃれではないですよ。真剣です)、原発ゼロになりました。これは子ども達への最大のプレゼント。
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(画像上)手作り料理第1弾は、錦たまご、焼き豚、オリーブ多種、高野豆腐の白身魚サンド、煮浸しなど。画像は第2弾のサーモンの押し寿司とレタスサラダ。そして第3弾は高級チーズとイワシのつみれ汁と大ごちそう。じゃこ入りのレタスサラダははじめてのお味。身体にやさしくとっても美味。奥中山高原はレタスの産地。「このレシピいただき!」、今度丘の上の家に行ったら孫たちに作ってあげます
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(画像上)近々イギリスに移住する予定のふきちゃんの娘さんに、姐さんのお見立ての浴衣と帯をプレゼント。ふきちゃんと娘さんを相手に姐さんは着付けと帯結びの指南。アルゼンチン時代に姐さんの男衆(おとこし。本来の意味は芸舞妓さんの着付けをする男性)をしてくれた夫が監督。アスリートからおぼこ姿に変身したふきちゃん(画像)に、静岡からいらしていたお母さんも大爆笑
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(画像上)新大橋1丁目(最寄り駅浜町)の新居から夜景とスーパームーンを撮影。満月は明日6日
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一見劇団公演の木馬館へ

2012/05/05 20:56
 東京にいるときは、自分では踊りの勉強のつもりでも、人から見れば遊びまわっている生活です。
 浅草木馬館に大衆演劇を見に行ったのは、一見(ひとみ)劇団が残り数日で千秋楽を迎える日。チケットを買っていると、ちょっとかっこいい青年がゴミ袋に使う大きなビニール袋を姐さんに差し出して、「どうぞ、受け取ってください」。ポカンとしている姐さんに向かって「今日は特別、お客さん全員にプレゼントです」。
 前から3列目正面の客席に座って中身を見ると、スラックスとお茶と携帯を首からぶら下げるようなヒモ。まわりをみると、おばちゃんたちが姐さんと同じように、大きな袋から帽子やらTシャツを出して、身体に合わせていました。
 開演5分前にはとなりに座っていたおばちゃんが、「ちょっと便所行ってくるから、おねえさんごめんね、前通して」。かっこいい役者さんたちの姿に加えて、気取らない雰囲気がおばちゃんたちの心を掴んでいるのでしょうね。
 今回の一見劇団、スター的存在が少なく派手さに欠けた気がします。救われたのは扇子の使い方の見事なこと。アルゼンチンのお弟子さんに見せてあげたい、お扇子でこんな動きもできるのよって教えてあげたいって心から思いました。そして二部の狂言(芝居)。メリハリのある立ち振る舞いとストーリーの面白さで、観客は笑いっぱなしでした。姐さんも涙でるほど笑ってしまいました。狂言は毎日変わるので、台本作りもお稽古もたいへんですよね。そうそう、それから群舞のときに控えで座っている役者さんたちの形も勉強になりました。
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(画像上)幕間のあいさつのときに、ファンから贈られた着物を披露する座長の一見好太郎。スカイツリーと浅草の風景が描かれた着物。アサヒビールのウ×コビルもその隣の前の姐さんたちが住んでいたマンションも描かれていました
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(画像上)花形 古都乃竜也。帯留めにはファンからの一万円札がびっしり
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(画像上)ごみ袋のような袋に入っていたスラックスはサイズ3L。ちょっと姐さんでも大きいかな(笑)
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金田一温泉へ

2012/05/04 10:25
 よ市のほかにも日帰りで<金田一温泉>に行きました。
 金田一温泉はいわて銀河鉄道で奥中山高原から約30分。座敷わらしで有名になったところですが、座敷わらしが出ると評判だった旅館は、2009年10月に全焼してしまい再建の様子は今だ見られません。現在営業しているのは5件の旅館と日帰り施設です。温泉街には大きなプールもあり、夏は子ども連れで賑わいそうでしたが、姐さんが行ったときは閑散としていました。
 金田一の読み方は地名では<きんたいち>、名字は<きんだいち>になるそうです。ですから駅の名前は<きんたいちえき>になります。金田一で姐さんがまず思い浮かぶのは、姐さんの通っていた大学の名誉教授であった言語学者であり、アイヌ語研究の第一人者の金田一京助先生です。先生のお名前は<きんだいちきょうすけ>になります。
 金田一先生は盛岡の出身で、この地で生まれたわけではありませんが、先祖が安土桃山時代の末期にこの地の領主となったことから金田一の姓を名乗ったらしいです。
 もともと東北、特に青森県、岩手県は先住民としてアイヌが住み、地名などアイヌの言葉の影響を受けている地。金田一も金田はアイヌ語のキムタ(山の中)、一は市でアイヌ語では人が集まるところの意だそうです。
 ここの温泉も千年以上前にアイヌの大酋長が湯治をした伝説の地とか。江戸時代は南部藩の湯治場だったことから、「サムライの湯」と呼ばれ、歴史は古いようです。
 それはともかく、姐さんは4月のある日曜日に金田一温泉を目指し、銀河鉄道に乗り込みました。
 駅から温泉まではJRバスが1〜2時間に1本出ています。姐さんが駅に着いたころはちょうどバスが出たあとで、タクシーの運転手さんの視線が気になりましたが、約40分の距離を姐さんは歩くことにしました。
 旅の楽しみは人との出会いにあり、ですよね。雪が溶け畑仕事をしていたおばあちゃんたちに声をかけ、道草しながらの道中は入浴したときより、心和みましたっけ。
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(画像上)金田一温泉駅に降りたったのは姐さんひとり。駅前にはタクシーが2台待ち受けていた。1時間に1〜2本しか止まらない電車の客を、毎日こうしてずっと待っているのだろうか……? タクシーを使えば温泉まで5分程度だと思う
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(画像上)畑仕事をしていたおばあちゃんに、「こんにちは。何を植えているのですか?」と近寄っていった姐さんに、「あんただれだっけ?」と聞きながらも、乳酸飲料をごちそうしてくれたおばあちゃん。自分は若いときは横浜の製糸工場で働いていたこと、東京に出稼ぎに行っていた息子さんが、女に騙されすっからぴんになって帰ってきて、今でも精神的に不安定なことなど1時間ぐらい話してくれた。畑の中の立派な井戸は、バイパスが出来てから枯れてしまって、今は使えないとか。耕し終わった畑にはネギ、ニンニクのほかに水仙、菊が植えられていた
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(画像上)姐さんがお世話になった温泉は、魚屋さんが経営している割烹旅館の<おぼない>で遊歩道の脇にある。当日は近郊の婦人会のおばちゃんたちが来ていて、入れ替わり立ち替わりの入浴。男女ひとつずつの内風呂で、露天風呂はない。風呂場は7人入ればいっぱいのこぢんまり型。温泉の種類は無色無臭の単純泉
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(画像上)ランチ付き日帰りコースを事前に予約。最初に案内されたのは10畳以上はありそうな、大きなテーブルが2つとテレビの付いた1階風呂の側の洋間。この部屋で何をすればいいの?という感じ。姐さんは「ゴロリと横になりたい」と言って和室に変えてもらった。言えば、あるじゃない立派な和室が。コタツに入ってテレビを見ながら食事、そしてゴロリ。食事はクロカレイの煮付け、ホタテの煮浸し、サーモンのマリネー、タケノコとエビと蕗の炊き合わせ、貝とイカの酢みそ和え、デザートのフルーツに食前酒。そして、岩手名物<ひっつみ>(画像左)。<ひっつみ>は小麦粉を練って平たく団子状態にして、だし汁で煮て食べる。すいとんに似ているかも。長ネギをたくさん入れると美味しい、と今では岩手の人になった娘が言っていたけど、ほんとだった。ご飯は小さいながらも釜で焚いた炊きたて(画像右)。日本酒はご当地自慢の<南部美人>。料金は室料、入浴料込みで3,500円でちょっと贅沢な一日
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(画像上)ロビーに飾られた色紙。「道の辺に 咲くやこの花 花にだに 縁なくして 我逢うべしや」金田一京助先生作の句を、お孫さんで国語学者、日本語教師の金田一秀穂氏がこの地を訪れ、贈った。ロビーで<おぼない>の社長の妹さんと雑談。妹さんは80代後半で杖をつきながらも館内を元気に歩き回り、火事になったときにまわりの旅館が協力し合って、炊き出しや消火に協力したこと、<おぼない>の自慢は食事とトイレと話してくれた。確かに建物は年代物だが、トイレは新式でピカピカ。隣の人の使用音も聞こえないようになっていた。帰りに「重いけど、もっていって」とリンゴを6コもリックに入れてくれました。ありがとう
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盛岡のよ市へ

2012/05/02 21:15
 今回、奥中山に滞在中に遊びに行ったのは、盛岡で毎週土曜日(雪のない毎年4〜11月)に開催される<よ市>。よ市は余市とは明記していません。<余市>と書くと余り物の市と誤解されるのが嫌なのかもしれませんが、<よ市>の<よ>には萬(多種)、余(豊富)、良(良い)、与(提供)、喜(満足)の意味を込めて命名されたそうです。
 場所は盛岡の繁華街を流れる北上川の裏手、材木町の商店街を歩行者天国にして行われます。盛岡駅から徒歩15分ほどで、ブラブラ歩くにはちょうどいい距離です。出店しているのは、半分ぐらいは通りの商店の人たちで、野菜や花は近隣の農家のおばちゃん、おじちゃんが店をはっています。
 焼きそばや焼き鳥、ビールなどは即席のオープンテラスで味わえますよ。
 初日には奥中山の農協から牛乳やヨーグルトも出展し、娘の夫のじゅんじゅんさんも助っ人に行っていました。
 農協の出店は初日だけでしたが、奥中山の福祉施設<カナンの園>からは障碍者たちが作ったおいしいパンが毎回販売されます。
 材木町の商店街を活気ある通りにと、よ市がはじまってすでに40年。盛岡の雪のない季節のお楽しみとして根付いてるようです。姐さんのような観光客には、もう少し地元色がほしいですが、ダメかな?東京では何でも手にはいるから、そう思ってしまうのかしら……。
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(画像上)50店ほど並んでいるが、食べ物関係が圧倒的に多い。
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(画像上)無料が魅力か、味が魅力か、寒さのせいか、この日は<ちゃんこ>の店に長蛇の列
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(画像上)こちらは寒くても、有料でも人気。地ビールの店ベアレン(BAEREN)。ビールの種類はラガーの<クラッシック>、黒の<シュパルツ>そして、<アルト>。姐さんは<アルト>の中サイズを立ち飲みで一杯。アルトはドイツの古いスタイルのビールとか。小が300円、中が400円で飲み終えてプラスチックの容器を返却したら100円戻してくれた。うれしかった! 来てよかった!
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(画像上)この地ならではの一品を求めて、漬け物屋台をのぞいてみた。キャベツ、ハクサイ、キュウリ、古漬け、味噌、梅干しなどが1袋200〜250円で並ぶ
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(画像上)姐さんが買ったのは、キュウリの古漬け、カブの梅酢漬けそして<ばっけ味噌>200円(画像右)。ばっけとは東北の言葉でフキノトウのこと。フキノトウを細かくして、味噌で和えたのがばっけ味噌。姐さんははじめての味。ご飯にかけて食べると何杯でもお腹に入ってしまう。心地よい苦みが口の中で踊る。売っていたおばちゃんに食べ方を聞いたら、ご飯にかけてもよし、熱いお湯で溶いて汁物にしても旨い、とのこと
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れおくんは1年生に

2012/05/02 17:18
 孫のれおくんが生まれたのは、姐さんがアルゼンチンでボランティアをしていたとき。着任3ヵ月後のまだ活動がはじまったばかり。とても日本に一次帰国したいなんてふつうなら言えない時期。でも、最初の子どもで娘の体調もあまりよくなかったこともあり、思い切って調整員にお願いしたら、「ボランティア1年目の休暇は12日間(確か当時は)だから、今後休暇は取れませんよ」と怖い顔して(?)、言いつつも許してくれましたっけ。
 往復の飛行時間を入れて正味8日間の日本滞在。しかも成田から上野に出て奥中山へ。娘も婿さんも青年協力隊員だったこともあり、自費とはいえ着任3ヵ月でまさか一時帰国してくるなんて、思ってもいなかったことでしょう。飛行機に乗る前に「これからブエノスを発って赤ちゃんをさらいに行きます」のメールにびっくりしたことは確か。
 やっぱりいろいろ不安だったのか、最初の子を見てほしかったのか、このときは感謝され、姐さんも満足してアルゼンチンへ戻りました(笑)。
 その後1歳の誕生日には、親子3人でお預けだった新婚旅行を兼ねてブエノスまで来て、我が家で過ごしてくれました。
 そのれおくんが4月から奥中山の小学校に入りました。1年生は全員で28名。これでも例年より多いそうです。
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(画像上)4月9日に入学式。この頃はまだ雪が残っていた。自分の作った巣箱の前で義母(姐さんの夫の母親)に買ってもらったランドセルを背負ってピースサイン。ランドセルって2万円ぐらいと思ったけど、倍以上にはびっくり。これって戦後教育の遺物?インフルエンザが大流行で予防のためのマスク姿。ずっと病気しないといいね
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(画像上)公立校でも都会と違って、歩いて通える距離ではない。通学には朝だけ児童をピックアップする通学バスが出る。丘の上の家かられおくんが下りてくるのを待っているのは、牛舎で作業中のジジ(れおくんのおじいちゃん)。ジジはバスが来る県道まで手をつないで送っていく。別居してから顔を合わせる時間も少なくなったせいか、この時間がふたりともとても楽しそう
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(画像上)どんどんお兄ちゃんになるれおくん。「お兄ちゃんが いないあいだに、まあちゃんが じぶんであそべるもの つくってあげるね」と、学校に行く前に作ったブロックで、まあちゃんが遊んでいるのをうれしそうに見ているれおくん
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(画像上)小学生のれおくんは学校が大好き。授業のあとは学童保育も行き、そちらはもっと楽しいとか。保育所通いのえい坊は、その日の気分で「休んでもいい?」。お兄ちゃん達がいるとまあちゃんを見てもらえて、姐さんも助かります。まあちゃんがソファーから落ちないように、防波堤になっているつもりのえい坊
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まあちゃん、テレビを見ながらおせんべポリポリ

2012/05/02 12:43
 久し振りのブログです。4月は6日から18日まで奥中山に行っていました。6日はまだ雪がコンコンと降っていた奥中山です。10日ほど奥中山を留守にしただけでしたが、まあちゃんのつたえ歩きはどんどん速度を増していました。部屋のドアも自分も開けられるようになって、便器をのぞいていたこともあったようです。ふつうなら、親も姐さんも「コラァ!ばっちいからダメよ」と叱るところでしょうが、まあちゃんに関しては何をしても、こんなこともできるようになったんだって、成長を喜び、「まあちゃん、てをあらおうねぇ〜」ってなるんですよね。でも、ほんとうはまあちゃんだけじゃなく、健常児のお兄ちゃんたちに対しても、まあちゃんと同じように大らかな気持ちで接したいですね。子育てが終わった姐さんだから言えることですが。
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(画像上)風邪気味でお風呂に入れなかった翌朝、自分で洗面所に掛けてあるタオルを取って身体や顔をふくまあちゃん
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(画像上)まあちゃんの姿が見えず、ドキドキの姐さんの気も知らないで、生ビールの機械の隙間に入っているまあちゃん。どの子も狭い空間が大好き
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(画像上)ビニール製のバットを立てることもできるようになったまあちゃん。立ててから自分で拍手することも
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(画像上)なかなかできなかった食べ物を受け取って、自分で手に持って、口に入れる動作。簡単なようでもまず、「まあちゃん、おせんべだよ」と姐さんが持っているおせんべを自分で取ることができなかった。それが、自分の意思でほしいものを取ることを覚えたことは大きな成長
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東大病院でCT検査。検査のあとに院内の庭園へ

2012/04/01 13:50
 岩手の丘の上の家から帰京してかれこれ5日は経過しました。まだ風邪が治らず伏せっている姐さんです。でも、数日前には東大病院の定期検診には行ってきました。一度予約を逃すと次の予約がなかなか取れないのです。当日も病院の入口には、本日の受診者3,706人って札が出ていました。
 今回の検査はCTでした。前回のCTは3年前の乳ガンの手術の前にしました。確認のための検査だったと思います。あのときは全身をドーム状の中に入れて検査しましたが、今回はサーカスのライオンが火を潜るような輪を使っての検査でした(かなり古いたとえですが……)。姐さんはこの輪を3回寝た状態で行ったり、来たりしました。
 医療機器も3年もたてば変わっていくものですね。以前のような威圧感はなく、簡素化された印象でした。それが「進歩」と言うのでしょうが、機械の「進歩」、技術の進歩にいつも人間の精神が、ついて行けるとはとても思えませんし、思いたくないです。それにCTはMRIと違ってX線であることには、以前と変わりありませんでした。
 検査のあとはいつものように、乳腺外科の担当医ことえドクターの診察でした。検査の結果は「何ともなかったですよ。肺もきれいです」と言われ、ひと安心。「大丈夫だと思っても、検査っていつもドキドキしますね」と姐さん。ことえ先生も「私もいつもみなさんの結果をみるときはドキドキします。だから患者さんはもっと心配だろうなって思いますよ」って言っていました。変に慰められるより自分の気持ちを正直に言ってくれる分、信頼がおけます。
 病院に行く前にML(メーイングリスト)の友人徘徊さんが、「東大植物園に行った」と投稿しているのを読んだ影響で、病院内の小さな庭園の花を見てみたくなり、診察が終わってから行ってみました。花の数は少なかったですが、小さな庭園でも緑があると気持ちいい、草木の大切さを実感しました。
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(画像上)外来棟の<憩いの庭>で紫色のかわいい花を発見。花の説明の立て札を読むと、なんとこの花の名は<タカラズカ>。宝塚といえば<すみれの花咲く頃>。この歌とこの花のネーミングはやはり関係あるのだろうか?家に帰って調べてみたら、クマツヅラ科デュランタ属の花で<タカラヅカ>は商品名とのこと。南米の熱帯地方が原産とか。アルゼンチンにあったかしら??? 花言葉は<あなたを見守る>
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(画像上)草花に疎い姐さんでもわかる<ユキヤナギ>
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(画像上)入院棟の<グリーンテラス>では沈丁花だけが咲いていた。もう何十年も前に人手に渡ってしまったけど、実家の広い庭は春になると沈丁花の香りに包まれた。何ひとついい思い出はないけど、沈丁花、キンモクセイ、サルスベリ、藤、木蓮など庭にあった花は懐かしい
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(画像上)病院に行くたびに心臓が悪くなりそうな<再来受付>の機械。こちらがカードを入れようとしているのに、「受付をいたします。受信カードを入れてください」と間を入れずに追い打ちをかける。「いまやろうとしています。病人や高齢者は、テキパキとできません!」機械に向かって言っても仕方ないが……
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姐さん不在の2週間で、まあちゃんはつたえ歩きを

2012/03/30 07:30
 前回東京に戻ったのが2月28日。約2週間東京にいて3月15日に岩手に来ました。姐さんがいないあいだ、まあちゃんはつかまり立ちがとても上手になり、壁といわず、ドアといわず、窓、鏡……、手がつくところならどこでもつかまって立っています。疲れるとドッスンと腰から落ちてひと休み。あるいは頭を下に向けて、「ウワァ〜ン」と一瞬、<この世の終わり泣き>をすることもあります。
 2月にはできなかったつたえ歩きも、少しずつできるようになりました。春になって薄着になれば、もっと活発に動くようになりますね、きっと。
 姐さんが東京に戻る数日前からまあちゃんは、咳をするようになり、酸素ボンベがはずせないようになっていました。姐さんが帰るころになると、まあちゃんはよく体調を崩すのです。そして帰京する日に、病院に急行することも少なくありません。姐さんもまた帰京するころは、<これが限界>状態になるので、姐さんの疲れがまあちゃんに移って、体調が悪くなるのですね。今回も帰京する26日は一戸の病院経由になります。咳と鼻水が出ていても動き回り、食欲があるのが救いですが心配です。
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(画像上)玄関ホールの鏡が大好きなまあちゃん。まあちゃんの手の跡がだんだん高くなっている
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(画像上)姐さんが帰京する前夜の献立はシーフードカレーとサラダ。いい匂いにつられて、まあちゃんは姐さんとお兄ちゃんのあいだを行ったり来たり
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(画像上)2月には、高いところに昇れても降りることができなかったまあちゃん。今では後ろ向きになってじょうずに降りられる
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(画像上)帰京するために、一戸から<いわて銀河鉄道>で盛岡へ。小鳥谷(こずや)、小繋(こつなぎ)と奥中山高原に近づくにつれ吹雪が強くなったが、奥中山高原を過ぎれば雪もおさまり、盛岡では忘れ物のような色あせた雪が少しだけ。小繋駅は命のノートをテーマにした、映画『待合室』の舞台になったところ
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溶けては、また積もり……いつまで続く雪の日々

2012/03/25 17:32
 去年は3月11日以降、こんな大雪に見舞われた記憶はありません。
この冬、最初に奥中山の丘を雪化粧したのは去年の11月半ば。それから丸4ヵ月が過ぎても、一昨日から降りはじめた雪が今日も続いています。一昨々日は朝から太陽が顔を出し、雪の白さで輝くような明るい日になったというのに。
 ほんとうに山の天気は変わりやすいです。夕方には寒々とした雪雲に覆われてしまいましたから。
 孫達は山の天気の恐ろしさをよく知っています。<そんなヤッケ着て、暑くないかなぁ>と姐さんが思っている日でも、すぐに雪が降り出し、風も吹き、気温もグッと下がりますから。自然を甘く見てはいけませんね。
 明日は姐さんは東京に戻ります。暖かいかな? 桜の蕾は膨らんでいるかな?
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(画像上)一昨々日は屋根の雪も溶け出し、鳥(名前不明)もさえずり、春の訪れが感じられた。左の灰色の建物は<堆肥場>、白い円状は去年の秋に収穫した牛のエサの<草>、赤い屋根の小さい方は入植当時のご両親の住まいで、今は子牛小屋、大きい赤い屋根の家は、去年までご両親と住んだ家。今はご両親とじゅんじゅんさんのお姉さんが住んでいる。建設中の建物は新しい牛舎でもうすぐ完成
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(画像上)半日で風景が一変
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(画像上)この時期の雪は水気があり重くて、雪かきも力がいるらしい
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(画像上)日が沈めば、あたりは真っ暗で10cm先も見えない。ライトを頭に付けて丘の下の牛舎まで、おやつ代わりのおむすびと、堆肥にする残飯バケツを届けることがれおくんの役目
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「まあちゃんは、ぼくたちの仲間」と、お兄ちゃんのえい坊

2012/03/25 13:05
 えい坊は姐さんの2番目の孫です。ダウン症のまあちゃんとは2歳違いのお兄ちゃんです。生まれたときには姐さんはアルゼンチンから一時帰国して、えい坊の誕生を祝いました。成田で再会したのはそれから1年半振りで、会ったときはずいぶんやんちゃな顔しているな、これから振り回されて疲れないかな、とちょっと不安になりました。
 ところが2歳近くになっておしゃべりしだすと、ボキャブラリーの豊富なこと、言葉の使い方のおもしろいこと、お兄ちゃんのれおくんの言葉をオウム返ししてすぐに覚え、次には自分なりの言葉遣いで返していく力には、「すごいねぇ〜」と思わずうなってしまい、姐さんやまわりの人を楽しませてくれます。
 最近、そのえい坊はまあちゃんのお世話係に、昇進したようです。保育所が大好きだったれおくんに代わって、3歳児のえい坊が保育所を休んで、まあちゃんのお守りをすることが増えたようです。少しの時間ならお父さんもお母さんもいない家で、えい坊だけでまあちゃんのお守りをすることもあるみたいです。15歳未満の子どもだけを家に置いておくことは、欧米では絶対に許されないことですが、日本では許されるのか姐さんは知りません。
 れおくんが小学校に入り、遊び方もこれまでとは違ってくると、えい坊とまあちゃんの仲が今より近づくことになるでしょう。正直、今はまだまあちゃんは、えい坊にかまわれることに不安を感じているようですが……。
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(画像上)年に2〜3回は上京する孫たち。2011年2月、まだオムツのとれないえい坊(2歳)に「早くオムツがとれるといいね」と姐さん。「だって、えい坊 まだ あかちゃんで いたいんだもんね」とえい坊。その気持ち、よ〜くわかる
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(画像上)「まあちゃんだけずっと、東京にいてもらうね」と姐さん。「ダメ、ダメ。ぜったいに ダメ!だって まあちゃんは ぼくたちの なかまだもん。バーバラ(姐さんのこと)は JJ(東京のおじいちゃん。夫のこと)がいるから いいでしょ!」と、まあちゃんの顔を心配そうにのぞき込むえい坊(2歳)。半年後には「仲間」から「家族」と言うようになった。
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(画像上)「かいだんの のぼりかた おしえて あげてるの」とえい坊
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(画像上)「あのねぇ おいなりさんが はだかになって さむい さむい だって」稲荷寿司の揚げだけ食べてしまったえい坊
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(画像上)保育所の発表会で『さくらはなび』を踊るえい坊(右のご隠居さん役)。かわいくて姐さんの踊りの参考に。まあちゃんが来年保育所に入れれば、えい坊も年長さんで1年間一緒に通えるけど……
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まあちゃんのお友だち大集合

2012/03/21 18:22
 昨日、丘の上の家は朝からバタバタの一日でした。午前中はれおくんとえい坊のピアノの発表会。午後からはまあちゃんの友だちが、お泊まりで遊びに来ました。
 2010年2月にまあちゃんと同じように、心臓の手術をした入院仲間です。まあちゃんが手術のために初めて入院した日、三沢から入院していたお仲間さんが心細そうな娘に、「どうしたの?」って聞いたそうです。娘は「この子がダウン症で、心臓も悪く手術するのです」と言ったら、「うちの子もダウン症で手術したの。同じよ。ねえ、見てみて」ととなりの病室に手を引っ張って連れて行ってくれたそうです。それで娘は自分一人ではなし、こんなに明るい人もいるのだ、と力づけられたと当時を振り返って言います。
 今回のホームパーティは仲良し3人のうちのひとりが、ツレアイさんの転勤で盛岡から九州に越すことになったので壮行会というわけです。子ども7人、大人7人が集合し大騒ぎ。
 だいたい家族連れで集まるときは、ママさん達のおしゃべりのためにパパさんがかり出される場合が多いですよね。この日もパパさんたちは子守専門で、ママさんたちはお菓子をつまみながらずっと話していました。お腹の中に貯めていたあのこと、このことを吐き出すように。
 パパさんたちは、おしめの取り替えも、ほ乳びんの扱いも、自分の子以外の赤ちゃんをあやすのもとても慣れている様子。そして、ダウン症の我が子を「めちゃめちゃ可愛いですよ」とはっきり言っていました。病院で知り合ったあとに、新たに子どもが生まれた転勤さん。みんなまだ子どもが欲しいって思っているみたいですよ。
 今日3月21日は<世界ダウン症の日>だそうです。ダウン症は21番目の染色体が3本あることからこの日になったそうです。
 一口にダウン症と言っても、症状や発達状況はまったく違いますね。昨日来たまあちゃんの友だちも三人三様で、走り回っている子もいれば、つかまり立ちの子もいましたから。姐さんはそれぞれの子どもの個性だと思いながら、まあちゃんと日々遊んでいます。
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(画像上)姐さんは料理専門。作った料理を全部食べてくれたので、作り甲斐がありました。ブタ肉、カジキまぐろ、ズキーニ、シイタケ、カボチャ、タラの芽などの串揚げ50本、稲荷寿司、野菜たっぷりの白和え、ダイコンと貝柱(缶詰)のマヨネーズサラダの前菜(?)。ダイコンと貝柱のマヨネーズサラダは、姐さんの師匠水木歌峰先生のお稽古場でのおさらい会のあと、毎回先輩名取りさんが作ってくれた定番のお料理。日本舞踊だけでなく、お料理も教えて頂きました
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(画像上)メイン料理はお米8合焚いた手巻き寿司。酢飯の中には焚いたときに入れた昆布。これはアルゼンチンに日系人の方に教えていただいた
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(画像上)「ねえ、ねえ、その椅子、JJ(東京のおじいちゃん。夫のこと)が送ってくれて、ぼくがいつも使っているんだよ。困ったなぁ〜」と、椅子にしがみつくまあちゃん
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まあちゃんの側には、れおくんが

2012/03/20 13:08
 れおくんは実によくまあちゃんの世話をやき、かわいがっています。ときどき世話をやきすぎて危ないことになり、お母さんに注意されてしまうこともありますが。たとえば、抱き方がちょっと乱暴だったり、まあちゃんにはまだ危ないオモチャを渡してしまったりすることです。
 でも、れおくんのおかげでお母さんもまあちゃんも、とても助かっていることは間違いありません。最近では、れおくんがあやとりをすれば、まあちゃんも両手にヒモを通して遊んでいます。れおくんがブロックで何かを作れば、まあちゃんもブロックをいじっています。お兄ちゃんたちがまあちゃんにはとてもいい刺激になっているようです。そんなことは当たり前と子育て経験者は思うでしょうが、ことまあちゃんに関しては新しいことが出来ると、手放しで感心してしまうのです。「できるのが当たり前」ではないことが、この世にはたくさんあることを教えてくれたのはまあちゃんです。
 1月に東京に遊びに来て、れおくんをとお風呂に入った夫が、「れおくんはもう子どもではなく、少年だね」と言っていましたっけ。そして、卒園式の日には夫から娘に、「可愛かったあなたが立派な名母親になったように、れおくんも何年かで逞しい若者に育っていくことでしょう。卒園、入学おめでとう」とメールがきました。
 来月から小学生のれおくん。どんな少年に、お兄ちゃんに成長するのかな?
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(画像上)10ヵ月のまあちゃんをいつもみつめていた、れおくん(4歳)。まあちゃんがミルクを吐いてしまったり、泣きそうになったり、酸素がとれていたりするとすぐにお母さんに知らせてくれた
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(画像上)おしめが汚れもみてくれて、取り替えてくれたれおくん(4歳)
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(画像上)「ちょっとお願いね」とお母さんや姐さんが頼むと、喜んでごはんも食べさせている
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(画像上)お母さんに歯磨きしてもらうれおくんの側を離れないまあちゃん。そんな時でもれおくんの手はしっかりまあちゃんを支えている
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本番前にじっちゃん、ばつちゃんのための卒園式も

2012/03/19 16:54
 健康診断も引越もそして女子会も終わった15日、姐さんはまあちゃんの顔が見たくなって新幹線に飛び乗りました。
 15日は娘の勤めている中学校の卒業式、そして17日はれおくんの卒園式です。娘の嫁ぎ先の奥中山地区には保育所、小学校、中学校がそれぞれひとつずつしかありません。れおくんのクラスメイトは17名だそうです。引越をしない限りこの17名の仲間と中学まで一緒です。小学校も中学校も一クラスしかありません。東京や大都会のように保育所に入るための待機児童もいません。
 もっと違うことは、17日の卒園式の1週間ほど前におじいちゃん、おばあちゃんのための卒園式があったそうです。同居あるいはスープの冷めない距離におじいちゃん、おばあちゃんが住んでいる家族が多いからです。都会のように核家族なんて信じられないという地域です。
 れおくんのおばあちゃんも出席したそうです。丘の上の家ができる去年の秋まで一緒に暮らしていたので、可愛さも一入だと思います。壇上で所長先生から卒園証書を授受して、そのまま席で起立しているおばあちゃんのところへ行き、一言言いながら証書をおばあちゃんに渡したそうです。おばあちゃんは涙を堪えきれなかったそうです。
 本番当日のお母さんは?と言うと、入場から大泣きで、れおくんが壇上に上がったときには、涙も一休みってことだったそうです(笑)。
 まあちゃんの卒園式では、きっと感激して倒れ込んでしまうのでは?と聞いてみたら「ハンカチでは間に合わないので、バスタオルを持って行く」とのことでした。納得。
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(画像上)少しずつ春の気配。雪の轍(わだち)から、土の轍へ
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(画像上)卒園式の日、「半ズボンはやだなぁ〜」と言いながらも一生懸命支度するれおくん
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引越時は事前打ち合わせが大切

2012/03/17 11:37
 浅草から新大橋に引っ越した姐さんたち。新大橋の新居はアルゼンチン時代の夫の駐在員仲間でもあり、姐さんたちの仲人さんの身内でもある方のマンションです。3年間の予定でブラジルに転勤になった彼らのマンションを破格の家賃で借りられることになったのです。
 8、9、10日の3日かけての引越。引越業者は2社から見積を取り決めました。<0123>社さんとS社さん。料金を比べればS社さんのほうがはるかに安かったようです(夫が交渉)。でも話し振りからして不安があったり、以前、浅草のマンションで作業していたS社さんが共有部分を汚し、傷つけ帰っていくのを姐さんは目撃したことがあったりで、最終的に<0123>に決めました。
 もちろん夫は値引き交渉をしぶとくしました。営業マンも値引きする条件をいろいろつけてきたそうです。その条件とは引越日は平日、新品の箱は使わない、スタッフも最小限などです。どうってことないですよね。それで10万円以上安くなるのですから。
 それにしても引越業界も厳しい世界ですね。8日の箱詰めに3人、9日の引越当日に5人、10日の開包に2人の人員をフルに使い、2トントラック2台で20〜25万の料金ですから。高いか、安いかは人それぞれ考え方は違いますが。
 またいくら不況で失業者が多い世の中でも、サービス業は人が命です。効率よく作業をし、客からクレームがでない人材を集めるのはたいへんだな、と思いました。姐さんたちにとって、<0123>社さんのスタッフはとっても好印象でしたよ。
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(画像上)夫が障子を貼り直していよいよ引越
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(画像上)姐さんが<福島原発行動隊>の集会に行っているあいだに、3人のお嬢さん方によって5時間ほどで荷造り完了。私語はいっしゃいせず、テキパキテキパキで夫は感激していた。箱は約80箱。大きな家具はまだ手つかず
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(画像上)9日荷物運び出しの日。女性スタッフも男性と同じように箪笥や冷蔵庫を運び出す。「コツがあるんです」と平気な顔。汚れも自ら掃除してくれた。これも値段の内? いや、違うと思う
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(画像上)電球外し。「うちには脚立が無いのですが……」と姐さん。「大丈夫で箱が2つあれば、台代わりになりますから」と。前の椅子2脚は最後まで置いておいてくれた姐さんたちの休憩用の椅子。作業中は邪魔にならないよう、おひな様のように夫とふたりで座っていました(笑)
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(画像上)当初5人で作業の予定が、応援も来てくれたとかで8人で作業。チーフが若いスタッフに「道具は家具の上には置かない。床に置くクセをつける」などOJTもしっかりしていた。荷物が出たあと姐さんの部屋に残ったのは、貴重品のリックとお茶のペットボトル。2年半、お世話になりました!
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友情の証? 35年間温めた預金通帳出現

2012/03/16 17:23
 引越先の荷物が片づいた14日、姐さんは親友のたっちゃん、まっちゃんの三人で女子会をしました。場所は有楽町の和風レストラン<さがみ>。特徴のある店ではありませんが亡父とよく呑んだ店で、姐さんは大切な友だちとの店として利用しています。
 たっちゃん、まっちゃんは大学時代からの親友です。結婚した年も3人同じ、子どもを産んだ年も3人同じで、一緒に年を重ねてきた思いです。
 姐さんに乳ガンが発見されたことを最初に話した、数少ない友だちでもあります。ふたりとも手術の翌日病院に来てくれました。たっちゃんは手術の日も来て、手術室に運ばれる姐さんを夫と一緒に見送ってくれました。
 そして、親、兄弟、親戚にも言わなかった、まあちゃんがダウン症であることを最初に話したのもこのふたりでした。まあちゃんの心臓の手術が終わり、姐さんの放射線治療が終わったころのことです。話したとき、姐さんの涙は堰を切ったように流れ、止まりませんでした。まっちゃんも涙ぐんでいました。児童館で仕事をしていたたっちゃんは、「愛情もって、かわいがって育てることがいちばん大切! 大丈夫、みんなでかわいがろう」って言ってくれました。ありがたい友だち、素晴らしい友だちです。たっちゃんは役所で相談員、まっちゃんは58歳で専門学校に入学し、准看護士の資格を取り、今は介護施設で看護士さんをしている現役のバリバリです。
 いつものように話しが弾み、そろそろお開きにというとき、たっちゃんがバッグから「ねえ、ねえ、これ見て!」と古い通帳をテーブルの上に置きました。通帳の表には<桜互助会>と書いてありました。今から35年前に作った三人のへそくり預金、遊びに行くときの積み立て用の通帳でした。休眠口座が話題になりチェックしたら出てきたそうです。改めて友情に乾杯! <桜互助会>再開に乾杯!
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(画像上)この通帳の存在はすっかり忘れていたので、うれしいより驚きが先
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(画像上)1978年に姐さんが夫の赴任地ロサンゼルスに行く前に、温泉旅行にみんな子ども連れて行くために2万円引き出してそのままに。近く積み立て再開の予定
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(画像上)三人で呑むときはお刺身<1,580円>とお寿司<2,500円>はだいたい欠かせない。この日オーダーしたアルコールは生ビールと焼酎300ミリリットルのボトルと追加でお湯割り一杯ずつ
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日比谷公園での3.11集会

2012/03/12 09:22
 昨日は3.11脱原発集会に行ってきました。
 集会が行われたのは日比谷公園の中にある公会堂前です。
 姐さんたちは仲間4人で参加しました。
 会場に着いて最初の印象は前回(昨年の9月16日明治公園で行われた集会)よりも、人数が少ないなということです。でもこれは姐さんの早がってんだったことが、すぐあとでわかりました。
 姐さんたちが内幸町から東電本社前、外堀通り、日比谷通りを行進して、再度公会堂前に戻ったらまだ出発を待っているグループが大勢待機していましたから。
 一緒に行った徘徊さんのブログ(タイトル:老人はゆく)によると全国各地で数万人、福島で1万5千人、東京で1万人が集会に参加したそうです。姐さんたちは一緒に行った徘徊さんの采配で、先頭集団に入り込むことができました。徘徊さんのこの辺りの機転の利かせ方や行動力は(たまに凄すぎるパワーにハラハラしますが)、すごいと頭が下がります。80年の人生経験の賜でしょうか?
 姐さんたちのまわりは、「原発はいらない」「子どもを守れ」「福島を守れ」と元気に脱原発をコールする若者が多く、気持ちのよい行進でした。
 テレビの報道はあてにならないことが多いですが、被災者の多くが復興はまったく進んでいない、原発によってすべてを失った、子ども達はもうこの地(福島)に戻ってこないだろう、と述べていました。
 これから20年、30年、40年かかる廃炉までの道。その過程で去年の事故よりももっと酷い事態が起こるかもしれない、そして子ども達は放射能の被害を受け続けることになると思うと、この時代を生きるばあさんとして、親としてはだまってはいられませんね。
 帰宅して万歩計を見たら1万4,210歩と表示されていました!
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(画像上)福島原発が水素爆発を起こした手作りの簪(かんざし)を頭に付けて参加した若い女性
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(画像上)小型ソーラーパネルを背負って、そこから得たエネルギーで拡声器を使っていた青年
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(画像上)デモ行進も40数年前に比べると完全に様変わり。デモ隊と一緒に「行進」するカメラマンは、どこの社?と思いきや<機動隊>のカメラマン。おまわりさんは、信号が青に変わると止まっているデモ隊に向かって「はい、お願いします」(苦笑)
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(画像上)姐さんたちは、このあとの<人間の鎖で国会包囲>には参加しないで、仲間の徘徊さん、おかさんについて経済産業省前でテントを張り、昨年9月から24時間態勢で抗議活動を続けている人たちの激励に行った。テントの前には右翼団体が喚いていたが、おまわりさんが間に入りしっかりガード(?)。テントの人たちは挑発にのらないように、何言われても素知らぬ顔をしてだまっていた
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3.11ライフラインが止まった奥中山の家

2012/03/11 12:27
 今日はあの東日本大震災から1年たった3月11日です。
 あの日、夫は浅草のマンションのエレベーターに閉じこめられ1時間後に救出されました。姐さんは近所の外出先からマンションに戻り、自宅のある20階を見上げては夫の所在が気になっていました。携帯は繋がりませんでした。
 外に出ているまわりの人たちから、東北がひどい被害らしいことを耳にして、姐さんは娘達のことが心配で何度も娘、娘の夫のじゅんじゅんさん、じゅんじゅんさんのご両親のところに電話しましたが、つながりません。
 でも地震発生から30分ぐらいたったとき娘から一言、「怖かったぁ〜。でもみんな無事だから」と携帯から連絡があり、娘達が助かったことも電話が繋がったことも奇跡だと思いました。
 その後数日は、娘達と連絡がとれませんでしたがまだ雪の残る中、電気が止まり暖房が使えず、自動車のヒーターを入れて車の中で過ごしたそうです。
 岩手県でも内陸部だったから、これくらいの被害で助かったのです。
 時間を戻せるものなら、震災前の時間に戻したい。これが被災者たちの念いではないでしょうか?
 そして、地震と津波の天災ならこんな多くの犠牲はなかったはずなのに、その後の人災をもたらした東電・政府の責任は類をみないほど酷いものだと思います。
 これから姐さんは日比谷公園で行われる脱原発の集会に行ってきます。
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(画像上)せまい車の中でいつものように一生懸命に、まあちゃん(当時1歳)の世話をする長男のれおくん(当時5歳)。外はまだ雪が残っていた。2011年3月11日
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福島原発行動隊の集会に行ってきました

2012/03/11 11:31
 8日の引越作業の初日、姐さんは梱包作業の指示を夫に頼んで、<0123>のお嬢さんたちと入れ替わるように、参議院議員会館へ向かいました。<福島原発行動隊>の院内集会に参加するためです。
 <福島原発行動隊>は、原発事故が起こった翌月に「次の世代に負の遺産を残すことにならないよう、被爆の害が少ないシニア退職者が若年作業員に代わり、原発の現場で事故処理に参加する」ことを目的に、元技術者の山田恭暉(やまだ・やすてる)さん(72)が発起人となり、実際に福島の現場で作業をする<行動隊>と後方支援をする<賛同者・応援者>のボランティアをつのりました。そのときの名前は<福島原発暴発阻止行動プロジェクト>です。姐さんはすぐに賛同者に登録しました。何か行動しなくてはと思ったからです。
 <行動隊>の存在はこの1年、いろいろなマスコミで取り上げられ、細野大臣や東電幹部とも会議をしてきたようですが、現場で作業するという目標はまだかなえられません。政府は「事故処理は東電に任せる」と言い、東電は「自分たちで確保した人員で十分(7次下請け400社3,000人)」ということらしいです。そして今、行動隊がしていることは福島県内での除染とモニタリングです。
 月日が移りゆくなかで、行動隊のモチベーションが変わってしまったような印象を前回の集会では受けました。たとえば、参議院議員会館という場所故か、民主党議員や秘書が4〜5人顔を出し(まさに顔を出すという感じで、座って集会に参加する気はないようです)、「退職者のみなさまの熱い思いには、いつも感激しております」的な挨拶をしていきます。「一緒に行動しましょう」とはだれも言いません。そのたびに行動隊員の報告は中断され、姐さんは嫌〜な気分になっていました。
 今回の集会も前回と同じように、前半は東電の事故処理の現状報告、今後の東電と政府の計画の報告がありました。そして、最後に山田さんが「『若年作業者に代わり、シニアが作業に加わる』という簡単な提案は受け入れられると思っていたが、社会の障壁にぶつかった。下請け、孫請けによって利益を生む、日本の産業構造が問題」と総括し、「原点に戻り社会、政界、経済界に改めて<行動隊>の目的を働きかける必要がある」と語って散会となりました。
 「時間がない(2時間の集会)」で、参加者の質問を遮ることもありますが、前半の原発ウォッチャーの報告よりも、姐さんは質疑応答が大切だと思いつつの帰路でした。

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やっぱりビールは美味しいです! 酒肆

2012/03/07 21:17
 姐さんが9日まで住む浅草の家の隣はアサヒビールの本社ビルで、まわりには同社関連レストラン、カフェなどがいくつかあります。
 その中のひとつ、アサヒビールアネックス2階<酒肆(しゅし)>に行ってみました。店内のレジ近くには金色に輝くピカピカのタンクが君臨していました。
 ランチタイムだったので会社員の人たちが多く、昼からビールを飲んでいるのは姐さん達ぐらいなものです。退職者の強みですね! 好きな時間に好きなことができるのは。
 料理も美味しかったですが、確かにビールも美味しいです。姐さんはまずスーパードライと黒生のミックス<ハーフ&ハーフ>(550円>を飲みました。昼酒は効くな、引越の準備があるけどなぁ〜と思いつつも、友だちにつられ暴走。ここだけにしかないビール、ここで熟成したビール<隅田川ヴァイツェン>(650円)を注文。飲んでよかったです。フルーティーで最高のお味でした。おすすめです! また行こう!

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(画像上)右側がタコとオリーブのトマト味<タコオリーブ>。左側が<炙りサーモンのマリネー>。両方ともとてもビールに合って美味しかった。ビール2杯と料理を一皿(量はかなりある)オーダーして2,000円でおつり
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浅草、気になるレストランへ 櫻田

2012/03/07 16:58
 アルゼンチンに行く前は、台東区の谷中に17年住んでいました。今は完全に観光地化してしまいましたが、寺が多く落ち着いた街で、姐さんはとても好きでした。
 では浅草は、と言うとスカイツリーが完成した昨今は、あまりにも観光客が多く落ち着きません。しかも物価が高いです。特に飲食店の値段は観光地料金です。
 そんな浅草ではありますが、離れる前にちょっと気になる店に行ってみました。
 まずは雷門通りにある<江戸料理の櫻田>。バブルのときにクライアントさんに連れていってもらいましたが、生憎いっぱいで入れず、以来未練のある店です(笑)。
 江戸時代の食材を使った炭火焼きというのが売りで、マスコミの取材もたびたび受けているらしいですよ。値段からはアダルト向き。
 江戸時代の食材とは? 
 肉ではイノシシ、鴨、鹿、馬、つくねらしいです。姐さんが食べられない肉ばかり……。野菜は水菜、シイタケ。長ネギ、シシトウ、ギンナン。魚はサケの麹漬け、エビ、タコ。真実はわかりませんが、これらはこの店の炭火焼きのメニューです。
 食材は確かに新鮮でした。おいしかったです。
 そして、各テーブルは長火鉢が備えられ、窓側には障子があてがわれて、雰囲気は落ち着いていました。デブの姐さんには座るところが狭かったですが。
 トイレの壁の傷ついた部分に深竹ザルをさりげなく飾って、微笑ましいほどの演出もありましたね(笑)。
 ただ、日本酒はどれも1合1,050円では、貧乏人の姐さん向きではないかも。
 そうそう、酒といえば食前酒がおもしろかったです。水で薄めた日本酒なのですが、店主曰く、「江戸時代は灘から日本酒が届くと、まず3割水で薄め、さらに3割氷で薄めたそうです」と。
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(画像上)足下は床暖房。店の真ん中はテーブル席
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(画像上)串焼きのコース料理で、この中から好きな串を6品選ぶ。食前酒、お通し、小鉢、ご飯(おじや)が付いてひとり2,000円。ひとりで来る人はどうするの?
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(画像上)追加で頼んだ<紙なべ>(1,000円。ただし2名から)。最初に蛤を入れ、食べ、蛤の出汁で拍子木に切ったダイコン、豆腐、水菜を茹でて食べる。蛤とダイコンの出汁は絶妙な味。炭は良質の炭と、安炭と混ぜてあり、企業努力のあとが垣間見えた思い
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<木馬館>の大衆演劇のおもしろさとは

2012/03/07 13:58
 「木馬館」は昼夜2回公演で毎月興業劇団が変わります。役者は地方の旅館やホテル、ヘルスセンターなどの舞台にもあがります。観客の70パーセントがおばちゃん。残りは役者の追っかけをしている若い女性。そして、おばちゃんに引っ張られて来たおっちゃんが少々。おばちゃんの追っかけも少ないないようですよ。
 歌舞伎と大衆演劇では、いろいろな違いがあります。ひとつには大衆芸能には衣装の煌きらびやかさがあります。きらびやか=豪華とは違います。歌舞伎は<豪華>という言葉のほうがあっています。
 さらに、目の動き、身体の動きなど大衆芸能のほうがオーバーです。そして劇場が狭い分、役者と観客が一体になれます。
 歌舞伎は古典芸能としての品格が重要になり、古典舞踊の感動を観客に与えます。一方、大衆芸能は観客に小気味よいまでの楽しさを与えます。姐さんはどちらも素晴らしい点があり、勉強になります。
 歌舞伎からは伝統的な所作を、大衆演劇からは新舞踊だからこその動き、着物と帯結びのセンス、小道具の使い方などを学んでいます。参考にしています
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(画像上)3月公演は、劇団開設3年目<木馬館>初主演の鳳凰座。画像は中野座長。女役以外に立ち回りが得意と見受けた
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(画像上)今年の幕開けは、人気の劇団<花吹雪>。大衆演劇ならではの観客からの<おひねり>がスゴイ。1、2,3……10万円が襟元に!
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(画像上)踊って、歌って、芝居して……。ジャニーズの和製版? 
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(画像上)舞台がはねたら、役者さんは劇場の出入口で観客の一人ひとりにお礼のあいさつ
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忙しくても大衆演劇のメッカ、木馬館へ

2012/03/07 11:13
 引越準備に追われる姐さんですが、息抜きも忘れない姐さんです。残りわずかの浅草を楽しんでいます。
 浅草で大好きな場所のひとつが<木馬館>です。
 木馬館の歴史は古く、ルーツは1892年の道化踊り<常磐座>までさかのぼります。1977年から大衆演劇の芝居小屋になりましたが、大衆演劇の前は安来節(やすぎぶし。どじょうすくいとして有名)の専門館でした。
 大衆演劇はどんな演劇かというと、早乙女太一が演じるように男性役者が女装にもなって、踊りや芝居を繰り広げる舞台です。踊りは新舞踊で演歌やポップスにあわせて踊ります。
 姐さんはブエノスで日本舞踊の指導をするまで、演歌に合わせて踊る新舞踊への興味はほとんどなかったです。5歳からお稽古をしてきたのは古典の踊り、日本舞踊でしたから。でも、ブエノスでは新舞踊も日本舞踊も音頭も線引きはなく、すべて日本舞踊として受け入れられていました。どれもこれもなかなかの人気で、古典を習いたいお弟子さんもいれば、新舞踊を、音頭を教えてくださいというお弟子さんもいました。だから、姐さんは日本舞踊だけでなく、新舞踊もお稽古する必要がでてきました。
 そんなわけで、日本に一時帰国したときは木馬館や早乙女太一が出演する品川プリンスの劇場、はたまた明治座まで足を運び勉強したものです。
 ブエノスから帰国してからは、浅草に住んでいる便利さからほぼ毎月木馬館に足を運んでいます。
 そしてブエノスからお弟子さんが日本に来れば、必ず木馬館の大衆演劇と歌舞伎に案内して、違いを見て貰っています。みなさん、「楽しかった! 勉強になった」と喜んでくれます。
 浅草から引っ越しても木馬館には、きっと毎月通います。
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(画像上)木馬館は浅草寺の脇に続く<奥山おまいり商店街>にある。隣は浪曲の<木馬亭>
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(画像上)2010年の早乙女太一の明治座公演。ガードが堅く撮影禁止だったけど、外からパチリ。日本髪の台の上が太一くん。彼も芝居小屋からスタートし今やスター
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査定の結果、敷金は全額返済。ただし条件付き

2012/03/05 15:18
 URでは退去の予告期間は2週間となっています。退去届けを出すと、汚れぐあいを見に<査定>の人がきます。姐さんは岩手に行っていたので、夫が立ち会いました。その結果、汚れも壊れている箇所もなく、敷金は全額返金になりました(家賃の3ヵ月分なので大きいです)! ただし、条件付きで。その条件とは破れた障子をきちんと貼り直すこと、ベランダにつけた落下防止の網を外すこと、ベランダを含め室内の掃除をして出て行くことでした。入居したときの状態に戻せ、ということです。夫は「障子を貼り直しても、入居したときの紙の色と異なるので、URさんでまた貼り直すことになるのでは?」と聞いたそうですが、それでも貼り直してほしいとのことでした。
 孫達が帰ったあとは毎回、夫が修理しているので障子貼りは得意分野です。もし、障子を修理しないで退去すると1本3,500円なので、4本で1万4,000円助かりました!
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(画像上)障子貼りの難しいところは、数ミリ幅で糊を均等につけるところらしい。貼ったあとは霧吹きで水を紙に含ませる。昔の職人さんは口に水を含んで吹いていましたね
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(画像上)孫達がモノを下に落とさないようにテラスの柵につけた網も「寒い、寒い」と言いながら撤去。この網は姐さんが上野の100円ショップで見つけたカラスの防御網
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検査、検査のあとはURからの引越準備

2012/03/05 09:48
 姐さんたちは浅草の吾妻橋を渡った、例のウ×コビルの後ろにある独立法人UR都市機構が管理運営するマンションに住んでいます。ブエノスに滞在中にインターネットで民間マンションと比較し、目星をつけておきました。帰国後、東京・湯島にある外国人に人気の旅館(ホテル江戸屋)に滞在しながら、UR吾妻橋を内覧して決めました。広さは床面積77ヘーホーメートルの3LDKで、テラス(15ヘーホーメートル)から全部屋を巡回できるかなり贅沢な造りです。
 URは家賃だけ考えれば、部屋によっては民間より若干割高ですが、礼金、手数料、更新料は不要。賃貸期間の制限もありません。姐さんたちにとって最大のメリットは、保証人がいらなかったことだったことです。肉親でさえも保証人を頼むのは気が重いですものね。
 そして民間マンションの管理費は数万円するのに対して、URは部屋の広さに関係なく5,400円。退去したあとはクリーニングもしっかりするので、「え? この建物20年もたっているの?」と思うぐらいきれいでした。姐さんたちが借りた部屋は、全室に冷暖房機が付いていたので新たに購入の必要もありませんでした。別に姐さんはURのまわし者ではありませんが、民間マンションよりはいろいろな意味で、お得だったと思っています。
 ただし、契約のときに規定収入証明もしくは(姐さんたちはこのとき無収入だったので、該当せず詳細は不明)、家賃の100ヵ月分の預金証明が入ります。敷金は家賃の3ヵ月分でした。
 引越は8日と9日、今回は東京に戻ってもまったくのんびりする時間がありません(泣)
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(画像上)川のそばが影響しているのか、30階建てからのビル風か、風はふだんでも強く、強風のときは傘はさせない。させてもすぐに壊れ、マンションのエントランスのごみ箱は<傘のオブジェ>ができる
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(画像上)ベランダが広かったので、夏に孫達が来ると衣装ケースの即席プールで水遊びをさせていた。まあちゃんはお兄ちゃんたちを恨めしそうに見ていましたっけ。れおくんはゴーグルをつけて「これから除染を行います」と壁に水をかけていました。「除染」という言葉が、これからもずっと一般用語して使われると思うと、日本の将来がほんとうに不安ですね
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初の胃カメラ検査は静脈麻酔(全身)で受けた

2012/03/03 22:27
 姐さんは健康診断の必要性から胃カメラの検査を受けました。3月1日のことです。バリュウムでの検査を受けたことは何度もありますが、胃カメラははじめて。情報を集めてみると、鼻からカメラを入れるのが楽、あるいは全身麻酔で検査も受けられるということがわかりました。20年ほどお世話になっている台東区のホームドクターに相談したら、「鼻から入れるのは、カメラが小型すぎて視野が広くないから、細かい検査はできません」とのこと、「全身麻酔は静脈注射で眠らせて検査するので痛みはない。付き添いもいらない」とのこと。最終的に自分で決めなさいと言われ、ちょっと怖いなと思いましたが、姐さんは静脈麻酔による検査を練馬にある病院でしました。
 最初に、血圧測定。それから超音波で膵臓、腎臓、腎臓の検査をしました。異常なしということで、いよいよ全身麻酔です。靴だけ脱いで手術室に運ばれるような狭いベッドに寝かされ、まずは、胃の粘膜を保護する液体3種をゴックン。それから「これがノドの麻酔薬で需要ですから、ゆっくりノドに入れ、うがいをするようにゴロゴロとしてください」と看護士さん。姐さんは「あのォ〜、私、静脈麻酔で眠っているあいだに検査できる、ってことでお願いしたのですが、この薬も飲むのですか?」と。看護士さんは一言「そうですよ。大丈夫ですから、怖いことないですから、ノドの奥のほうにぐっと入れてください。口の中に広がると舌が痺れます。ふつうはこの麻酔だけで検査するのですよ」と怖い顔(泣)。姐さんは覚悟を決め、看護士さんから渡されたティッシュを口元でおさえ、サッと麻酔液をノドまで流しゴロゴロゴロ。ここでペッとしないように、看護士さん「はい。そのまま、そのまま。横向きになって、唾は自然にでる分だけティッシュに流してくださいね。あ〜あ、もうぉー、どんどん吐かないで! 麻酔がきかなくなりますよ! あと10数えるまでがまんしてくださいね!」。姐さんはベッドから降りて帰りたくなりました(泣)。
 10数え終わったころにマウスキャップを口に入れられ、白衣の若い男性出場。医者ですね。注射器持って姐さんの静脈にブスリ。全身麻酔といえば乳ガンのときは口から吸入し、1,2,3でカックンでした。でも今回の麻酔は身体が動けなくても意識は頭の奥のほうであったような気がします。終わったこともわかったし、ベッドごと部屋の隅に運ばれたことも、話し声も聞こえました。寝よう、寝ようと思っても眠れない自分がいました。
 ベッドに横になったのが10時30分。院長先生から結果を聞いてお金を払い(1万3,250円)病院を出たのが12時30分ごろ。となると1時間半ほど朦朧としていたわけですね。検査結果は異常なしでよかったです。自分で選んだ方法ですが、気分のいいものではありませんよ。もちろん、ゲエ、ゲエと苦痛はありませんでしたが。
 この静脈麻酔は無痛分娩に使われるらしいですね。この程度の麻酔は専門医は必要なにのでしょうかね???
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骨密度の検査

2012/03/03 15:52
 姐さんは乳ガン再発予防のために、女性ホルモンの感受性細胞(エストロゲン)の増殖を抑える薬を1日1錠飲んでいます。乳ガンは女性ホルモンをエサに増殖するそうです。薬の名前はアルミデックス。副作用として更年期障害、肝機能異常がみられたり、骨粗鬆症や骨折などが起こりやすくなったりする場合があると言われています。姐さんは飲み始めたころは少し鬱っぽくなりました。そのときはたぶん薬のせいではなく、いろいろな心配ごとの影響だったと思います。
 今は一昨年のモヤモヤがウソのように快調です。でも年に1回、マンモグラフィーと骨密度の検査をしています。半年毎に超音波の検査をしています。この日は骨密度の検査でした。
 骨密度は骨盤のところにある腰柱をX線で撮影し判明されます。だからぜんぜん痛みはありません。骨盤のあたりの衣類を省いて寝てればいいのですから。撮影後、手術の執刀医で姐さんの担当医である西岡先生(女性)から、「異常はまったくないですね。前回より数値はよくなっていますよ」と先生も喜んでくれました。西岡先生のスゴイところは、いつも患者の立場になって診察してくれるところです。出来るようでなかなかできませんものね。
 さて、骨密度は最高値(若者の平均値)を1として、個々人の結果はパーセントで表記されますが、今回は0.974でした。1年前の前回は0.965でした。今のところ、アルミデックスの副作用は出ていないようです。ただ、この薬は90日分で1万5,910円もするので正直、きついです。
 骨密度の検査後、西岡先生の検査まで数時間ありトマスさんがMLで紹介してくれた『原発危機と「東大話法」』(安富 歩著・明石書店刊、1,600円)を読み始めました。原発事故を通してみた日本社会についての議論、「魂の脱植民地化」についての議論をわかりやすい言葉で展開しています。まだ読み始めたばかりですが面白そうです。この本、盛岡の書店2店舗で探しましたが、入荷されていませんでした。アマゾンで娘がプレゼントして東京に送ってくれました。
 すべての検査と診療が終わったのは17時近く。朝の雪がみぞれに変わり、そして小雨になっていました。
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(画像上)雪も止んだ夕方、竜岡門から上野松坂屋まで歩く。竜岡門の歩道に<取材場所>の表示
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東大病院最上階のレストラン

2012/03/02 20:02
 放射線科の白石先生の診察が終わったのが正午ごろ。次の<骨密度>の検査予約まで約2時間あり、姐さんは昼食をゆっくりとることにしました。入院する前の検査のときによく行った、入院A棟最上階のスカイレストランです。今朝、夫が「あのレストランの並びに確か特別室があったよね。天皇はそこにいるんじゃない?」と言うのを思い出し、足が向いた姐さんはほんとミーハーです。
 エレベーターのところにはSPが2人いました。でも、スカイレストランのある15階を降りてもSPはいませんでした。ぐる〜ん、と15階を見渡してみてもあるのは、入院患者用の<学習室>と<会議室>そして<トイレ>。<学習室>も<会議室>も机と椅子が見えています。特別室はたぶん、14階ですね。どうでもいいことですが。
 スカイレストランは上野精養軒の経営。最上階をレストランにして、外部委託にしている病院は東京に多いですね。東大病院にはタリーズやドトールのコーヒーショップもありますもの。唯一東大らしい名前のレストランは<食堂三四郎>。来月の診察のときはここに行ってみようかな。
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(画像上)この日のプレートランチは、キノコとダイコンのスープ、ハンバーグのスクランブルエッグ添え、ホタテ貝とワカサギのフリッターおろしポン酢ソース、さつまいもと豆のサラダ、青のりご飯桜でんぶのせ、紅茶。味はまあまあ。値段は1,300円と高いね!

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1年も忘れていた、放射線科での診察

2012/03/02 14:29
 雪の日でも病院はさすが混んでいました。玄関にはりだされた用紙を見ると、3,726人診療予定とか。姐さんの今日の予約は放射線科と乳腺外科。放射線科では2010年4月初旬に放射線治療が終わってからは、3ヵ月毎に経過問診があります。特に予約していくわけではないので、去年はすっかり忘れて、担当の白石先生から「1年ぶりだねぇー」と言われ、1年も放射線科に来てなかったのだと我ながらびっくり。思わず下を向いてしまいました。それだけ病気が自分の中では遠のいたということでしょうね。
 この日もいつもと同じように問診。

 ドクター: 何か変だと感じることはありませんか?
 姐さん: いえ、特にありません。気分も絶好調ですし……。
 ドクター: 痛みはありますか?
□姐さん: はい。痛みはときたまありますが、切り傷の痛みです。
 ドクター:(パソコンを見ながら)マンモグラフィーの検査も先月したのですね。放射線治療の担当としては、経過良好で何をしてはダメ、ということは何もありませんからね。次回いつでもいいから、ついでのときにまた来てください。

 と、こんな調子の10分間。一見怖そうで、偏屈なドクターの印象でしたが、以前、翌日の診察のキャンセルをドクター自ら電話をかけてよこし、「すみませんね、ほんとに。僕が外来に来ている日はいつでも、何時でもいいですから近いうちにいらしてくださいね」なんて丁重に謝られて、話せば話しやすい人かもしれない、と思ったものです(姐さんは単純です)。

 問診だけだと医療費は3割負担で210円。放射線30回治療のときは、1回約5,000円だったので、お財布はお金を入れては出ていく状態でした(泣)。

 そうそう、天皇が入院中ということで玄関や入院病棟のエレベーター付近にSPが睨みをきかせていました。
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(画像上)左隅に立っている人がSP。コートなしで寒そうだった。若くて、顔はまあまあで六本木の黒服兄さん的
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雪を土産に岩手から帰京

2012/03/02 14:20
 2月はほとんど岩手にいた姐さんですが、28日の夜に雪を土産に帰京しました。翌日から3日間連続で検診が入っていたからです。
 帰京が夜になったのは盛岡の岩手医科大学病院に、まあちゃんとじゅんじゅんさんと3人で行ったからです。まあちゃんが予防接種<シナジス>を受けるためです。<シナジス>は耳慣れない言葉ですが、冬季に流行するSRウイルスから守る予防接種です。このSRウイルスは乳幼児がかかると重い細気管支炎や肺炎を発症する危険な病気です。だから、まあちゃんは月に1回<シナジス>の予防接種を受ける必要があるのです。まあちゃんは保険適用になりますが、適用外だと1回15万円ぐらいするそうですよ。
 29日は東京も朝から雪が深々と降り、外に出たくない一日でしたが、東大病院で検査と診察があり雪の中、ソロリソロリと出かけていきました。
 街はやっぱり人が少なかったですね。バスに乗って驚いたのは、幼稚園に通う子どもを連れた親子連れが数組乗ってきたことです。しかも若いお母さん方はふだん履くのと同じブーツ姿で。午前中には5センチぐらい積もり、雪になれない東京地方では大雪だというのに……。姐さんはこんな日は幼稚園なんか休ませて、親子で雪遊びしたり、コタツはなくとも家でみかんでも食べていりしたほうがいいと思いますけどね、古いのかな……???
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(画像上)午前9時ごろ、マンションの前で
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(画像上)正午ごろ、東大病院最上階のレストランから
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「まあちゃんは、僕らを親に選んで生まれた」と婿さん

2012/03/01 07:27
 娘の夫、じゅんじゅんさんは牧場主です。自分の仕事に誇りを持った働き者です。そして子育てを娘だけに任すような男ではありません。育児に<参加>しているのではなく、<一緒に子育てしている>領域です。だから牛舎の仕事の合間には、子ども達とよく食べ、よく遊び、よく寝ています。
 まあちゃんが生まれたときは、娘と同じように戸惑ったと思いますが、弱音を吐くことなく、事実だけをこまめに夫に報告してくれました。夫は(姐さんもですが)、いつもじゅんじゅんさんをしっかりした青年と褒め、誠実な態度に感謝しています。
 娘とじいさん、ばあさんたちが何とか真っ暗なトンネルを抜け出すことができたのは、じゅんじゅんさんの精神力の強さに牽引されて出来たことだと思っています。
 「障がいを持った子は、ここならぼく(私)を大事にしてくれそうだって、親を選んで生まれてくるらしいですよ」と言ったり、「僕ら夫婦がぎくしゃくしないように、来てくれたのですよ」と言ったりして、まあちゃんをかわいがり、一緒に遊びながら、自然に機能訓練させてます。
 じゅんじゅんさんが30歳で立派な家を建てたのも冬でも暖かい家で、風邪引きや肺炎になるリスクを減らしたいとまあちゃんの健康を考えてのことです。その甲斐あって、新居に引っ越してからは少し下痢しただけで、とっても元気です。まあちゃんは手をかければ、かけるだけ不思議なぐらい応えてくれるのです。
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(画像上)姐さんが東京に帰り、娘が働いている時間は、じゅんじゅんさんがまあちゃんをみている。食事を食べさすことがいちばんたいへんとか。よろしくお願いします!
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「まあちゃんはダウン界の貴公子」と自慢の娘

2012/02/28 23:04
 まあちゃんを出産した直後の娘は、これから生きていかれるだろうか、平常心を戻せるだろうか、と心配になるほど不安定な精神状態でした。言葉よりまず涙の日々だったと思います。姐さんは入院中で何も力になってあげられませんでした。できるのは娘から電話がかかってくれば、話を聞いてあげるだけでした。
 彼女が言った言葉の中で一番印象に残っているのが、これも泣きながら「もうこれからは、れおくんとえい坊のこと絶対に怒らない。こんな良い子たちいないもん。これからふたりに迷惑かけちゃうかもしれないしね(涙涙)」です。
 姐さんも涙流しながら、ただただうなずいていたものです。
 でもこの娘の言葉、今では家族のあいだで笑い話しです。確かに2〜3ヵ月は上のふたりを怒る<気力>もなく、静かな生活がありました。しかし、3ヵ月を過ぎたころから、里山がおだやかな春陽(はるげ)に包まれていても、肌に強い日差しが差し込んでいても、遠くに見える銀杏の木が金色に輝いていても、窓辺の風景が白一色になっていても、家の中はときたま雷が響き渡るようになったからです。「もう絶対に怒らない、ってことはどうなったの?」
 雷の再来はまあちゃんが笑いはじめ、娘が1オクターブ高い声で「まあちゃんかわいい! まあちゃんはダウン界の貴公子ぃ〜」と自慢するようになったころからでした……。
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(画像上)まあちゃんはあやしている人が微笑めば、同じように微笑む。ちょっと寝ぐずりするだけで、親を困らせることはあまりない
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「30分しても帰らなかったら捜索隊お願いね」

2012/02/27 23:36
 姐さんが東京に戻る日が近づくと、どういうわけかまあちゃんの具合が悪くなります。今回も同様で元気に動き回っているものの、数日前から食欲がなくなり、昨日から下痢になりました。そこで、娘は職場を午前中で早退し、鼻水が出ている次男のえい坊と一緒に一戸病院で診察してもらいました。姐さんも付き添いました。お得意様(!?)のまあちゃんはVIP待遇で、待つことなく診察してもらえました。下痢止めを投薬されただけで入院宣告もなく、ひと安心です。
 東京に帰る日も近いし、晴れていたので家から400mほどの県道で車から下ろしてもらい、雪の中を歩いてみることにしました。雪は降っていなくても積もった雪が雪壁を作り、風が吹けば雪壁から、雪嵐が渦をまきながら降りてきます。姐さんは「30分して家に戻らなかったら、捜索隊を出してね。遭難しているか、心臓麻痺や滑って倒れているかもしれないから」と言って娘達と別れ、歩きはじめました。底に滑り止めの金具が付いた長靴を掃き、まあちゃんが車の中で使うベビー用毛布を首にまき、その上にフード付きのアノラックを着ていました。マスクもつけて肌の出ているのは目の付近だけの姿です。歩き始めて2分ぐらいで雪の嵐に遭い、しばし立ち止まること数秒。歩くのは怖いし、止まると凍死しそうで、いやはや情けない姿でしたが、一応10分ぐらいで丘の上の家に到着しました。毎日この寒さの中、早朝から深夜まで牛舎の仕事をしているじゅんじゅんさん、ご両親には恥ずかしく話せません……。 
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(画像上)一戸病院は一戸市でいちばん大きな病院。内科、外科、精神科、皮膚科、整形外科など一応各科があるが、小児科は医師ひとりで、一般診察は午前中のみ。産婦人科はなくて婦人科のみで、週1回の診療。地方の医師不足は深刻だ。小児科のたったひとりの先生はまあちゃんの緊急時には、休日でも診てくれるので心強い 
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(画像上)牛舎の近くから丘の上の娘達の家を見ると、まるでホワイトチョコレートで作ったお菓子の家のようだった
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(画像上)「おばあさーん、よくご無事で〜」と玄関前で待っていた娘からの一声。返事したくても身体はすでにカチンカチン。声を出せば言葉も凍ってしまいそう。慣れないことはしないほうがいい(泣)
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まあちゃん、毎月入院。入院のたびに深まる愛情

2012/02/27 17:46
 生後2ヵ月になる前に心臓の手術をしたまあちゃん。それ以来、まあちゃんの入院は12回にも及びます。最初の1年はほぼ毎月、自宅から車で25分ほどの岩手県立一戸病院小児科に入院。1歳のお誕生を過ぎてから新居に引越までは、2〜3ヵ月毎に入院していました。心臓の手術は成功したものの呼吸器系が弱く、すぐに肺炎を起こしてしまうのです。
 ひとたび入院すると、入院期間は10日〜2週間に及びます。その間、お兄ちゃんたちの世話は、お父さんのじゅんじゅんさんのお姉さんやご両親がみるか、東京に呼ぶか、姐さんが岩手に行くことになります。まあちゃんには母親である娘が付き添い、自宅に上のふたりの子に会いに帰ったり、入浴に帰ったりするときは、じゅんじゅんさんがみています。娘が昨年の4月から勤めだしてからは、8時から15時の勤務時間はじゅんじゅんさんが付き添います。じゅんじゅんさんは酪農の仕事があり、24時間働くはめになります。いずれにしてもたいへんなことです。
 でも娘達はめげていません。それどころかまあちゃんが入院するたびに、まあちゃんに対する愛情が増してきました。夫婦や子ども達との絆も深まっているように思います。まあちゃんの両親はまあちゃんによって、肝が据わった逞しい大人に成長していくようにみえます。もちろんまあちゃんは日々目に見えて成長しています!
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(画像上)1歳のときは1日2〜3回していたぜんそくの治療の吸入も、最近では1日1回に減った
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(画像上)自宅に酸素の機械を入れ、毎日酸素を吸入するようになったら不思議と体力がついた。最近はこちらも体調が悪いとき以外は使わなくてすむようになった。体力がつくと持病も快復してくるようだ。あせらないことが必要、かな
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一歩、一歩、現実を受けとめて

2012/02/27 16:44
 お産直後、「お父さん、お母さんと顔つきが違う」と分娩室で医者から言われた娘。そのときの娘と婿さんの驚きと戸惑いは、2年たった今でも想像するとかわいそうです。今振り返って娘の夫のじゅんじゅんさんは、「しばらくは、(同居していた)親父、お袋と食事をしていても通夜のようだった」と言います。姐さんは東大病院のベッドの中で夫から報告を受けました。夫からどんな言葉で報告を受けたのか、思い出せませんが……。
 ただ、姐さんが出産の手伝い優先で、乳ガン手術を2月末にすると言い張っていたことを思い出して、「俺、言っただろ?出産はなにが起こるかわからないから、ドクターの言うとおり早く手術したほうがいいよって」と言ったことと、「我々が考えていても仕方ない。じゅんじゅんくんがしっかりしているから大丈夫だから」と言ったことは覚えています。姐さんはストレスのたまるようなことを考えると、治る病気も治らないと思い、涙をぐっとこらえ、術後の体調のコントロールに努めましたが、いつもと変わらない態度で病院に顔を出していた夫は、ひとりぼっちの家で姐さんのことや娘のことを考えると、つらい日々だったと思います。
 姐さんたちが救われたのは、じゅんじゅんさんがしっかりと、娘に寄り添ってくれたこと、ふだん無口なお舅さんが「みんなで大事に育てればいい」と言ったこと、お姑さんに思わず「スミマセン」と言ってしまった娘に、お姑さんは「何を言うのですか! そんなこと絶対に言ってはダメ」と言ってくれたことです。
 そのときの姐さんたちは、前を見ることなくただ足下をみつめ、黙々と歩いていくことしかできませんでした。
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(画像上)仰向けからうつ伏せも自分でできるようになった生後8ヵ月のまあちゃん
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(画像上)背筋を伸ばしお座りする時間が多くなったまあちゃんは、布製の絵本が大好き。1歳8ヵ月
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(画像上)寝ころんでも、座っても手足を器用に動かすまあちゃん。アンパンマンのおもちゃを足を使って持ち上げ遊んでいた。1歳10ヵ月
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(画像上)2011年11月、新居に引っ越したまあちゃん。自分の部屋で足を高く上げて運動。お父さんはまあちゃんのために、ベビー安全ゲート(スマートゲート)を設置中
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まあちゃん、生後1ヵ月半で心臓の手術

2012/02/26 16:08
 ダウン症は心臓疾患や呼吸器疾患など、いろいろな合併症を伴う場合がほとんどのようです。まあちゃんもご多分に漏れず大動脈縮窄症を患い、生まれながらに細くなっている大動脈の手術を、岩手医科大学付属病院循環器医療センターでしました。あと数日で生後2ヵ月に手が届く2010年2月下旬のことです。
 生まれてすぐに合併症がわかるわけではないようです。まあちゃんもまず染色体の検査をしました。検査期間は1ヵ月ほどかかりました。この期間、娘は3人の子どもを連れて、姐さんたちが住む東京に帰っていました。検査結果を聞きに岩手に戻り付属病院行ったときに、小児科の先生が心音を聞き心臓疾患を発見してくれたそうです。早くみつかってよかったです。
 まあちゃんと同じように、生後すぐに心臓の手術をした子どもの<ママ友>と娘は入院以来仲良く情報交換や、ときには呑み会をしています。そんな呑み会の時は、姐さんは呼び出され東京から奥中山へ向かうのです(苦笑)。
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(画像上)手術室に向かう直前までお父さんに抱かれていたまあちゃん。姐さんと夫の携帯に娘から、「まあちゃんは穏やかな表情で手術室に行きました」とメール。このとき家族のだれも泣き言は言わなかった。何も言えなかった。ただまあちゃんの無事と、これ以上娘たちが悲しむことがないように祈るだけで
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(画像上)手術の前後を挟んで約1ヵ月まあちゃんは入院し娘が付き添った。家で留守番のお兄ちゃんふたりは(当時4歳と2歳)、お母さんとまあちゃんの絵を描いて、ふたりを励まし続けたとのこと
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ブエノスのオンセ駅で大事故

2012/02/24 22:47
 日本時間の23日早朝、東京にいる夫から「インターネットによるとオンセ駅(Estacion de Once)で大事故があったみたいだから、お弟子さんたちは無事か確認したら?」とメールが入りました。さっそく、何人かにメールしたところみんな無事でホッとしています。
 今回の事故の詳細は夫の情報によると、Japan Timesが大きく取り上げていたようです。それによると事故の原因はブレーキの可能性が大きいようです。このサルミエント線の列車は東芝製の中古(1960年代製造)。朝の通勤時間だったこともあって、8両の列車に1,200名も乗っていました。1970年にも事故を起こし200名もの死亡者を出しました(今回は50名死亡、700名以上が負傷)。
 アルゼンチンの鉄道は開通から約90年間は民間企業が経営、1940年代に国営化、しかし経営悪化で1991年再び民営化。そして今回の事故。女性大統領のクリスティーナは自分は贅沢していても、貧困層の味方と称して公共料金の値上げは許可していません(インフレ率20〜30%といわれてますが)。完全に票取り作戦です。鉄道会社は安全対策に手が回らなかったと弁明するでしょうね。それにしてもブエノスの地下鉄B線に、丸の内線の赤い電車のお古が使われているのは有名ですが、列車まで日本製のお古を使っていただいているとは、アルゼンチンにますます親近感を覚えますが、メンテはしっかりしてほしいですね。姐さんもいつかまたお世話になるかも知れないし……。
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(画像上)オンセ駅の周りは生地、洋裁小物、アクセサリーなど服飾関係の店が軒を並べ、常に人と車でごったがえしている。駅前でカメラを構える行為は、カメラを盗んでくれと言っているようなもの。だから姐さんは滞在中、毎日のようにオンセ駅は通っていたけど(賑やかなところが好きだから)周辺の撮影しかしなかった
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まあちゃんは盛岡の療育センターへ

2012/02/24 13:55
 一昨日(22日)は娘が代休をとって、まあちゃんを盛岡の県立療育センターに連れていきました。夕食はみんなで外食しよう、という娘の誘いにのって保育所を早退したふたりのお兄ちゃんと姐さんも車に乗り込み盛岡へ。
 姐さんは買い物係で今回は療育センターには行けませんでしたが、以前付き添ったときは、病院も併設し立派な施設なのでびっくりしました。専門の理学療法士や整形外科の医師がまあちゃんの成長のお手伝いをしてくれます。娘にとっては専門家のアドバイスがとっても役に立ち、励みになっているようです。今回もまあちゃんの最近の成長振りを見て貰うのを楽しみに行きました。
 ところが、ところがです。センターに行く前にツベルクリンの注射をした影響か、まあちゃんのご機嫌はななめ。じっと床に座って動こうとしなかったり、イタイヤを繰り返していたりとかで、最近の運動の成果を発揮しなかったとか……。
娘はがっかりしたようですが、そんな日もありますよね。
 まあちゃんは好き、嫌いがとってもはっきりしていて、身体いっぱい使って意思表示をしっかりするのです。言われた通り行動するより、まず意思表示をするほうが大切ですよね。まあちゃんは偉い!
 夕食は回転寿司へ。ここの回転寿司はオーダー品を手元の機械に打ち込めば、新幹線に乗ってお寿司がテーブルに届くので孫達に人気の店。すべてが1皿105円なので親にも人気。姐さんは盛岡駅ビルの地下にある回転寿司<清次郎>が好き。高いけどネタが豊富で新鮮ですから。
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(画像上)「かっぱ寿司はおいしいなぁー!」と突然次男のえい坊が大声で2連発したので、姐さんたちは大笑い。店の人はニコニコ。大人が考えもしない発言で、みんなを楽しませるえい坊の話術は天才的。まあちゃんは茶碗蒸しを食べた
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まあちゃんは階段上りに夢中

2012/02/22 12:08
 まあちゃんは2歳の誕生日を2ヵ月前に迎えましたが、まだ自力で立ち上がったり、歩いたりはできません。移動はもっぱらハイハイです。そのハイハイは日々早くなり、目的地へは素早い動きで、前進ハイハイのほかに横ハイハイ、後進ハイハイと自分なりに考えて向かっています。お兄ちゃんたちに比べたらゆっくりですが、確実に成長しているのがよくわかります。
 年が明けてから新たに加わった運動レパートリーは階段上り。ちょっと目を離したすきに、階段めがけてハイハイ。そしてアッという間に4段、5段、6段と上がってしまいます。姐さんはまあちゃんの成長を見ていて、最近、人間の成長ってこのくらいゆっくりのほうがいいのではないか、って思っています。ハイハイから二本足で歩く行為がどのように行われるのか、まあちゃんが教えてくれています。膝の屈伸が大切ですね。加齢で歩けなくなるのは屈伸力が弱まるからですよ、きっと。膝の屈伸を鍛えましょう!
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(画像上)階段昇りたいなぁ〜、と恨めしそうに上を見るまあちゃん
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(画像上)まず両手を上段について、折っていた膝を伸ばして足の裏をしっかり床につけて、と
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(画像上)両足裏を床につけたら腰をあげて、片足を上段にのせるのです。これで上がれるよ
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(画像上)2階に上がってまず行くのが、まだ使われていないけどお兄ちゃんたちの部屋。まあちゃんもいつかこの部屋で遊んだり、勉強したりするんだね
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ダウン症の孫、まあちゃんとの一日

2012/02/21 21:53
 姐さんの三人目の孫、まあちゃんはダウン症です。ダウン症とは21番目の染色体が健常者より1本多い3本持って生まれてくる染色体異常です。姐さんが東京の自宅と娘の嫁ぎ先の奥中山と半々の生活をしているのは、東京にいるとまあちゃんが気になって、すぐにまた奥中山に来てしまうのです。まあちゃんが生まれたのは今から2年2ヵ月前の2009年12月25日。姐さんが東大病院で乳ガンの手術をした翌日でした。そのときの気持ちは?と聞かれれば、出口の見えない真っ暗なトンネルに入り込んでしまったようでした(ゴメンネ、まあちゃん)。そして、家族のだれもが再び笑える日はもう来ないと思っていました(これもまた、まあちゃんゴメンネ)。でも、人間って素晴らしいですね。人って再生する力があるのですから。今では「まあちゃん、かわいい!!」って、まあちゃん中心に家族が以前と同じように、いや、以前よりももっと幸を感じながら生活しているのですもの。
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(画像上)まあちゃんは6時ごろ起き、お母さんが出勤前にミルクを。そして9時ごろ姐さんが朝ご飯を食べさせる。この日は姐さん特製のミートローフと白和え。まあちゃんはやっぱり牧場の子、ヨーグルトが大好きで毎日欠かせない。キョロキョロまわりを見たり、口を閉ざしたりで食事には30分から1時間はかかりるが、1粒でも多く食べてもらって体力つけば、と気長にお付き合い
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(画像上)朝食後は顔と手をきれいにふいてあげる。床屋さんや美容院のように蒸しタオルを首の後ろとおでこにあててあげるととっても喜び、いいお顔
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(画像上)いつも姐さんを追いかけ、まるで子犬のようにウーウーと甘えた声ですり寄ってくるまあちゃん
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(画像上)お兄ちゃんのれおくんが大好きな児童書『もりのへなそうる』を読んでいるまあちゃん。表紙の裏に描かれている森の絵を、いつも指でなぞって描いている(つもりの)姿はかわいくて涙が出そう
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(画像上)まあちゃんのお気に入りの場所はソファー。オヤジのように座ってテレビを見たり、寝っ転がったり、ピョンピョン跳ねたり……。落ちる危険があるから姐さんは目が離せない
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過去最低気温を記録した日

2012/02/20 14:24
 昨2月19日は全国的に過去最低気温を記録したとか。奥中山もマイナス10度以下で午前中は吹雪、午後になって粉雪がみぞれに変わり、今朝は春の訪れを予感させる晴天です。吹雪の昨日は近くの即席会場で、クロスカントリーのスキー大会が開かれました。口コミでマニアに広まり年々参加者が増え、今年は250名を超えたそうです(http://www.popsnow-net.com/gelande/gn0070.html)。この街を知るいい機会だから、がんばって続けてほしいですね。
 姐さんは見学にも行けずに、朝から家でバタバタ忙しくしていました。それはこの家(名称<丘の上のブラジリアンスタイル>を建てた工務店さんが、クライアントを数組連れて見学・お茶会に来る日だったからです。
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(画像上)2階の姐さんの部屋(正確には姐さんが使わせてもらっている)からの撮影。向かい側の木々(名前は不明)は雪の華を咲かせていた。どのくらいの寒さかというと、前夜から車の中に忘れてきた娘の化粧品や手鏡が凍る寒さ
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(画像上)2階をまず掃除し、1階を掃除しながら「疲れた!」を連発する姐さんに、強力な助っ人が登場。次男のえい坊4歳。リビングルームのゴミが取りにくい部屋の隅も丁寧に掃除機をかける
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(画像上)一方、玄関では三男のまあちゃん2歳が姐さんが置き忘れたハタキをパタパタ。2人のおかげで長男6歳のレオくんのスポーツ教室に付き添った娘の留守中に、家は塵ひとつなくピカピカに
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盛岡の奥座敷<繋温泉>へ

2012/02/20 07:43
 1月末に姐さんは、またまた温泉にひとりで行ってきました。盛岡から車で30分ほどのところにある<繋ぎ(つなぎ)温泉>です。この温泉は北上川五大ダムのひとつのダム湖、御所湖畔の温泉です。御所湖は全国のダム湖の中で年間利用者一位といわれていますが、来訪者が多いのはダム湖に格別な魅力があるわけではなく、近郊の温泉や小岩井牧場、スキー場によるものだと姐さんは思います。ちなみにこのダムは貯水ダムで、水力発電の機能を持っているそうです。さて繋温泉ですが、以前行った松川温泉のような感激はありませんでした。宿泊した<ホテル大観>は会社の慰安旅行やグループで泊まるような大規模旅館で姐さん向きではなかったうえ、ホームページからの料金設定は「二名様利用」から。料理で選ぶプラン、部屋で選ぶプラン、オススメプランと盛りだくさんのプランが並んでいるけど、結局姐さんが電話で予約したとき、「はい、お一人様ですね。お受けできます」と言われたのは、数あるプランでも高いランクの1万2,300円でした(泣)。売りのコピーでお一人様一泊二食付きで8,000円から、なんて大きく載っていても、四人同室で泊まった場合ですからね。ひとり旅の場合は損ですよね。公共の岩手県交通バスを使うと片道620円ですが、盛岡からは無料送迎バスが日に2便出ているのは便利で、お得でした。
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(画像上)数年前はこの時期ワカサギ釣りが楽しめたけど、今は厚い氷が張りつめているから危険と、仲居さんの説明。このダムを造るのに500以上の世帯が水没した
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(画像上)ひとりではもったいないような部屋。部屋にはいると畳のにおいがうれしかった。だけど夜明け前に大浴場に行こうと廊下に出たら、タバコの臭いが充満でがっかり。ヘビースモーカーだった姐さんでしたが、2年半前から完全禁煙ですから。偉い!
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(画像上)これは大浴場についている露天風呂。寒くてとても入れたものではなかった。大浴場は小学校のプール並の浴槽が2つ。檜風呂もあり、ここには到着してから帰るまで3度も入った。ここの湯の自慢は源泉100パーセントのかけ流し。それだけ豊富な湯に恵まれてるらしいです。硫黄分が多く湯の色は茶色っぽかった
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(画像上)夕食は食堂での定食。キノコ鍋、岩手牛ステーキ、おぼろ豆腐のキノコあんかけ、生湯葉、酢の物、お造りなどなど、豪華でどれも美味しかった。特に生湯葉に切り昆布やミョウガが添えてある一品は酒のお供に最高!もちろん姐さんは地元の日本酒、あさ開き(一合680円)でいい気分。同じく地元米、ひとめぼれもおかわりしたいほど美味しかった。このホテルに泊まって一番うれしかったのは、ひとり旅の姐さんの席をみんなから離れたスミにしてくれたこと。おかげでのんびり、静かに食事を楽しめた
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盛岡駅で100円も安いロッカーみーつけた!

2012/02/14 16:50
 節約を日々心がけている姐さん。先日盛岡の駅構内を歩いていて、素晴らしいものを発見した。それは4時間の時間制限があるものの200円という安さのコインロッカー。多くの駅ロッカーは300円。大型になると500円。1日中使う人はこのほうがいいだろうけど、姐さんみたいに新幹線から、<いわて銀河鉄道>に乗り継ぐまでの1時間前後となると、毎回の300円は何か損したようだし、贅沢したようで心苦しいのです。その点200円ロッカーなら気楽に使えそうです。この200円ロッカーは各駅にあるかも知れませんね。
 また旅に地図は必需品、こちらは観光案内所で無料でもらえます。姐さんはバスの案内所で地図や時刻表をもらって大いに助かってますよ。経済的な行き方やカード(割引の)の効果的な使い方も教えてもらっています。バスの案内所がすいているときを狙っていくのです。閑ですから(苦笑)
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(画像上)毎回毎回、食料品、孫への土産、パソコン、書籍などリックやボストンバッグに大荷物の姐さんには、このロッカーはありがたい。ロッカーに荷物を入れて、列車発車までの時間つぶしの本の立ち読み、地元ならではおいしいお寿司でちょいと一杯そして、トイレ……
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いわて銀河鉄道

2012/02/14 09:05
 奥中山高原へは盛岡から<いわて銀河鉄道>で行きます。<いわて銀河鉄道>の前身は東北本線で2002年にいわゆる第三セクターとして生まれ変わりました。終点は目時(めとき)で、目時から青森までは<青い森鉄道>が走っています。盛岡から奥中山高原までの所要時間は約45分で11駅目です。奥中山高原駅付近は峠になっていて、電化される前は蒸気機関車が煙をあげ、腕の見せどころだったとか。車窓から写る景色は蒸気機関車がとっても似合う風景です。ポッポーという音が聞こえてきそうです。奥中山高原まで行く列車の運行は、1時間か2時間に1本。ですからその時間に合わせて姐さんは、盛岡に遊びに行く時間や、新幹線で東京に帰る時間を決めるのんびりした生活です。停車駅を増やしたり合理化したりで数年前から黒字になったらしいですが、まだ累積赤字が1,200億とか。盛岡と奥中山高原間の運賃は1,170円。新幹線だと盛岡から最寄り駅のいわて沼宮内(ぬまくない)間は乗車券530円。姐さんは<大人の休日クラブ>の会員でこの値段よりも30パーセント引き。だから新幹線を利用したほうがはるかに安いけど、いわて沼宮内まで送迎の時間(自宅から片道車で約20分。奥中山高原は片道車で5〜6分)を考えたり、地元応援の気持ちから銀河を利用するのです。
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(画像上)駅前の一部は雪がない!? 道路下に電線暖房を入れているとか。道路のところどころがこの方式。でも駅に行く途中の商店街の雪は除雪されていない。除雪車が入ると家の前に雪が積まれ、迷惑だと商店主たちが断ったとか、市当局がそれを聞いて怒ったとか……。真実はわからないが、事故が起こらないようにしてほしい……
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(画像上)奥中山高原の駅。この駅の駅長は犬のマロンちゃんで有名だったが、数年前に亡くなった。銀河鉄道の駅は無人駅がほとんど。でもここは駅の職員さんがいる。列車がホームに入るぎりぎりまで乗客は駅舎で過ごしているのは、やはり寒さのせい
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(画像上)小規模ながら1月末〜2月初まで、屋台が出て、馬ぞりが出て雪祭りが行われる
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(画像上)<いわて銀河鉄道>の車両は2両だがトイレ付き。中は暖房でポカポカ(過ぎる)。乗るときも降りるときも出口付近のボタンを各自が押して、ドアを開閉する。開けっ放しだと寒いもんなぁ〜、と姐さんの解釈
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神様はやきもち焼き!?

2012/02/13 11:28
 2月9日から10日へと日付変更線が超えるころ、40年来の友から携帯メールが入りました。それは彼女の夫の死を知らせる悲しい内容でした。姐さんが岩手にいると思って、10日の告別式を知らせるかどうか迷いながらも、やっぱりだまってはいられないと知らせてくれたと思います。逝ってしまった文康さんはここ数年癌との戦いだったようです。再再発した癌は文康さんの身体中を蝕み、1月の半ば過ぎまで食欲不振や苦痛に耐えながらも自宅で療養していましたが、苦痛緩和のため入院。2週間の治療のかいもなく、また奇跡が起きることもありませんでした。私たちの新婚時代、四谷と東中野のそれぞれの小さなアパートをお互い何度行き来したことでしょう。外で呑むなんて経済的に考えられず、安酒や煮物やサラダなど手作り料理を持ち寄り、呑み、語り、笑いそれは、それは楽しい時間を共有してきました。文康さんの作る<シメサバ>は、天下一品の味で、当時の私たちの食卓を飾る贅沢な一品でした。今振り返れば、不安もなく、自分たちの将来には夢と希望があり、お互いを信頼し、懐があたたかいときはあたたかいように、さみしいときはさみしいように生きていました。青春の証としての自由がありました。漫画家を目指し、高校卒業後新潟から上京した文康さん。昨12月27日、ドラエモンの最後の仕事を完成させたら(2月3日テレビ放映。姐さんも孫と偶然見ていました。エンディングのテロップに斎藤文康って名前が流れ、うれしかったけどなぜか切なさを感じました……。文康としっちゃんは病室で見ていたそうです)、坂道を転げるように体調を崩したそうです。マンガ制作に命をかけ、やり遂げた一生でしたね。そして、世界一仲の良い夫婦でした。いつも、いつもツレアイのしっちゃんや一人娘の綴ちゃんのことを考え、想い、至宝のように大切にしていましたね。神様はやきもち焼きなんです、きっと。肩を寄せ合いあんなに仲良かった二人を割くような仕打ちをするのですもの。告別式のときのしっちゃんの挨拶、思い出すと今でも涙が止まりません。文康さんに対する愛情あふれる言葉で、私たちに感謝してくださいましたね。立派でした。文康さん、仲良くしてくれてありがとう。別れがこんなに悲しくなってしまったけど、あなたに会えてよかったです。あなたの温かく大きな声、気遣ってかけてくれた言の葉の数々、忘れません。斎藤文康さん享年63歳。心よりご冥福をお祈りいたします。
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(画像上)文康さんの趣味は盆栽でした。画像は姐さんが大好きな<侘介わびすけ>。姐さんがブエノスに行っていたあいだは岩手に疎開。娘のお姑さんと義姉さんが手塩に掛け世話してくれていました。そして今年も厳冬のなか、年明け早々からみごとに花をつけてくれました。このきっと今年最後になる一輪、文康さんに手向けます
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雪かきは日々の仕事。孫もツボを心得て

2012/02/08 11:20
 牛舎の仕事も半端なく体力がいると思いますが、雪かきも体力勝負です。新しい雪が積もるたびに雪かきをしないと、どんどん雪が積もり歩行も困難になります。車も走れなくなります。今年はまだ屋根の雪下ろしの必要はないようですが、自前の雪除車でお舅(とう)さんが、下の道路や丘の上の娘たちの家までの道の雪を毎朝除いてくれます。
 リビングルームとパーティールーム(娘たち称する)のまわりにあるウッドデッキと、玄関の雪かきは孫たちの仕事です。体力つきますよね。
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(画像上)年長組の長男レオくん。スコップ持って、保育所から帰るとまずは雪かき
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(画像上)通り道を作って、と
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(画像上)手すりについた氷や雪も払う気配り(!?)
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(画像上)氷と化した大きな塊がゴロゴロ。これが滑るもとだし、ガラスのようで危ないよ、とレオくん
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(画像上)まだまだ雪は少ないころ、一人前の仕事した満足顔の次男4歳のえい坊
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まるでスキー場の中にいるよう

2012/02/08 10:41
 姐さんの奥中山通いも3年経ち少々の雪にもびっくりはしませんが、1月半ばからの連日の降雪には恐怖を感じることもあります。特に2月の最初の週は、粉雪舞い散るなんて悠長なものではなく吹雪でした。その日その日で違う雪の姿。羽根をつけたように優雅に舞ってくる雪、思わず両手ですくいたくなる真綿のような雪、降り積もった雪が風で舞うときには時に炎のように見えます。雪の炎を姐さんはこの地ではじめて見ました。反面晴れた日の雪は青空を明るくします。娘の家族が住む新居は丘の上の一軒家。雪嵐の日のここからのながめは、まるで怖い者知らずのスキーヤーが喜ぶスキー場のようです。
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(画像上)丘の下には、去年の11月まで同居していたご両親の家と牛舎(画像左)や作業小屋(画像右)が点在。丘の上から下が見えないほど吹雪いているときもある
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(画像上)丘の上の新居は1階は全室床暖房、柱も壁も防寒設備ばっちりで10cm以上の幅。室温はコンピュータで管理されていて常に18度前後。だからどの部屋もポカポカ。2月1日は風も強く、窓ガラスはたたきつけられた雪に覆われた
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(画像上)大雪でマイナス15度になっても牛舎の仕事は休めない。毎朝6時過ぎには娘の夫とご両親は牛舎に向かている。夜中までの作業になるときも珍しくないたいへんな仕事だ。7年前の結婚するまでアメリカ、ブラジル、東京で暮らしていた娘も今では奥中山の嫁さん。雪になんか負けてはいないで、勤務先の中学校への往復は車を自分で運転。現在新しい牛舎の建設中。零下の雪の中毎日作業が続いている(画像が小さいけど作業員の方2人作業中)。それに比べ姐さんは、寒いし転びそうで一歩も外に出られない
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