工夫して踊りを創り上げる喜びが共有でき、 自分もお弟子さんもお互いが必要とされていることを実感できた

◆再訪を約束した移住地へ13年振りに
 令和の時代に入った数日後から約1カ月間をアルゼンチンと隣国パラグアイで過ごした姐さん。帰国してアッという間に3カ月が過ぎてしまいました。おそらく人生最後の南米での日々を今振り返れば、長唄『浦島』の竜宮城での踊りの場面の人生のような、現(うつつ)を抜かすほどの華のひと時、と感謝が広がっています。

◆現地文化財団の支援を受けて実現
 今回はJICAからの要請ではなく、ブエノスアイレスの日本庭園を本拠に、アルゼンチン国内で日本文化の発信源の役割を果たしている『亜日文化財団 Fundacion Cultural Argentino Japonesa』という文化組織のサポートで実現した指導の旅でした。
 2017年3月から11カ月間、2005年に次いで2度目のJICAボランティアとしてブエノスに派遣されましたが、正直、なにか喉に小骨が刺さったような思いでの帰国でした。それは2006年「また来ますねぇ~!」と、指切りげんまんして別れたミショネス州に再指導に行けなかったことです。

 ミショネス州の日舞グループは亜日文化財団や領事館文化担当の方からも、機会を作ってぜひ指導に行ってくださいね、と連絡をいただいていたほど、日本舞踊の指導を待ち望んでいる日本人移住地がいくつかあるところです。特に後ほど紹介するオベラは、毎年9月に行われる移民祭に向けて、お稽古に切磋琢磨している地域です。一世の数が少なくなっている地域での日本文化の継承は、想像以上に根気が要り、努力と日本への愛情なくてはできません。

◆5回目のアルゼンチン指導でわかったこと
 姐さんの踊りは、今は亡き師匠の歌峰先生がご覧になったら「紅鳳さん、それ日本舞踊? いくつになってもあなたは度胸の紅鳳ね!」と呆れて、ご立腹の様相がはっきりと想像できるレベルです。ただ、この14年のうち5回アルゼンチンに指導に行かせていただいて、アルゼンチンの日本舞踊グループや指導の在り方について、私なりに理解できたことがあります。それは

 ・伝統的な日本舞踊の優美で優雅な所作は5年、10年では身につかない(姐さんは5歳のときからお稽古。かれこれ60年以上!)
 ・アルゼンチンのお弟子さんはパフォーマンスの才に長け、日本のお弟子さん以上に、舞台に立つことを好む。
 ・日本のように個人稽古ではなく、グループでの稽古が定着。
 ・ひとり踊りは、グループの手前もあるので遠慮がち。2~3人、または全員で踊る傾向がある。
 ・古典の長唄、小唄、端唄よりも、演歌や賑やかなメロディーで踊ることを好む。

 上記のことから、姐さんは各グループに曲の好みを聞き、音頭は輪になって踊るのではなく、客席に向かって踊りつつ、左右、前後入れ替わって踊るような振りを考えて指導するようにしました。2~3人で踊る踊り(演歌、童謡、唱歌)も踊りながら位置を変えたり、一人ずつ見せ場を作るように心がけて振り付けました。ひと通り踊ったあとは「どうですか? ここはこのようにしたほうがいいかな?」とお弟子さんが考える時間も作りました。一緒になって創り上げることに心がけました。15年以上お稽古を続けているお弟子さんたちも多く、かなり高いレベルの踊りをこなしていましたから。ともかく踊っていて楽しく、観て感動するような踊りの指導に心がけたわけです。微力ながら。

◆JICAボランティアに求められること
 たまたま現在、JICA2019年秋募集が始まっているようです(JICAホームページ参照)。「JICAボランティアが必要なことは?」とはよく聞かれる質問です。自分も派遣されるたびに考えました。語学力、専門技術力(資格・経験)など審査条件をクリアできることはもちろんですが、何よりも大切なことは心身健康なこと。そして、体力、明るさ、自己責任で何でもできる行動力、ポジティブな生き方ができることだと姐さんは思います。派遣先では右を向いても、左を向いても問われるのは人間関係(人間性?)です。悪口や不満はグッと胸に閉じ込め、口に出さず楽しさに変えていく。とても難しいですけど、このことがボランティア人生の充実度に大きく左右しますから。日本舞踊のボランティアが心がけたいことは、上記の基本的なことプラス、どんな曲でも踊れるような創作のセンスだと感じています。もちろん日本舞踊の基礎を習得したうえのでことで、例えば言語で言い換えるならがば、ひとつの言葉の言い方(ボキャブラリー)を多く知っていれば、文章力が高まるでしょう。それと同じでお扇子の使い方をたくさん知っていれば、それだけ振りの幅が広がり、いろいろな可能性を広げることができます。

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(画像上)成田からニューワークまで約13時間。ニューワークで5時間の乗り継ぎのため待機し、そこからブエノスアイレスまで約13時間。合計で31時間。家を出てからホテルまで丸2日間かかる旅。ツレアイのマイレイジで人生最後の贅沢をさせてもらた。機内で見た映画は片道5本。葉室麟原作・岡田准一主演の『散り椿』は泣けた。『アニー・スター誕生』は2回見た(苦笑)。画像の食事はユナイティッド航空の夕食で和食のコース。前菜、先附け、小鉢と盛りだくさん。メインの金目鯛のグリルが美味しかった

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(画像上)13年前に巡回指導で初めてミショネス州オベラに行ったとき。姐さん、涙が出るほどまだ若い! 『さくら さくら』を指導中

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(画像上)今回サポートいただいた財団は滞在費などの費用面のほかに、担当職員Mさんをつけてくださった。彼女はほかの多くのスタッフと同じように、まわりを見ることができ、必要なことを瞬時に把握できる気の利いた、性格もやさしい方だ。彼女と半年以上にわたって、メールで細かいことまで打ち合わせをしたことで、無駄なく、その地域、地域で希望している踊りの指導ができたと思う。ボランティアの楽しみは人や異文化との出会い。今回、各地域で出会った人々と真剣に重ねた交流、温かさは生涯の宝。残り少なくなてきた(日本人女性の平均健康寿命は74歳とか。あと1年、2年・・年!)人生を豊かにしていただいた。画像上、財団のお弟子さんたちと。真ん中『さくら音頭』のお稽古。下は最終日に日本庭園ホールで理事やスタッフの皆さんの前で、厚かましくも演歌『竹とんぼ』<画像>(堀内孝雄歌)と大和楽『四季の花』を披露






令和5日目の今日、5度めのアルゼンチンへ

 十連休も今日で終わりです。浅草雷門周辺はこの十日間、火急の用がなければ吾妻橋を越えたくないほど人、人、人で大混雑。ふだんは外国人の姿が目立つのに、日本語がよく聞こえてきたのは十連休の影響ですね。

 十連休、正規社員はいいですよね、休みの日が多くても給料もらえますから。日給扱いの非正規の人は経済的にはたいへんでは? なんてこと考えてしまいますね。現職時代の姐さんなら、きっと毎日出社していたと思います。仕事に追われ、追われた日々でしたから。

 さて、今日の夕方、成田からニューヨーク経由でアルゼンチンに向かいます。日舞の指導ですが、これまでのようにJICAからの派遣ではありません。ブエノスにある文化財団がサポートしてくださっています。指導先はブエノスから飛行機で2時間余りのミショネスというパラグアイとブラジルに隣接した州です。ここは、昭和の初めから日本人の入植が増加した場所です。ほとんどの入植者は森林を開墾し、マテ茶の栽培で生計をたてていました。

 ミショネスはヨーロッパから移住してきた人も多く、アルゼンチンに同化しながらも自国のアイデンティティーを大切にしています。毎年<移民祭>が行われるのも、自国の素晴らしい面を紹介、自慢したいからでしょう。多民族国家ならではですね。

 <移民祭>で日系人は日本舞踊を披露します。2006年に姐さんもそのお手伝いに行きました。だから、ミショネスの日系人の方々がどんだけ日本の文化を大切に思っているか、肌で感じ感心したものです。

 体力的にも経済的にも最後のアルゼンチン。約1カ月の訪問となります。お弟子さんにとっても姐さんにとっても思い出深い日々にしたいです。


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(画像上)連休には奥中山から娘と孫ふたりが上京。まーやの誕生会を細々と豪華に(笑)。娘とまーやは2泊3日。6年生になったえい坊はそのあとひとり残り、ひとりで新幹線に乗って帰っていった。さすが6年生!

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(画像上)浅草仲見世

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(画像上)年号が平成から令和に替わった日、雲の間から顔を出したスカイツリーは、日の丸のイメージ(?)の白と赤。平成は辛すぎることがあり、良い思い出はあったとしても沈んでしまっている。婿、アメリカ時代からの親友の死があったから。

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(画像上)5月4日、一般参賀の日は新皇后のお召し物にあわせた黄色のライトアップ

過疎化が進む奈良県南で、酒作りで勤しむ新移住者の姿。どこかのだれかに似ている

 まだ吉野の山も、上野の山も桜色に染まる前ですが、奈良県御所(ゴセ)市、天川村、十津川村の話を聞く機会に恵まれました。
 京都奈良へは何度も足を運んだ姐さんですが、奈良は県北ばかり。今回は県南はどんなところかを知る貴重な機会でした。しかも、酒作りを通した地域再建に力をそそいでいる若者による県南の魅力です。過疎地の活性に地元の人々と努力している新移住者の姿は、中山で足を踏ん張って酪農の発展に寄与してきた婿や、都会から新たに移住してきた酪農家、福祉関係者に相通じるものがあり、感動的な出会いでした。中山と同じように<結>の精神が生きている!

 休耕田の棚田を再利用しコメを作り、金剛山から湧いてくる芳香な湧水を仕込み水に、この地ならではのお酒を生み出している人々が御所、天川村、十津川村などにいます。新移住者としてこの地に新たな息吹をもたらす若者たちです。地元の人々から手ほどきを受け、求められ、共に切磋琢磨しながら地域を守り、<失わない農><これからも活き発展する農>に寄与しているのです。

 御所(ゴセ)は奈良県南北の真ん中で、大阪府と隣接した位置にあります。県境には葛城山、金剛山が並び大和平野をのぞんでいます。葛城と言えば4~5世紀のヤマトの王家と密接に関係のあった葛城氏を思い浮かべますが、葛城氏の拠点がこの御所だったことは充分想像できますね。

 そんな古代には貴重な地域だった御所ですが、この10年間で人口が約9%減少し(約3万1,000人から約2万5,000人)、急速に過疎化が進んでいるようです。神々から恵みを受け、日本の原風景だった棚田が広がり、日本酒の発祥地でもあった奈良県南。その棚田も後継者がいなくなり減少しています。地元の「油長酒造の社長さんが、奈良県のコメと水を使った地酒を造りたい」という熱意に感動を受けましたと、棚田を開墾しているS氏は語りました。S氏は大学卒業後造園関係の仕事をしていたそうです。今では国内外のボランティアの協力を得てコメ作りをしています。だから続けられるとも。

 33歳で十津川村の谷瀬に入ったK氏は「昔はマツタケの産地で集落の収入の半分を占めていました。それが明治に入り海外からさまざまなものが入って来て、カミキリムシも入ってきた。そして松を荒し収入が激減した。そこで人々は酒作りにたどり着きました」と。もともと自主自立、<結>の精神の強い地域だったと付け加えていました。そう言えば亡き婿さんの地域も、草やデントコーンなど牛のえさの種蒔き、刈り入れなど多くの作業は共同でしていますものね。結の精神、助け合いの精神で自分たちの地域を、自分たちの生活を守り、創造しているのですね。
 野菜でもコメでもお酒でも、作り手の話を聞いてこそ、ということありますよね。人と人の関係、言葉かけ大切。

 酒作りの人々の話を聞きながら、心底行ってみたいな、御所(ゴセ)市、天川村、十津川村に。いつ行けるともわからない旅に思いをはせながら帰路につきました。


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(画像上)この日試飲させていただいたのは、左から日本酒「大峰山」(天川村)、焼酎の「いものかぶ」(十津川村) 休耕田の棚田を再利用して作った純米酒「谷瀬」。谷瀬は十津川村の北側に位置する。十津川村は奈良県の5分の1を占めるひじょうに大きな地域。村の北から南まで車で1時間もかかる。そして十津川村には信号がひとつしかないとか。このひとつはとても貴重な信号。なぜなら子どもたちに信号とは、を教えるため。バス全長167mで日本一長いバス路線。始点から終点まではなんと8時間30分かかるとか。純米酒「風の森」「百楽門」「篠峯」(いずれも御所)。「風の森」の原料となるコメは「秋津穂」。「秋津穂」は本来食米で、山田錦、美山錦、雄町(オマチ)のように酒米ではない。どのお酒も飲みやすく、湧水の清らかさ、おいしさ、愛情豊かに育ったコメの豊かさが感じられるお酒だった。お酒と一緒に土地の特産、鹿の肉、鮎あぶり、柚子の実をくり抜いて、味噌、ゴマ、そば粉など各家庭で工夫した『ゆうべし』も振舞われた。鹿の肉はちょっと……。

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(画像上)参加者のテーブルには「陀羅尼助丸だらにすけがん」が並べられていた。大峯山で作られている和漢胃腸薬である。「二日酔い防止にどうぞ」との気遣いか?? 大峯山は今からおよそ1,300年前に修験道の開祖となった「役行者」である役小角(エンノオズル)によって開かれ、修験僧(道)の発祥地と言われている。霊場と参詣道は世界遺産に登録の地

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(画像上)大阪府との県境に位置する御所(ごせ)の主な収穫野菜は里芋とネギ。関西人はネギの青いところを好み、関東人は白いところを好むとか。そう言えば我が家も白いところを使うことが多い。すごい観察力

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(画像上)酒粕もお土産にいただいた。甘酒はもちろんのこと、魚に、肉に、野菜にと粕漬を作った。お皿の隅に酒粕も盛って、本物の味を楽しんだ。癖のない、上品なよどみのない天然の味が都会人には珍しかった。貴重な一品に感謝

長期と短期では待遇が大差だったけど、仲間は仲間。成田に出迎え。そして我が家は千客万来

 温泉旅行からスタコラサッサと東京に戻ったのは、3月末にJICAボランティアの仲間が帰国することで、成田に迎えに出たかったことが理由のひとつでもあります。姐さんが迎えに出ていた姿を見て、みんなびっくり。懐かしい顔にアルゼンチン式でハグハグハグ(抱擁)。

 この帰国組は出発は姐さんと同じ2017年3月末。しかし、姐さんと違うのは派遣期間が2年間の長期ボランティアたちです。2017年3月共に成田を発った仲間は12名+随伴家族の2名。そのうち短期は7名。同じ短期でも期間は3カ月~11カ月。姐さんはいちばん長い11カ月で、いわば9次隊の<トリ>(語源は寄席言葉で最後に出演する人)をつとめました。

 長期ボランティアは12カ月以上で2年間。今はわかりませんが、当時は長期と短期とでは待遇面で格段の差がありました。たとえば、インフレが進んでいたアルゼンチンで、同じように食べ、活動する短期と長期のボランティアなのに、長期の人は途中から生活費がアップされました。50パーセントぐらいと記憶しています。短期は据え置きのまま。また、長期はドルで生活費が支給されるのに、短期はドルを現金で日本から持って行く(危険地帯なのに)か、国際キャッシュカードで、現地の銀行のATMで現地通貨を引き出します。姐さんはシティバンクのカードを持っていきました。みずほ銀行のカードは使えませんでした。

 ひやひやしながらATMの機械にカードを入れ、ペソが出てくるまでドキドキ。紙幣が出てきたときは「やったー!」という気分でしたが、手数料は一割近く取られてしまいました(2,000ペソ下ろしたら2,175ペソ分のお金が日本のシティバンクから引き落とされた)。これはかなりの損です。しかし、現地の治安を考えれば、手数料惜しさに一度に大金を下ろして手元に置くことはリスクが大です。だから手数料を取られるのは覚悟でチビチビ下ろします。
 また、長期は家族同伴オッケー。同伴者の生活費も出ます。

 姐さんは11カ月ですから、あと1カ月で長期の待遇。しかし、短期で十分(苦笑)。アルゼンチンに着いた途端にホームシックになっていましたから(苦笑)。婿が亡くなってからは前にも増して娘、孫のことが心配でしたし……(涙)。

 さらに、活動場の環境も2005年に最初のボランティアのときとは違い、面食らうこともありました。それでも、モチベーションを落とすことなく活動できたのは、わずかだけど気の合うボランティアとの出会いとお弟子さんから頂く感謝の心でした。個性が強いボランティアが多い中で、気の合う仲間と数人でも出会うことができたのは、ほんとうにラッキーでした。


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(画像上)長期で帰国したM子さんの<帰国歓迎会>は彼女が帰国した翌日に早々行われた。M子さんにはほんとうに助けられた。婿が亡くなり急遽一時帰国するときも、ブエノス郊外の派遣先(国立大学での日本語教師)から2時間かけて、かけつけてくれた。帰国荷物の支度、金品の管理もしてくれて、空港まで送ってくれた。M子さんがJICAの事務所に用事があり、セントロまで出てきたときは、我が家に泊まり画像の男性Tさんのところに食事に行ったり、我が家でお弟子さんとよく食事をした。彼女がいなかったら、ボランティアとしての刺激も、楽しみも半減した。また病院に派遣された短期ボランティアのTさん(男性)は、家が近所ということもあり、パソコンの不具合などよくアドバイスしてくれた。日本の倍の大きさの豆腐をTさんが買ったと言っては、分けてもらったことも一度や二度ではない

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(画像上)M子さんの<帰国歓迎会>は銀座の美登利寿司。Tさんが4時間ほど前から並び順番とり。この店2~3時間待ちは当たり前。アルゼンチンにはない<かぶと煮>、<シーフドサラダ>そして、お寿司をたっぷり。飲み物はビール、日本酒、ワイン。ボランティア時代の話はつきない。彼らと知り合って、ボランティアで大切なことは「狭い社会故におしゃべりに注意」「嫌なことがあってもポジティブにとらえなおす」「人を頼らない」「ボランティア活動を楽しむ」そして、「健康管理やボランティア同士の付き合いのためにも、男性隊員も料理作りは必要。しかも現地の材料をうまく使って、おいしく」ということ。招き招かれのホームパーティは海外生活の基本。Tさんはほんとうに料理上手で、一度に10種類ぐらいは平気で手料理をふるまってくれた。空気の読めない人、暗い人(?)は嫌われる(苦笑)。日本でもおなじだけど

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(画像上)M子さんの家は九州。しかし、タイにも自分の家のような住まいがあるとのこと。長年タイの大学で日本語を教えていたM子さんならではの「ご褒美」(?)。M子さんの帰国に合わせてタイの教え子が日本に来た。そのため数日東京に留まるというふたりを我が家に招待。花見の時期で隅田川の桜を楽しんだあと、食事となった。この日の献立は前菜に<煮魚><菜の花の酢味噌和え><白和え><チクワのショウガ酢漬け><揚げ出し小茄子>。そしてメインはM子さんのリクエストに応えてすき焼き、ジャコと油揚げの酢飯。デザートには銘菓・長明寺の桜もち

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(画像上)M子さんが九州に帰った数日後には、アルゼンチンから出張で来たお弟子さんが、我が家で食事をしてくれた。浅草見物のあとの食事。この日の献立は前菜が<白和え><アボカドとトマトのサラダ><鱈の甘酢あんかけ><ニンジンしりしり><キノコの煮物>。ニンジンしりしりはツレアイ作。メインは鉄板焼きと手巻き寿司。手巻き寿司には、帰郷したM子さんが送ってくれた明太子がもったいなくも出場。やはり東京で買うのとは雲泥の差。新鮮さが違う。「muy rico todo 全部おいしい!」とスペイン語でほめてくれたり、日本大好きと言うのを聞くと、うれしくなる

隅田川周辺の桜。着物でお花見は今や外国人ならではの姿!?

 娘から温泉旅行をプレゼントされたあと、食い逃げのように(苦笑)、東京にスタコラサッサと帰ってきました。そのおかげで今年は充分、桜を楽しめた姐さんです。吹雪の雪から一挙に満開の桜。同じ吹雪でも雪と桜では、色も、においも、手に触れた感じも大きく違いますね。似ているのははかなさ。雪は手のひらに乗せればとけてなくなり、桜は少しの風でもどこかに飛んで行ってしまう。だから、それが桜の魅力と人は言います。そして桜は今や日本の代名詞になっていますね。

 アルゼンチンで行われる踊りの発表会や文化イベントでは、「さくらさくら」が必ず踊られます。姐さんもたくさんのお弟子さんに教えてきました。自分も舞台で踊らせていただきました。「さくらさくら」を踊ると、私は日本人だなとつくづく思います。いい曲、いい踊り。
 踊りをみてくれる方々が、日本のきれいな面、いい面を思い浮かべられるように踊りたいものです。姥桜(うばざくら)と呼ばれるように。だって、姥桜の本来の意味は、歳を重ねても色香があり、若々しく美しい状態を保っている女性のことだから。漢字から想像する単に年を取った女性、お婆さんではないのですよ(苦笑)


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(画像上)姐さんの家は隅田川沿いにあり、毎年花見客でにぎわう。年々着物姿の女性が多くなっている。言い換えれば、それだけ日本の文化、着物は憧れなのでしょうか? 後姿は日本人。でも側に寄ると聞こえてくるのは中国語

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(画像上)隅田川沿いを上っていくと、<三囲神社(みめぐりじんじゃ)>がある。ここの桜は早咲きと聞いたことがあった。しかも訪れる人はさほど多くなく、落ち着いて桜を愛でる場所だ。この三囲神社は三柱鳥居(みはしらとりい)があることで、歴史好きの人間には興味深い神社だ。三柱鳥居とは鳥居を三基組み合わせ、上から見ると正三角形に建てられている。三柱鳥居で有名なのは京都・太秦の木島神社(またの名を蚕の社)。太秦はその名の通り古代において大陸から渡って来て、日本に多大なる影響を与えた渡来人秦氏(はたうじ)の拠点でもあったらしい。だから秦氏と三柱鳥居の関係を追う学者や三柱鳥居の上から見た形がユダヤのシンボルに似ていることから、秦氏のルーツはユダヤをとなえる学者もいる。そして、江戸時代から三井財閥の守護社でもある。三柱鳥居はこの2カ所のほかにも数社あり、数年前に旅した対馬の和多都美神社にもあった

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(画像上)浅草だけでなく、上野公園、上野寛永寺は桜の名所。特に寛永寺はおススメ。画像は上野公園近く谷中の姐さんの実家の菩提寺で、桜の木の下の墓地には祖父母、両親、兄が眠る

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(画像上)マンション住まいの姐さん宅は庭は持てない。浅草の和花を扱う<花粂>さんで、桜の枝を買ってきた。そして玄関とダイニングと自分の部屋に飾る。後日、花粂さんに活けた花の姿を見せたら「きれいに飾ってくれて、花は幸せ」と、姐さんよりずっと年上の女主人が言ってくれた。桜と一緒の日本酒は、引越しをしてしまったお隣さんからのプレゼント。「やさしさをありがとう」の名前にお隣さんのセンスが窺われる。老夫婦だけの味気ない住まいが、彼らのおかげでときに賑わい、ひとりのときが多いツレアイと姐さんに安心感すら与えてくれた。春風のような、心地よい温かさの四人家族が去ってしまい、寂しさが残った

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(画像上)アルゼンチンからお客さんがよく来てくれてうれしい。食卓に桜を添えると食事も豪華に、人も美しくみえる、かも(笑)

古の源泉、新安比の湯は心を柔らかく包んでくれた名湯

 屋根はもちろん路地、物干し竿、木々の葉まで雪化粧一色の奥中山の雪の帳をくぐれば、北も南も白に緑や茶色が加わった風景に代わります。山肌が山麓に春の訪れを告げるには、早すぎましたが学年の節目に温泉に行きました。

 娘の勤め先の会合に便乗した形で、姐さんと子どもたちとの賑やかな温泉旅行です。
 行先は秋田、青森、岩手の三県の<へそ>と言われる新安比温泉。お宿の名前は<清流閣>さん。見た目も中も、姐さんがひとりで行くような温泉宿と違い、立派な旅館でした。
 場所は汽車ならJR花輪線の荒屋新町駅から徒歩でも行けるし、送迎バスもあるので、姐さんひとりでもまた行きたい温泉です。
 今回は娘からのプレゼント。ごツあんです!


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(画像上)部屋は広々とした和洋室。娘、孫たちと同じ部屋で寝るのは初めて。姐さんも娘たちの眠りも恐ろしいほど静かで(!?)深かった。部屋の窓からの眺めは雑木林が広がり、さしずめ森の中に突然現れた竜宮城

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(画像上)温泉宿に食事の贅沢を求めるのはナンセンス。と思いきや地産の山葡萄の食前の飲み物から始まって、お造り、焼き物、煮物などキノコ類もふんだんに使った料理の数々。まーやにはお子様用のお膳。エビフライ、ハンバーグ、フルーツなど。だけどそこにはお造りはなかった。「ばーばら、まーやにはお刺身がない」というまーやのおねだりの眼に、姐さんは返す言葉もなく負けた(泣)。娘は職場の同僚と宴会中。こんなひと時があってこそ、明日へのエネルギーが蓄えられるというものです。もちろん娘のことです(苦笑)。バイキング形式の朝食は夕食よりも品数が多く、絶品揃い

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(画像上)姐さん感激! 日本って気配りがすごい。ゆかたで不自由なく食事ができるようにと、食堂の入口に輪ゴムが用意されていた。確かに、着物に慣れていない人や子どもには必需品。姐さんが日本を留守にしている間に、どんどん「進化」している感じ。イヤ、ある意味後退だ

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(画像上)こちらも姐さん感激の一品。浴室でぬぐスリッパを留める洗濯ばさみ。これで履いてきたスリッパがなくなる心配がない。人の履いたスリッパは気持ち悪いし……。こちらは進化? 後退? 気遣いの質が問われるのは、時代の変化

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(画像上)お風呂は2つある。大浴場のほうには露天風呂も。姐さんはだれもいない時間を見計らって入る露天風呂が大好き。この露天風呂はラジウム鉱石人工湯で、深さによって区切られている。目の前は原木の森林。柔らかい湯で肩まで浸かった途端、今まで感じたことのなかった思いが湧き出た。それは「私、こんな幸せもらっていいの?」。いつも長風呂だった婿を想いながら

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(画像上)大浴場の「金の湯」は、源泉かけ流し。これが不思議な湯で海水2倍の塩泉。強塩泉はふつう水1リットルに塩が15gとか、しかしこの湯は20gもの塩分が含まれているそうだ。舐めたらかなり塩辛かった。なぜ塩辛いか、この温泉は太古の地殻変動などで地中に閉じこめられた古い海水が源泉だからだそうだ。化石海水型の温泉と呼ばれているとか。また、温泉の溶存物資(温泉としての成分)がひじょうに高い(1リットルに対して、33g。10g以上あると高張泉の分類に)。大浴場の湯も洗い場も赤茶色。洗い場の床はザラザラで痛いぐらい。これは再結晶化した温泉成分

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(画像上)こちらは「銀の湯」こじんまりとして、木の床が気持ちいい。身体と心の疲れが湯の中にはじき出され、吸い込まれていった

孫たちの中にいるお父さんを、春休みにみる

 春休みでも中学生のレオ君と小学生のえい坊はスキーの練習や大会、習い事で目まぐるしい速さで一日が過ぎます。今の子どもたちはたいへんですね、時間に追われて。そんな中、末娘のまーやは家で遊びたいときは保育所を休み、マイペースで過ごしていました。

 5歳のまーやは、遊び方や気配りがお兄ちゃんたちと全然違います。もちろんその子の生まれながらの個性によって違うでしょうが、女の子は親のやること、たとえば家事をみていて真似しようとしますね。生きて行く上の基本的なことを、小さい時から身に着けようとします。そして、今や教育の機会も男子と同じですから、社会に出て差が出る道理がないはずです。でも日本では世界の機関が認めるほど、男女の社会的地位や雇用に格差があるのは解せません。

 姐さんの日記帳のある日を読み返すと、
 「まあちゃんのウンチをしたい仕草に気が付いたまーやは、『まあちゃん、ウンチしたいって』と姐さんに教えてくれる。トイレに連れて行くと、『そのままお風呂に入れたら?』とまーやのアドバイス。アドバイスに従いまあちゃんを風呂場へ。そして風呂場でたくさん遊び、十分温まってから裸でリビングへ。リビングにはパンツ、寝間着などまあちゃんの着替えが全部そろえて置いてあった。まーやは役に立つ子というより、まーやが居ないとこの家はまわらない」。
 またある日は
 「お母さんがうたた寝をしているあいだに、洗濯機が止まったのに気が付いたまーやが、洗濯物を大きなかごに入れ、『おいしょ、おいしょ』とサンルームまで運び、さらに椅子を持ってきて、椅子の上に背伸びをして干しだったそうだ。まーや、お母さんを大切にしてくれてありがとう」。

 そして<愛>についても……
  まーや:バーバラ、本当に体操のお兄さん(NHKの<お母さんにいっしょ>のよしお兄さん)好きなの?
  姐さん:うん、だーいすき! かっこいいもん
  まーや:ほんき、で?
  姐さん:もちろん! でも、結婚はしたくない

 この会話はなに? ですよね(笑)

 姐さんはまあちゃんと同じように、まーやの中にも亡きお父さんの姿が見えます。まーやの中のお父さんはまーやを全霊で愛で、守り、励まし、褒めています。まーやの中はお父さんの愛でいっぱいです。

 では、お兄ちゃんふたりの中のお父さんは? となると、これもはっきりしています。上二人はお父さんは中にではなく、すぐそばにいるのです。 理由は、ロサンゼルスで幼少期を過ごし、東京で育った娘は亡き婿さんだけを頼りに、都会から田舎で結婚生活をはじめました。結婚したときは姐さんもツレアイも海外で生活していました。だから自分の親は頼れません。田舎での暮らしになれるだけで精一杯だったため、上ふたりの子育ては婿さんが酪農作業で忙しい中、一生懸命でした。孫ふたりはお父さんの側でいろいろ教えられ、経験して育ちました。厳しい自然との共存、挨拶、じいちゃんとばあちゃんとの生活等々。その教えのおかげで、逞しく育っています。お父さんはそんなふたりを微笑みながら、いつも側についていて応援しているように思えるのです。立派なお父さんですよね!

 では嫁の娘には……、姐さんは正直わかりません。感謝かなぁ。


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(画像上)姐さんが掃除機をかけようかな、と言うと「まーややる!」。重たい掃除機を出して、足を踏ん張って掃除機をかける

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(画像上)毎朝、目が覚めるとその日着る洋服を自分で選び、姐さんの部屋に持って来て着替えるまーや。そして、必ず寝間着をきれいにたたむ。このへんもお兄ちゃんたちと違う。しつけだけとは思えないけどなぁ

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(画像)姐さんが仏壇に手を合わせていると、「まーやも拝(おが)む」と言って頭を床まで下げ、長い時間お父さんに向き合う。何を話しかけているのだろうか……。

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(画像上)子どもってほんとうに大人の生活をよく観察している。折り紙でハサミを作り、美容院ごっこで姐さんの髪の毛をカットするのが、一時期お気に入りの遊び方だった。おかげで姐さんの髪はなくなってしまうほど切られた(苦笑)

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(画像上)仕事も子育ても忙しいお母さんの肩もみを競争でする兄と妹

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(画像上)スキーは滑るだけではなく、道具の手入れもたいへんそうだ。大会の前にはワックスがけが欠かせない。業者さんに頼めるらしいけど、手入れもスキーの練習の内だ。お金の節約にもなる。夕食、勉強後に眠気を抑え、ブツブツ言いながらも弟の分まで手入れをするレオ君

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(画像上)えい坊は根っからのアスリートかもしれない(???)。地区、県大会を勝ち抜いて、全国大会でも好成績を残した。スキーは板やウエア、毎週の遠征費(含む宿泊費)など莫大なお金がかかる。「打ち出の小槌」を失った今、費用の捻出はたいへんだと娘は嘆く。でも、確実に結果を出しているいるレオ君やえい坊のことを思えば、「もうやめない?」とは言えないようだ。そして今冬も毎週末は吹雪いても、青空が見えても4時起きで雪壁を縫って、各大会へ車を走らせた

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(画像上)お日様の力は凄い、みるみるうちに土が顔を出す。雪で埋まっていたヒマワリの茎が顔を出すと、カラスがついばみにくる。雪の部分は光によっては、スケートリンクや湖のようにも映る。冬から春へと季節が変わっても、婿さんに会えないのがさみしい

奥中山も春は近い? 体調崩したまあちゃんも元気になったし

 今年の冬は長引いている気配。姐さんは3月末に帰京しましたが、4月に入っても奥中山では雪が舞っているとか。支援学校皆勤賞のまあちゃんでしたが2月、3月と体調を崩し、この両月は姐さんの出動が続きました。

 まあちゃんが家で療養していたおかげで、姐さんはまあちゃんと過ごす時間が多く、まあちゃんの成長を観察することもできました。好きなテレビ番組はNHK朝の「みいつけた」。好きな玩具はお面と団扇。食事を食べるときはお面の顔の部分は必ず下向き。「ごちそうさま」のサインはお茶を飲み、お面の顔を上に向けること。お風呂から出るときは、洗面器と玩具をきちんと所定の位置におきます。彼なりにこだわりがあるのです。妹のまーやにオモチャを手渡しで貸してあげることもできます。高いところなどに昇って危ないことをしているまあちゃんを、お母さんがにらみつけていると、怒られる前にシュンとなっています。べそをかいて、お母さんに力づくで下ろされる前に先手を打つ時もあります。ずいぶん成長したものです。

 そんなまあちゃんが大好きなことは姐さんに甘えること(反対に姐さんがまあちゃんに甘えること?)。スキンシップって人間の本能なんですね。つくづくそう思います。姐さんがテレビを見たり、本を読んでいるとお膝に抱っこをせがみます。ただ抱っこされるのでなく、身体をくっつけろと、抱き寄せて姐さんの頭を自分の顎の下に入れ、頭をペロペロ舐め出します(苦笑)。顔を舐め出すと、お母さんが「ふたりで何やっての! やめなさい!」。
 眠たくなれば、姐さんの手を引いて自分の布団に連れて行き、押し倒し(笑)、手を自分の背中に誘導して抱けとか、頭をいい子いい子してくれとおねだりしてきます。頭やほっぺを撫でてあげると、5分もすれば寝息をたてています。

 姐さんは最近、これまでの自分の人生で一番幸せだったのはいつだったかな、と考えるときがあります。「幸せ感」を意識したのは大学時代からでしょう。でも、その時も、それ以降も「幸せ感」には、常に<不安><怒り><悲しみ>の感情もつきまとい、両者は背中合わせで、同居していました。姐さんの幸せ時代は、まあちゃんと過ごしている今、のような気がします。夫を失った娘にとっては、「幸せ感ってなに?」の状況でしょうが、それでも子どもたちと一生懸命に生きている。子どもたちもお母さんを助け、まあちゃんのサポートをして存在感をアピールしている。めげない、進むしかない、そんな人間の逞しさのようなものをみせてもらっているから、「今がいちばん幸せかな」と姐さんが思えるのかもしれませんね。


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(画像上)食事中も酸素が外せない。でも食欲はあった。お医者様の言うこともよく聞いて、困らせない。まあちゃんのまわりはやさしい人ばかり。まあちゃんもまわりの人々に<ほっこり>を与えている

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(画像上)まあちゃんと姐さんの至福の時間。気持ちって絶対に通じる。お互いに心から甘えられる相手。ひと月毎に会いに行くと、骨格がどんどんしっかりしていくのがわかる。お父さん似。まあちゃんの中に婿さんが生きている

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(画像上)まあちゃんの指はよく動く。姐さんは自分の指とまあちゃんの指で会話をする。たとえば人差し指を三回トントントンでまあちゃんの名前を呼ぶ。不自由な点を身体を使ってサインを出すのと同じように、指を使って、理解を深め、まあちゃんの感情が解放されますように

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(画像上)柿の葉寿司を作るために酢飯を扇いでいたら、まあちゃんも団扇を持って手伝ってくれた。よだれをたらしそうになりながら(苦笑)。団扇の使い方がとても上手。つまみ食いしなくて偉い!

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(画像上)お気に入りは歌舞伎のお面。姐さんが歌舞伎座に行ったときに買ってきた<弁慶>。団扇の紐に通して遊んでいる

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(画像上)福祉事業所のお世話になっているまあちゃん。支援をしてくださっているご家庭のネコちゃんと仲良し。スーパーにも連れて行っていただき、いろいろな経験をさせてもらっている。レジの前でもちゃんと並んで待っているとか。どこに行くにも弁慶のお面と(笑)。まあちゃんはさしずめ弁慶が慕っていた牛若丸だ

もしかして、奥中山は雪女の住処?

 今年は例年より雪が少ないな、と安心していた姐さん。しかし、1月も半ばを過ぎた途端、一夜にして家のまわりもスキー場化してしまいました。雪だけならまだしも、姐さんが娘から緊急で呼び出され駆けつけた日は吹雪でした。
 タクシーで奥中山高原駅から自宅へ。家は目の前なのに、農道から家屋までの約200メートルの緩やかな坂をタクシーでも登り切れず、
 「悪いけど歩いていって」と顔なじみの運転手さん。
 「私、(遭難しないで)大丈夫ですかね?」と姐さん。
 「大丈夫、大丈夫。チップもらったのに悪いね(温かい缶コーヒーのんでください、とお釣りはうけたらなかった)」

 タクシーを降り、リックと食料品を詰めたアイスボックスをかついでいざ雪嵐の中へと、雪の上の立った途端、丘から吹雪いて視界はゼロ。雪が身体を覆った。これりゃ、命にかかわると思い、50メートル先に住む亡き婿さんのお母さんに「助けてくださーい」と電話(苦笑)。ご両親が走ってきてくれました。「怖いよー、怖いよー」と言いながら、荷物を担いで先に歩き道をつけてくださったご両親のあとについて歩く姐さん。娘のお姑さんは「昨日から酷くなったんだ。今日はまた特別だ」と。

 盛岡にもほとんど雪はない今年の冬。いわて銀河鉄道でいわて沼宮内を過ぎ、御堂という駅に近づくと風景が一変します。そして奥中山は完全に銀世界。冷凍庫より冷たいのですから。もしかして、雪女、それもとびっきり美しい雪女の住処かもしれませんね、この地域は。どうりで美人が多い……(^_-)。

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(画像上)とうとう玄関のドアも凍ってしまった

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(画像上)孫たちは姐さんのように「助けて―」なんて言わない。農道で車を降り、歩いて家に。保育所の年中さんの妹を気づかいながら家に向かう兄。妹は兄のつけた足跡に続く

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(画像上)ホームの一部は熱線が入り、雪は解けている。願わくば駅から自宅までの道路全部に入れてほしい! 銀河鉄道の中は暑いほど

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(画像上)新幹線への時間つぶしに入る盛岡駅ビルのカフェ。東京より広い店内。カフェラテを頼み、本を読んでいると「お水をお持ちしましょうか?」と店員さん。日本って凄いな、おもてなしの心が、と思うのはこのようなとき。店にもよるけど、ブエノスのカフェの床は汚い。店員さん同士仕事中に私語が多く、注文品が出てくるのも遅い。値段も日本より高い

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(画像上)奥中山高原の駅長さんが、よかったら東京に持って帰って、と帰京の日にくださったシイタケ。美味しい食べ方を聞いて、帰宅後作ってみた。マヨネーズを載せてトースターで焼くか、焼いてから醤油とレモンで食べてみたらとのこと。確かに美味しかった。酒のつまみにピッタリ。でも姐さんは家では飲まないことにしている

厳しい雪国の生活。しかし都会にはない自然との営みで逞しく育つ子ども

 雪国の生活は都会で生まれ、育った姐さんのような人間には正直厳しい面がたくさんあります。
第一、滑るのが怖くて、雪の上を歩くことができず、手も足も出ない状況になります。寒い日はマイナス10度を越えることもあり、外に出ていると数分で雪像になってしまいそうです。
 降り始めのフワフワの雪ならともかく、固まって氷の状態になって滑るようになったらお手上げ。引きこもりとは自分のことかもと思ってしまうほど。

 しかし、そこで春や夏、秋と同じように生活している人々がいるのは事実。牛舎では亡き婿さんのご両親と弟さん、ヘルパーさんが早朝から牛の世話をしています。雪降る中、餌場と牛舎のあいだを何度も行ったり来たりしています。
 新聞、郵便、宅配の人も、農道から坂道を上がって娘の家まで毎日来てくれます。郵便配達の方はバイクです。ある日姐さんは、「この坂をよく登れますね」と聞いてみました。郵便局の方は「坂は大丈夫ですが、運転中に滑って横転することもよくありますよ」とのこと。

 四輪駆動の車じゃないと、とても坂は登れないようです。あるとき東京から持ってきたという二輪駆動の車で送ってもらいました。娘の家へとつながる坂の下で
 「大丈夫ですか? 登れますか? ここから歩いていきますよ(ほんとうは滑って歩く自信はなかったけど)」と姐さん。
 「どうかなぁ……。行ってみましょう! 玄関まで送りますよ」と言ってくださったものの、途中でスタミナ切れでストップ。「どうしよう こんなところで止まって」とドキドキの姐さん。結局、姐さんは坂の途中からゆっくり、ゆっくり歩き家の中へ。送ってくれた方はバックで降りて、帰られました。

 雪国の冬休みは東京よりも2週間ほど長いです。
 小学生は通学バスが県道まで来ます。たいへんなのは中学生です。普段は中学に入ったら自転車通学が許可されています。しかし、パラと上から白いものが舞った翌日からは、自転車通学は禁止されるようです。徒歩です。場所によっては1時間ほどかかる生徒もいます。孫の中学一年のレオ君はたまに娘や亡くなった婿さんのお姉さんが途中まで車で送りますが、基本重い鞄を背負って3、40分ほど雪の中を歩く徒歩通学組です。
 雪国では都会の子どもたちには考えられないこのような厳しさがありますが、スキーをしたり、カマクラを作ったり、与えられた環境で楽しみを見つけています。そんな逞しさを見ていると、テストで何点とった、難関校に入学した、ということより、人として大切なことを教えられている気がします。身体の筋肉と同じように、心の筋肉もつけることができるから。


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(画像上)雪が降る中、農道から家に続く坂道に孫ふたり。妹を乗せてソリを引っ張るえい坊

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(画像上)家のウッドデッキで<かまくら>を作る孫たち。いつできるのかな?

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(画像上)男女差をとやかく口にする時代ではなくなったことは承知。しかし、遊び方が上三人のお兄ちゃんたちとはまったく違うひとり娘。姐さんが出かけると言えば、「マフラーやってあげる」「まーやメークさん、お化粧してあげますね」とまーや。洗髪してドライヤーをかけ始めるとすぐに寄ってきて、「やってあげる。後ろ向いてくださいねぇー」。マフラーは我慢できても、マーヤにしてもらったお化粧では、でかけられない(苦笑)。娘も「どうしたの? その顔。眉毛は曲がっているし、目の周り真っ黒」。髪のセットはステキに。薄毛が目立たないのがうれしい!Good !

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(画像上)マーヤは料理もよく手伝ってくれる。この日はピーマンの肉詰め。美味しかった!

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(画像上)姐さんが部屋でくつろいでいるときも、一緒のときが多い。ノンタンのビデオを姐さんのパソコンでよく見ている。「お父さんが買ってくれたんだ」のひと言に、鼻の奥がツーンと痛んだ。お行儀のいい子だ

望年会、誕生会を楽しんで迎えた元旦には、雪国のご来光が

 たいせつな人を失った虚しさを、今もこれからも拭い去ることはできません。心の隙間はまわりの人とのよき関係で少しづつ埋めていく、それしかないのかも知れませんね。
 いるべき人の姿がない寂しい年末、そして孫ふたりが同じ日の誕生日は、表面的には婿が存命のときと同じように、迎えることが出来ました。孫たちの明るさ、逞しさ、特に赤ちゃんのときは毎月、肺炎で入院していたまあちゃんが、小学校に入学してからこれまでの2年間+2学期は、学校を一日も休まず皆勤賞。まあちゃんも親も偉い! そんな元気な孫たちに背中を押されて何とか過ごせた今日という日の積み重ね、そして明日です。

 
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(画像上)娘の友人三家族の賑やかな望年会に、姐さんも加えてもらえた。場所は盛岡の居酒屋「だいえん」。2階のお座敷を借り切っての大宴会。画像のサバの塩焼き一尾は注文したお料理ではなく<お通し>。気前の良さにお腹の虫がさっそく「グー」と3度なった。参加した子ども6人のことを考慮されたお任せ料理は、いずれも量もたっぷりなチャーハン、から揚げ、エビフライ、コロッケ、ダイコンサラダ、ローストビーフ、寄せ鍋、ピザ、刺身盛合せ。そして<ホタテ貝稚貝の酒蒸し>と<鱈の白子の天ぷら>は姐さんにとって初物で感服。白子は呑み屋さんで、もみじおろしポン酢ではよく食べるが、天ぷらは初めて。長ネギと豆腐を入れての味噌汁も美味しいとか。人との出会いと同じように、新しい食べ物との出会いは人生を豊かにしてくれる。飲み放題付きで会費は東京の半額ほど
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(画像上)大人が呑んでいるときは、きちんとお座りをしてを邪魔にならないようにみんなを眺め、お運びのお嬢さんが階下の調理場から料理を運んで来るたびに、障子を閉めてくれたまあちゃん。まるでドアマンのような華麗な仕草。空気を読むという、大事なことができるまあちゃんはしっかり者


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(画像上)東京に比べ雪国の冬休みは長い。2学期最後の12月21日は保護者の参観日でもあった。仕事が忙しい娘の代わりに姐さんが出席。12月25日はまあちゃんの誕生日なので、クラスで誕生会をしていただいた。先生、まあちゃん、姐さんで作ったイチゴと生クリームがたっぷりのったケーキをまあちゃんはペロリ。誕生会のあとは映像でふだんの学校生活の様子や生徒たちたちの成長の説明を受けた。1年次と2年次を担当していただいた男性の先生に代わり、今年度は女性の先生。男性の先生は力強く、立派な心身を活かしてまあちゃんを可愛がり、身体を使って喜ばせ、教育してくれた。今度の女性の先生はやさしく、クラスの子(計3名)と楽しみながら(ご自分も楽しんでいる? 笑)、笑顔いっぱいで教育してくれる。教育の基本は教師と生徒の信頼関係からですよね? まあちゃんは先生方を信頼し、甘え、まわりの話に耳を傾け、目力でしっかり覚え、ゆっくりではあるがまわりのリクエストに応えられるようになったと思う。まあちゃんはいい環境で遊び、学び幸せだな、とつくづく思った。<みたけ支援学校>の先生方ありがとうございます。


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(画像上)12月25日のレオ君とまあちゃんの誕生日には、亡き婿さんのご両親、お姉さんも一緒にごちそうをいただいた。オードブルは焼き鳥、揚げ物、ハムやソーセージ。トマトとニンジン、茹で卵の型抜きや飾りはまーやの担当。メインは巻きずし。食事のあとは自宅カラオケのショータイム! 下の画像はみんな大笑いしているけどなぜ? 姐さんが歌っているのに、「(はい、ごくろうさま。お帰りください)」と、孫たちが笑いながら、拍手しているのだ。まだ歌い終わってなくて、二番三番が残っているのに……。失礼な


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(画像上)暮れも押し詰まったある日、娘のおごりで盛岡の「スシロー」に行った。孫たちの大好きな場所とか。東京にもあるらしいが、姐さんは行ったことがない。回転寿司でテーブルに備え付けられた機械に入力して注文。「バーバラ(姐さんのこと)、遠慮しないでどんどん食べて」と中一のレオ君と娘。安い!(苦笑)。 ほとんどが2巻で100円、高いのが150円。遠慮なく日本酒もグイグイ頼み、レオ君にお酌してもらった。5人で約60皿、たいしたことない(?)
 

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(画像上)こちらは12月の初め、大学時代の友だちと東京での望年会。カラオケ館でトコトン弾けた!


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(画像上)iPhoneの画像を姐さんとまあちゃんとみていた。「恋人同士みたい」と娘。恋しているときって、「彼は自分が思うほど、自分のことを思ってくれていないんじゃないかな」という寂しさがいつもつきまとい、辛い。ふたり一緒に喫茶店や公園、仲良く並んで止まり木に座っているときでさえも、ひとり部屋にいるときも……。それに比べて、まあちゃんという恋人は、相思相愛の自信があるから、寂しさも、悲しさも、切なさも、ない。あるのは温かさのみ。苦笑


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(画像上)迎えた元旦。JICAボランティア中の友人から「明日はラ・プラタからのご来光を届けるね。そちらはどう?」とメールが来た。残念、夜明けから鈍色の空が広がっていた。諦めず時々東の空を見た。と、7時30分ごろほんの一瞬ではあったが、雪空に太陽が、ご来光が姿を現した。思わず手を合わす。娘と孫たちを幸せにしてくれていた婿さんに、そして雪国にも忘れずに訪れてくれたお日様に感謝

踊り(日舞)は病をも楽にし、11月末の「望月」は幸運をもたらしてくれた

 月日の移りが早いのか、遅いのかわからぬままに、12月を迎えてしまいました。
望年会のシーズンでもあります。同年代との酒宴の話題は自分たちの老化や病気のこと。先月入院していたとか、検査でひっかかった、〇〇さんが亡くなった、要介護4になったらしいとか……。かく言う姐さんもアルゼンチンでの活動から戻って間もないころから、股関節の激痛やめまいに襲われ、救急車にお世話になったこともありました。
 股関節の痛みは生まれながらの持病と言えば持病です。今までもたまに痛みに襲われ、長く歩けないこともありましたが、ほんの数日で自然に治りました。しかし今回は少々長引き、このまま歩けなくなるのでは、と心配したものです。

 それが数カ月前のある日から痛みが消えたのです。東京にいるときは毎日のように行くスポーツクラブでの運動の効果? それもゼロではありませんが、一番思い当たるのは踊り(日本舞踊)をよくするようになったこと。小さい時から使っていた筋肉を、お稽古によって維持することで良くなったようです。
 今、姐さんの自宅で一緒にお稽古している名取仲間も「お稽古するって、気持ちいい。今朝も仕事のことを考えたら気鬱がしていたのに、ここでお稽古したら治った(笑)」と。芸事は続ければ、続けるほどその魅力を深く感じられるのかも知れません。


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(画像上)先月11月22日、日中はどんよりと灰色の曇り空だった。しかしお稽古の終盤中には、筋雲が浮かび、雲のあいだからまんまるの眩いばかりのお月様が顔を出した。お稽古中の名取仲間の美しい舞姿、明日の満月に向けて万全な準備を整えた美しいお月様、そしてスカイツリーの星のような光。それぞれが美しいこの三つだからこそ、あたりを清め、幻想的な姿を見せてくれたのだ。姐さんの一生のうちの一度の出会いだと思うほど。

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(画像上)お稽古の翌日(11月23日)は満月だった(画像は22日)。あまりの美しさにネットで調べてみると平安時代の貴族・藤原道長が「望月の歌」を詠んでから1000年目の満月だったとか。望月の歌とは「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」という、藤原氏の栄華を詠んだ歌。道長が自分の人生と同じように、完璧な月と感嘆したほどのお月様だったようだ

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(画像上)お月様に願掛けをしたわけではないけど、今から一週間ほど前は宝塚歌劇を観る機会に恵まれた。宝塚を観るのは3~4年振り。前回は訪日したアルゼンチンのお弟子さんと行った。席は最悪3階席のいちばん後ろ。舞台のヅカガールは米粒のよう(苦笑)。ところが今回は前から5列目。エプロンステージに立ったスターが目の前でポーズを決めてくれる場所。スターの汗も見えるほど。友だちが急に行けなくなったとかで、チケットを譲ってくれたから行けた。しかも出し物の一部は和風のミュージカル。踊りの衣装や振りがてとも勉強になった。宝塚の凄いところは、むやみやたらに拍手をおくったりせず、トップスターが舞台に立ったとき、新人のラインダンスのときと自然にルールが決まっていること。立ち席も出るほどの人気。二千数百人の観客は、もう舞台の素晴らしさ、トップスターの魅力にハートをわしづかみにされ、声も出ない、息もできない状態。男役トップスターのみが許されるフィナーレの羽根の衣装。自分の身体よりはるかに大きい羽根を背負うだけのことはある。あたかも勲章のような。宝塚歌劇団は東京大学に入るよりも難しいのだ。そしてその中でトップの座を射止めるのは恵まれた容姿とダンス、歌、芝居の三拍子そろった努力と才能。見つめられたら卒倒しそうな上品な色気とハスキーな歌声……、もう書きだしたら止まらない姐さんの観劇記。チケットを譲ってくれた友よ、ありがとう!

子どもって、料理が好き ! ? 最近、凝っている柿の葉寿司を一緒に

 奥中山へ行き、孫たちと過ごしていて楽しいことに、彼らとの料理があります。保育所が休みの日などまーやは「バーバラ、今日まーやが手伝うことある?」と姐さんによく聞きます。そんなある日、東京の奈良県アンテナショップ<まほろば館>(日本橋)の講習会で習った柿の葉寿司を一緒に作ることにしました。

 材料は酢飯、魚(ネタ)、柿の葉、型、タッパ。肝心の<柿の葉>はネットで調べ天理(奈良県)からお取り寄せ。50枚で700円。プラスティック製の型はなんと100円ショップで売っていました。その他に姐さんは桧(ヒノキ)の押しずしの型を購入しました(約1800円)。本場の奈良では奈良杉が使われているようです。ヒノキは香りが強いそうで。白木(ヒノキなど)の型がないときは、タッパで代用できます。


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(画像上)この日の寿司ネタは鮭(お刺身用の鮭があるか不安だったので、東京からスモークサーモンを購入)、タクアン、煮シイタケ。プラスティック製の型にネタを敷いて、酢飯を入れて、型の蓋でグッと押す。型を使えば比較的簡単なので、孫たちは快調なスタート

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(画像上)アマゾンで注文して届いた柿の葉は塩漬け。正確には塩水漬け。そのため、講習会のときに配られた葉っぱよりももろい。プラスティックの型から出した寿司を葉っぱに包むときに、破れやすくて難易度がアップ。葉っぱの水けをよく切って、布巾で拭いて、やさしく、しかし強く包み込む。そしてヒノキの型へ。このとき一列目は鮭、二列目はタクアンとか決め、かつ覚えておいたほうが、あとあと喧嘩にならずに無難。ヒノキの型におしくらまんじゅう状態で並べ、最後に作った者全員が順番に上から押す。みんなで押すことで、美味しさが何倍にもなる思い。調理工程の中でここが姐さんは好きだ

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(画像上)食べる段階になった。柿の葉は食べられないので、柿の葉をむいて中のお寿司をいただく。この日はなんとすべてのネタがミックス状態。孫たちが「全部混ぜた方がいいでしょ!」とのこと。それも一理ある。決まりはないので、個々のアイデアが生きるのも、このお寿司のいいところ。夕食には柿の葉寿司のほかに、オムレツと味噌汁を作った

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(画像上)上記は講習会での完成品。やはりきれい! 季節によって変わっていく葉っぱの色が楽しめるのも、柿の葉寿司の素晴らしさ。料理に季節感を伴うのは日本食ならではの醍醐味。講師は奈良県吉野で移住推進ゲストハウスAPRICOTの管理を任されている女性。彼女は関東地方から移住したひとり

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(画像上)婿さんの一周忌と納骨を終え、帰京する直前には上の孫ふたりが<たこ焼き>を作った。<銀だこ>超えを目指しているとか。猫舌の姐さんは焼きたては食べられないが、お酒のつまみにも最適だった。ありがとう!

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(画像上)姐さんが帰京してからもお母さんの手伝いで、ジャガイモの皮を剥くまーや

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(画像上)帰京してすぐに、アルゼンチンからお弟子さんが来日。彼女はアルゼンチンの鹿児島県人会の役員。鹿児島から世界各国に移住した方やその子孫が、何年かに一度集まる。アルゼンチンでボランティア中は同郷の結びつきの強さは常に実感していた。お弟子さんを家に招待。その時の献立にも<柿の葉寿司>(画像上)が登場。画像の下は前菜(まぐろの山かけ、竹輪の生姜入り甘酢和え、アジの甘酢あんかけ、菊の葉の天ぷら、ゴボウの甘辛サクサク揚げ、和牛のアスパラとニンジン巻、ピーマンとジャコとマイタケの中華炒め)。そしてメインは湯豆腐

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(画像上)婿さんの一周忌の法要は一戸にある菩提寺で行われた。急で長い石段を昇りきると赤や黄、橙や茶、飴色などに彩られた広大な境内が広がった。婿さんの生き方、業績と重なるような立派なお寺……、娘と孫たちを包むやわらかい日差し……。高く晴れ渡り、澄み切った秋の青空。その空にはぽつん、ぽつんとあしらい代わりの雲。おちゃめな婿さんが隠れ、顔を出しそうな白い雲。その日一日のすべてが、婿さんの人柄が偲ばれるきれいで厳かな一日だった。一年間悲しみをこらえ、地域の方々に助けられながら、何とかがんばってきた娘と孫、親御さん。そんな家族へ婿さんからご褒美をいただいたような一日でもあった。淳のこと、一生忘れない! ありがとう最高の息子、淳くん! 日本一親孝行で、世界一親不幸な息子あ・つ・し。でも世界一大好き……合掌

まあちゃん、外での遊びから家の中での遊びへ。どっちも成長を実感

 日中の日差しは時には真夏並みの強さでも、朝晩の風が日に日に冷たくなる高原。そんな、中でもまあちゃんは外に出たくて仕方ありません。できれば、まあちゃんの好きなように毎日、外で遊ばせてあげたいけど、肺の弱いまあちゃんには無理なこともあります。最近のまあちゃんのお気に入りの過ごし方を見てみますね。


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(画像上)今まで見向きもしなかったボールに興味を持つようになった。自分で足で蹴っておいかけたり、姐さんに向けて蹴って、キャッチボールやパスをしたがる。自分だけの世界から、他者をを意識するようになったのは、大きな成長だ。学校、デイサービスやショートステイ先、家庭、地域とのかかわりの賜物

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(画像上)ショートステイさせていただく日だけでなく、一泊して帰って来た日も玄関で人待ち顔。まあちゃんにとって、自分の家以外に、心なごむ家があるのは素晴らしい

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(画像上)家の中でのまあちゃんのお気に入りは<ハンモック>。お父さんの遺影に向かって遊んだり、外を見ながら何時間でも揺らしている。男の子だなー、と姐さんが思うのは足を使って、大きく動かすのが好きになったこと。そして、自分にあった高さをみつけ、椅子にのってひとりで調整しようとする。ゆらゆらと揺れているときの幸せな表情もまた格別。<ハンモック>はまあちゃんのためにと、まだまあちゃんがやっと立ったぐらいの時期にお父さんが注文した。まあちゃんが楽しむのは何か、どんな方法で育てれば、身体が丈夫になり、ゆっくりでもいいから、自分のことは自分でするように、自立できるようにならなくては、をいつも考えていたお父さんからならではの、プレゼントだ

秋晴れの日のバーベキュー。空には赤とんぼが運動会、そして巨大壁画の完成

 夏が去り、秋が訪れたある日、孫たちの同級生親子を招いて、バーベキューが開かれました。火おこしは孫たちが、食器やテーブルなどの支度は母親たちが、焼くのは親と子どもが、とみんなで準備。お招きした方のひとりが大型のスピーカーを持ち込み、カラオケならぬ生バンドの演奏もあったようです。姐さんは若い人のお邪魔にならないようにまあちゃんと、ウッドデッキで大自然を眺めていました。


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(画像上)バーベキューはすべて男性の役割のアルゼンチンとは、少々様子の違う日本のバーベキュー。味付けはアルゼンチンでは塩のみ。日本は<焼肉のたれ>や<味ぽん>。でも味はアルゼンチンでも日本でも美味しいし、楽しい。食べ終わると子どもたちからは毎回「またやりたい」と

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(画像上)まあちゃんは火が危ないので、部屋の中でご相伴。お肉の大好きなまあちゃんは焼き手が間に合わないほど「もっと!」

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(画像上)高く、澄み切った青空にやさしい風からの贈り物の白い雲と、笑顔のあしらい代わりの雲が静かに身を任せている。空には無数の赤とんぼ。羽根を大きく広げて、運動会のお遊戯のようにはしゃぎ、踊っていた

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(画像上)気持ちの良い秋の一日にまあちゃんも満足。ながーく続く帯状の白い雲、お父さんの自慢だったサイロ、遠くの小高い丘、そして青々と息吹く畑を見てまあちゃんは何を思うのか……

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(画像上)えい坊がおとなしいな、と思ったら、友だちと土手に小石を並べて、仲良しくんの顔を作っていた。まるで<巨大な壁画>。なん百年、何千年あとに、だれかが掘り起こして見つけてくれるだろうか??? この平成ピカソの巨大壁画を(苦笑)

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(画像上)一日明るく照り輝き、人々に生命(いのち)を与えてくれた太陽に代わり、月の明かりと無数の星で空がいっぱいになる前の夕焼けは、夜空の宴の始まりに相応しく、厳かで神々しさすら感じる

向日葵(ヒマワリ)咲きました! 運動会の日に大輪の花が開いて

 今年は台風に向日葵も負けてしまった、と前回お知らせしましたが、なんのなんの向日葵は強い! この子らにして、この向日葵あり、と姐さんは感服。婿さんの思いは伝わる。繋がっている、この向日葵のかなたから。 

 今週が見頃です。いらしてください。


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(画像上)娘が孫たちに「お父さんに見せたいから、向日葵つんできて」。子どもの姿はけなげでかわいい

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(画像上)向日葵とまあちゃんの笑顔は、この家族に、この地域に、幸せを運ぶ

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(画像上)えい坊とまーやが向日葵畑の前で何やら熱心に作っていた。「お参り、お参り」と完成したものは神宿る<磐座(いわくら)>のような……

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(画像上)まーやの運動会で姐さんは奥中山へ。昔と違う運動会の風景をシャッターに。玉入れには目隠し。どちらが多いか最後までわからない。いいアイデア。父兄とのリレーのバトンはでっかい!

向日葵のこと。そして孫たちの夏休み。その3 バラバラ(?)で一緒

 いちばんうえの孫は、いつの間にか中学生になりました。当たり前ですが、孫の中でも長い付き合いになりましたので(笑)、思い出がいっぱいあり、成長を楽しませてもらっています。

 中学生になると勉強の量も半端ではありません。そして、夏休み中もほとんど毎日部活があります。朝5時、時には4時半に起きて勉強する日もあります。そんな忙しい夏休み中、レオ君に連れられて(?)、図書館の自習コーナーに2回、展覧会、レストラン、映画にも行きました。図書館ではお互い別の場所で勉強し、映画館では終映後の待ち合せ場所を決めて、同じシネコンで違う映画(姐さんはミッション・インポッシブル、レオ君はアニメ映画)を観ていました。バラバラでも一緒ですね(苦笑)。そんなことができるのは、彼が中学生になったからです。
 行く前には「厚化粧やめてね」。娘の車を降りて、駅に着くや「少し離れて」。年齢相応に成長していることにホッとしている姐さんです(苦笑)。

 夏の終わりのころ、秋の初めには毎年、庭に約2万本の向日葵が咲きます。これは5年ほど前から亡き婿さんが「訪れる人が楽しんでくれれば」と、毎年、牛舎の仕事の合間に種を蒔きました。今年は婿さんの意思をついで、弟さんが種を蒔きました。

 婿さんの影響を受けたのか、この地域で向日葵を咲かせる家は増えましたが、さすがに2万本はなく、カメラマンやマスコミ、保育所の園児が散歩で、また家族連れなど、口コミで年々鑑賞者が増えて、特に見どころのないこの地域での観光名所になりつつありました。
 そして今年も例年通り、輝くような黄色の向日葵が満面の笑みを浮かべて、もうすぐお日様に向かってのダンスを楽しませてくれる予定でした。

 しかし、一昨日(9月9日)、昨日の大雨は向日葵たちの体力では耐えきれなかったようです。たぶん今年は向日葵は残念ながら咲きません。楽しみにしていらっしゃる方も多いと思い、とりあえずご報告させていただきました。

 
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(画像上)このハガキは<奇跡のハガキ>。なぜならば、奇跡的にアルゼンチンに届いたから。日本からアルゼンチンまで郵便物はほとんど届かない。姐さんがブエノスに滞在した去年の春から今年の春まで、踊りの仲間や大学時代の友人、夫など5~6人がJICA事務所内宛てで姐さんに手紙を出してくれた。小包ではなく、手紙だ。しかし、届いたのはこのレオ君からのハガキのみ。しかも消印を見ると2カ月もかかっていた。ハガキには、向日葵がやっと芽を出したという知らせがしたためられ、絵も描かれていた。文末には「体調管理しっかり」とも書かれていた。日本にいるときにくれるメモや手紙には、必ず「まあちゃんのめんどうをみてくれてありがとう」の一文が添えられている


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(画像上)8月末、夏の光と爽やかな高原の風を栄養に、すくすくと伸びていた向日葵。娘からのLINEによると昨日、一昨日の大雨でみんな頭をたれてしまったとか。豪雨や地震による全国の被害を思えば、残念がってはいられない。楽しみを来年に託そう
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(画像上)今はこんな状態(娘からの画像)

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(画像上)レオ君は初めてだと言っていたが、盛岡駅に隣接したアイーナ(正式名:いわて県民情報交流センター)の中にある<盛岡県立図書館>は姐さんの息抜きの場所。この図書館でレオ君と3時間ほど過ごした。お互いに違う場所で(笑)。姐さんはパーテーションの付いた大人用の席、レオ君は児童・生徒用の丸テーブルのコーナー。しかし、ふたりとも長時間よく集中力が続いたもんだ(苦笑)。ちなみに、<アイーナ>の意味は「あー、いいな」をもじった一般公募による愛称とか。スゴイな、東北人のユーモラスな感性


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(画像上)図書館の帰りに、ふたりでアイーナの隣にある盛岡市民文化ホールでミニチュア作家<田中達也 見立ての世界>と題する展示会に行った。これは盛岡での仕事の帰りに見た、という娘の勧めでもあった。1ミリ、2ミリの創作の世界だ。面白いのは日用品をモチーフにして、人物を入れ、動きを出し、ユーモアに満ちた作品に造り上げていることだ。驚きと、感動の連続。画像の上からフライバットをプールに見立てた「25cmのプール」、トイレットペーパーを雪山に見立てた「スキーに行っトイレ」、食器洗いのスポンジを荒海に見立てた「食器ングな事故」


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(画像上)夏休みの宿題のひとつとして、レオ君は<肉ジャガ>を作った。もちろん姐さんもお母さんもいっさい手伝わないで、料理の本を見ながらひとり黙々と。豚肉、新鮮な高原野菜から出るお出汁が、見事にジャガイモの旨味と仲良く溶け合っていた。そしてインゲンとニンジンの色目が純で、作り手と同じ汚れのない若さを盛り付けていた。この一品を作ったのは、えい坊が<カシオペア……の旅>から帰るのを待って、翌日の献立。久しぶりに家族揃っての食事は宿題のおかげで、元気もご馳走してくれた。ありがとう、そしてごちそうさま!


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(画像上)あと数日で二学期がはじまる夜のこと。リビングルームの電気はなかなか消えなかった。宿題の仕上げだ。イヤ、お母さんがレオ君に勉強を教えてもらっていたのかも知れない……苦笑

孫たちの夏休み。その2 カシオペア100キロ徒歩に挑んだえい坊

 孫たちの夏休みの様子はほんとうに四人四様。夏休みと言えども短いので可哀そうな気がしますが、親と子どもたちにしてみれば、家にいれば喧嘩、喧嘩の連続で、喧嘩のあいだには母親からの「宿題は?」攻勢。時代が変わっても、の風景です。たまりません(苦笑)。学校が恋しくなりますよね。

 今年のえい坊の夏休みのハイライトは<カシオペア100キロ徒歩の旅>参加。これは二戸地区の青年会議所が「私たちの地域は、私たちでつくろう。私たちの地域の子どもたちは、私たちの手で育てよう」と考え、子どもたちにとっては辛く、厳しいときもある5日間を体験することで、<生きる力>を醸成することを念頭に主催しています。

 対象は二戸地区に住む、小学4~6年の子どもたち。プログラムの内容は一日平均20キロ歩き、一戸、九戸、軽米町、折爪岳(標高852.2m)を昇り、ゴールの二戸・九戸城跡にある<とんこう稲荷神社>まで、5日間で100キロを踏破します。かなり体力と忍耐力のいるコースです。

 姐さんは根性物語は好きではありませんが、このコースをやり遂げた達成感や仲間と寝食を共にした日々の体験は、生きる自信や心の「血や肉」となって、子どもたちに残ると思います。
 また、自分たちの住んでいる地域を歩くことは、地域のことを知るということです。生まれ育った地域を好きになり、大切に思うことの前提ですね。東京育ちや姐さんたちのように、転勤族ではなかなか味わえないことです。

 この地で生まれ育ったお父さんから地域の話を聞いたり、お父さんの仕事を通してこの地の歴史や環境のことを知る機会がなくなってしまった孫たちには、自分の生まれ育っている地域を知る貴重な機会のような気がしました。
 それに昨年まで3年間にわたって参加したえい坊より2歳上のレオ兄もそうでしたが、この<旅>から帰って数日は、何となく親に感謝したり、「おはようございます!」「いただきます!」のあいさつに力が入り、兄弟喧嘩も少なくなっていましたから(笑)。


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(画像上)出発の日はあいにくと小雨がパラパラ。集合は二戸市の浄法寺総合支所。支所前の広場で参加の19人の児童+地元大学の学生スタッフが円陣組んで、「チクサクチクサク ホイホイホイ」と<チクサクコール>。末娘のまーやもすっかり覚えたこのコールはおもしろいけど、姐さんは「チクタクチクタク ボ―ンボ―ン」のほうが言いやすい(笑)。


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(画像上)見送りの家族とタッチして、一日目の行程を目指す。えい坊が生まれたころ、姐さんはアルゼンチンで活動中で、えい坊の赤子のころのようすは残念ながら知らない。しかし、人一倍大きな声でよく泣き、泣き止まぬ姿を見るに見かねた亡き婿さんが、おんぶして農作業をしていたぐらいの頑固者で元気者だったと帰国後よく聞かされた。そんなえい坊も成長するに従い、優しさと自立心を兼ね備えるようになったが、頑固なところは今も変わらない。「ねぇ、大丈夫かしら? 団体行動」と姐さんは思わず娘に聞いてみる。「大丈夫でしょ! ただ(少食だから)出されたご飯を全部食べるか心配」と娘。そしてそのあとすぐに「淋しいね、いないあいだ」と小さな声で付け加えた。親子の情愛が身体に走る温もりのタッチ。何よりも強く、信頼の極みである


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(画像上)小雨の中、まるで修験者のように黙々と歩く子どもたち。主催側から「宿舎を訪ねたり、道中待ち伏せして声をかけるようなことは、絶対にしないでください。お子さんの自立心を損なうことはしないように」と、きついお達しがあったとか。それでも気になるのが婆さんという全身過保護を身にまとった生き物。出発式の帰り道、買物はなくても「ちょっとコンビニに寄ってくれる」と、娘に。もちろん待ち伏せし、コンビニの駐車場から「チクタクチクタク えい坊ォ~!!」と激励の一声をかけるために(苦笑)。「えい坊を待ってちゃダメだよ。見ちゃあダメ、絶対にダメ。やめてくださいと言われているんだから。バーバラ、お母さんに迷惑がかかるから、声をかけるのは絶対にやめてね! お母さん、早く帰ろう。車出して」とまーやが悲鳴をあげた。「まーやは偉いね」とお母さん。遠くでカラスが笑っていた


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(画像上)35度を超える猛暑の中、日中はひたすら歩き、夜はミーティングやゲーム、寸劇などのイベントで仲間との交流を深め、明日の活力を養ってきた子どもたち。朝から痛いほどの日差しが降り注いだ8月12日の午後、家族が今か今かと待ち構える中「イチィ!」「ソーレ!」「ニィイ!」「ソーレ!」と励ましの歩調コールを高々と掛け合いながら、一班ずつゴールの<とんこう稲荷神社>の石段をのぼってきた。三班にわかれて行動した中で、がんばったグループからの登場ということだったが、えい坊の班が姿を見せたのは最後(苦笑)。社殿前に用意された「最後の一歩」でテープを切り、100キロ徒歩の旅は無事に終わった。「どうだった? 何が楽しかった?」と姐さんやお母さんが聞くと、「友だちと遊んで楽しかった。ご飯だって全部食べたよ。友だちが俺の皿にどんどん入れるんだから」とえい坊。家族それぞれが頑張っている。その晩、いつものように丘の上の自宅は満天の星に囲まれた。そしてその輝きはいつもより多く、大きく、きれいだった。お父さんが星たちに頼んだにちがいない、と姐さんは確信し天に向かって、手を合わせた

孫たちの夏休み。その1 夏はまあちゃんの体力知力の成長期

 9月に入り、やっと東京の小学校や中学校でも夏休みが終わり、二学期が始まりましたね。岩手県では東京よりも10日間ぐらい早く二学期が始まりました。その代わり雪が深い冬休みがその分長いです。

 奥中山の夏は<花火>。
 別に花火大会があるわけではありません。アッと言う間に終わってしまうという意味です。夏は短く、寒く厳しい期間が長いのです。だからこそお日さまが燦燦と降り注ぐ夏は貴重です。外で思いっきり遊んで、高原の新鮮な夏野菜をもりもり食べて、体力が鍛えられるから。

 家族と過ごす夏休みは、親にとっても子どもたちにとっても成長の期間。一方、学校の先生は二学期に向け、リフレッシュの期間だと思うのは姐さんだけかな?

 まあちゃんの夏休み、まあちゃんは目に見えて成長しています。体つきも、顔つきも成長です(笑)。昨日まで出来なかったこと、しなかったことを突然今日になってする、ということがけっこうあります。
 たとえば、お風呂に入ろうと誘えば、脱衣し、自分でタオルに石鹸をつけて身体を洗います。石鹸を流してあげたあとは、好きなようにひとり遊ぶ。まあちゃんが遊んでいるあいだに大人は一仕事して、迎えに行こうと風呂場に足を向けるや、タオルで拭きながらごきげんなまあちゃんと廊下でご対面。何でもできるのです。
 最初にタオルで自分の身体を拭きながら出てきたときは、家族一同「あれぇー!?(まあちゃん、ひとりで身体拭いて出てきてすごい! 偉い!)」と顔を見合わせてしまいました。ズボンも自分でじょうずに履けるようになりました。

 トイレに行きたいときはサインを出し、便器に座れば自分のしやすい位置に座ります。今までは大人が抱っこして座らせていたのですが、自分でオッケイー。しかも、大便をしたあとは、お尻を洗うために自ら風呂場に行くのです。トイレと挨拶は自立への基本、姐さんも一緒にがんばりたい!

 お留守番もできます。お母さんとえい坊、まーやが東京に数日行ったときは、レオ兄と姐さんとしっかりお留守番していました。不安な表情を見せなかったのは、やはりレオ兄がいてくれたからでしょうね。

 暖かな日差しの中、さまざまな人から受けた体験は、まあちゃんに安心や信頼を与え、やるべきことの自立心を育んでいます。そして体力も、知力も日増しに逞しくしているのです。お日さま、ありがとう!


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(画像上)まあちゃんはプール遊びが大好き! 物干し場などで自分の水着を見つけると、その気になって、心ここにあらず。サッサと洋服を脱ぎ始めてしまう(笑)。プール遊びのお相手はまーや。無垢なふたりのまわりには、9月の開花や秋の収穫を目指し、向日葵とデントコーンが勢いづいている。「子どもたち元気でしょう! あなたは大丈夫? どうぞふたりを、家族を見守ってね」と思わず心の中で彼の人に話しかける。幼子ふたりはまわりの木々や草花のように、お日さまを栄養にお互い負けず劣らずで、この夏も気持ちいいほどスクスクと伸びる


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(画像上)学校が夏休み中は、まあちゃんは地区のデイサービスに通っている。生活支援サービスの事業所にお世話になり、お泊りをさせてもらうときもある。どちらもまあちゃんの大好きなところ。まあちゃんは喜んで行く。みんな優しくまあちゃんを見守り、いろいろな体験をさせてくれて、大切に共育してくれる。まあちゃんにとって、まさにオアシス。お迎えの1時間前には、まあちゃんは靴を履きだし、勝手口でお迎えの車をじっと待っている。外に行くには靴を履かないとダメ、靴を履くには靴下を履かないとダメ、とばかりに頭を働かせる。ふだんはお母さんや姐さんにせっつかれてやっと履いた靴下も脱いでしまうまあちゃん。でも好きなところに行くときは、大嫌いな靴下も自ら履く。こっちの方向でいいのかな、と考えながら。その姿は<一所懸命>。まあちゃんの生きる姿は素晴らしいと思う


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(画像上)まあちゃんは家にいるときは、何かしら道具を使って遊ぶか、身体を動かしてエクササイズをしている。高いところに昇るのも好きだ。そんなときは男の子だな、と思う。遊ぶ道具は振り回せるものがお気に入り。たとえば妹の紐の長いハンドバッグや、長年お気入りのリスの縫いぐるみ。そして今年になって、まあちゃんのお供として参入したのがお面(お面はもともと学校でのお気に入り玩具だった)。姐さんはおもしろいお面を東京から土産に持ってくる。まあちゃんはお面をかぶった姿を鏡でみることもなく、自分自身はいかに似合っているかはわからない(苦笑)。しかし、お面姿のまあちゃんが可愛いので、姐さんとお母さんは声をあげて笑う。その姐さんたちの笑っている姿がうれしいらしくて、お面を部屋のあちこちから探してはとっかえひっかえかぶり、今のところ飽きることはないみたいだ。鬼のお面はお母さんが100円ショップで購入。上下反対にかぶってもすましている。この姿に周りは大笑い


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(画像上)この夏、いろいろなことを体験したまあちゃん。なかでも楽しかったのはきっとカ・ラ・オ・ケ。まあちゃんがカラオケに行くのは今回で二回目。前回と同じく今回も、お世話になっている福祉事業所のメンバーに連れて行っていただいた。姐さんもおまけで乱入。大きな画面を見ながらソファーでジャンプし、お姉さま方の歌に聞き惚れ、喜ぶ。メニューを見るときは頭のスイッチを入れ替え、真剣そのものに。今回はマイクを離さないお姉さま方とのコラボで楽しさも倍増。大好きなフライドポテトを前にテンションは上がる一方。食べて、呑んで(?)、手拍子で大ハッスル(誰が? 姐さん?)


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(画像上)小学生のまあちゃんには、お兄ちゃんと同じような<宿題>という逃れられない大仕事があるのか、ないのかはわからない。でも、姐さんははっきりと見た。空いっぱいに広がった淡い水色のキャンパスに、器用な指を真っ白な絵の具で染め、指絵筆を走らせているまあちゃんの姿を。先生! これがまあちゃんの夏休み自由研究です

自宅マンションのまわりを消防車が囲む。原因は魚を焼いて……

 2日月曜日のことです。気温35度の中、あわや自宅のあるマンションが火事、と一瞬冷や汗の出る日でもありました。

 その日は敬老者のデイケア施設での日舞指導の日でした。大学時代からの親友が姐さんが指導できる場所を探してきてくれたのです。場所は自宅から区内循環バスで20分ほどの、とても便利なところ。アルゼンチンでも何度もお弟子さんと踊った「きよしのズンドコ節」「チャンチキおけさ」を、入所者さんと踊りました。大声で合いの手をいれながら(笑)。そして、これまた今年の2月の帰国ギリギリまでお弟子さんに教えた「川の流れのように」を姐さんがひとりで踊って、1時間ほど楽しく過ごし、いい気分で自宅を目指し、再び循環バスに乗ったのです。値段は100円。
 しかし、これが予想外の展開になりました。区内を1時間以上グルグルまわって、帰宅の時間がよめないほど。腰も痛くなってしまいましたが、いいこともありました。今まで気が付かなかった、住んでみたいいい地域があったからです。しかも、早く帰っていたら、マンションの火事さわぎに巻き込まれていたことは確実です。火災報知器が鳴り響く中で、ひとり慌てていたかもしれません。

 姐さんの住んでいるマンションはいわゆる超高層のタワーマンション。マンションのまわりを行きかう人に、「私、ここに住んでいるのですがどうしたのですか? ボヤ?」と何があったのか聞いてみました。
 ●1階のコンビニの店員さん
 「22階ですって。ボヤらしくて、今消防士さんが一階一階まわって点検しているみたい」
 ●玄関で会った仲良しの住民さん
 「もうねぇ、ずっと火災報知機がなりっぱなしだったのよ。あなたどこに行っていたの?詳しいことは聞いていないけど、この暑さの中、火事は嫌だ」
 ●エレベータの中で会った男性
 「魚を焼いていたらしいですよ」

 ということで、三人の方に聞いて全貌がつかめました。
 そして教訓。料理するときは必ず換気扇をまわす。30階建てのこのマンションで火が出たら、風向き次第でタワーインフェルノ状態に。ツレアイ曰く「この階までははしご車は届かない」。ベランダ伝いに隣の家のパーティションを突き破って、逃げ回るしかない。


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(画像上)姐さんの住んでいるマンションは、過去にもボヤを出した。火元は2階にあったレストラン。このこともあって姐さんが大好きだった、カフェ(画像下)と火元の和食レストランは今年の3月に閉店してしまった。前回と同じ、この日も出動した消防車は数えられないほど多かった。姐さんが家に到着したころは、消防車もはしご車も救急車も一台ずつ退去し始めていた。マンションから出てきた消防隊員をよく見ると、身に着けている装備の重々しいこと。この暑さの中、鎧みたいな重装備で走り回り、火の中に飛び込む。重労働だ。「ご苦労様でした」と思わず頭(こうべ)を垂れる

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(画像上)この日の夕食は青椒肉絲、野菜サラダそしてツレアイが買ってきてくれた谷中の魚屋さんのアジ酢。青椒肉絲を作ったときは、キッチンの換気扇を最大にした。それでも中華鍋を囲む火が泳ぐたびにドキドキ

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(画像上)この火事騒ぎは、ワールドカップの日本対ベルギー戦の前日。一眠りして夜中に起きたら、スカイツリーは<サムライブルー>を意識してか、青い光を放っていた。しばしお月様と勝利を願う。結果は……。がんばった試合だったけど、結果ありきのスポーツだから辛いだろうな

まあちゃんに、人としてのあるべき姿を教わる

 今週の月曜日(6月18日)の夜に奥中山から東京に戻った姐さんです。帰京後は荷物の整理、お太鼓のお稽古、日本舞踊の指導のプラン作り、マンションの自治会の集まりなど、毎日慌ただしく過ぎて行き、そして昨日は、な、なんと関東地方が梅雨明け発表。6月の梅雨明けは観測史上初とか。今夏は恐ろしく長い夏になりそうです。

 暑い東京から涼しく、爽やかな奥中山を思えば、気候の爽やかさとともに、まあちゃんの爽やかな生き方、過ごし方、存在が目に浮かびます。

 最近のニュースを見ると人間関係の希薄さ、親子、兄弟関係の歪みから起こる悲劇が目立ちますね。そんな世の中だからこそ、でしょうか、まあちゃんは人としての、大切なことを数多く教えてくれます。
 特に、信頼関係、人間関係の作り方です。まあちゃんが家族、支援学校の先生、校外の福祉事情所のサポーターの方々と生活する中で、どのように成長したかを見ることは、私たち大人に人としての在り方はいかにあるか、の大きなアドバイスを与えてくれているのです。たとえば、

◆まずはまあちゃんの望むようにし、褒める
 まあちゃんは媚びることをしない、純な子です。だからまあちゃんを見ていれば何をしてほしいか、よくわかります。言葉でじょうずに表現できないまあちゃんでも、いや、だからこそ自分のしたいこと、寝っ転がりたかったり、外に出たかったり、そばについていたかったりと、望むことをしっかり大人に伝えます。まあちゃん自身が考案した方法で。それを理解してすぐに、一緒に行動してあげると、顔がくしゃくしゃになるほど笑顔を浮かべ、喜びや満足したことを伝えてくれます。自分のことを理解してしてくれたんだ、この満足感が子ども(大人でも)を素直にさせる奥義であることを教えてくれました。

◆まあちゃんは(子ども)は大人の鏡
 まあちゃんは最近、姐さんの頭をよくなでてくれます。ハグ(hug 抱きしめる)をしてくれます。それは姐さんをリスペクト(respect 尊敬)してくれている気がして、とても心地よいです。こんな日が来ることを期待したわけではありませんが、まあちゃんが赤ちゃんのときから姐さんは、まあちゃんが生まれてきたことに感謝して、身体をさすりまくり、抱きしめていました。それを体で覚え、真似してくれているんですね。大人が笑ってみせれば、子どもも笑ってみせる。それをまあちゃんは教えてくれています。

 最近のまあちゃんの知能の発育は素晴らしいです。大人の期待以上の成長をみせてくれます。「あれぇー、いつの間にズボンを自分で履いたの?」とか、「靴下、じょうずに履けたね。出かけたいのね?」なんてことがあります。必要に応じて部屋の電気をつけたり、消したりしてくれます。開けっ放しのドアを「締めてきて」と、頼むとトコトコトコと閉めにいきます。楽しい子です。ネバーギブアップの精神を見せてくれます。婿さんが残してくれたホープ(希望)です、きっと。


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(画像上)強い日差しに包まれた日、庭のウッドデッキで遊ぶまあちゃんに、傘をさして日差しをよけるまーや。雨傘だけど……

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(画像上)まーやが生まれたときから、えい坊はまーやを気にかけ、まーやは「やめて!」と怒りながらも、えい坊からのちょっかいを待っている。ふたりがどんな遊びをしようと、喧嘩になろうと、まあちゃんは我関せず。向かい側の小山の牧草やレタス畑が見事な借景

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(画像上)まあちゃんは乳児のときから、一番上のお兄ちゃんのれおくんを慕っている。今でもおんぶをせがみ、抱っこをせがみ、眠たくなれば寝室に手をひいきて連れて行き、寝かしつけてもらう。まあちゃんのやってほしいことをきちんと理解し、「ちょっと待って」「あとで」は一切言わず、リクエストに即応えるれおくんは偉い。信頼関係作りの鏡である。まあちゃんも体全体で喜びを表す。まあちゃんが高いところに登って危ないことをすると大声で怒る姐さんに、れおくんは「バーバラ、まあちゃんにきつく怒らないで」と、姐さんをさとす。その目は哀願しているようでもある。そんなとき姐さんは自分のおとなげない態度を猛反省

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(画像上)娘も姐さんも出かけなければならないときは、福祉事業所の方にまあちゃんの見守りをお願いする。まあちゃんはお世話くださる方々が大好きだ。そしてまあちゃんの<感>は鋭い。今日は来てくださる日だと感じると、朝から勝手口でずっと待っている。この日は<カラオケ>ボックスに連れて行ってくださった。カラオケなら大画面があって飽きないし、眠たくなれば横になれるという配慮から。ポテトチップを食べてご満悦だったとか

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(画像上)帰京の数日前に、友人をお呼びして娘のところでホームパーティ。料理は姐さんの担当。大皿の一緒盛りには、ハム・ソーセージ・チーズ類、ブエノスで覚えたアボカドディップとニンニクのオリーブオイル醤油炒め、お好み焼き、ちくわの甘酢漬け。単品としてアジの南蛮漬け、ひき肉の味噌炒めレタス包み、具がいっぱい(焼き鮭、卵焼き、沢庵)のちらし寿司、お刺身盛合せ。テーブルにご馳走が並んでいちばん最初に席についたのはまあちゃん!

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(画像上)まあちゃんはふだん8時ごろには寝る。眠たくなれば、酸素を持って来て鼻に入れてくれとか、一緒に寝ようと、れおくんか姐さんを寝室に誘う。しかし、このパーティの日は、まあちゃんを見守ってくださる大好きな人たちがいたせいか、お開きになってお兄ちゃんたちがソファーに寝転がっても、まあちゃんひとり「ぼくはまだここにいる!」と、イスにしっかりつかまりまるで守護神のよう。でも目は半分寝ている(笑)

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(画像上)姐さんが家事に疲れて横になると、掛け布団を持って来てくれて、いつも姐さんの頭を「よい子、よい子」となでてくれる。姐さんの頭をなでるまあちゃんの手の大きさはもう姐さんと変わりない(左の姐さんの頭にのせている手はまあちゃんの手、右に見えるのは姐さんの手)。まあちゃんは姐さんを大切にしてくれる最後の男性? 姐さんの人生最後の男!?

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(画像上)まあちゃんが帰宅したときは、いつも姐さんが勝手口で出迎え手を洗い、うがいをさせる。姐さんが東京に帰ってしまった日、1階、2階で姐さんを探し回り、いないのがわかると大泣きしたとか。娘からの画像に心が痛む

子からのメッセージ、母からの花。父の日に捧げる親と子の思い

 17日日曜日は父の日でした。娘や孫たちにとって、去年とはまったく違う父の日です。しかし、当たり前ではありますが、世間では去年と同じようにコマーシャルベースにのった広告やイベントが行われ、保育所や小学校ではせっせとお父さんへの手作りプレゼントを作ります。

 父の日を前に、保育所へ通うまーやと3年生のまあちゃんも、お父さんへのメッセージプレゼントを持って帰ってきました。それは成長のうれしさを伴った、悲しい作品でした。
 まーやといえば、昨年11月にお父さんが亡くなってから「お父さん」の「お」の字も口に出しませんでした。その姿は悲しみを必死に胸に押しとどめているようで、まわりの大人に不憫すら感じさせるものでした。しかし、数週間前に娘が用事があり、まーやを連れて上京し、上野駅に着いたとき「ここにお父さんと来たことを思い出した」と、突然大泣きしたそうです。お父さんが亡くなって半年。やっと、「お父さん」と声を出して言えるようになったまーや。苦しかっただろうな、この半年。
 「お父さん」と口に出せるようになったことが、これからのまーやのよき成長につながりますように、と願っている姐さんです。
 まーやはお父さんが亡くなったときは4歳。今は5歳です。


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(画像上)まあちゃんはいつものように父の日にもお父さんと向き合って会話。何を語っているのかlな? この場所はまあちゃんのお気に入り

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(画像上)向かって右側、まあちゃんが学校で作った“I Love You”のメッセージとかわいい手形のお父さんへの贈り物。本来なら“I Love daddy”だったかも知れません。向かって左側、まーやが保育所で作った「おとうさんへ」のメッセージと似顔絵。婿さんはふだんはコンタクトだったけど、メガネをかけた顔はまーやの描いた絵にそっくり。そして、婿さんのお母さんが数日前に、「これからきれいに開きそうだから」と持ってきた芍薬の切り花

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(画像上)芍薬は牛舎とサイロの前に婿さんのお母さんが植えている。真っ赤な芍薬と薄いピンク色の2種類。最初に咲いたのは赤いほう。その赤い色は数年前に婿さんのアイデアで塗り替えた牛舎の色に似ている。偶然か、母親の思いか……。赤い花が咲いたときも「これ、最初に咲いた。きれい咲いたから、仏壇にお願いします」と娘の家に持ってきたお母さん。その花は一晩で蕾から大輪に。「今はこんなことしかお前にできない」「この花、牛舎の前に咲いたんだよ、みてごらん、きれいだろう」と、お母さんの身体がつぶやいていた。夫を亡くした妻と子どもの悲しみとはまた別な、深い悲しみが息子を亡くした母親の体中に宿っている。婿さんの名前を出しながら話すときのお母さんの顔を、姐さんは辛くてまだ直視できない

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(画像上)お日様が出ていても風があると、身体の弱いまあちゃんを外で遊ばせるのは控えている。そんなとき、まあちゃんは窓際でお兄ちゃんや妹が遊ぶのをジッとみている。まーやもまあちゃんを気にかけ外から室内を見る。お兄ちゃんたちはお母さんとキャッチボール

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(画像上)夕食は婿さんの友人が持って来てくれた最高級の牛肉で焼肉。みんなでお父さんに感謝しながら

奥中山に魚屋さんが登場。店内にはちょい飲みコーナーも。ステキ!

 奥中山は空気は美味しい、人は優しい、まあちゃんや孫たちはかわいい、のどか、夜空にはさざれ星が満ちているなど、どこに行っても騒々しい東京とは別世界。これで不満を言っては罰があたるかもしれませんが、東京やロス、ブエノスの暖かい場所で生活してきた姐さんは、奥中山の冬の寒さには耐えられません。そして、いまひとつ加えるなら<魚屋さん>がないことでした、ブエノスから帰国するまでは。ブエノスから帰国して、奥中山に魚屋さんができたことを娘から聞いて、「ウソォー」と大声を張り上げてしまったほど、信じられないし、嬉しかったです。

 帰京間際のある日、いつもの親切な仲間がその魚屋さんの中にある<ちょい飲み>コーナーに連れて行ってくれました。ほんとうはこのお店、まだ開店したばかりでちょい飲みコーナーはオープンしていなかったのです。しかし、友だちがオーナーさんに頼み込んで、宴会と相成りました。

 奥中山はその名の通り高原ですが、車で2時間近く走れば北は八戸、東は久慈や宮古の日本有数の好漁場です。震災で大打撃を受けたものの、マグロ・カツオ・サバ・アジ・イワシなどの暖流系の魚はもちろん、サケ・マス・サンマ・タラなどの寒流系の魚も密集し、しかもアワビ・ワカメ・コンブ・ウニ・ナマコなど水産動植物の生育にも適した環境に恵まれているとか。だから、このお店に大いに期待しちゃいます。

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(画像上)魚屋さんの名前は「さかなや」。場所は国道4号線沿い。いわて銀河鉄道<奥中山高原駅>から徒歩約5分のところにある。国道4号線は東京・日本橋から青森まで続き日本最長。「さかなや」さんの北側は日本の国道で一番高い(458m)地点になる。「さかなや」さんは、まだ目立つ看板もつけていない。ちょっと目には何の店かわからないが、中に入れば、和風建築の天井などに使う欄間が窓に組み込まれ、目隠しがてら和の雰囲気を醸し出していた。この気遣いは奥中山のお店の新時代が到来した証?

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(画像上)女性3人、男性2人の呑み会。まずは持ち込みのビールで喉を潤す。雪国奥中山もビールが美味しい季節に。ビールの命は泡。日本には泡がきれいにたつグラスがあるとか。アルゼンチンではグラスに気にかけることはなかった。ビールよりワインが主流だ。そうそう、アルゼンチンでは缶の飲み物もペットボトルの飲み物も、呑み口を拭いて飲んだほうが良い、と言われてきた。なぜなら、倉庫にはネズミやゴキブリがはっているので、衛生上危険だから

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(画像上)豪華絢爛、思わず歓声があがった大漁盛り。淡白ながら旨味に富んだり、脂に富んだ三陸の魚たち。ウニは口の中で弾けている。あまりの美味しさに行儀作法は忘れてしまった。東京の居酒屋や地方の観光地の居酒屋で<お刺身盛合せ>を頼むと、ダイコンのツマを刺身の倍以上に盛って豪華に見せようとしている。ダイコンも食べなくては、という強迫感(値段の内だから 苦笑)すら覚えてしまい胃に悪い。それに比べこの盛り付け方は新鮮さが目に沁み、美しく、信頼感がある。お魚の色彩が食欲をそそる。噂によるとオーナーさんは魚の仕入れ、販売でキャリアを積み、いつか自分の店を開くという夢を持ち続けていたとか。念願叶った意気込みと魚の新鮮さの競い合い(せめぎあい)が楽しみ!

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(画像上)出ました! 北三陸の名物、別名<海のパイナップル>。大好きなホヤ(海鞘)だ。「ホヤはちょっと……」と言う友人も少なくないが、理由を聞くと臭いが苦手、と。とんでもない、新鮮なホヤは潮風の香りそのもの。真っ先に箸をつけようと思ったら「シソを添えるのを忘れました」と、細かく切ったシソの葉を、瑞々しいホヤに上に添えてくれた。シソ有り無しにかかわらず旨い! 日本酒にぴったり。夏までが旬とか、あと何回食べられるかな? ホヤの皮は炎のように赤いことから、漢字では<火焼>とも書くとか

2018年5月24日のこと

まあちゃんの強い意志が、彼を育てる。みんなのお手本

 奥中山は風の名所でもあります。凍るような風や吹き飛ばされそうな風には閉口してしまいますが、爽やかな風は汚れをふき去り、真澄の空を約束してくれます。

 お兄ちゃんたちはお母さんの付き添いのもとでスポーツの大会に。まあちゃんとまーやはお留守番。遅まきながら今年初めて、ウッドデッキで遊ぶことにしました。5月の風のない晴れ渡った日の午前中のことでした。
 一度、楽しみを覚えると、まあちゃんの頭の中は、その楽しさがインプットされます。昼食の片づけを姐さんがしていると、何とまあちゃんが勝手口に揃えてあった靴の中から靴下を出して、履き始めました。自分で靴下を履く姿に感激して、思わずシャッター。

 人は目的や好きなこと、やりたいことがあると、必死にその目的を達成するために努力しますね。親から頭ごなしに言われたことは、抵抗するだけですが……。まあちゃんも同じ。まあちゃんが、楽しい、やってみたい、ということがいっぱいあれば、あるほど、まあちゃんの成長につながるのだ、と思った姐さんです。

 そう言えばJICAボランティアの選考試験の時は、受験に必要だった苦手な語学の試験勉強もしました。カーブスに毎日のように通って、ウエイトコントロールしました。健康診断に備え食事制限もしました。これらができたのは合格してみせるという強い意志と目的があったからですね!

 まあちゃには、まあちゃんの成長につながる<楽しみ>の材料をまわりの大人が提供すれば、できることはどんどん増える、それが教育のあるべき姿。姐さんも早く気が付けばよかった、自分の子育ての時期に(苦笑)。


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(画像上)最近姐さんは靴下を履いたり、爪を切ったりするときに椅子が必要なときもある。身体がかたいから(泣)。まあちゃんの身体は柔らかいので、床に座り足をグゥーんと上げたり、伸ばしたりして、正しい位置を確認しながらきちんとはく。真剣な表情で、一生懸命に
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(画像上)靴のベルトもきちんととめる。「バーバラ、用意できたから外に連れて行ってぇ~!」

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(画像上)上の画像は玄関を掃除するまーや。下はウッドデッキからまーやの掃除の様子を見ているまあちゃん。まーやは洗濯物はきれいにたたみ、料理を手伝うのが好きで、女の子は生まれたときから違うのかな、と思う。気に入らないときは「ぷんぷん」だし(苦笑)

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真っ青な空のキャンバスは風と雲の饗宴で、刻々と変化する。<雲外蒼天>という言葉が頭をよぎる

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(画像上)以前は滑り台の取り合いもしていたが、今ではまーやがまあちゃんに譲っている。遠くにはまだ残雪が見える岩手山(小さく〇で囲んでいる)。レタス畑(上の画像)では日に日に青みが加わり、家の周りのデントコーン畑の耕作も始まった。亡き婿さんはこの畑のどこかから、いつも家の方を見て、孫たちと娘に会いに来ているはずだ。孫と娘が寂しいのは側にいれば痛いほどわかる。しかし、亡くなった婿自身も淋しがっているはずだ。家族を愛し大切にし、寂しがり屋の婿さんだったからよけい。一昨日はそんな婿さんが、牛舎で雑談中突然、「お母ちゃん」と赤子のように、姐さんの膝に顔を伏して泣いている夢を一晩中見ていた。黄泉の国に戻るのが淋しそうだった。恵まれた大自然の中で、魂が安らかに静まり、いつの日かまた会えますように。夢でもいいから

2018年5月30日記


 

友だちと遊び、学校生活でも一生懸命のまあちゃん。徒競走でがんばった!

 まあちゃんの運動会のスケジュールにあわせて、奥中山に来ました。雪はすっかりとけて、水田には水が張られ、レタス畑からは小さな青葉が顔を出し始めました。
 土曜日の予定だった運動会は、豪雨注意報が出るぐらいの大雨が二日間にわたって続き、日曜日に変更。運動会当日は晴れ渡った青空が大きな空いっぱいに広がっていました。雨上がりの澄んだ青空の下にいると、心が晴れ晴れするのが当たり前と言えますが、毎年子どもたちの健闘ぶりを楽しみにしていた、お父さんの姿が見えない運動会だと思うと言葉に出さねど、青空がなぜか目に染みる思いがする姐さんでした。

 運動会は健常児が通う市立小学校と県立の支援学校の合同運動会です。両校は隣同士のよき仲間です。まあちゃんは支援学校3年生、お兄ちゃんのえい坊は小学校5年生。ふたりは白組、赤組にわかれて力いっぱい実力を発揮しました。

 1年生のときまあちゃんは、地べたに座り込んで動かなかったり、紅白帽はすぐにぬいでしまったり、みんなと同じような動きをしませんでした。でも3年生になった今はすっかり団体行動に慣れたようです。
 「自由人」のまあちゃんにとって、学校での教育(訓練?)のすべてが楽しいわけではないはずです。学校に行きたがらない日もあります。家の廊下に座り込んでストライキを起こすときもあります。母親に言わせると「バーバラ(姐さんのこと)がいるから」です。ときに学校生活はストレスの場でもあります。むろんこれは先生方のせいではありません。だって、ほんとうに手厚い教育(可愛がり)をしてくださいますし、「学校がまあちゃんにとって100パーセント楽しいとこではないでかもしれません」って最初に教えてくださった先生もいらっしゃいますから、先生方のことはとても信頼しています。「学校生活はストレスも」、これは姐さんの経験です(苦笑)。幼稚園時代から何度教室から脱走したかわかりません(笑)。

 だからまあちゃんが家に帰ったら、おんぶや肩車(もどき)などまあちゃんのしてほしいことをして、まあちゃんのペースを大切にしてあげている姐さんです。

 まあちゃんの成長は、学校や放課後の支援施設でのさまざまな経験によって培われた、<「するべきこと」が出来るようになった>だけではありません。<お友だちと遊べるようになった>ことです。これは<団体行動ができる>よりも大事なことではないでしょうか(笑)。下の方の画像のまあちゃんのこぼれるような笑顔がとても印象的ですよね。


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(画像上)ドクターヘリのヘリポートになている小学校の広い運動場。早朝から場所取りのテントが並ぶ。じいちゃん、ばあちゃん、父ちゃん、母ちゃんの一家総出で、ピクニック気分さながら。意識できるほど美味しい空気のなかで、食べるお弁当は格別。一生懸命でがんばった子どもたちの満足顔もご馳走のうち

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(画像上)一番上の画像は先生のサポートで入場行進も元気よく。二番目の画像はゴールテープに向かって、トコトコトコ。見事に一等のまあちゃん。えい坊もこの日一等

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(画像上)頼りになるお友だちが、児童たちの近くまで行って撮影してくださった。「オーエス!」のかけ声高く、全校生徒約150人(支援学校児童19名を含む)による綱引き。まあちゃんも渾身の力を振り絞る。そのおかげで延長戦のあと白組、まあちゃんのグループの勝ちぃ~!!

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(画像上)運動会の華、紅白対抗リレー。前走者からバトンを受け取り、「疾走」という言葉がピッタリなえい坊の走り

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(画像上)遊びに来たお兄ちゃんの友だちと遊ぶまあちゃん。最近お気に入りの「コッシー」のお面をかぶるようにしきりに勧め、一生懸命かぶらせる。コッシーのお面をつけた友だちを見て、大満足、爆笑のまあちゃん

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(画像上)まあちゃんはイスや座布団を持って来て、日に何度かお父さんに話しかけている。線香立てやロウソク立て(共に火はつかない状態になっている)が床に落ちると、自分で元の場所に戻している。けなげだ

2018年5月20日

アルゼンチンでの日課。まず水を購入、ついでにワインも。生野菜は酢で消毒

 日本に帰国後煮炊きをしたり、お水を飲むときについついついツレアイに
「ねぇ、水道水飲んでへいき?」
 と聞いてしまいます。
 なぜならアルゼンチンでは水道水は、飲めませんでしたから。なぜ飲めないかというと浄水レベルが日本より甘いので、住む場所によってはコップに水を入れると透明ではなく、少し茶色になっていたり、薬缶の底に石灰のようなものが沈殿しています。飲んだことないのでわかりませんが、「美味しい!」とは程遠いとは思います。だから、姐さんの日課はまずは近くのスーパーで2リットルの水を2本、ついでにワインを1本買うことでした。

 水とともに日本と大きな違いは野菜。生野菜を食べるときは水道水で泥を落としてから、酢につけて数分つけて消毒し、それから調理にかかります。
 みんながみんなそうではありませんが、ボランティア仲間や遊びに来てくれた友だちが下痢をして、何日も寝込まなくてはいけないほど苦しんだことを姐さんはみてきました。
 飲み水は買って飲んでいるのになぜ? と考えると、生野菜につきあたるのです。アルゼンチンの野菜は農薬もたくさん使われています。だから農薬にあたってしまうこともあるそうです。

 世界中で水道水を飲めるのは15カ国ほどといわれています。日本はほんとうに水脈に恵まれ、素晴らしい国です。汚染されたり、水脈泥棒に荒らされたくないですね。

 東京で水道水が飲めるのはうれしいですけど、奥中山に行って驚くのは水のまろやかさ、おいしさです。地下水などの自然水源を使っているせいでしょうか? 体中が浄化される美味しさです。

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(画像上)市販の水は成分もすこしずつ違う。塩分の量が微妙に違うので、高くても塩分なしのペッドボトルを購入。値段は1年前は2リットル18~23ペソ(約180円)。インフレで今は30~35ペソぐらい。レストランでも当然水は有料。ペッドボトルの飲み口がきつくてなかなか開かない場合もある。保管倉庫が不衛生とかで、現地の日本人から呑み口は拭いて飲むことを推奨された

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(画像上)水にはAgua Mineral sin gasというふつうの水と、Agua Mineral con gasという炭酸入りがある。アルゼンチンの人はけっこう炭酸入りが好きだ。炭酸を入れる機械もってきてくれるレストランもある。しかし、姐さんは使い方はわからないし、炭酸入りは好きではない

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(画像上)レストランに行くとメインの料理にサラダかフライドポテトか、どちらを付けるか聞かれる。フライドポテトは美味しいけれど、量が半端ではないのでたいていサラダを頼む。だけどこのサラダでお腹を壊した友人も少なくない

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(画像上)家では野菜は必ず酢に数分漬けてから調理をした。酢は必需品で種類も多いので、自然食品店の酢もたまに使った。でもスーパーよりも高い

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(画像上)ふだんの夕食はこんなもの。茹で野菜とナスの田楽。ナスはとてもおいしい。ワインはいつもALARIS。ほんとうによくお世話になった。着任当初は安いスーパーで65ペソ(約500円)ぐらいだったが、帰国間際には100ペソでは買えなくなった。でもいちばん安かった

アルゼンチンでは<事実婚>はふつう。子はファーストネームで継父母を呼ぶ

 千客万来。アルゼンチンからお弟子さんが次々来日して、一緒に過ごせる時間があり、うれしい限りです。みなさんからのお土産のおかげで、姐さんの家にはアルゼンチンワイン、アルゼンチンの香辛料、ハチミツ、オリーブオイル、お菓子に不自由することがありません。

 今回来日したお弟子さん、Cさんはもう日本に4、5回は来ています。日系三世ですが日本に留学していた時期もあり、日本語はペラペラ。2年ごとに弓道の段位取得試験を受けにツレアイさんと来日します。経済的にたいへんなことだと思いますが、目標と夢を持って生き、日本に行く目的があるから一生懸命仕事(専門職)をしてお金も貯められる、素晴らしいことだと思います。Cさんは日本舞踊も熱心で、ほぼ皆勤賞。稽古場(姐さんの家)にもいつも一番のりでした。

 Cさんは、どうかわかりませんが、アルゼンチンでは入籍にこだわらない<事実婚>が多いです。特に子どもがいないカップルのほとんどは入籍しないで同棲しています。「なぜ結婚(法律婚)しないの?」と聞くと、「なぜ結婚しなければいけませんか?」と逆に聞かれます。

 女性も仕事をして経済的に自立し、結婚していると別れるときの手続きが面倒と言います。そして2年以上同棲していることの証明(郵便物の住所などから)があれば、何かあったときに法的に<結婚>と認められているからです。仮に別れるとき、夫婦(パートナー)と認められれば財産は折半。そして<年金>。夫婦(婚外婚でも)の生き残ったほうが、先に死んだ者の年金を死ぬまで満額もらうことができます。日本は死んだら、年金は残った家族へのプレゼントとはなりませんよね。
 姐さんの経験からアルゼンチンではひとり暮らし、特に女性のひとり暮らしはリスクがあります。治安的に危ないです。経済的リスクも大きいです。それにあの情熱的な国でひとり暮らしはさみしすぎます(苦笑)。

 家族のことでほかに日本との違いを言えば子連れ再婚した場合、日本では血のつながっていない親に対してでも、「お母さん」「お父さん」と呼ばせることが多いですね。アルゼンチンでは子どもの意思に任せます。「お母さん」と呼びたければそれでもよし。しかし、大抵はファーストネームで呼び合います。何事も無理強いしない傾向があります。さすが個人の意思を大切にするアルゼンチンでございます。日本では「可愛げのない子だ!」とか、「ママと呼んでくれた(涙)」なんてドラマでよくあるシーンですが(笑)。

 名前といえば結婚したからと女性のファミリーネーム(苗字)が変わることはありません。生まれたときに登録するDNI(戸籍+住基ネットのようなもの)の名前がずっと使われます。山田なら結婚しても山田〇〇です。婚家のファミリーネームを使いたければ、婚家の苗字+実家の苗字+名前で挨拶します。

 来週もまたお弟子さんが日本に来てくれます。アルゼンチンで行われる障がい者スポーツ大会の打ち合わせとからしいですが、「何とか時間を作って先生に会いたい!」とメールに書かれていました。こんなとき国境を越えて絆を作れる<日本舞踊>てスゴイと思います。
 

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(画像上)Cさんが来日したときのわが家での献立。突き出しはキンピラゴボウ、アボカドとマグロの中華サラダ、茹で牡蠣とワカメの酢味噌和え。ジャコ入りサラダ。ダイコン、カボチャと肉入りがんもの煮つけ。アルゼンチンには無い貝を中心にした刺身の盛り合わせ。手作りトマトソース添えトンカツ。締(しめ)にヒジキ飯のイカ明太子丼と木綿豆腐のシラスとオリーブオイルかけ。食後に到来モノの虎屋の抹茶羊羹。なんでも「オイシイデス、オイシイデス」とアッという間に平らげてくれた

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(画像上)お弟子さんが来日すると、必ずと言っていいほど連れていくところがある。それは浅草の大衆演劇の殿堂<木馬館>。Cさんとツレアイさんもこれで2回目の木馬館。5月は「橘大五郎劇団」の公演。画像は座長の舞台姿。古典舞踊ではなく新舞踊だけども、舞台の見せ方、お客さんの喜ばせ方、手の使い方、目の運ばせ方などお弟子さんの参考になれば、と思う。面白さと美しさに酔い拍手とため息の連続

ハグやほっぺにキスのあいさつは日常的。違いがいっぱいの亜国と日本

 最近の気温差について行かれないのか、ブエノスでの活動や帰国後のバタバタの疲れが出たのか、おとなし気味。「休むのが仕事だと思ってください」との、友だちのアドバイスもあり、外出は控え、だいぶ前から家でも、外でも禁酒の日々です。

 たまに外に出たときに方向感覚が薄れたこともあったので、モノ忘れをしないうちに、「オッ、日本は凄い」「アルゼンチンとは違うな」と、改めて感じたことをまとめておくことにしました。独断と偏見に満ち満ちているかもですが。

 ニュースを見ると、日本はどうなっちゃってるの? が多いですね。無責任な政治しかり、格差が広がる経済しかり、ちっとも優しさが感じられない人々の態度……。邦楽以外の芸能関係には疎い姐さんではありますが、TOKIOの山口くんの事件も、いやーな感じですね。彼の行動の真偽は別にして、記者会見後のマスコミやSNSのコメントに驚かされます。地獄の底まで人を蹴落とし、二度と這い上がってこれないほど潰してしまうコメント。潰す人たちの心に恐ろしさを感じます。SNSやマスコミが潰す相手は猛反省して、精神衰弱に陥った将来ある若者ではなくて、国会でまことしやかに嘘の答弁をする官僚や「セクハラ罪という罪はない」なんて、ずれた発言を平気でする大臣たち、そして総責任者の総理では? 

 アルゼンチンのあいさつはハグ(抱きしめる)。ほっぺにキスもありです。初対面の人ともハグします。ハグされて「セクハラ」なんて言ったら、相手がびっくりします。日系人の中には「最近のボランティアですぐにセクハラ、パワハラという人がいるけど、ここはアルゼンチンで日本とは違う」と、愚痴る人もいます。多くはご年配の男性ですが(苦笑)。

 「唇は違反ですよ。恋人でもないのに唇にキスされ『これもアルゼンチンではあいさつなんだ』『私って最近もてるなぁ』なんて、思わないでくださいよ。唇にキスはNG、モテ期なんてない!」とは、ブエノスに到着してからのJICAの研修中での注意事項(笑)。男女ボランティアが分かれての研修でした。

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(画像上)一昨日、アルゼンチンでお世話になったツレアイの友人のKさんが仕事で一時帰国。Kさんの宿泊先の用賀にある和食屋さんへご招待。Kさんとツレアイは席につくなり「生ビール!」。一方、姐さんのグラスは一見日本酒のようだけど、これは水。目の前で何杯お酒を呑まれても、まったく動じない近頃の自分にご褒美をあげたい。この場面で、アルゼンチンとの違いを記すとすれば<箸置き>。ブエノスのレストランオーナーは「箸置きを出せば、お客の8割は持って帰ってしまう」と嘆いていた。上の画像、グラスの前の料理は突き出しの潮汁。突き出しに汁ものははじめて。下の画像の料理はタイの兜煮

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(画像上)上の画像はお洒落なカフェやショップが並ぶ、ブエノスで人気エリア・パレルモのとあるカフェのトイレ。極々一般的なトイレの内側。よく見るとドアがきちんと閉まらない。アルゼンチンのトイレはだいたいドアが閉まらない場合が多い。カギがなかったり、ドアの建付けが悪かったりだ。トイレの中で悪さしないように、防犯の意味もあると思う。だから、成田のトイレに入ったとき「アッ、日本だ。カギを閉めて用が足せる」と感動。ちなみに、日本では使用中でも未使用中でもトイレのドアが閉まっていることが多いが、アルゼンチンや欧米では隙間があってもドアが閉まった状態なら使用中。中の状態が見えるほどドアが開いているなら未使用のサイン

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(画像上)上の画像はブエノスの市内バスで、中華街への買物や日本庭園での踊りの指導のときに使ったバス。日本のSuicaのようなカードで乗る。着任当時の2017年3月は5ペソ。帰国時今年2月は6ペソ、4月は8ペソに。インフレはまさかの交通機関まで。稽古用の着物一式、小道具などをびっしり詰めたリックを背負て乗る姐さんにとって、約50cmはある道路と乗降口の高さは恐怖モノ。よく後ろに並んでいた男性が、姐さんのウエストの両サイドを持ち身体をあげてくれた(笑)。こうした親切に「お尻をさわってセクハラ野郎」なんて、とても言えない

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(画像上)こちらは郊外のお稽古場Jose Carlos Pazへの列車。ブエノスの中心地Retroからは約1時間。外見はまあまあきれい。中の椅子はガタガタ。でも、ひとつの車両は小さいので、何となく落ち着いて座れた。バスよりも乗降口は高く、手すりにつかまり「よいしょ!」と言いながら乗る。たまに先に乗った人が手を引っ張って、あげてくれることもあった

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(画像上)小さい子から大人まで、「こんにちは」「おはよう」のあいさつはハグ、さよならするときもハグ。姐さんはまわりにお弟子さんや友だちが何人かいるときなど、ふざけて「ギュギュもっと」とおねだりしたことも(苦笑)。アルゼンチンは肉食系、日本は草食系、だからかもしれないけど、日本人はスキンシップが不足している? 男女の付き合い方が下手?

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(画像上)ブエノスの中心地にある小さな公園。休日のある日、姐さんは公園の向かいのレストランでひとりbife de chorizo(サーロインステーキ)を食べていた。ボンヤリと公園を見ながら。そこへいずこからともなくバイクに乗ったカップルが登場。バイクを止め、公園の一角に座るや抱き合い、チュッチュ。お膝に抱っこ。言い合いしてはまた抱き合う。姐さんの食事中、飽きることもなくずっと。これがアルゼンチン。街中での抱擁やキスは、姐さんにとって木々と同じ風景の一部となっていった

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(画像上)因みに、姐さんがアベック(古い言い方 笑)を見ながら食べていたステーキ。愛想のない盛り付け。でもアルゼンチンではこれがふつう。味も物足りなかったので、chimichuri(チミチュリー ステーキに添えるソース)を持って来てもらった。ビール60ペソ(420円)、グラスワイン70ペソ(約490円)、ステーキ250ペソ(約1,750円)。残すのもったいないから、アベックを見ながら(!?)2時間かけて全部食べた!

日本の良いところ。一番は食べ物! 岩手でもおいしかった! お酒と魚

 アルゼンチンから帰国して、改めて日本の良さをあちら、こちらで体感している姐さんです。家族のありがたみはもちろんですが、一番感激しているのは、日本のた・べ・も・の。

 東京へ戻る間際のある夜、娘の友だちの二組のご夫婦が、お酒好きの姐さんを盛岡の居酒屋さんに誘ってくれました。「今夜、呑みに行きましょう! 迎えに行きますね」と言われただけで、どこの、どんな店に連れていかれるのか、まったくわからず。やっと聞けたのは「連れて行ってくださるのは、奥中山の居酒屋さんですか?」。奥中山にもカラオケ屋さん、居酒屋さんは3~4軒はあったはずですから。

 車で1時間近く走り、着いた先は<いわて銀河鉄道>で盛岡のひとつ手前の<青山>という地域でした。引き戸を開けると焼き鳥の甘く香しいにおいと、戸や窓の隙間からゆらり、ゆらりと流れる煙に吸い込まれるように入って来たお客さんで満席。店の名前は「鳥園(とりぞの)」。

 姐さんは「おッと、満席。ほかの店に行くのかな?」と一瞬胸をなで下ろしました。何故なら姐さんは、鶏肉が苦手で食べられないからです。しかし「予約の〇〇さん? 駐車場の奥の店に入ってください。お連れさまお待ちです」と。

 どうなるのかな、久しぶりの外飲み、と思いながら入ったその奥の店の何たる素晴らしさ!

 二階建ての時代がかったふつうの一軒家。次の間付きの六畳、六畳、半開きのふすまの向こうは八畳、その奥が四畳半、という感じで「昭和」の家に帰ってきた雰囲気。姐さんが30代後半から20年間ほど住んでいた東京谷中にも、こんなふつうの家の座敷に近所の呑んべいが、卓袱台(ちゃぶだい)を囲んで飲める店がありました。ママさんは腰の曲がったおばあちゃん。そのおばあちゃんが昼の時間にコツコツと作った、煮物や揚げ物で一杯やるのです。でも、立ち退きを迫られていたおばあちゃんが亡くなって、1年もしないうちに一軒家がマンションになり、おばあちゃんの店は跡形もなく消えてしまいました。だから、鳥園の別館(?)に入った途端に、居心地のよさそうな「いい店!」と感激。魚のほかに肉料理や揚げ物、子どもの好きそうなピザ(750円)、ポテトフライ(300円)まであるのです。魚や肉には産地の名前が書かれたメニューを見てさらに感激。食して、今度は無限大の感動となった一夜でした。


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(画像上)綿壁には山水画、押入れを開ければ重さも温かさの内だった綿布団だけでなく、かえまき布団までも出て来そう。床柱を挟んで床の間も。これで仏壇でもあれば「ただいま!」「お帰り!」というあいさつが、自然と口をついて出てきそうな店。店で待ち合わせ初対面のみーさんは、ツレアイさんとふたりのお子さん連れ。子ども連れも気にならないところもうれしい。お子さんはえい坊とまーやと同じ年。孫たちも連れてくればよかった……。もちろんまあちゃんも

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(画像上)画像はお通し。「ゲソはわかるけど、ゼラチン質でコラーゲンたっぷり感に溢れた人生初の食感の正体はなに?」と、不思議に思っていると友だちが、係の若者に聞いてくれた。「アンコウの共和(ともあ)えです」と若者が即、答える。この若者のいきのよさで、姐さんはいっきに料理への期待に拍車がかかった

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(画像上)画像上から、彩もよく目でも食べられ、お皿からはみ出した盛り付けで豪華さアップのお刺身8点盛り(690円)。ダイコンの<敷きづま>も魚同様に新鮮で、これをアテに箸もお銚子も進んだ。その下、岩手産殻付きカキ(250円)。その下、根室産ホタテのバター焼き(650円)。そして、10カン盛りのお寿司(850円)はおいしさに自信があるのか、10カンが揃いもそろって姐さんたちに「早く食べてくれ!」とはやし立てていた

4月中旬過ぎても、お兄ちゃんたちはまだスキー。まあちゃんは???

 東京は真夏並みに暑かったり、通常の気温に戻ったりで大忙し。真夏のアルゼンチンから戻った姐さんには、気温の変化が身体に堪えます。

 アルゼンチンのお弟子さんからのメールによると、残暑が厳しいらしいです。片や岩手県奥中山の娘からのメールでは、孫たちがまだスキーのトレーニングを受けていると画像付きで報告がありました。
 送られてきた画像はあのつい先日の10センチ先も見えない、吹雪きの日々で心まで凍るような風景とは違い、あと1カ月もすればヒスイのような新芽と新葉が、残雪の中から見られるような美しさに変わっていく姿です。

 上ふたりの孫は大のスキー好き。シーズン中に幾度となく行われる大会ではふたりで競い合うように、きちんと結果を出しています。雪ん子なんですね! 自然環境が孫たちを逞しく育ててくれているのです。孫たちを見ていると、ブエノスで仲良くしていただいたSさんのことを思い出します。

 Sさんはツレアイさんの夢実現のために結婚後まもなくアルゼンチンへ。ところがブエノスでの生活を初めて数年でツレアイさんが心臓の病で急死。当時Sさんは環境の違う中で乳飲み子を抱え、育てスペイン語もたどたどしい状態だったと言います。そして家族からは、経済的にも援助するからと日本に帰国することを勧められたらしいです。でもはっきり断ったと。
 姐さんが帰国する直前に「いつまた会えるかわからないから」と、ホテルまで会いに来てくれたSさん。今はインターナショナルの学校で日本語を教え、学校が休みのときはガイドの仕事をし、日系のイベントがあるときはおにぎり売りのブースを出し「睡眠時間は3~4時間」と八面六臂の活躍をしています。姐さんの宿泊先に来てくれた日も、「ガイドの仕事が長引いてゴメン」と汗びっしょりでした。そんなSさんに「婿が亡くなったときに、娘は東京には戻らないと言っていました。Sさんはどうして日本に帰国しなかったの?」と聞いてみました。
 Sさんは「日本に帰ってしまったら、子どもたちがお父さんと過ごした思い出がなくなってしまうと思ったから。子どもたちにとっては、お父さんと過ごした場所はブエノスだけだから」と。
 Sさんがアルゼンチンに渡って約15年。ツレアイさんが亡くなったときは3歳と6歳だったお嬢さんは、もう成人。長女は国立大の医学部、次女は観光業で稼いでいると言っていました。

 明日、4月25日は亡き婿さんの誕生日と娘との結婚記念日。平穏な一日の積み重ねで、これから先も残された家族仲良く、力を合わせて過ごせますように。そして、いつか、どんなに時間がかかろうと、口には出さねど世界で一番娘のことを心配している父親に、心から浮かべることができる笑顔を見せてあげられますように。そのときには私は真澄の空に浮かぶ純白のいちばんかっこいい雲に、婿の笑顔を重ね「あつしくーん」と叫べるほどの気持ちになっていたい。


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(画像上)晴れ渡った日の冬の空って、とてもきれい。心まで洗われる感じ。この日はいつもお世話になるコーチに雫石で指導を受けたようだ。すでにリフトは営業停止。コーチがスノーモービルで子どもたちを引っ張っている。孫たちの所属チームではない、チームのご厚意で練習ができるとか。寒いし、奥中山の地元ではないし、一冬中毎週、近郊のスキー場で練習や試合。父親亡き今は、母親の娘が毎週末、県内のゲレンデに連れて行くことになる。親ならばこそ。母親ならばこそ、根性据えて頑張っているのだろう。運動神経は亡き婿さん似だ


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(画像上)お母さんがお兄ちゃんたちのスキーに付き添うときは、まあちゃんはジジ、ババのほかに、お母さんのお友だちや地元の福祉事業所のサポートを受けている。大好きな方が迎えに来てくれると、脱兎のごとく玄関まで走っていくとか。帰宅時は家に着く間際に安全ベルトを外し後ろの座席まで逃げて「絶対に降りないぞ!」と座席の隅で、隠れるように身体を小さくして抵抗する日もあったとか(苦笑)。まあちゃんに笑顔をつくってくれる方々に感謝、感謝

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(画像上)お世話いただく家のネコちゃんに興味を持ち、お友だちになっているようす。外をみて、春の訪れを待っているときも?

まあちゃんのお家の家庭イベント

 家の中は床暖房で暖かくても、外は雪、雪。溶け始めても夜半に再び降り始めれば、翌朝は一面白銀の世界。まあちゃんやお兄ちゃん、まーやにはふつうの冬景色。しかし、東京生まれ、東京育ち。カルフォルニアの太陽の下(ロサンゼルス)や、南米の灼熱の太陽の下で暮らしたのも2年や3年どころではない姐さんにとって、雪国の暮らし方が多少わかってきたとしても、雪道の歩き方は生涯学習できないなと、変な自信があります(そう言えば、数十年前の現職時代の何年間か姐さんは、『地球の暮らし方』『地球の歩き方』の編集・制作責任者でしたっけ……)。

 そんな雪の中の生活で奥中山の楽しみは、家庭の中のイベント(?)。「美味しい、美味しい」と言って娘や孫たち、遊びに来てくれた友だちが手料理を食べてくれたり、「ずるしないでね」と念をおしながらも、家族でゲームをしたり。「おんぶ、肩車」とせがむまあちゃんと逃げたり、追いかけっこをりしたり、大好きな<結カフェ>名物大判焼きを一緒に食べる時間(とき)です。

 今は3年生になったまあちゃん。2学年のときの欠席日数は数日だけだったとか。お父さんが浄土へ旅立った<忌引き>のときでさえ、お葬儀のときしか休まなかったらしいです。お葬儀のときもきちんとお父さんにお別れをし、立派でした。約200名もの方が会葬してくださった中、支援学校の担任の先生が、まあちゃんの大好きな肩車をして、まあちゃんにずっと寄り添ってくださっていましたから。

 「雪の日に生まれた子は丈夫に育つでよ」と、山本一力氏の小説で読んだ記憶があります。そうあってほしい。まーやは岩手山が穏やかな春陽に包まれはじめた頃だけど、男の子たちは三人とも雪の日に生まれた子ばかりだから。


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(画像上)ホワイトデーに向けてクッキー作り。だれがだれにあげるのかなぁ??? 姐さんももらったり、あげたりする人がほしいな……

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(画像上)長男のレオくんの小学校卒業祝いのホームパーティ。お母さんとまあちゃんのお友だちも来てくださり賑やかに。献立は姐さんの手作りローストビーフやチーズ、ソーセージのオードブル。アルゼンチンで覚えたアボカドディップ、同じくアルゼンチンで覚えた日本風漬物もどき、大豆と切干ダイコンの煮物そしてメインは手巻き寿司

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(画像上)妹のまーやがお兄ちゃんのまあちゃんのために、お肉を切ってくれている。最近のまーやはまあちゃんのお姉さんのように世話をやいてくれる。まぁ、気まぐれだけど(苦笑)

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(画像)まーやはお母さんのスマホの中の画像を見るのが大好き。「ちょっとぉー、ぼくにも見せてよォ~!」と覗き込むまあちゃん

任務を全うして帰国。一目散で行き目にしたのは、まあちゃんの成長

 11カ月のJICAシニアボランティアの任務を何とか全うして、2月末日に帰国。成田に迎えに来てくれたツレアイと浅草の自宅へ帰る途中に立ち寄ったのは、スカイツリーの中にあるお寿司屋さん。店に入った途端「JJぇー」と女の子が手を振っていました。JJとは亡き婿が命名した<おじいちゃん>の略称。娘と末の孫のまーやがいるなんてまったく期待していなかったので、姐さんは何が起こっているかすぐにはわからなかったぐらいです。

 アルゼンチンで食べられるお刺身といえば、養殖のサーモンとたまに中華街のスーパーに並ぶ冷凍のマグロ。白身魚のお刺身が拝めるなんてほぼ一年振り。向こうが透けて見えるほどの薄さなのに、舌にのせると口の中で本ワサビといいコンビで踊り、淡白さと旨味がせめぎあっていた。「お酒も、お寿司も出てくるのが遅い!」と珍しく文句を言っているツレアイの声もこの時ばかりは、右から左へとアッという間に流れていきました。だって、笑顔を凍らせてどこかに置いてきたとしても、だれも責めたりしない状況なのに、「ハハハハ、パパは私たちが岩手から出てきたこと、ママに言わなかったのね。ママびっくりした?」と、窓から差し込む金色交じりの茜色の夕焼けを背負って、輝いている娘が目の前にいるのですもの。しかも隣には「お子様セット、お子様セット!」と4歳のまーやがピョンピョン跳ねて、はしゃいでいる。お弟子さん、同期の仲間、JICA事務所の方々に送られブエノスのホテルを出てから約40時間。娘と孫に会って、飛行の疲れはとれたかって? やはり年には勝てませんね。

 ブエノスでの活動の疲れもとれないまま、帰国1週間後に向かった先はまあちゃんのところ。まあちゃんは姐さんのことを覚えていてくれました。ギュッと抱っこしてくれました。姐さんにべったり。イヤ、姐さんがまあちゃんにべったり。食事の時間になると自分の椅子だけでなく、まあちゃんの食事の介添えをする姐さんの丸椅子も自分の椅子に並べてテーブルの前に出してくれるのです。
 風呂に入れば、いつも桶を所定の場所に置いて出てくる。外出から帰れば洗面所で手を洗う準備をする。眠たくなれば、自分で布団を用意し、掛け布団もかけて横になる。姐さんのいなかった1年間でなんという成長でしょうか!

 これはひとえに支援学校の先生の温かい指導、まあちゃんに愛情を注いでくれる人間性。そして学外に多数ある福祉支援団体の方々の連携と一人ひとりの責任感と愛情のおかげ。

 我が子がお腹にいるときから、初めて我が子と対面したとき、どんな親でも「生まれてきてくれてありがとう。幸せになろうね!」と祈り、願いながら乳を飲ませます。人は幸せになるために生まれてきたのだから。ましてや自分の子どもの幸せを人一倍願うのが親というもの。でも、子どもが思いもかけない苦境に晒されたとき、無力さを感じるのもまた親の姿ですよね。そんな無力な親をカバーしてくれる人々に囲まれて、今娘と孫は生きているのです。


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(画像上)3月、奥中山は来る日も来る日も雪。3週間の滞在で姐さんが外に出たのは、まあちゃんの学校見学と友だちが誘ってくれた青山(盛岡)の居酒屋さんへ行ったときだけ(苦笑)

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(画像上)まあちゃんのクラスメイトは3人。リーダーの先生を含めクラスの先生も3人。ほかに専科の先生がいたり、必要時に応じて臨機応変に他学年の先生も児童に携わる。学外教育や小学校との連携行事も多数あり、児童はさまざまな体験ができる(画像上は枝豆収穫、中は雪遊び)。それにオープンで、姐さんが見学したいと申し出ると歓迎(?)してくれる。昨年(2017年)2月のアルゼンチン派遣直前のある日、卒業式と終業式の予行演習を見学させていただいた。そのときに会場に流れた『ビリーブ』に感動し、アルゼンに着任後最初に活動したのが、『ビリーブ』の振付。帰国後の今年も見学させていただいた。まあちゃんは壇上の校長先生から両手で小学校2年次の修了証書を受取り、会場入口付近に待機していた先生のところまでしっかり歩き、証書を預けていた。もう、感激! 支援学校の児童の障がい(個性)は実にさまざま。ひとり一人の児童にあった教育をし、必要に応じて共同作業が可能なレベルまで指導していく。根気と熱意と愛情、教育者としての高い技能がなければできないことを痛感した一日

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(画像上)「予行演習」のあと、まあちゃんの教室に少しお邪魔して担任の先生と雑談。まあちゃんのお気に入りはおかめのお面とか。グルグルまわして遊んでいるせいか、派手な絆創膏で応急処置してもボロボロ。ボロボロでも離し難い。それがお気に入りと言うもの。姐さんの大好きな『神楽面』の踊りを思い出した

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(画像上)姐さんは完全に「バババカ」です。まあちゃんが歩き回らないで、教室でずっと座っていると聞いては感激し、絵本を読んで(見て)笑っていると聞いては天才と思ってしまうのだから。先日は支援施設の先生がスーパーに連れて行ってくれてた動画が届いた。そこにはひとりでカートを押し、自分が大好きなバターシュガーパンを見付け、自分でカートに入れているまあちゃんの姿が。「こんなことできないだろう」なんて思うのは大人の勝手な思い込み。トライさせればやれることはいっぱいあるはずだ。お父さんの明るさとたくましさ、頑張りは、まあちゃんの中に宿っている

婿を亡くして2カ月。悲しみは募るばかり。癒される日は決して来ない

 最愛の息子(婿)を亡くして、1月6日で2カ月になりました。最近は月日が経つのが早いのか、遅いのか、わからなくなってしまっています。何日たとうが、婿のこと、残された娘と四人の孫のことを思えば、悲しみだけが募ります。「月日が解決してくれる」という人もいますが、姐さんのこれまでの人生で、こんなにも無念で、悲しく、言いようのない辛い日々を送ったことはありません。これまでの70年近い人生は決して平たんではありませんでした。近しい友人に話せば、大変だねえーと言われたことも一度や二度ではありません。しかし、何とか自分の気持ちに折り合いをつけて、ツレアイや娘の存在、そしてときには友だちに助けられて、乗り越えてきました。でも今度ばかりは、現実を受け入れる困難さを痛感している姐さんです。

 婿が事故にあったと、出稽古に出かける昼前に連絡を受け、夕方にはJICAアルゼンチン事務所の調整員(ボランティアに対する任務遂行者)さんと、わざわざ2時間近くかけて近郊の町からかけつけてくれた同期の友人に付き添われ、ブエノスの国際空港に向かいました。帰国の支度はかけつけてくれたお弟子さんがすべてしてくれました。

 あの日のことで思い出せるのは、スカイプ(PCでの無料電話)の向こうからの私を呼ぶ娘の悲鳴、「すぐ帰る!」と一言言ってパソコンを閉じた自分の姿。派遣先の会長に「婿が亡くなったんです。すぐに私を帰してください! 私を日本に帰してください! お願いしますぅ!」と叫んだ自分の言葉。飛行機の中のことは何も思い出せません。ただ、どんな言葉、態度、形にせよ娘の力になろう、ということ。孫たちの不安を取り除こうということです。いくつか、娘にかける言葉も考えていたように思います。でも、エセイサ(ブエノスの国際空港)から丸1日半かかって、いわて銀河鉄道の最終便で、婿の亡骸が安置されているホールがある小さな駅に迎えに来た娘に会ったときは、抱きあって泣くしかありませんでした。

 言葉に出せたか、出せなかったか定かではありませんが、姐さんが娘に言いたかったことは「混乱は続くだろうけど、いつか、心からあつしくんに感謝するときが来る。こんないい子四人も残してくれたんだから」。 
 そして孫たちにははっきりと言いました。「あなたたち四人は今まで通りでいいのよ。スキーも、野球も、ピアノも、英語も……。今まで通り。すべて今まで通り」。

 娘同様、姐さんも多くの友だちから慰めの言葉をいただきました。その中のひとつ、ホームドクターの婦長が遠慮がちに、「神さまはねぇ、この人なら乗り越えられると思って、辛さや悲しみをお与えになるそうよ」。この言葉を信じてみようかな。
 
 そう言えば、まあちゃんが生まれたとき「お母ちゃん、ダウン症の子はこの家なら僕を大事に育ててくれると思って、生まれる家を選ぶらしいですよ。だから大丈夫ですから」と、婿さんは笑顔で姐さんに言ってくれた。この言葉は真実だった。そしてこれからもずっと、ずっと信じている。

 最愛の息子が亡くなって2カ月。奥中山の残された家族も、東京のツレアイも、ブエノスの姐さんも、以前と生活は変わりません。しかし、心の変化、心の奥に秘めようとしている悲しみや虚しさ、やるせなさは増す一方です。いまは一歩前退二歩後進、そんな状態です。夜空いっぱいのきら星を全部集めても、まだ足りないほど輝いていた婿さんだったから、私たち家族の喪失感は想像を遥かに超えてしまっているのです。



 
 

最愛の息子(婿)を亡くして1カ月……。娘、孫の様子に心うたれる

 収穫作業中に亡くなった婿。今日12月6日は、婿が亡くなって1カ月です。
姐さんは今、ブエノスに戻っています。前のように毎日日本舞踊を教え、活動を再開しています。

 娘は葬儀のあとに、「私は大丈夫だから、ママはミッションに戻って」言いました。しかし私は残された娘と四人の孫のことを考えると、アルゼンチンに戻ることに躊躇していました。
 そんな私の背中を押してくれたのは、「娘を信じよう」というツレアイの一言です。

 婿がこの世にいないなんて信じられなくて、日本に帰ったら「お母ちゃん、お帰り! 1年なんてすぐだったじゃないですか。ピザ食べましたか?」なんて、声をかけてくれる、待っていてくれていることしか考えられないのです。

 詳しい状況は知りませんが、アッという間の事故で婿は亡くなり、彼自身が自分の死をいちばんびっくりしていると思います。

 日本では身内の、しかも自分の子どもの自慢をするのは嫌味にとられますが、私は自分の娘と孫たちを胸をはって自慢します。娘は地域の人に助けられ、後退したり、留まることなく、前に進んでいます。娘はしっかりと子どもたちを支え、子どもたちは協力してお母さんを助けています。以前と同じ明るい笑顔で。葬儀のあとに「東京に戻る?」と聞いた私に、「東京には戻らない、子どもたちをここで育てる」と、娘ははっきり言いました。 
 立派な態度だと思います。スゴイと思います。今度会ったときは娘も孫も思いっきり抱きしめて「偉いね!」って言います。

 今、私たち家族は嗚咽をこらえて、前に進むしかありません。
それができるのは、年寄りも子どもも家族全員が、自分のやるべきことをそれぞれが果たしていることがわかるから。離れていてもそんな家族の姿が見えるから、家族のだれもが自分だけへこたれることはできないのです。

 でも、地域の農業、ひいては日本の農業の生き残りをかけて新事業を立ち上げた婿、農水省や農協から何度も受賞した婿、協力隊時代のパラグアイでの夢もいっぱいあった婿、実直で働き者で、家族を大切にしてきた婿のことを思えば辛く、辛くて、ひとりになるとだれでもとめどない涙を流していると思います。

 明日のことはわかりません。でも今日は子どもや人前で涙を見せずに、足を踏ん張って前に進んでいます。それが家族の今の姿です。

Sobre mi yerno
    
    Hoy 6 de diciembre se cumple un mes de la muerte de mi yerno.
    Creo que mi hija es muy valiente porque pudo seguir con su vida como antes sin desmoronarse,
    Mi hija y mis nietos, mi esposo y yo, cada uno de la familia sabe que el otro esta cunpliendo con sus deberes con responsabilidad.

Poreso no podemos estar tristes y sin hacer nada. Pero, en soledad, cada uno de nosotros recuerda a mi yerno y lo extranamos pero soportanos eso y seguimos cada uno con su tarea.

En Japon, no se estila alabar a la familia, pero yo admiro a mi hija y a mis nietos. Cuando los vuelva a ver, los voy a abrazar muy fuerte.

Esta es nuestra situacion al cumplirse esta mes.

悲しい知らせです

岩手県奥中山の婿さんが、11月6日月曜日に収穫作業中の事故で亡くなりました。38歳でした。姐さんは即日緊急帰国させていただきました。葬儀も終わり、残された娘は職場に戻り、孫たちは小学校、保育所に戻りましたので、姐さんも本日アルゼンチンに帰任します。青年海外協力隊員としてパラグアイで活動し、南米をこよなく愛した息子でした。

活動のあいまのリフレッシュは、スカイプでお太鼓のお稽古と……

 ほぼ毎日、出稽古に出かけ、週に2日は家にお弟子さんが来ます。稽古の時間は3時間前後ですが、郊外の移住地までは片道2時間から3時間はかかり、往復4~6時間になります。体力使い果たしてのご帰還。夕食の途中で睡魔に襲われることもある今日この頃です。

 そんな中でのリフレッシュは月に2回の締太鼓の稽古。これは東京の藤舎円秀師匠の稽古場とブエノスアイレスの姐さんの家をスカイプで結んでの稽古、すごい時代だな、距離感が失せたな、と思います。とはいえ、画像と音の伝達が微妙に遅れ、「なんか変?」状態が続いたり、せっかく師匠にお稽古の時間を作っていただいたのに、こちらのネットの状態が悪く、ドタキャンになることも少なくありません。

 しかし、ブエノスに来ても師匠から手習いが受けられるなんて、考えてもみませんでした。ダメもとでやってみよう、と始めたスカイプでのお稽古、「芸事は続けてこそ身に着く」と思っている姐さんにとっては貴重な、貴重な時間です。それに、円秀師匠とのやりとりで、踊りの指導に役立つこと、見えてくることがちょこちょことあるのです。

 例えば、「お稽古中はとっても幸せな時間です。無心になれますから」「先生とのお稽古の時間はセラピーですね。精神的にとってもよいです」と言ってくれるお弟子さんたちがいます。最高の誉め言葉ですよね? 姐さんにとってお太鼓のお稽古の時間は、ブエノスでの生活で辛いことや、価値観の違いで悩んでしまうことを忘れさせてくれる時間でもあります。そして、日本でのお稽古のある日、「うーん、僕たち(プロは)はこのように打つけど、まぁ姐さんはそれでいいんじゃない。姐さんの個性だと思うよ」と独走する(苦笑)姐さんに師匠が言いました。今、姐さんはこの地でお弟子さんの踊りを見て、「個性」だとだれでも認める踊りが踊れるよう指導したいと思っているのです。個性を出せるには、下地がしっかり築かれていなければいけません。姐さんのお太鼓もしかりです。

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(画像上)まず師匠に譜面と、お手本の動画をメールしていただく。それをもとにひとりでお稽古。そしてスカイプでの稽古となる。パソコン画面に太鼓とバチを上げ下げする手が入るか、いちばん苦労するところ。スカイプのお稽古は日本時間の夜9時。アルゼンチン時間の朝の9時。パソコンの画面の右下に、バチを打つ姐さんの姿が小さく

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(画像上)こちらの部屋の明かりは日本に比べかなり暗いうえに、iphoneなどの文字に接している時間が長いので、視力がどんどん悪くなる。師匠にも「譜面の位置を変えたり、大きな文字に書く直すなどしたら?」と目を泳がせながらお稽古している姿がわかってしまったので、ここでのお稽古の環境を整えることも必要

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(画像上)娘から送られてくるまあちゃんや孫たちの画像で、一日の疲れが癒される。最近毎日のように見ているのが、奥中山小学校の運動会の動画。となりの校舎の支援学校の生徒たちをサポートする4年生。まあちゃんのお兄ちゃんのえい坊もまあちゃんのことをサポートしている。「ありがとう、えい坊、まあちゃん」と声を出していると、おかずがしょっぱくなっていく

アルゼンチンと日本、同時選挙。姐さん、大事な一票を逃す

 久しぶりのブログ再開です。ほぼ毎日のお稽古で帰宅すればすぐに睡魔に襲われ、パソコンを開くに至らず、残念至極の状態ではありますが、お稽古は楽しく充実した時間を持てる幸せを感じます。

◆選挙の前夜から投票終了時間まで集会は禁止、アルコール類は買えない
 さて、奇しくも今週の日曜日22日にアルゼンチンと日本が同日選挙となりました。アルゼンチンも議員選挙(上院3分の1議席の24名、下院2分の1議席の127名)。8月に行われた予備選挙(候補者を選ぶ選挙)では、現大統領マクリ率いるカンビエモスが優勢でした。
 アルゼンチンの政権について語れる材料は何一つ持っていない姐さんですが、選挙に対する国の姿勢はこの目で見ることができました。まず、選挙の前日20時から投票終了の21時まで、スーパーでもコンビニでもアルコール類は売ってくれません。レストランでも選挙法上は飲めません。8月の選挙のときに、姐さんはいつものように近くのコンビニにワインを買いに行って、売ってくれないことがわかり、がっかりしたものです。なぜアルコールが買えないか。それは選挙を神聖なことと考えるのか、喧嘩になるのを防ぐのか、と意見がわかれます。集会も禁止されています。

◆投票は国民の義務。行かなければ罰金
 アルゼンチンでは選挙権のある国民のうち、18歳~70歳未満のアルゼンチン国籍の人が投票に行かないと、罰金を払わなくてはいけません。50ペソ(約350円)ぐらいだそうです。

◆個室での記述
 投票は小学校や中学校の校舎で行われます。日本と違うのは政党や立候補者の名前を書くのではなく、すでにこれらが印刷された紙の中から1枚とって、与えられた封筒に入れ、しっかり封をして所定の箱に入れるのです。それもひとり一部屋の空間で。合理的で記述まちがいによる無効票はでなさそうですね。でも、紙代がかかり過ぎるからと不評とか。ネット投票は不正が出るので当分はないらしいです。

◆選挙日を前に、集会やストが多発。予告なしに電車が止まる
 日本人にとって不思議な現象も起こります(苦笑)。投票日を控え、政府関係の建物が多い地域での集会は多発しています。集会があると、道路が混み、バスが路線通りに走らないことがあります。1週間ほど前はエセイサという国際空港で突然ストがあり、ほとんどの飛行機が終日飛ばなかったそうです。こちらはどうやら賃上げ要求のストだそうでした。数日前の月曜日、姐さんは直接被害にあいました。お稽古に行こうと列車の駅に行きました。プラットホームが10ほどある大きな駅です。でも、一台も列車の姿はなく、改札も開いていません。そのうち何か動きがあるだろうと、姐さんは駅前のマクドナルドでアイスクリーム(15ペソ)をのんきにペロペロしていました。そうしたら、駅に入る入口のシャッターがゴォーと音をたて、下り始めたのです。JICAからは自分の勘を信じて行動しろ、と常に言われています。「これって、変!」と思い、お稽古先の代表者に電話連絡し、ひとまず家に帰る地下鉄に走りました。あとで、列車が止まった理由を聞くと、現大統領と反対勢力の集会が2つ先の駅の地域で行われたので、そこに<行かせないため>に列車を止めたとか。こんなことがまかり通るのが不思議でしょ? ストや集会は言論の自由の範疇とは思いますが、予告なしや長時間は困ったちゃんです。

日本…投票するには「在留届」だけではダメ。「在外選挙認証」が必要
 さて、ところ変わって日本。姐さんはアルゼンチンに到着後速やかに、当地で在留届を在亜日本国大使館に提出しました。これで、在外選挙も参加できる、と思ったのは浅はか。在留届とは別に「在外選挙認証」申請を申請しなくてはいけません。この申請をすると、大使館は国内に照会をします。姐さんは日本を出国するとき、「年金や保険の手続きもあるので、1年ぐらいなら転出届を出さなくてもいい」という区役所のアドバイスもあり、転出届を出しませんでした。その結果書類上、姐さんは日本に住んでいることになり、該当区の選挙人名簿に載っています。ということで、そちらでの選挙はできません。どうしても選挙したいなら、一時帰国してするしかありません。

◆「在留届」は緊急の際に、大使館に保護を求める権利
今回の選挙、姐さんは日本が核戦争への道へと積極的に組み込まれてしまうのを、結果次第で決定づけるものだと思います。だからこそ、姐さんは自分の一票を大事にしたかったのに残念!
 ちなみに在外届とは、一時滞在(つまり日本で転出届を出していなくても)でも、何かあった場合に大使館に保護を求めることが可能な権利です。

 いずれにしても、在外選挙の手続きは複雑で、時間もかかり、投票所の大使館まで遠い道のりの人がほとんどです。投票できる期間も少ないです。組織票ではないので、保守陣営は力を入れないのでしょうが、考えものです。


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(画像上)8月の投票日の近所の小学校の風景。張り出された用紙で自分の投票の教室を確認

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(画像上)いつもは混雑する地下鉄のターミナル駅Onse。予備選挙の日は不気味なほど人がいなかった

ブエノスも雨、日本も雨。風雨なれど逞しく、楽しく、美味しく(笑)

 日本のニュースを見ると、ゲリラ的豪雨や台風……、自然災害が人々を苦しめていますね。
 こちらブエノスも雨の日が多いです。日本の地表を掘って、掘ってまた掘って(炭坑節?)到着するのがアルゼンチン。だからでもないけど、日本が雨の日はアルゼンチンも雨模様です。こちらの人は少々の雨でも傘をささず、闊歩しています。仕事で行ったニュージーランドでもオーストラリアでもそうでした。雨を雨とも思わないのは南半球の習性?

 さて、アルゼンチンは2週間の冬休みが終わりました。日本は夏休みたけなわですね。日本の娘から孫のれおくんが今年も地元岩手県二戸郡の青年会議所が主催する「カシオペア100キロ徒歩の旅」に参加した旨、連絡がありました。この旅は小学校の高学年を対象に、岩手県北二戸郡を中心にした自分たちの住んでいる地域を4泊5日で100キロ歩くのです。山あり谷あり、おとなでもかなりきついコースになります。れおくんは今年3回目、ということは300キロ徒歩を制覇した(する)ことになります。姐さんは胸をはって自分の孫を誉めます。

 2歳で弟が生まれ、4歳でさらに弟が生まれ、7歳で今度は妹が生まれ、甘える間もなかった彼は、姐さんの心配をよそに、まっすぐ、逞しく、弟や妹、特にまあちゃんには優しい眼差しを向けて育っています。優しいだけではなく、厳しさもあり、勝手な振る舞いや我儘な人にはきちんと注意します。「100キロ」の旅はそんなれおくんの心の筋肉を、鍛える助けになっていると思います。根性試しではない、困難を体験しながら、人として前向きに生きる力を身に着ける機会だと、と姐さんは思います。とっても大事なことですね。団長はじめボランティアの大学生のサポートも彼らにとって、<信頼>とか<尊敬>とか感じるられる身近な存在になっているはずですから。

 去年は姐さんも到着地点で出迎えました。「ソーレ!」「ソーレ!」「ソーレ!」と、あたりの木々が昼寝から目をさますようなかけ声をかけながら、ゴールの神社の階段を昇ってくる子どもたちの姿は、100キロの苦行をものともしない逞しく、凛々しくそしてかわいい愛しい姿でした。去年のブログ(2016年8月)を、よかったら見てくださいね。そして、今年の様子は下記のサイトです。
http://w-100km.blog.so-net.ne.jp/

 さて、姐さんですが毎日のようにお稽古。お稽古のあいだをぬって、先日はサルミエントのお弟子さんに誘われ日本語学校のバザーに行ってきました。学校運営のための資金集めのバザーです。大盛況で楽しかったです。サルミエントは花弁関係の移住者が多い地域。鉢植えの花がキラキラと笑顔を浮かべ、春遠からじとささやきあっていました。


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(画像上)雨の日の<出勤>姿。稽古着や小道具が入っているリックが濡れないように、ゴミ袋をかけていく。自称「カルトネーロ雪見」。カルトネーロとは辻々にあるごみ箱からお金になるものや、食べ物をあさっている人々。「その姿だとだれもスリをしようとは思いませんよ。逆に恵んでくれるんじゃないですか?」とお弟子さん。広いアルゼンチンで<カルトネーロ>の日本人はまず姐さんだけだろう


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(画像上)バザーの会場入り口には鉢植えの花が並ぶ。サルミエント校の名物は<うどん>。具がいっぱいのって、醤油の香りが日本人の心を温める。丼に「サルミエント日会(日本人会)」の文字

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(画像上)バザーで買った草餅。機械ではなく父兄が本格的についた餅。日本の餅より柔らかく食べやすい。同期ボランティアに配って歩いた。右はアンコが入った草だんご

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(画像上)お餅はネギとルッコラを入れて、お雑煮にして何回も食べた。まあちゃんの顔をみながら

「ソース」まみれの食事で、日本食との大きな違いを知る

 姐さんのボランティア生活も何とか3分の1が過ぎて、やれやれ。早々任期満了で帰国した同期も現れました。このままいくと、姐さんが感じているより早く任期の11カ月が過ぎるかも、と思えてきました。お稽古以外、帰国までにやりたいことがまだ見えてこない姐さんですが、とりあえず姐さんの住んでいるレコレッタ地域の気になるレストランで、呑んだり食べたりしてみることにしました。同期からは「へぇー、ひとりで行くの?」とか、「姐さんの行動力って凄いですね」とか、言われますが、おひとり様のレストラン巡りでも、気持ち的には大丈夫です。現職のときのように取材だと思えば、へっちゃらです。東京でも、まあちゃんのいる岩手でも、ひとりで呑みに行くのはしょっちゅうでしたから。ひとりで行動することに慣れていて、ほんとうに助かっています。

 6月、7月にランチしたレストランです。いずれもお天気が悪かったです。5軒中3軒は大外れでした。でも、体験することは人生にとっていちばんいい勉強です。アルゼンチンの料理のし好や、日本の料理との決定的な違いが少しずつわかってきました。


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(画像上)レコレッタ公園が見渡せる大きなレストランLA BIELA(住所Quintana 600)。皿の上にデーンとBife de Chorizo(ステーキ)が鎮座。添えられているのは愛想のないトマト(苦笑)。硬いし、味がないし、その上ナイフの切れが悪く、ゴシゴシ切っている様はビーフと姐さんの力競べ、根競べ。隣の席に飛んで行ってしまいそうな意地悪なステーキだった。アルコールなし。コーヒー、デザート(ブラウニー)、チップ込みで483ペソ(約4000円)。ショック

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(画像上)雨が続いた日の休日、家に閉じこもっていてはいかん、と思いレコレッタ公園近くのカフェへ。手始め(?)に“Picada”(おつまみ)とワインを注文。食べたのは3分の1程度。量が多いのと、ハム類、オリーブがしょっぱい! アルゼンチンでは数年前からテーブルにあるべき調味料(塩、コショウ、砂糖など)の中から塩が消えている店が多いとのこと。理由は国をあげての高血圧予防策とか。料金はおつまみ150ペソ、ワイン、食後のコーヒー(長居をしたかったので)、チップを入れて295ペソ(約2100円)。こりゃあ、贅沢しとる!!

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(画像上)姐さんの家の近所Callao通りにあるSOMMO。カジュアルな雰囲気で前菜、メイン、サラダ、コーヒー付きで125ペソ(約875円)に魅かれるのか、ランチタイムはいつも混んでいる。時間をずらして昼過ぎに入った。日替わりランチはおまかせ料理。ラッキーだった。まずはバケットパンにアボカドをベースにしたペースト状のソースがのった前菜。そしてメインは“Plato de Verde”。サラダの中に見え隠れするみどり野菜のパスタが、健康を約束してくれそうだ。ドレッシングもあっさり系で満足。あ~来てよかった、と思ったのはそこまで。125+50(ワイン)=175ペソ(約1230円)だったので、200ペソをmozo(ウエイター)に渡した。お釣りが当然来ると思って。でもお釣りは来なかった。そのままチップとしてとられた。チップはチップとして渡すつもりだった姐さん、常識知らずに思われた(チップはくれない客)のかと思い、がっかり。料理は健康的なのでまた行くつもり、今度はクレジットカードを使ってみよう

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(画像上)この店の前を通るたびに、ハンバーガーの絵の横に「KOBE BEEF」と書かれた文字が気になっていた。隠れ家のようにこじんまりとしているのも気に入っていた。そこで一歩足を踏み出し、まだお客がひとりもいない時間に入ってみた。スペイン語が流暢に出てこない姐さんに、髭ずらの若者が愛想笑いとも軽蔑笑いともとれる笑みを浮かべながら、英語で対応してくれた。ランチメニューは豚肉、鶏肉、パスタ料理の3つから選ぶ。「4時間以上煮込んだ」と若者が力説するので、姐さんは豚肉の煮込みを頼んだ“Bondilo Braseada 4hs en Aceto”。飲み物込みで170ペソ。飲み物はワイン、ビール、レモネードの中から選べる。それならば、と白ワインを選ぶ。かなりの飲みごたえ。若者の言っていた通り、じっくりと煮込んだ肉は柔らかく「うん、おいしい」とひとりごち。だけどソースが甘ったるくて、姐さんはテーブルの上にあったマスタードをたっぷりソースに加えて食べた。添え物のベイクドポテトにフォークとナイフを入れると、中からトロリと溶けたチーズ。おいしくても全部はお腹に入らない

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(画像上)場所は姐さんお気に入りの道Rodriguez Penaに面している“PASADENA”。いつも店の前を通るとオープンテラスでお年寄りが語り合っている。そのお年寄りの姿に魅かれて入り、注文したのがRavioles de Salmon con Salsa de Camorone。ほぐしたサーモンをパスタで包み、チーズ+牛乳のソースの中に泳がせ、まわりを小エビで飾り付けた一品。アルゼンチンのカフェではおそらく定番。つくづく思う、日本のように素材を生かした料理はないのかな、って。水込みで料金188ペソ(約1320円)。お勘定を頼んでクレジットカードと身分証明書を出したら、クレジットカードはダメ、現金のみと怖い顔で言われた。現金を持っていてよかった! 店のどこかに書いておいてほしい。重ったるいソースとmozo(ウエイター)の一言も災いして、胃がもたれ深夜まで苦しかった


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(画像上)最近気にいっている食材は<ルッコラ>。味噌汁、お吸い物、煮物もちろんサラダに利用。三つ葉感覚で使っていたら、ほんとうに香りまで三つ葉になってきた。豆腐とルッコラの日本食。このシンプルさがたまらない! 満足

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(画像上)一昨日は60代、70代3人の方のお稽古。今は3人だが、来月からは6、7人になるとか。ひとりの方が庭に咲いていた沖縄桜の花が散ったから、と集めてきてくださった(左上)。おひとり様の夕食を少しでも鮮やかに、と思い並んだお皿に加えてみた。食べられないけど、塩をまぶして<さくら茶>を作るつもりだ。夕食はすべて一昨日のお弟子さんが持参してくれた品。アルゼンチン名物であるチーズのエンパナーダ(左下)、手作りのまあ~るいカマボコ。娘から届いたまあちゃんの動画を見ながら幸せタイム。お兄ちゃんにおんぶされているまあちゃん。お兄ちゃんの頭に手をしっかりあてて、キャッキャと声をあげて笑っている。ふたりともいい子だ。子どもの笑顔あってこそのマイスイートホーム。ありがとう!!!

治安悪化。まったく気が抜けない。スリは「スリ大学(?)卒」のプロだから

 テロはないけど、アルゼンチン特にブエノスアイレスの治安はどんどん悪くなっていく気がします。インフレが進み、物価が高騰し、貧乏な人はどんどん生活苦になっていきスリや置き引き、強盗が横行する。
 数日前には公用旅券(JICAボランティアは一般旅券ではなく、公用旅券)を盗まれた隊員が出て、事務所から全ボランティアに注意勧告が出てしまいました。

 「子どもを連れてきたので油断してドアを開けたら、さっと数人がなだれ込んできてお客さんと従業員の財布、店の売り上げを全部盗られた」「臨月に近いお腹をしていた客が、突然痛いと言い出し『夫が近くで待っているから呼んでいいか』と聞かれ、もちろんと言って、入ってきた夫は強盗。彼女のお腹のふくらみは偽物だった」と、お店をやっている友人の話。だから、小さな店やレストランは入口にカギをかけているところも少なくありません。

 歩行者が歩道と車道のギリギリを歩きながら携帯電話を使っていると、バイクがフルスピードで寄ってきて取り上げる。これは日常的。

 以前、友人の家に行こうと初めての道をキョロキョロしたり、携帯で友人に道を聞いていた。すると、女子高校生数人が「ワァー、チャーミング。あなたは日本人? 中国人? 写真一緒に撮ってくださーい」と寄ってきた。姐さんがチャーミングであるわけがない(笑)、怪しいと直感し「私、スペイン語話せないの、なに?」と言いながら、その場を離れた。今思えば、彼女たちは姐さんが携帯電話をしまった場所(コートのファスナー付きポケット)を知っただろうから、一緒に写真を撮る女子、携帯を盗む女子の役割が決まっての行動だった思う。あぁー、クワバラ、クワバラ。

 仲良し同期も、数日前に地下鉄でスリにやられた。海外生活も長く、JICAボランティアも一度や二度ではないベテランさん。冷静沈着な彼女がなぜ? というほどプロの技は巧です。ひとりではなく、子どもも使って数人で、あたかも自然に「獲物(苦笑)」をとり囲んでくるから怖い。ひとりがニッコリして「獲物」の気をひき、ひとりがその間にバッグのファスナーを開け、財布などを盗む。盗んだ金や品はすぐにほかの仲間に渡す。個人主義的人種といわれるアルゼンチン人も悪さをするときはサッカープレイヤー並みのチームプレイ(苦笑)。事を起こす前に、バッグのどこに財布やiphone、ipad などの小型高級通信機器をしまったか見ていて、忍び寄ってくるので油断も隙もないです。

 スリにあった同期は姐さんの家に泊まろうと何度もSMS(ショートメール)したけど、姐さんはすでに夢の中。まだ19時半ごろなので寝てるはずはないと思い、姐さんのことが心配になったとは翌日の電話での会話。「メールにも電話にも出ないから、ワイン飲み過ぎて部屋で倒れているのかと思って、みんなで心配したよぉ~!!」。ちなみ彼女は同期が泊まっているアパートメントホテルに行ったとか。
 心配してくれる友だちがいてありがたい。昨日は“FELIZ DIA DEL AMIGO”(友だちの日)だったので、「スリのショックから立ち直った? 今度レストランでおごるから元気出してね」とメールしました。


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(画像上)カフェでリラックス、とはいかない。以前、あるカフェでお弟子さんと話し込んでいたとき、椅子にぶら下げていた彼女のバッグの中の財布がいつの間にか盗まれた。カフェやレストランで椅子にバッグを置くということは、盗まれて当然の行為。姐さんはいつも足のあいだに挟んで、バッグの紐をしっかり踏んでいる。お守りさん(これは長野・善光寺さん)を離したことはない

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(画像上)郊外のグループは各日本人会館でお稽古。キャピタルのグループの中には独自の稽古場を持たない場合がある。そのことを見込んで姐さんは自己負担(JICAの家賃補助の上限は決まっている)で、広いアパートを借りている。ツレアイにはたいへんな負担になってしまっているけど、時間を気にせずお稽古できるスペースがあるのはありがたい。毎週火曜日と水曜日はリビングの家具を片付けて、お稽古のスペースを作る。水曜日は今が旬の若手グループのお稽古、『四季の彩』。何とか任期中に『鶯宿梅』『舌だし三番叟』をお教えしたい

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(画像上)お稽古のあとは、いつもの通りみんなで夕食。いろいろな料理を覚えてNovio(恋人)に食べさせてあげてほしい。みんなでの食事は姐さんにとって、お稽古と同じように楽しい時間。この日のメニューは<ヒジキ、油揚げ、焼き鮭の炊き込みご飯><ピーマン、ニンジン、タマネギ、肉団子の中華炒め><ダイコン、イカ、ワカメの煮つけ>。みんなおかわり。ほめてくれた言葉は「センセー、料理のレパートリー広いですね!」

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(画像上)水曜日のお弟子さんがくださった<シクラメン>。翌日は「友だちの日」だからくれたのだ。<シクラメン>はアルゼンチンでは“Violeta de Los Alpes”(アルプスのすみれ)と呼ばれている。ステキな名前だ

お弟子さんからいただくエネルギーと食材に感謝。仲間にお裾分け…

 暗黒の時が過ぎ、お稽古が順調に進むようになりました。ほとんど毎日お稽古。お弟子さんのモチベーションの高さには頭が下がります。

 雨が降り続いた10日間。不思議ですが、日本が雨だとこちらも雨になることが多いです。そんなあるお稽古日。バス停まで行こうと、傘をさして家を出た途端、風雨で傘がオチョコに。一本しか持っていない傘が全壊。こりゃ行かれないと思い、グループの責任者に電話。
 「傘が壊れ、すごい風雨なので今日は行かれないです。別の日にしていいですか?」と姐さん。と、責任者は「では、今からタクシーで迎えに行きます。みんな楽しみにしていますから」。
 すごいです。お稽古に行けば「もうお稽古終わりの時間ですか? 短く感じるねぇ」。1時間半踊っているのですが(苦笑)。

 足の手術を3カ所もして、ステンレスやボルトでつなぎ合わせ、杖をついて1時間以上かけてお稽古にいらっしゃる70代のお弟子さんもいます。お稽古のときは、杖はついていません。左右長さが少し違う足で、『川の流れのように』をきれいに踊ろうと必死です。仲間と変わらない動きで、覚えも早く、気持ちのこもった踊りを見せてくださいます。

 お弟子さんからはエネルギーと、踊りの楽しさと、人間のふれあいと、役に立っている喜びと……いろいろいただいています。おまけに予想だにしない食材もそうです。食は人と人をつなげる。そしてお弟子さんからのごちそうは、元気もごちそうしてくださいます。姐さんの踊りがお弟子さんにとって、元気の助けでありたい。


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(画像上)貴重な男性のお弟子さん2人のうちのひとり。このグループは全部で10人以上。2グループに分け、3時間少々のお稽古。お遊びで日本から持ってきたゴム製の<町娘>のかつらに大喜び。「センセー、アリガトウ! ボクイッショウケンメイ」。姐さんも一生懸命に『羽根のかむろ』で、日本舞踊の所作の基本を指導。“La espalda esta torcida.”(背中曲がっていますよ)“Cuantos anos tenes? Seguro mas joven que yo!”(あなた何歳? 私より若いでしょ!)“Doblar mas la rodilla”(もっと膝を折る)などなど。今週からは『奴さん』も指導予定。音頭は2曲覚えてくれた

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(画像上)自宅でのお稽古で大活躍は、娘が買ってくれたBOSEの小型のスピーカー(画像左)。姐さんがお弟子さんにメールでお稽古用の音楽を送信し、お弟子さんはそれを自分の携帯に入れて、Bluetoothで再生する。姐さんが小さいときは、歌峰先生がお三味線をひいてお稽古をつけてくださった。今の姐さんを歌峰先生はどんな思いで天国から見ていてくださるのでしょうか……。お稽古は『四季の彩』(大和楽)

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(画像上)バスに揺られ揺られて2時間。着いた先でのお稽古は10代から80代まで2グループ。お嬢さんたちには『藤娘』。お母様、おばあ様たちには演歌『鳥取砂丘』。『鳥取砂丘』は、赴任直前に同門姉弟子の薫先生に教えていただいた。不思議だ、『藤娘』を踊って何十年もたつのに体が覚えている。『鳥取砂丘』の稽古中にネコが出没。舞台の下からお弟子さんの踊りを見ていた犬派の姐さんは「キャー!!!!!」。まさか、お犬様ならあの電信柱にすりよってのマーキングの行為? 違いました、よかった

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(画像上)昼間我が家でお稽古するグループのお弟子さんは、何かしら手作りのお菓子や料理を持ってきてくれる。お稽古のあとに、それをいただきながらおしゃべり。この日は初めて食する<Pionono>。ツナ、パルミトをマヨネーズであえて、市販のカステラのような生地に包む。レストランではpicada(おつまみ)のひとつとして出る

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(画像上)コンニャクと味噌。両方ともお弟子さんの手作り。アルゼンチンでこうした日本の食材が手に入るのは、移住され日本の食文化を守り子孫に伝えてきた先輩たちのおかげ。コンニャクは柔らかく、臭みも強くなく刺身でも食べられるほど。味噌は絶品。米と大豆の絶妙なコーポレーション。日本ではお目にかかれない優れもの

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(画像上)『四季の彩』のお稽古が終わったあと、いつものようにお弟子さんと夕食。コンニャク、里芋、豆腐、ニンジンなどが入った味噌汁、豚肉ソティーのトマトソース添えそして炊き込みご飯。味噌は上記の味噌。おいしくできて、みんな満足

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(画像上)こちらもお弟子さんからのいただきもの。なんと、手作り奈良漬! もう、美味しいのなんのって。香りで一杯、小さく切ったひとかけで一杯、また一杯……。ご飯が、お酒(ワイン)が進むこと! 金庫に入れておきたいほどの貴重品

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(画像上)コンニャクを独り占めしては罰があたると思い、里芋、イカ、ダイコン、ルッコラと煮て同期ボランティアに。彼女たちが住むアパートメントホテルに行くと長居しそうだから、途中で待ち合わせ。「いつもすみません。これ私たちからのおみやげです。姐さん喜んでくれると思って」と渡されたのは、貯めておいてくれたトイレットペーパー、石鹸、シャンプー、リンス(苦笑)。帰宅後すぐにメールがあり「入れ物を開けてすぐにつまみ食いしてしまいました。味が染みてすごく美味しかったです!」と喜んでくれた。姐さんも「使用頻度の高いトイレットペーパーありがとう! 助かります」と返信

お弟子さん一周忌。再亜できたのは黄泉の国からお弟子さんが呼んでくれた

 アルゼンチンの踊りのお弟子さんの70パーセントは、最初のJICAボランティアのときのお弟子さんです。だからお稽古しながら、12年という月日の流れが嘘のように、タイムスリップしています 
 
 細々とではありますが、踊りを続け、踊りだけでは不十分と思い太鼓のお稽古も始めたのは、今にして思えばいつかまたアルゼンチンで踊りのお稽古ができる、との予感があったから。
 とは言えJICAボランティアへの道は、姐さんにとって決して安易なことではありませんでした。語学の試験はあるわ、要請内容に沿った専門知識、実績を問う書類選考、対面選考があるわ、そしてシニアにとっていちばん厳しい健康チェックがあります。健康チェックでは持病があっては厳しく、健康診断の数値が基準範囲より低くても高くても、はねられる可能性が大です。また、シニアが長いこと家を空けるには、介護や病人の世話があったら不可能でしょう。

 人には<めぐり合わせ><与えられた時機>がある、とつくづく思います。この例えがいいか、悪いかわかりませんが、スロットマシンで全部揃って「ビンゴ!」となって、初めてJICAボランティアに参加できる(姐さんはスロットはやったことありませんが)。今回、姐さんは自分にとって、いちばんいい時機だった、めぐり合わせがあった、と思うようにしています。まあちゃんが小学校に入り、手厚い教育を受け、環境に慣れたことは「スロット」の最初に出たステキな絵柄でした。

 そしてこの12年のあいだに浄土へと旅立たれたお弟子さんたちが、呼んでくださったのだと痛感しています。
7月2日一周忌を迎えた大庭きく先生もそのおひとりです。大庭先生は琉球舞踊の師匠でもありました。そのうえで姐さんのお弟子さんにもなってくださいました。「日本舞踊の立ち振る舞いは素晴らしい」と、何度言ってくださったことか……。
 
 一周忌は大庭先生のお宅で行われました。一周忌にお参りできたのは、先生が姐さんを呼んでくださったから。そして先生のお家まで連れて行ってくださったのは、大庭先生のいちばん弟子でもあり、姐さんのお弟子さんでもあるT子さんでした。改めてご冥福をお祈りいたします。合掌。享年79歳。

 
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(画像上)大庭先生は沖縄生まれの沖縄育ち。ご両親は戦前にアルゼンチンへ。おばあさんの下で育った大庭先生は15歳から琉球舞踊をはじめられた。「写真花嫁」で22歳のときにアルゼンチンへ。1989年には一時帰国し、4年間日本で生活。この4年間は先生にとって琉舞に磨きをかけた日々でもある。そして1992年には琉球舞踊の新人賞受賞の栄に輝く。お仏壇の横には表彰状とにこやかな先生の写真が飾られていた。アルゼンチンに来て15年間はサルミエントで花卉の仕事、その後はブエノス市内で洗濯屋。「言葉もわからず、花の仕事は天候に左右され、すべてを失ったときもある。苦しいときもやってこれたのは、努力する気持ちを失わなかったから」と、朗らかな空気をまといながら姐さんにつぶやいたのが、つい昨日のよう。上の画像は一周忌のときに、振舞われたごちそう。整体治療師の娘さん、寿司職人の息子さん、80歳を超えたお姉さんが、次から次へ手作りのお料理を出してくださった。大庭先生のお人柄が偲ばれるあたたかい一周忌。姐さんは大庭先生のご主人の横に座り、亡き人の思い出話に夢中になり、街灯が点るのも気付かなかった。そして思い出話をするほどに御馳走は次第に塩気を増していった

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(画像上)2006年に行われた日本舞踊発表会で「縁かいな」を踊る大庭先生。姐さんのつたない指導+ご自分のキャリアを生かし、いつも形にも気をくばり優雅な踊りを見せてくださった。「さすが!」と姐さんも勉強になった。姐さんが舞台に出るときは、髪を結い、化粧にも人一倍気を使ってくださった(画像が悪くてスミマセン)

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(画像上)任期を終え、帰国してからも人を介しては大好きなハチミツを送ってくれた。アルゼンチンのハチミツは種類も多く、濃くて最上級品。ハチミツの贈り物はもちろんうれしかったけど、いつも感心させられたのは、自分で縫った袋に丁寧に包装して届けてくださったこと。一事が万事、心のこもった対応をしてくださった。日本に住む日本人すら忘れかけている思いやりの気持ちは、まわりに平和と安らぎを届けていた。それ程情けの深い方だった


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(画像上)先週の水曜日は、姐さんの自宅で、『四季の彩』(大和楽)のお稽古4回目。若手のお弟子さん5人のグループ。この日はひとり欠席で4人が約2時間半のお稽古をした。手順を覚えるのは早いので、どんどん先に進むことができるが、一つひとつの形、手の動き、目の動きを徹底的にお稽古。「ドキドキ、ドキドキ。センセー、コワーイ」とも。何を言われ、思われようと、いい舞踊家に育ってほしい。「この人がいるから、お稽古のしがいがある。楽しい」ってお互いに思われる関係でありたい。21時過ぎにお稽古が終わってから、姐さんの手作り料理をみんなに振舞った。というより、一緒に食べてもらった。酢豚、里芋とイカの煮つけ、そしてボランティア仲間からもらった貴重品タイ産「トム・ヤム」で作ったスープ。「トム・ヤム」はトム・ヤム・クンの素。辛みがたまらない。スープの具はエビ、長ネギ、シイタケ。「おいしい、おいしい。先生に踊りのほかにお料理も習わなくては」と言ってくれた。食べてくれる人がいるから、料理は作り甲斐がある

体重ではなくて、「目方」を計った気分。アルゼンチンのスグレもの

 JICAの試験に備えて健康管理を始めたのは、季節が春から夏に移った去年の今ごろ。そして、その結果ピーク時より8キロ減量できました。アルゼンチンに到着してから、活動が進まなかったり、安全面での緊張が続いたりで精神的に「まいったちゃん」になった時期がありました。要するにストレスと重度のホームシック(苦笑・友人曰く)ですね。自分としては一日1万歩を歩くよう心掛け精神面はともかく、健康管理には十分注意したつもりです。朝は玄米に味噌汁、夜もせっせと自炊。ストレスと健康管理(?)で、日本にいたときより痩せた、と実感したものです。
 そこで6月のある日、同期が活動している病院で体重と血圧を測らせてもらいました。体重は学生時代に戻ったように減っていました。わずかですが50キロを割ったのですから。血圧は高低の差は少ないものの許容範囲でした。健康的にはまったく問題ないと自覚できよかったです。

 姐さんより、日本にいるツレアイや娘が病気になったり、腰を痛めたりで心配です。そんな中、数カ月毎に盛岡の大学病院で肺のエコー検査を受けるまあちゃんは、<肺高血圧>ぎみであるものの家でも学校でも、放課後の施設でも元気いっぱい、絶好調との知らせに安堵している姐さんです。まあちゃんは現在小2。1年のときの担任の先生が持ち上がってくださったと聞いたときは、ホッとしました。日本にいるとき、過保護ばあちゃんと思われたと思いますが、何度もまあちゃんの学校訪問をしました。まあちゃんの学校のどの先生も教育者として、きちんと児童に接してくれて安心したものです。信頼できる先生にお世話になって、まあちゃんは幸せ。きっと学校生活を楽しんでいるでしょう。忙しい娘からは画像も動画も来なくて、想像ですが(苦笑)……。


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(画像上)「えっ、私これに載るのですか?」と思わず言ってしまった体重計。そう言えば姐さんが小さいときはこんな感じでした。自分の指で秤のような(?)ものを動かし、調整して体重を確認。デジタルの世界で、こんなアナログに出会うとホッとする。素晴らしきアルゼンチンの一品

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(画像上)画像データをやり取りするのに、USBを買いに行った。出された商品は画像の上のもの。下の日本製とはずいぶん違い、不安になってほんとうにこれが使えるか何度も確認。日本の品は見栄えもよく作られているのだ。アルゼンチンのはシンプル。合理的といえば合理的。4GBで175 ペソ(約1200円)。家に帰ってパソコンに差し込んだら、ちゃんと使えた(笑)

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(画像上)1年生の終わりに、1年間の活動アルバムを学校からもらう。まあちゃんは姐さんと競うように、何度も何度も自分の写真を見ては、声を出して笑っていた。まだ時折雪が降る奥中山に、まあちゃんの笑い声がいくつもの山や丘を越えて、木霊した。春の訪れを予感させる澄んだ笑い声と、可憐な花を思わせる笑顔だ。今はきっと農家が活気ずく種蒔きの季節。濃い緑の精気の中で遊ぶまあちゃんの姿をいつも想像

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(画像上)1週間ほど前、お弟子さん一家とパリージャに行った。正確には招待された。パリージャとはアルゼンチン料理の最高峰、炭火で焼いた牛肉を食べさせるレストランのこと。上の画像は山盛りの焼き肉(アサード)を見て、思わず歓声をあげる姐さん。下の画像はかねがね食べてみたいと思ったこれまたアルゼンチン名物のデザート<Dulce de Batata y Queso>。これは芋羊羹にそっくりな甘いお菓子(さつま芋を使っている)とチーズを一緒に食べるデザート。赤いのはメンブリージョという果物とチーズ。チーズとのミックスが絶妙。アルゼンチンの乳製品は確かに美味しい。お土産に持って帰り、婿殿にごちそうしよう。もちろんまあちゃんにも食べてもらおう。楽しみ。早くその日がこないかなぁ~!!! 風よ、月日をどんどん流して~

郊外に出稽古で夜明け前に出発。南半球、太陽が出るのは東?西?

 今朝は4時半に起き、Jose C Pazという郊外の日本人移住地に出稽古に行きました。ブエノスの中心地にあるRetiro駅から列車で約1時間15分かかります。
 今日は最初のお稽古日だったのでJose C PazからRetiro駅まで、お弟子さんがわざわざ迎えに来てくれました。ありがたいことです。
 お稽古場はJose C Pazの駅から歩いて15分ほどのサルミエント日本人会館です。ここには日本語学校があり、平日の3日間と土曜日に日本語の授業が行われます。平日の生徒は現在10人以下ということで、先生の数と同じぐらい。マンツーマンに近く、きっと充実した授業が行われていることでしょう。

 日本舞踊のお弟子さんは、この日本語学校の先生がほとんどです。70代から20代までの8人。今日は2時間たっぷり『天竜下れば』をお教えしてきました。2005年のボランティア以来最初のお稽古日でしたが、緊張感もなく、なんとも和気藹々で楽しい時間でした。若い人は覚えるのが早いですね。予定の倍も進んでしまいました。帰国までに二曲教える予定ですが、一曲増やしたほうがよさそうです。「手順を覚えるだけではダメ、形よくね。役になりきって」と自分のことは横に置いて、お弟子さんに力説してきました(苦笑)。

 アルゼンチンに来て、どうも理解できないのが「南半球は太陽はどっちから出るの? 東? 西?」ということ。夕方歩いていると、日本と沈む位置が違うように感じるのです。ツレアイに聞くと「東から出て、西に沈む。日本と違うのは太陽の周り方。日本は南向きの部屋が温かいけど、アルゼンチンは太陽の通り道の北向きの部屋が温かい」と説明してくれたけど、イマイチよくわからないのです。これは帰国までに納得できるよう観察しなければ。渦は日本と反対で時計まわりですよ。


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(画像上)アルゼンチンは今、初冬。夜明けは7時半ごろです。朝食を作り、洗濯をして、夕飯の下ごしらえをして、メールをチェックして、自分のお稽古をして、家を出たのは7時15分。まだ夜明け前の暗闇。大通りの向こうのラプラタ川あたりから夜が明けてきた。ということは東の空が明るくなったってこと!?

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(画像上)Jose C Pazはいわばベッドタウン。郊外の町では仕事がなく、セントロ(都心)まで仕事に出る人たちで通勤時間は満員となる。ディーゼルで走り、つい最近までドアは空きっぱなし、乗客はドアの部分に座ったり、屋根に座ったりもしたらしい。ちなみにJose c Paz(ホセ・セ・パス)とは人の名前。Retiro駅を出ると右側にはVillaと呼ばれるスラム街が続く。一種独特な佇まいと雰囲気で直視していいものか、わからない

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(画像上)通勤の緊張と2時間の踊りづめで少々疲れ気味。夕食はBife de Chorizo(サーロインステーキ)。100g約160円。画像は約150gだから240円のステーキ。<いきなりステーキ>よりはるかに安く、美味しい! 肉につけて(のせて)食べるソースのSalsa Criolla(またの名をChimichuri)も今朝作っておいた(画像、お肉の手前左側)。材料はニンニク、トマト、タマネギ、アボカドのオリーブオイル漬けで、初めて作ったわりにはなかなか美味しく、満足。おひとり様夕食の寂しさを解放してくれるのは、まあちゃんの動画。そして同期ボランティアが教えてくれた<Key Hole TV>。は年間80ドル払えば、日本のテレビ各局、ラジオ(FMも)とCNNをパソコン上でライブで見ることができる。NHK大河ドラマもこれでオッケー

インフルエンザ大流行。マスク姿で出稽古に。子どもは奇異の眼差し

 お稽古はほぼ毎日行われます。火曜日だけ姐さんの家でお稽古。ほかの日は各グループのけいこ場まで出稽古にでかけます。

 月曜日のグループには『日本晴れ』(音頭)、『浅草詣り』(端唄)、『江戸風流』(大和楽)
 火曜日のグループには『川の流れのように』
 水曜日のグループには『四季の彩』(大和楽)
 木曜日のグループには『天竜くだれば』(新民謡)
 金曜日のグループには『さくら音頭』(音頭)、『羽根のかむろ』(長唄)
 土曜日のグループには『花笠日和』(舞踊小曲)
 日曜日のグループには『風薫る』(端唄)、『潮来出島』(小唄)、『元禄花見踊』(長唄)
を指導しています(予定も入っている)。

 日本舞踊って、不思議です。踊れば踊るほど、お稽古している踊りが好きになるのですから。お弟子さんたちが「楽しいです。難しいけど、ほんとうに楽しいです」って、言ってくれるが何よりの励みになります

 ブエノスは今、インフルエンザが大流行。お弟子さんもボランティア仲間も寝込んでいる人が少なくありません。発熱、身体の痛み、吐き気、下痢と全身にわたって苦痛があるようです。おかげさまで、ほんとうにおかげさまで、姐さんは風邪もひいていません。睡眠を充分とって、手洗いとうがい、消毒の効果でしょう。多少活動に影響があっても、疲れたら休息をとり、無理せず、病気せず、でいようと誓っている姐さんです。


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(画像上)出稽古風景。マスクをしてバスや地下鉄に。マスクをしている人なんて一人もいない(苦笑)。大人はマスクの存在を知っているようだが、子どもは姐さんのマスク姿を見て、奇異な眼差しを。でも気にしていられない。自分の身は自分流に自分で守らなければ。画像は鏡に向かっての自撮り。稽古着や小道具をつめたリックは重い

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(画像上)姐さんのアルゼンチン生活に欠かせないのが消毒用のウエットティッシュ(Toallas Humedas Antibacteriales)。薬局で2×3など(2個買えば3個つく)の安売りにまとめ買い。安いときは1個(50枚入り)150円ぐらい。この消毒ティッシュは手をふくだけではなく、床掃除やテーブル拭きなどにもよく使う

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(画像上)水曜日の出稽古前に今は休んでいるけど、古いお弟子さんが姐さんのひとり暮らしの様子を見に来てくれた。どんなものを食べて生活しているか、試食してもらった。<昆布の酢の物><ナスの煮びたしほうれん草添え><野菜たっぷりの白和え>。昆布の酢の物にかぶせてあるのは、ペットボトルの頭の部分を切ったもの。もともと作り置きのだし汁やお茶の「じょうご」に使っていた。しかし、同期が泊まっていったとき「なにこれ? じょうご? 私は料理の残り物の蓋がわりにしてる」と聞いてから、姐さんも利用の範囲が広がった。ナスの煮びたしとほうれん草は、同期の家にお呼ばれしたときのパクリ(苦笑)。こちらのナス(大きな米ナス)は美味。お弟子さんたちは「どれもこれもいい味です。健康的な食事ですね」と満点をくださった。昼からワインを少々

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(画像上)20日の火曜日はアルゼンチンの国旗の制定者ベルグラード将軍の死去した日「国旗の日」で祝日だった。同期の派遣先に<ろくろ>を食べにお呼ばれ。そこの重鎮から何と梅酒を頂いた。梅のエキスを吸ったあまーい香りが心の奥までしみ込んだ。翌日には焼酎(こちらのお酒)に漬けこんだ梅まで頂いた。育ちのよさを感じる梅の香り。また、水曜日のお稽古日にはお弟子さんからタケノコと手作りの味噌を頂いた。タケノコは灰汁をとり、水煮になっていた。味噌は米と大豆から作った天然ものの白味噌。この味噌が戦前戦後アルゼンチンに移住し、開拓、開墾に寝る間も惜しんで身を削ってきた日本人の命を救う糧だったと思うと、自分にとっても元気の源になるはずだ。一粒たりともおろそかにできない。日本人の知恵の結晶の貴重な一品だ。数日前に受けた屈辱的な言葉に流した涙から、心あるお弟子さんたちから受けた親切で、うれし涙へと変わっていった

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(画像上)頂いたタケノコでちらし寿司を作り、同期に配って歩いた。気の合う同期はありがたい。「お弁当ごちそうさま」と、渡されたビニール袋には石鹸やシャンプーがいっぱい入っていた。アパートメントホテル住まいの彼女たちは、自分たちは使わないで(?)姐さんにまわしてくれる(苦笑)

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(画像上)昨日の週末は同期3人で珍しくレストランに行った。日本食レストラン。集合したのは午後8時過ぎ。三人とも活動の帰りだ。場所は最近頻繁に行われるデモの集合場所<五月広場>の近く。土日の日中にはバザーが開かれ、人気カフェが集まる通りは賑やかだけど、一歩路地に入れば真っ暗。ホームレスもいるし、気勢をあげている若者集団もいる。そんな中、集合場所を探すのはかなり勇気がいった。「今日はお腹いっぱい食べよう! 飲み物は自分が持つからたくさん飲んでください」の同期の一言で、エビフライ、揚げ出し豆腐、刺身、寿司、餃子、豚キムチなど盆と正月がいっぺんに来たようなテーブルだった。食事代はきちんと割り勘で払ったのは覚えている。帰りはタクシーの相乗りで帰宅。深夜のドライブの如く、質(たち)の悪い運転手にかなり回された。姐さんが最初に下車したけど、最後の同期はいくら払わされたのだろう。食事代より高くついたかも。今日は怖くて財布の中身も見られなかったし、タクシー代がいくらだったのかも怖くて、同期にSMSできなかった。明日はちゃんと連絡してタクシー代もきちんと割り勘にしてもらおう。みんな同じように少ない日当で生活しているのだから 

やっと近郊のお弟子さんたちにも会えた!うれしい、感謝の一言

  この1週間以上、インターネットが不通でした。モデムの不具合で今日やっと、工事の人が来てくれて開通しました。最初に設置してくれたエンジニアがチョンボをやらかしたみたいです。あっち向いても、こっち向いても、何かしらチョンボされるのがアルゼンチン。3カ月も暮らしてみるともう慣れました。

 ブログがアップできない日々でしたが、この間にうれしいことが、とってもうれしいことがありました。それは、巡回指導でまわるブエノス市外の移住地のお弟子さんに会えたからです。

 2005年の最初のボランティアのときは、着任早々配属先主催でお弟子さんたちとの顔合わせ会がありました。各代表者や当日出席できる方たちとの賑やかな食事会でした。皆さんの顔を見て、安心したり緊張したりだったのがつい先日のようです。

 今回来たら顔合わせをしていただく様子がないまま、1カ月、2カ月が過ぎ、もったない日々が去っていきました。「要請かけられたのに、私って歓迎されていない?」と疑心暗鬼なっていた今日この頃。<しらゆり会>のメンバーが、発表会の反省会と懇親会の名目でティーパーティーを開き、姐さんをそこに呼んでくれたのです。お弟子さんたちは忙しいので全員とはいきませんが、2005年のボランティアのときのお弟子さんもたくさんいらして、タイムスリップしたようです。10年以上たっても変わらない、若い! これは踊りを続けているからにほかなりません。
 日本舞踊の主催団体であり、配属先でもある団体の関係者はだれも来ない、というのがとっても不思議でしたが、幸せな、幸せな時間でした。ありがとう! お弟子さん、しらゆり会のお嬢様たち! 移住地のお弟子さん、バリバリお稽古しましょうね!

 そうそう、このブログの前の「いのちのケア」の記事は4桁に届きそうな、この何十年の中で最高のアクセス数でした。やっぱり、命のケア、そのための行動力大事だよね。


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(画像上)テーブルにのりきれないほどのお料理が次から次へ。アルゼンチン名物手作りのエンパナーダ、サンドイッチ、巻き寿司、お饅頭、カステラ、そして蒲鉾。蒲鉾も手作り。メルルーサ(鱈の一種)をミキサーにかけて作るそうです。美味しくて、美味しくて「晩酌のつまみに頂いて帰っていいですか?」と思わず言ってしまった

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(画像上)5月に行われた発表会(これはそのうちアップします)の引き出物。<しらゆり会>のメンバーの手作りの手ぬぐい。日本でも歌舞伎の襲名披露や初舞台のときに、役者さんが舞台から投げてお客さんに配られますね。上品な藍色のユリの花が瑞々しく薫っていた。彼女たちのセンスが生きている。一生ものの記念品

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(画像上)お弟子さんたちとの顔合わせが行われたのは、毎週月曜日に行っている稽古場。その稽古場には姐さんのアパートから地下鉄で行く。週末には多くの駅や地下鉄の車内で生演奏が行われている。素晴らしいと思った人は、楽器入れなどに小銭やペソを投げ入れる。この日はトランぺッターがムードミュージックを演奏していた。かなり古いが姐さんが学生時代よく聞いたアンディーウイリアムスの(苦笑)。「顔合わせ」と帰りの駅でのムード音楽。アルゼンチンに来てよかった、と思った

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(画像上)地下鉄H線は2005年にはなかった。新しい線でとてもきれいだ。エスカレーターもエレベータも完備され、障がい者にも年寄りにもやさしい。豆電球が人恋し気に点灯している。線路の向こうをたどて行けばまあちゃんのいる奥中山に続いているなら、何日かけてでも歩いていこうと思った。まあちゃんに会いたい、会いたい! 人の悪口を言わず、損得を考えず、欲望のない、純な気持ちのまあちゃんに

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(画像上)この日の夕食は、前日に友人宅で持たせてくれた<すき焼き>と自作の<昆布の中華風酢の物>。すき焼きにはうどんも入っていた。娘がメールで送ってくれたまあちゃんの笑顔の動画を何十回も見ながら、いつものように寂しいおひとり様夕食

大家さんからストーブが届く。「寒い・暑い」より大切なのは命のケア

 5度以下の気温の中で暖房はなく、シャワーを浴びればお湯から水への急転直下。最初の数週間はこれは水行だな、とまあちゃんの健康を祈って、ゴシゴシと日本と同じように朝シャンしていました。でもさすがの姐さんも体調に影響を及ぼし、契約時にお世話になった不動産屋に連絡しました。『「暖房がいつ入るのでしょうか? このままなら私は体が悪くなるので、ここを出て行きます」と大家さんに伝えてほしい』と。

 それから2日後に、アパートの管理人と大家さんの友人(英語が話せて、姐さんとコミュニケーションができる)が大小2台の電気ストーブを抱えて、我が家にやってきました。電気代がかかりそうなストーブでしたが、スイッチを入れっぱなしで寝ると、汗をかくほどの迫力です。これで、寒さに震えることはないでしょう。

 日本人なら穏やかに交渉することができることでも、ここではしてほしいこと、守ってほしいことなどは、確約を取るまで言わなくてはなりません。疲れる社会です。かくいう姐さんも、自己主張の強い女性と思われているかもしれません。ある社会においては……。

 寒いのすったもんだはちょっと時間はかかったけど、これで解決。ストーブが届いて寒かった辛さは、少しずつ薄れる。でも、命にかかわる問題が生じたら、すぐに忘れるなんてできないです。そして命にかかわる問題が生じたときこそ、人となりがわかりますね、つくづく、しみじみ、と。

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(画像上)これでどうだ、と半端ではない大きなストーブ。早くスチームが動けば、そのほうが安全だ。スチームはいつ動くのだろう。大家さんからは「安全性に問題があり、まだ当分動かない」とのこと。「安全性」の一言に今、敏感な姐さん

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(画像上)最近のお話。ブエノスに暮らす友人が災難にあった。さぞ心細い一夜を過ごしただろうと思うと、可哀そうになる。災難にあったのはたまたま友人で、姐さんだったかも知れない。姐さんならすぐに飛んできてほしい人がいる。それはやっぱり「頼りにしている人」。家族? 恋人? もし、家族とか恋人がすぐに来られない状況なら、やっぱり所属組織の担当者や上司、長だよね? 姐さんができることは顔を出すこと、お腹を満たしてもらうこと。かけつけたときのお弁当は、材料は限られてもやっぱり日本食。それもノリ弁。ツレアイから届いたDVD「のんちゃん のり弁」(小西真奈美、岸部一穂、番倍賞美津子主演)を観た影響かも。ポテトサラダ、豚肉の生姜焼き、ダイコンとワカメとシイタケの煮物、鮭入りのり弁、そしてほうじ茶。2日目はお弟子さんから頂いた竹輪とワカメの煮物、2段重ねののり弁。災難にあったのは姐さんだと、勘違いした知人とお弟子さんなどから、お見舞いのメールや電話がすぐにあった。さすが狭い日系社会。口に戸は立てられない。

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(画像上)自分も食べたくて、12年前によく行ったのプチケーキもお土産に1個10.50ペソ(約75円)。美味しい

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(画像上)今日はこれからツレアイの友人宅にお呼ばれ。こちらの夕食は8時から始まるのが常。お土産代わりに手作り料理を用意した。リクエストに応えてちらし寿司。これに最近凝っている昆布と野菜の中華風酢の物。昆布は中国産。ここでは中国産は嫌だ、なんて言っていられない。焼き豚も作ってみた。香菜と一緒に食べてもらおう。夜道歩いて1時間。大丈夫かナ、ちょっと不安。帰りは夜中になるからタクシーに乗ろう

ボランティアは活動してこそハッピー。寒さにも耐えられる

 思うように進行しない今回の活動です。でも、何とかお弟子さんたちに喜ばれる活動への見込みが見えてきたので、ホッとしました。

 先日はボランティア仲間の要請でイレギュラーなグループへ指導に行きました。珍しく男性のお弟子さんが2名も入門。日本舞踊ははじめてというみなさんですが、お稽古することは憧れだったとかでモチベーションは高く、2つのグループ、それぞれ1時間半のお稽古の集中力はすごかったです。
 まずは日本舞踊をお稽古する心得、あいさつの意味、仕方の講義、そして日本舞踊の基本の歩き方、肩のおとし方、手の形などを実習。「羽根のかむろ」の一部を基礎実習としてお稽古しました。「はねのまぐろ」なんて間違って言う人や自分の歩き方の姿を見て笑う人など、和気あいあいの雰囲気。みんな苦心して形を作っていましたが、楽しいって言ってくれました。姐さんに要請をかけてくれたボランティア仲間も一緒に帰りながら、「ありがとう。私自身も基礎からお稽古ができるなんて幸せ!」って言ってくれました。

 何語で教えるかって? 日本語とスペイン語のバイリンガルのお弟子さんがいるので、日本語です。

 みんな「楽しい」って心から言ってくれたので、とってもうれしかったです。自分でやってこそ、みなさんは日本舞踊の難しさがわかるし、姐さんは初心者の方を見ていて、ほんとうに日本舞踊ってたいへんなんだな、と思えました。ここまでこれたのはひとえに、歌峰先生のご指導のおかげ。そして同門先輩たちのサポートのおかげです。

 お稽古しているあいだは、ここ何週間の迷いが消えました。やはりボランティアは活動してこそ、です。そのために来たのですもの。

 姐さんは配属先の意向ファーストで出稽古に行くのはもちろんですが、時間が許す限り日本舞踊を習いたい人たちにお教えしたいです。


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(画像上)お稽古に使うCDやテープを荷物の重量制限のために持ってこれなかったので、邦楽や映像はすべてパソコンに入れてきた。必要な邦楽を各お稽古のグループにメールで送り、CDなどにコピーしてもらう。それができないときは、携帯に音を入れ稽古場でブルーツースでスピーカーに飛ばすことになる。コンパクトスピーカーは、こんなときのためにと娘が買ってくれた。ブエノスでは多くの人がスマートホンを使っている。でも、盗まれることも多いとか。歩きながら話していたら、バイクに乗った盗人にあっという間にとられたとか、バスの窓際に座って話していたら、外から手が伸びてきて盗られたとか……。当たり前に横行していることが怖い。絶対に外で使わないようにしている。どうしても使わなくてはならないときは、カフェに入るか、四方八方ぐるりと見渡し、だれもいないことを確認して使っている

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(画像上)姐さんの「通勤風景」。リックに着物、小道具を濡れないように詰めて出稽古(師匠が稽古場までいくこと)に。歩ける距離(片道1時間ぐらい)は歩くようにしている

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(画像上)昨日はお天気も良く、暖かったので過ごしやすかった。それにいいことがいくつかあった。ブログを見て「なんか寂しそうだったから、大丈夫ですか?」「JICAのお手当てだけでは苦しそうですね、この際、慎ましい食生活で健康な体を作りましょう」と、最初のボランティア時代にサポートしてくれた恩人やボランティア仲間から電話やメールをもらったこと、先の見えない地域への活動が具体化してきたこと、そしてお稽古を心から喜んでくれる新しいお弟子さんと出会ったこと。でも、家に戻りがっくり。インタ^ネット会社から請求書が届いていたことだ。もうお金の話はやめようと思ったけど、請求金額約1,960ペソ(1万3,720円!)。明細をみるとこれから毎月約7,000円必要になる。頭の中が真っ白。パソコンなしでは生活できないから。サービスアパートメント組は宿泊料込みで自己負担なし。賃貸組の中にも家賃に含まれている仲間もいる。要注意ポイントだった! アホの姐さん

貧乏は決して恥ではないけれど、お弟子さんにおねだりするのは恥

 アルゼンチンは今日から6月。日に日に寒くなります。街路を埋め尽くした枯れ葉も、冷風に舞いながらどこかに飛んで行ってしまいました。
 人生の黄昏時を迎えた姐さんが今ごろこんなことに気が付くなんて笑われますが、この時期にブエノスにこなかったら、きっと<当たり前>と受け流していたかもしれません。それはお金の苦労なく今まで来られた<シアワセ>のことです。

 実家が倒産の憂き目に合う前に結婚したので、結婚前は大学に行かせてもらい、踊りも習って人並み以上の生活をさせてもらえていました。結婚後もサラリーマンとはいえ経済力(稼ぎがいいのではなく、お金の貯め方を知っている力)のあるツレアイなので、姐さんが財テクの心配をすることなく好きな仕事を続けられました。そして婿さんがこれまた働き者で、気前が良く、人柄もいいので姐さんの「人財産」は増え、年金とわずかなバイトでも豊かな生活をおくることができています。

 貧乏は決して恥ではない、しかし「捨てるようなタオルがあったら頂戴」「使わなくなったマフラー、セーターがあたら貸して」なんて、お弟子さんにお願いしている(おねだりしている)自分が今は情けない、恥だと思います。ツレアイからは毎日のように「あなたには、ケチケチ人生は似合いません。私がチャリンチャリンしているので(チャリンチャリンとは、仕事をして貯金箱に入れる意)、お金のことは心配しないで布団でもセーターでも買ってください! 栄養もつけて」とメールがきます。でも、無理して言っているのは見え見えなんです。これからお互い何年生きるかわからなし、いつまでも働けるわけではない。正直厳しいですが年金以上のお金を引き出すことないよう、努力しまス!お金の話はもうやめまス。


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(画像上)重量も決まっているので、着物主体で洋服、それも重い冬物まで持ってこられなかった。膝かけもスリッパもマフラーもセーターもお弟子さんからの借り物、頂き物。おねだりした後自己嫌悪に陥ったけど、これらがなかったら凍えていた。ありがたい。みんなの心に報いるのはただひとつ、きちんと踊りをお教えすること

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(画像上)今朝も寒かった。指がかじかむほど。部屋の中では洋服4段重ね(笑)に毛布をかぶっている。毛布は引越しのときに寝具がなかったのを気にして、不動産屋の営業ウーマンが新品をプレゼントしてくれた。軽く温かい。絶対に日本に持って帰る! まあちゃんと寝るときに使おう

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(画像上)昨日はあまりの寒さに耐えきれず、体調も下降気味だったので、火灯しごろ往復歩いて6キロの大型スーパーに行き、布団を買ってきた。599ペソ(約4200円)。日当パァー! 羽根布団ではないけど、こちらも軽くて温かい。日本に持って帰ろう! 一枚重ねただけで前日とは雲泥の差。温かいって幸せだ。カーテンのあいだにあるスチームに湯が巡回するのはいつだろう。ほんとうに暖房になるのかしらん。お飾りだったらここを出て行こう。しかしこの寒さに耐えられるんだから、奥中山でも大丈夫。でも、奥中山のまあちゃんの家は床暖房で、冬でも半袖だった

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(画像上)緊急時には使っていい、とツレアイから言われているシティーバンクのカードがある。アルゼンチンのシティーバンクはSantander Rioという銀行に買収されたばかり。1カ月ほど前に同期ボランティアに付き添ってもらって実験はしたけど、姐さんのアパートから離れたところだったので、今日は近くのSantanderに再度実験的に行ってみた。200ペソ(約1400円)おろすのに、手数料はおろすお金の約半分93.60ペソ。おろせるのはわかったから尻尾をまいて家にもどった。何度もおろしたら手数料だけでたいへんな金額になる。しかし手数料もったいなさに、家に大金を置いておくのは危険だ。どうしたらいいのだ!? そうそう500ペソの紙幣があるのにビックリ。最初のボランティア2005年では、100ペソ遣いきるのにずいぶん時間がかかった。今では500ペソ紙幣が枯れ葉のように消えていく

家探しは困難② 足が冷たいのは一人寝のせい? 暖房のチェックも

 シャワーのお湯が急に出なくなったり、停電が起こったり、インターネットが使えなくなったりはこちらでは当たり前。最近ではアタフタしなくなった姐さんですが、パソコンと携帯のどちらかが繋がらなくなったら、とても不安になります。何といってもいざという時の命綱ですから。先日も急に携帯のメールが使えなくなり、同期のドクトールエンジニアのお世話になりました。

 借りているアパートを出るときは、大家によって厳重なチェックがあります。契約書には皿は何枚、スプーン何本とA42枚にわたって、提供された家具や食器のコンディションが明記され、出るときに無くなっていたり、壊れていたりしたら前納している1カ月分の家賃(保証金)全額が戻ってこないどころか、追加金を払わされる恐れがあります。もう、住んでいてもヒヤヒヤ。コップは使わず、スーパーで紙コップを買って使っていたり、入居したときについていた椅子のシミは画像にとっておき、ガラスのテーブルにはカバーをして、傷がつかないようにしています。

 今最大の悩みは10度にならないと、暖房が入らないこと。朝晩の気温は11度~13度で寒いです。ブクブクに着込んでいます。

 家を借りるときは、水、お湯の出具合、トイレの水の流れ具合、家具の傷の確認、壊れやすいものはあらかじめ引き取ってもらう、冷暖房の確認など、しっかり起動させて細かいことに注意しないとダメですね。契約の社会だから、こちらも負けずに主張、確認しないと。早く任期の11カ月経過しないかなぁ~。


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(画像上)必要ない椅子はシミや傷を増やさないように、カバーをしてベッドルームに。ソファーも同様にお弟子さんが貸してくれた防寒布を敷いている

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(画像上)古い家なので隙間風が入る。エアコンの隅間からは冷たい風とハトの臭い。耐えられなくてスーパーで床拭きぞうきんを買いカバーにした。風が入らなくなり、我ながらいいアイデア
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(画像上)ベッドの中にペッドボトルが2つ。なぜ? 寒くて、足が冷えて、ベッドの中でもガクガクと震えている夜の防寒グッズ。その名も<ペッドボトル湯たんぽ>。日本の友人、人生の先輩が「寒い日はね、姐さんがくれた綿入れ半纏を着て出かけ、夜はペッドボトルの湯たんぽ入れるの」と言っていたのを思い出してやってみた。かなり効果的。でも、薬缶からペットボトルにお湯を注ぐとき、注意しないとアルゼンチンのペットボトルは歪んで、つぶれていく。クオリティの差は大きい。お茶の代わりにショウガとハチミツで生姜湯を作って、体の中から温めている。こちらの効果はわからないが……


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(画像上)一日日当2560円(光熱費、食費、交通費などすべて)の身、節約節約生活で外食などもってのほか。ランチで日当が消えてしまう。はっきり言って、日本の方が物価が安い。そんな身ながら、昨日はお稽古用の電源やパソコン、CDプレーヤーに必要な延長コードと、いつ起こるかわからない停電に備えて懐中電灯を買ってしまった。単4電池5つを含めて426ペソ(約3000円)。電気屋の近くに新鮮な八百屋さんがあったので、ほうれん草とトマト2個、ショウガ1パックで89ペソ(約630円)。これだけで、有に日当が消えた(涙)